スティーブ・ジョブズのプレゼン術はね……

晴れ。9.6℃/2.1℃/27%

お昼時の混雑が一山越えた、13:00過ぎの毎日新聞ビル地下の赤坂飯店。
たぶん3年とか5年ぶりに訪れた。
ここの名物担々麺を啜りながら、僕はぼんやり考えていた。


あいかわらず、盛りつけが適当だよなあ~ (>_<)
おいしさが半減しているように見える……。

じゃなくて。

研修を受けていたプレゼンテーションのこと。

プレゼンテーションというと、ほぼすべての人がスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを褒める。僕だって彼のプレゼンはすてきだと思っている。

だがしかし、ジョブズを褒めたあとの教材が、なんというか、落差が激しくてねぇ。

ジョブズのプレゼンテーションを褒める人たちは、例外なくスクリーンに映るシンプルなプレゼンテーション資料を褒める。Keynoteで作られた、1シート、1行または1グラフの映像……。それに比べて貴様らのプレゼンシートはごちゃごちゃとしていて落第だ!!というわけ。わからんでもないんですがねぇ。

プレゼンテーションって、なにから構成されるのか?
プレゼンテーションって、なにを目的に行われるのか?

って考え始めると、ジョブズのプレゼンシートがシンプルなのは理由があると思う。たぶん彼のプレゼンシートは「アジェンダ(または目次)」だからシンプル。プレゼンシート自体にほとんど情報を載せていなくても、たぶんOK。。

じゃ、プレゼン資料はなにか?
それは彼の手の中にあるiPhoneとか、iPadとか、Macbook Airだとか。

その魅力的な、「動く」プレゼン資料を動かして行く「目次」が、スクリーンに映っている情報。プレゼンターは、製品・サービスの生みの親で、観客に変わって操作してみせて観客を驚かすトリックスターがスティーブ・ジョブズとな。だから、トークとアクションで場を繋いで行けるのだと僕は思うのだが。

そして、彼のプレゼンは、結局、apple storeへ駆けつけて、あなた自身の目で、耳で、指先で、そのすばらしさを体験してくださいというインビテーションレターなんだよな。だから数字やら何やらを並べたてる必要があまりない。いわば、スティーブ・ジョブズによる「先行体験会」なのだから。

で、スティーブ・ジョブズのプレゼンの素晴らしさを歌い上げたあとで、実際の研修教材は新規事業の企画だとか、新規投資の提案、下手すりゃIRまがいの説明資料だったりする。こういうネタは、多くの場合、複雑になりすぎる。情報が多すぎる。削ぎ落として、削ぎ落としてシンプルにしたくても、結局、理屈の部分などの「地」の部分を削れないのだ。

そういう意味も含めて、プレゼン資料作りはむずかしいと思う。
ITの世界では、投資家を口説くためのプレゼン資料は、アイディアさえすばらしければ「紙ナプキン1枚の裏だけで十分」だったりする。アイディアがすばらしいほどシンプルで、それは力強いものになる。

でも、その後に続く「事業計画」のプレゼン資料は、わかりやすい書き方はあるにせよ、ジョブズのプレゼンシートとはだいぶかけ離れたものになる。特に日本人が作るものだとごちゃごちゃと情報を載せすぎていて、PowerPointじゃなくて、Wordで書いた方がいいんじゃないか?みたいなケースも多々あり。結局「プレゼンシート」なのか「説明資料」なのか、それとも「参考資料」なのか、はっきりしないで作られたものが多いということなんだろうな。

そんなこんなで、やっぱりあまりジョブズ引き摺られすぎてはあかんとも思ったりしたんだ。ちなみに、講師は「IT業界にありがちな、プレゼン資料にアニメーション効果や、意味もなくサーバのイラストを置いたりするのはノイズだからやめれ」と言っていました。

平成生まれのワカモノ

晴れ。12.4℃/2.1℃/25%

今日は仕事で一日慶応大学にいました。
平成生まれの中に身を置いているのは、なかなか居心地が悪かったな。
それくらい、ワカモノとは交流のない場所で普段生活しているということで。

