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令和2年最初の投稿

令和元年から2年になって、今年の年末年始は9連休で終わった。

まあ、ドラマ漬け、甥姪漬けの日々。
Switch Liteを買ってやったり、お年玉巻き上げられたりと出費がすごかった。

連休最終日。
近所のショッピングモールで買い物して、コメダ珈琲店でAnaconda3の再インストール作業しながら今年最初のブログを更新してる。

書きたいことは何かなあ。。。。
おっさんずラブ in the skyがまずまずの着地をしたと思った。
春田成瀬カップルを期待したけれど、四宮ファンがあれだけ増えてしまった手前、成瀬四宮で纏めるしかなかっただろう。成瀬、かわいい顔して絶対タチだと思う(w
となれば、春田失恋コースかと思うけれど、本家本妻の黒澤武蔵とくっつける。
まあかなり強引な展開だけど、あれしかなかったんだろう。



田中圭・吉田鋼太郎のペアで今後も続編作り続けるにはもう無理があった。
今回の天空不動産粘着ファンの炎上を見ていたら、制作側としては手仕舞いしたくもなるだろうよ。あれは本当にキチガイ過ぎた。
僕としては獅子丸にももっと活躍して欲しかったし。
in the sky第二期も見てみたかった。
だけど、あの惨状はなあ。。。
制作側の意欲を挫くようなキチガイっぷりだったと思うよ。

ぶっちゃけ男性同志愛、同性愛に、ぶっちゃけ部外者の女性があれだけ介入して、ネット上でキチガイみたいに騒いだり、呪怨のような怨嗟を垂れ流している様子を眺めていて、なんなんだろこの人たち。。。と当事者の一角としては頭を抱えたわけです。
なんで女性が、同性愛者のドラマをあたかも自ら所有しているかのように振る舞えるのだろう。。。LGBTうんたらとか置いといて。そういう風に乱暴に手を突っ込んでくることに、勝手な思い込みをごり押ししてくることに、当事者たちがどれだけ嫌がっているのか分かんないんだろうな。。。

きのう何食べたは定常運転。
文句の付けようのない展開だけど、ときめきはないの(w
そうだよなあ。
長く付き合ってるゲイカップルなんてあんなもんだから。
ただ、お互いを思いやって慎ましく生きてゆく姿は、子無しノンケカップルも参考になるところがあるという指摘は、なるほどなあと。

というわけで、2020年もよろしくお願いします

おっさんずラブ in the sky 6話

ほんと、このシリーズとてもおもしろい。
前半の火鍋シーンも、バッティングセンターシーンは笑った。
いきなりホームランで存在バレちゃうし。

最後に捨て身でシノさんに抱き着く成瀬が切ない。
ああいう形の慰め方しか知らなかった、セックスの経験だけ積み重ねてきただけの子供。
切なかったな。

このドラマはいろんなことを教えてくれているなあ。
S1至上主義の狂信者の存在。
それを煽ったドラマライターという存在。
同性愛者のドラマに葛藤がないから不満という腐女子たちに対する「同性愛者に苦しんでほしい彼女たちへ」というカウンター。それを考察する者たちの存在。
世の中は尻馬に乗って騒ぐやつが多すぎだよ。

それにしても、なんかね。
ドラマはこういう狂乱を飛び越えて、最終回に向かっているんじゃないかな?といま時点の僕は感じていたりする。

BOY'S LOVEってよく知られたキーワードがある。
「おっさんずラブ」と日本語で書くとわからないが、Ossan's Loveなんだよね。

今回、天空不動産から天空ピーチエアラインに舞台が移ったことについて「おっさんずラブは部長がはるたんと結ばれる世界線を探すループものだと思おう。。」「おっさんずラブ、はるたんと恋が上手するまで何度も出会いや時間を変えてやり直す吉田鋼太郎ってもうこれ魔法少女まどかでしょ…」って指摘があった。

現在放送された6話までを見る限り、確かに春田創一が主人公で露出が一番多いことは間違いないが、実質的な主人公はばーちー成瀬竜だ。視聴者の興味は成瀬竜の成長に集中しているといっても過言ではないと思う。かわいすぎるおっさん成瀬竜が、どうやって恋を成就させるのか、その一点に関心が集まっている。
もはや、おっさんずラブは、今回春田創一と黒澤武蔵の物語でも、春田創一と牧凌太の物語でもなく、すでに群像劇(Ossans)に拡張されたといっても良いのではないかと。

そういう意味では、LGBTへの理解が深いと言われる航空業界を舞台にしたのは英断だったとしか言えない。ギャレーの噂話が「あいつ今度結婚するんだって」「マジ?あいつノンケだったの?!」みたいな業界だそうだから。だから「男同士の葛藤」を描かなくて済んだ。いいんだよ、そういう世界にシフトしていって欲しいのが同性愛者の願いだから。

あとね。
山崎育三郎に抱きしめられる田中圭を見ていて、このドラマはブロマンスについても啓蒙しようとしているのかなあとも思った。
フェミニストたちは想像したこともないかもだけど、男だって庇護して欲しい時もある。抱きしめられて、泣きたい時だってある。元々そんなに強い生き物じゃないんだよ男って。


