フィウミチーノ空港まで(2) 2011年欧州旅行記-02

ドバイ国際空港には明け方の4:00過ぎに到着した。
滑走路に向かってアプローチを続けているあいだ、機体下部に取り付けられたカメラから地上の様子を見ていた。建物のない空間に道路が敷かれているらしく、車のヘッドライトが緑色の染みのようになって、どこかへ向かって走っている。あれは砂漠の中か、それとも荒れ地のあいだか……そんなことを考えているうちに着陸。

HSBCの派手なロゴの描かれたジェッティから、"Transfer"の案内に従ってターミナルの長い長い通路を歩く。目の前には椰子の木と、そして通路から下を見下ろすと、オバQのような白いカンドーラを着た男性、アバヤで全身を包み、目力だけ強力な女性が歩き回っている。そのアラブっぷりにちょっとアガる。

まったく読めないアラビア文字と、英語表記を頼りにTransferゲートを通過し、免税店の並ぶターミナルふらふらとした。土産物屋にはアラブっぽい金属製の水差しが並べられ、らくだのぬいぐるみも発見。コンコースには宝くじの賞品が展示されていて、最も高いと思われるのは、この白いマイバッハ(Maybach)。お値段は4,850~1億4,350万円位だそうで、さすがのアラブ人たちもパチパチと写真を撮っている。


ついでに天井の窓に写った自分撮り。


時間は明け方5:00。
窓の外は依然として夜明け前で、礼拝を呼びかけるアザーンが空港内に殷々と響き渡る。アザーンを聴いてみたい人は、こちらで。
http://youtu.be/bw7_bVjrPvg

アザーンはコーランの一節を詠唱した物ではなく、礼拝時間をつげる呼びかけだそう。日本人にとって異国情調を感じさせる詠唱に耳を傾けながら、空港内をフラフラした。

椰子の木の写真を撮ったりしていたけれど、さすがに一人で5時間の乗り継ぎは退屈した。iPadをいじったり、トイレに行ったりもしたけれど、そのうちベンチで眠りに落ちた。30分あまり寝ただろうか。周囲の人も居眠りしている。

ふと気づくとサングラスがない!!
あーあ、どっかで落っことしてしまったか、ハワイで買ったのになあと残念がっていたら、誰かが拾ってエスカレーター脇に引っかけてくれていた。実は……今回の旅行でこのサングラスは10回近くも落としたんだが、そのたびに誰かが拾ってくれて手元に戻ってきた。ありがとう。世の中、悪い人ばかりじゃない。


7:00頃から外が急速に明るくなった。ブルジュハリファが見えるかどうかじたばたしたけれど、空港からは確認できなかった。9:25出発のローマ行きEK97便は予定時刻を30分近く遅れ、ドバイを出発する。フィウミチーノ空港には、僕が彼氏の到着より1時間早く着く。まあこれでうまく時間調整ができればいいかな、と思う。

ドバイ→ローマ間はおよそ8時間。8時間と言えば成田・ハワイ間の移動時間とほぼ同じだ。さすがに長いなあと思った。
成田・ドバイ間は日本人の方が数が多かったが、さすがにドバイ発欧州行きの便はどれもアラブ濃度が高い。エキゾチックな民族衣装をまとった家族連れをたくさん見た。
隣席は美男・美女カップルで、いちゃつくのはかまわないけれど、女の病的な貧乏揺すりには閉口。せっかくの美人が台無し。むかついたから……ではないけれど、ベジタリアンミールをちびちび食べている彼女の横で、思いっきりマトンのカレーを食ってやった。嫌みになっただろうか!?カレーはどこで食べてもおいしい。

ローマ時間14:00過ぎにフィウミチーノ空港に到着。ターンテーブルで荷物を引っ張り上げて、「さあ、待ち合わせ場所へ移動するか」と独りごちていたら、ケータイが鳴って「僕もついたよー」と彼氏。パスポートコントロールに向かって歩いていたら、ターンテーブルの前にしゃがみ込んでいる彼氏を発見。「よっ!お疲れ。無事に逢えたね」

ここからは彼氏と合流。
彼の荷物を引っ張り上げて、パスポートコントロールに向かう。
入国管理官はパスポートを一瞥した後、行けと顎でしゃくる。
「えっ!?こんな簡単で良いの??」と僕はいぶかしんだのだけれど、10日後、ミュンヘンで泣かされることになるとは、このときは想像できなかったさ。

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