お昼休み、せっかく来たのでキャンパス内を散歩してみました。
母校ではないのでもちろん土地勘はゼロで、構内案内図を一瞥したあとふらふらと歩いてみました。ちゃんと福沢諭吉さんの銅像も見ましたよ。写真撮ってみたけれど真っ黒。肖像権を自衛しているようで苦笑してしまったよ。ここは左翼学生の立て看板とかないのだね。あれはあれで大学の風景の一部だと思っていた僕は、もうおっさんなのね。


パネルディスカッションの中で懐かしい名前を聞いた。
itojun … 死してなお彼の残した仕事は世界の一端を支えているのかと思った。彼の晩年の叫びを綴った日記はもう見ることは出来ないけれど、彼は世界を救おうとしていたんだよなあ。

帰り道、日吉駅に掲げられた巨大な求人広告に気づいた。
ここは院生しか採らない会社だと思っていたけれど、優秀ならば学部生でも採用するのかな???



君にもわかるISO 許可証をください!

いや~、BL小説には過去ありとあらゆる職業が登場してまいりました。
しかし、「ISO9001取得」がテーマのBoysLoveは前代未聞だろう。

普段からISOだの、ISMSの意義を説明するのに四苦八苦している当社としては、度肝を抜かれたわけでございます。早速、オトナ買いして、腐女子と手分けして読み進め中。まずは第一巻の「許可証をください!」を読了しました。これ、結構いいですね。BLとしては異色の出来栄え。化学工場で働くお兄さんたちがモデルというのも異色。

ISO9001が「君にもわかる」ようになるんでしょうか!?

月曜日に腐女子と語り合うネタが増えてしまった。。。


高尾山に紅葉狩り

これもまたバックデート。
2012年11月24日に彼氏と高尾山に行ったときの写真。

前日と打って変わってあの日は快晴で、僕たちは電車を乗り継いで高尾山口まで移動した。高尾山と言えば紅葉の名所。ミシュラングリーンブック三ツ星の観光名所。混雑しているのだろうと予想はしていたものの、ものの見事に大混雑。お団子を買うだけでも一苦労。リフトに乗るまで1時間待ちとか。

紅葉を眺めながらの薬王院参詣なんて古式めいていてすてきなんだけど、ちょっと下界に視線を投げると中央道を往来する車が見えたり、新宿の高層ビル街がかすかに見えたりとか、なかなか浮き世離れはむずかしいようです。














おそばを食べてフィニッシュ!
普段海外暮らしの彼氏が日本の秋を楽しんでくれたならばとてもうれしい。

タイヤ交換に。

晴れ。7.4℃/0.9℃/31%

今日はスカイラインのタイヤを交換しました。
なんでもタイヤの溝が1.5mm位になっているとかで、これだと車検は通らないらしい。
で、オートバックスやタイヤ館をうろうろしてみたわけですが、225/55/17Rって規格はなかなか見つからないんだよね。結局ダンロップ製になったわけですが。タイヤって結構在庫限りが多いようで、タイヤの在庫管理をルーズリーフノートでやってるのを見て、へぇ~と思いましたよ。それほどアイテム数が多くはないのかも。ミニバン向けなんかの売れ筋は別なんでしょうけどね。

トイレに向かう父親の後ろ姿を見て、「お父さんですか?」と尋ねてきた年配のスタッフ。そうだと答えると「息子さんに付いてきてもらって幸せな方だ」と。あれ?僕、ほめらりた!?新しいタイヤに履き替えるまで約2時間、店内の待機スペースでおしゃべりに興じてきましたよ。

タイヤってのは本当にピンキリ。10万越えするものもゴロゴロあるし、4本で2万円以下というものもあり。KUMHOっていう韓国製。悪いけど、ぶっちゃけ100km超でガンガン走るクルマに韓国製のタイヤって怖くて選べないです。まだ、命惜しいから。メーカーで設計やっている義弟に尋ねてみたら「まあ……それなりに、ね」という反応でしたよ。

バックデートのネタですが。
タイ・シンガポール旅行からのあと、仕事の外出で、生まれて初めて光が丘公園を通りかかったんですよ。広大な空間が広がっていて、ハイドパークを思い出してしまいました。昔、ここは米軍キャンプがあったところで、父親が学生時代にこのキャンプに出入りしていたとか。2012年11月12日、まだ秋でした。





星乃珈琲店のパンケーキ

晴れ。9.8℃/2.5℃/63%

晩ご飯はパンケーキだった。
いや、朝からそれ以外は考えられないくらい、パンケーキな気分だったのだ。

星乃珈琲店へ行き、二段に重なった"窯焼きスフレパンケーキ"を注文した。
焼き上がってくるまで20分間。
ブレンドコーヒーを飲みながら待つ。
ここしばらく安いカフェばかり通っていたので、雑味の少ないコーヒーを味わうのは久しぶりだった。

焼き上がるまでの間、豊穣の海 第三巻 暁の寺 を読み進める。
この第三巻の評判があまり良くないのは誰でも分かる。
三島由紀夫が書き記した唯識論の部分は、大学生の提出したやっつけのレポートのように無味乾燥だ。どこから引き写してきたのだろうという位の出来の悪さ。
いや、三島由紀夫の才能に恃むのならば、小難しい唯識論を主人公の行動などに落とし込んで欲しい。こんな生煮えを出すのだったら金を返して欲しいと読者は言いたくなる。

一方で、第一巻 春の雪 に関連してくる部分は、南平台の廃墟になった松ヶ枝公爵邸跡地での追憶ですら美しい。追憶…滅びていった優雅は、いまもって甘美でメランコリックな香りを漂わせている。独りよがりの恋をして死んだ貴族の青年は、その生家を没落させ、彼に関わった人ほとんどを不幸にした。それにもかかわらず、短い人生を駆け抜けた美しい青年の印象は強烈で、読者は主人公本多とともに彼を追慕せずにはいられないのだ。

そんなことを考えているうちに、パンケーキが登場。
メイプルシロップを垂らすと、スッと表面から染みこんでゆく。

幼い頃、母親が焼いてくれたホットケーキは、褐色の焼き目がメイプルシロップを弾き、甘い液体はいつも皿に流れた。僕はナイフを入れ、皿の底にたまったメイプルシロップをなすりつけてから口に運ぶのが常だった。

星乃珈琲店のスフレパンケーキは、フワフワとした口当たりがお菓子のようで、とてもおいしかった。母親が焼いてくれたどっしりとした小麦粉の塊のようなそれとはだいぶ違ってはいたけれど。今度、自宅でパンケーキの焼き方を教えてもらおう。



これはマスゴミと蔑まれるだろ … 信濃毎日新聞の場合

ひどい暴力装置だよ、マスコミは。

>昨日の朝刊に犠牲者の一人、渕田六郎さんの写真が載っている。
>64歳のベテランだ。床に座り、箸とおわんで食事している。
>
>この写真は百万言を費やすより雄弁にテロの卑劣さを物語る。見
>詰めていると涙が出てくる。「事実」の重みである。

新聞記者のセンチメンタリズムにつきあわされて、遺族・関係者に大きな負担がかかっているのが現実。マスメディア関係者はお花畑を出て、もっと現実を見ようよ。

しかも「実名で報道する意義についてご理解をいただくよう、読者の皆さんにもお願いする」だって。オレたちは悪くない、これからも勝手やらせてもらいますってか。

マスコミのやっていることって遺族の顔を晒してセンチメンタリズムに浸り、マイクを突きつけて「今のお気持ちは?」を垂れ流しているだけだろ?

遺族・関係者にご迷惑をかけている暇があったら、アルジェリアの現地に飛び込むとか、イスラム原理主義者たちに向けて「今のお気持ちは?」と聞いて回ってみたら?そっちのほうがよほど有益な記事になるだろうな。

平和な場所で、無害な人を追い回して悦に入ってるのは、菅直人が「4列目の男」ってバカにされていたのと本質的に変わらない。

猛省しろ!

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被害者の実名 思いを共有するために 01月24日(木)

 アルジェリアで起きた人質事件で政府は、被害者の氏名の発表を渋っている。

 世界を揺るがせた事件である。手口は残忍極まりない。

 どんな人が巻き込まれ犠牲になったかの情報は、事件の本当の姿を知る上で欠かせない。テロ対策を進めるためにも必要だ。可能な限り早いタイミングで氏名を公表するよう政府に求める。

 「日揮の皆さんと相談して、公表は避けていただきたいとのことだった」。公表しない理由を問われ菅義偉官房長官は述べている。

 亡くなった人、辛くも命を取り留めた人、その家族…。厳しい状況を強いられた人たちだ。取材、報道によってさらなる負担をかけるのは、何とも忍びない。

 こんな中で、実名発表を求める趣旨の社説を書く必要が本当にあるのか―。楽屋話をお許しいただけば、論説委員の会議でも問題提起があった。

 それでもここでは、実名発表を求めたい。いちばんの理由は、事件の実態に迫るのに欠かせない情報だと思うからだ。

 昨日の朝刊に犠牲者の一人、渕田六郎さんの写真が載っている。64歳のベテランだ。床に座り、箸とおわんで食事している。

 この写真は百万言を費やすより雄弁にテロの卑劣さを物語る。見詰めていると涙が出てくる。「事実」の重みである。

 御巣鷹山の日航機事故で新聞各紙は、乗客乗員520人の情報を詳しく載せた。米国では毎年9月11日、同時テロの犠牲者全員の名前を読み上げている。一人一人の名前が悲劇を今に伝える。

 事件や事故の被害者家族の中には名前が報道されることを望む人も少なくない。あの人が生きた証しを記憶にとどめてほしい。そんな思いを口にする人もいる。

 政府や自治体、企業の間で匿名発表の流れが強まっている。一因に報道被害の問題がある。昼も夜も大勢で押しかけ、カメラを向けて質問を突きつける。メディア側にも反省点は多い。

 時の政権は自民、民主を問わず、人権擁護などを理由にメディア規制の動きをしばしば見せてきた。今度の匿名発表もその一環である可能性を否定できない。

 私たち報道機関は日本新聞協会を中心に、倫理規定をつくる、苦情処理機関を設けるといった対策を進めてきた。いまだ不十分ながら、成果は上がりつつある。

 実名で報道する意義についてご理解をいただくよう、読者の皆さんにもお願いする。
   
出典:信濃毎日新聞
http://www.shinmai.co.jp/news/20130124/KT130123ETI090002000.php

流れてゆく日々

いったん日々の出来事を書き綴る習慣を手放してしまうと、なかなか復帰しないものですね~。ブログを書く習慣が途切れつつあって、我ながら焦るというか、呆れるというか。

10月下旬のタイ・シンガポール旅行の後、紅葉の高尾山を訪ねたり、恒例の彼氏の誕生日をお祝いします旅行に出かけたりとかあったんですよ。追々アップしていくつもりですが。

その他には……。
民主党が選挙でボロ負けし、政権与党から滑り落ちたあの日は、酒を飲みながらバンザイしていたっけか。浮かれて翌日はカツカレー喰っていたなあ~。まだ国会も開かれていないのに「まともな国家運営が戻ってきたなあ」と感じられ、素人の自称政治家たちに振り回された3年が悪夢に怯える日々だったことが思い出されます。

その他には……。
MacBookで為替相場の動きを眺めていたりとか。
ExcelとDDEを組み合わせて数字をリアルタイムで追っかけてビジュアル化してみてますが、思いがけず複雑な動き方をするので困っています。

社内腐女子とBLバーでグダグダ飲んでいたりとか。
昨夜も腐女子と神保町へ買い出しに出かけ、"不測ノ恋情"と"二度目のオトコ"を入手。その後世界の山ちゃんで飲んでグダグダになっていたりとか。

あまり二丁目では飲まなくなったな。
"不測ノ恋情"に"周ちゃん"という登場人物が出てくる。ややオネエのキレイ目オトコなわけですが、僕が行くお店では見かけないタイプ。僕を含めて店とお客が老け込んだのか、キレイ目は二丁目に来なくなったのか……どちらの理由も当てはまるんでしょうが、目の保養がない場所で酒を飲んでいてもねぇ。。。。

そんな感じで、ただのオッサン生活を過ごしていますよ。

明けましておめでとうございます

あらためまして、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

まさか、タイ・シンガポール旅行記がこんなに時間が掛かるとは思いもせず。
いくらなんでも連載30回を超えるのはやり過ぎですねぇ。
新年のご挨拶も旅行記を書き終えたらと決めていました。

とても楽しい旅でしたが、僕、彼氏ともにイタリア・ドイツ旅行…特にソレントで過ごした日々を超える旅は未だ現れずなのでした。あれはとても印象深い日々でした。

2012年10月下旬から何をして過ごしてきたのか、ブログに残してゆかないと忘れてしまいます。それくらい時間は慌ただしく移ろって行くんですねぇ。

順次バックデートをこなしつつ、時事ネタなんかについても書き散らかして行こうと思います。

エピローグ (タイ・シンガポール旅行記)

翌早朝、僕たちはコンラッド・センテニアル・シンガポール・ホテルを出発した。早朝もなにも、チェックアウトしたのは4:30。いつものように目覚まし時計のベルが鳴ると二人とも飛び起きて、ガンガン出発準備を始める。二人とも朝シャワー派なので手早く、要領よく作業を進める。

最後に忘れ物がないかどうか指さし確認して、「じゃ、行こうか」と軽くキスしてから部屋を出る。

シンガポール・チャンギ国際空港まではタクシーで移動。市内からほぼ一直線の高速道路を爆走する。もちろんこんな時間に走っている車はあまり多くはないのだが、やはり早朝に出発する飛行機に搭乗するお客たちは次々と集結しているようだ。

今回もチャンギ国際空港で彼氏とお別れ。関空へ向かう彼氏と、成田へ向かう僕とは搭乗する航空会社も別だ。彼氏の方が2時間早く離陸する。それぞれチェックインカウンターで荷物を預け、ボーディングパスを受け取ってから集合。パスポートコントロールを通過して、あとは飛行機に搭乗するだけ。

免税品店でそれぞれお土産を物色したあと、お腹も空いたしということで、僕らはフードコートを探した。さすがに6時前ではフードコートもほとんど閉まっていて、シンガポールでの最後の食事はチキンラインスになった。テーブルを挟んで交わされる会話は楽しかったことばかり。僕らもいずれ旅先で大げんかする日が来るのかもしれない。だけど、今回も楽しかったことを懐かしむことが出来たのは本当に幸せだったと思う。辛抱強い彼氏にはいつも感謝してる。ふだんあまり口にしていないけれど、これは本当のこと。


先に飛び立つ彼氏を見送ったあと、僕も自分の搭乗する飛行機の待つボーディングゲートへ向かった。この旅行の最後のお楽しみ。シンガポールに立ち寄ったのは、シンガポール航空のA386に乗ってみたいということもあったのだ。乗る人皆絶賛するA386とはどんな飛行機なのかと。成田空港で何度も見送った総二階建てのずんぐりさんが駐機している姿を見て、僕は年甲斐もなくうれしくなってしまった。


リクエスト通り通路側の席が用意されていて、そこからは快適な7時間30分のフライト。評判通り、エンジン音はかなり抑えられていて、隣の人の声もよく通る。天井も高いのかな?とても快適な空間だった。昼間のフライトだったので珍しく映画を見て過ごした。"バトル・シップ"、"桐島、部活やめるってよ"は、おバカだが"バトル・シップ"の方がおもしろかった。内容は本当にくだらないんだよ。だけど、じいちゃん達が活躍する映画は本当に好きだから。

彼氏と旅を重ねるたびに、忘れがたい思い出が積み上がってゆく。
これが幸せなんだと、感謝と喜びを抱いて家路につく。
今回も、とても、楽しかった。

僕が連れ帰った仔たち。

コンラッド・センテニアル・シンガポールのベア。
ラッフルズホテルのトラさん。
そして、タイ、ジムトンプソンのゾウ。


旅行先から連れ帰った他のぬいぐるみらと一緒に飾られている。
次はどこのお客さんを迎えようか。

以上、タイ・シンガポール旅行記終了。

ティフィン・ルームでハイティー (タイ・シンガポール旅行記)

僕たちがラッフルズホテル内のアーケードをうろうろしたり、Long Barでだらだらと時間調整していたのは、ティフィン・ルームの開場を待っていたからだ。旅の終わり、シンガポールの午後をのんびり過ごそうと彼氏が欧州からアレンジしてくれたのだ。開場近くになると予約客たちで行列が出来、僕らも並んで開場を待つ。

入り口で予約を確認され、それぞれのテーブルに通される。白いテーブルクロスが掛けられ、白い陶磁器とよく磨かれたカトラリーがそろえられたテーブルがずらっと並ぶ光景はなかなか壮観。三段トレーが運ばれてきて、そして紅茶のチョイスを尋ねられた。満席の会場テーブルを給仕たちが忙しそうに飛び回る。三段トレーはお代わりも可能。そして他にはビュフェ式の点心やデザートなども用意されていた。




紅茶を味わいながら、彼氏と旅行中の思い出話が弾む。

ラッフルズホテルをあとにして、彼氏は疲れが出たのか体調を崩した。すぐにコンラッドへ戻り、彼氏はベッドで休むことにした。僕もプーケットで体調を崩した。アジアの旅はもっとのんびりと旅程をくむ方が良いのかもしれない。

彼氏が休む支度をしている間、僕は部屋を抜け出し、ロビー内のショップをうろついた。捜し物は……あった。部屋に置かれていたものと同じベア。僕一人が旅の思い出を持ち帰るんじゃさびしい。彼氏にもベアを連れて帰ってもらいたいと思ったから。支払いをするときにキャッシャーの女性の英語がよく聞き取れなかった。旅行中は彼氏に頼っていたからなあ…サバイバル力低下はちょっと気になるところだ。

彼氏がベッドで休んでいる間、僕はNHKスペシャルで「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオ」を見ていた。コンラッドの部屋に備え付けられていたのはソニーのTVだったが、これがいつかサムスンやらLGに取って代わられる日も来るのかもしれない。そうならないように何をすべきなのか。海外に出ると、僕は普段よりも自分が日本人であることを意識する。きっと多くの日本人がそうではないかと思うんだが。

カーテンの隙間からシンガポールの街並みを見下ろした。ロータリーを通過してゆく車の数はまばらで、オレンジ色の街灯が目に焼き付く。海外旅行の最終日は、いつもオレンジ色の街灯を眺めて終わるのだ。明日は早朝起床。22時過ぎにはベッドに潜り込んだ。

シンガポールスリング (タイ・シンガポール旅行記)

ラッフルズホテルの2階にある"Long Bar"は、薄暗く、気怠い雰囲気を漂わせていた。新嘉坡の周囲から圧迫されるような暑さから逃れて、僕たちは"Long Bar"の扉を開いた。滑りやすい、細かなタイルが貼られた床の上を歩く。たぶん、ステイ客は奥の方に、僕らのようなビジターは入り口近くの席に通される。

テーブルの上に、殻ごと炒ったピーナッツを盛った箱が置かれていた。僕らは名物のシンガポールスリングを注文してから、ピーナッツに手を伸ばした。殻を捨てる皿は置かれていない。ここではピーナッツの殻を床にそのまま投げ捨てるのが流儀。僕らもコロニアル時代からの風習にならって、さんざんピーナッツの殻を床に散らかすことになった。

シンガポールスリングは甘めのカクテル。
一口、二口口に含むと、身体から汗が引いてゆくような気がした。
彼氏共々それぞれ二杯ずつ飲むことになった。

僕らがカクテルを楽しんでいる間も、店内の写真だけ撮って去って行く観光客が続く。ラッフルズホテルはとてもすてきな場所なのだが、僕らも含めビジターが多すぎる。高級ホテルはもっとexclusiveな空間にした方が良いのではないだろうか。

天井には物憂げに空気をかき回している団扇が並んでいる。
たまに翼を持つお客さんも入店するらしい。








ラッフルズホテル (タイ・シンガポール旅行記)

そしてやって来た、全世界のマニアあこがれのホテル。
その宿泊費の高さにドン引きしたあこがれのホテル。
はぁ~~っとため息が出る。












シンガポールの至宝だな。

シンガポールのショップハウス 2 (タイ・シンガポール旅行記)

この「ショップハウス」のようなデザインを、プラナカン様式建築というそうだ。プラナカンとは15世紀後半以降、マレーシアやシンガポールにやってきた中華系移民の子孫のことを指している。プラナカン様式建築は支那、マレー、そしてヨーロッパ文化が混じり合った独特のスタイルなのだ。








買い物客で大混雑するチャイナタウンから再びMRTに乗って、オーチャードロードへ向かった。彼氏のお土産をピックアップするためだ。