春田に向ける冷めた目線と、シノさんを見つめる潤んだ瞳と、千葉雄大はいい役者だなあとちょっとファンになった。かわいさのプロだね。

個人的な件。
昨日、僕たちは付き合い始めて丸11年目が終わり、12年目に入った。
空港に着いた彼氏におめでとうのメッセージを送りたかったのに、風邪に押し倒されて寝込んでいた。
ベッドの中で彼氏からのメッセージにほこほこしていた12年目初日。

僕にとって一番かわいいのは彼氏です。

勝間和代やっちまったなあ……

2018年5月31日にこの記事「どうでもいいニュースランキング2位……勝間和代」を書いたこともあるしで、このネタの終焉を締めくくる義務感に駆られた今週。

元祖意識高い系オンナ勝間和代の高転びをせせら笑うつもりはないけれど、いい勉強になっただろう?って思ったりはする。

去年、勝間和代のカミングアウトと増原裕子との交際がメディアに載った時、「いい年した人間がなに舞い上がっているんだか……」と思った。そしてレズビアンカップルで荒稼ぎするつもりなのかと思いきや、勝間和代がいいように使われて捨てられたようだ。

なんかさ。
同性愛を拗らせて、人権屋界隈に足を踏み入れ、そこにうようよ巣くってるサヨクに浸潤されると人生壊れるんだよね。パートナーシップ制度にこだわって色々やらかしている人たちが、あんなに情熱をかけて紙一枚をもぎ取ってきたのに、案外あっさりと別れたりする。そこになんかサヨクっぽさを感じるんだ。

なんていうか。
彼らはパートナー=同志みたいなイメージでとらえているのではないだろうか。
僕はその考え方は自分たちを苦しめるだけだと思っている。
「パートナーなんだからこうすべき」「パートナーなんだから協力するのは当たり前」というような縛り……その本質はモラハラかDV。
特に政治活動している人間なんかに関わったら彼らの政治思想・信条に振り回されるのは必至。しかもサヨク界隈の人間は自分の思想は無謬、絶対だから、それとズレが出てきた相手を切り捨てることに躊躇しない。
そして身勝手な人が多いよ。
客観的に見ればやってることはヒトデナシ。
彼らはそれを「自由」と強弁するけどね。

本当のパートナーシップって、例えば「きのう何食べた」で描かれているようなシロさんとケンジくんのような、時々ケンカもするけれど穏やかな日々を過ごすことなんだと思う。

勝間和代と増原裕子の交際が始まったことをBuzzFeedNews、朝日新聞デジタル、Forbesジャパンとか、まあ主にリベラル系のメディアが取り上げていたことを覚えている。
彼らはこの結末をどう総括するつもりだろうか。
「個人の自由」とか言って取り繕うつもりだろうか。
メディアが嬉々として取り上げていたのは、いい年してパートナーを捨てることに躊躇のないヒトデナシだったわけだよ。

話題にさえなれば何でもいい。
そういう意味では最も人権意識の欠落しているメディアの狂騒に嫌気がさす。

最後に勝間和代「さん」に僕から一言。
お仕事柄、政治活動家と接することは多かっただろう。
あなた自体が政治活動家なのかもしれない。
今回、悪質なLGBT活動家に関わって、あなたはとても傷ついたと思う。
世間の注目を集めるために何でもやる人たちを、少なくない同性愛者達は冷ややかに見ている。
そのことは知っていて欲しい。

同性愛者のパートナーシップってのは、派手な打上花火じゃない。
何千人の人たちの注目を集めるための道具じゃない。
静かに、肩を寄せ合ってパチパチ爆ぜる線香花火を見つめるように、流れていく日々を共に見つめてくこと。
そういう穏やかな、静かなものなのだと僕は思ってます。


あなたの傷が癒えますように。

週末は彼氏と過ごす

今週末は彼氏が来日していてお泊りデート。
新宿二丁目のBarでハッピーアワーのワインを飲んだり。
二丁目になるとJIM BEAMのポスターも捻ってくる。
美人ローラじゃなくて、ドラァグクィーンに代わる。



ゲイバーの壁にはゲイテイストに溢れたポスターが張られていて。。。
僕が子供のころからゲイと仲良しだったAbsolut Vodkaとか。。
ノンケさんには「はぁ!?」なポスターまで。



狭いゲイの世界も、僕が接触したことのない場所はまだまだたくさんある。

日曜日は二人で映画を見る。
池袋は子供たちで溢れていて、アニメ・ゲーム・BLマニア達が徘徊している。
昔のアキバの雰囲気が池袋にあるなあと思う。

菅田将暉の「アルキメデスの大戦」。
原作の数パーセントも映像化できていないのだろうけれど、原作未読ですごく楽しめた。
原作はぜひ読んでみたい。
戦艦大和を「依り代」と言ってしまうのは、大和乗組員には酷すぎるなあとため息は出た。

それにしても菅田将暉クン、演技達者。
スゴイ役者さんだと思うわ。

明日からまた仕事だ。


きのう何食べた 最終回

別府に滞在していて、まだ最終回見れていません。
だってテレビもない部屋なんで。

「何言ってんだ。死ぬなんてそんな、そんなこと言うもんじゃない。食い物、油と糖分控えてさ、薄味にして腹八分目で長生きしような、俺たち」

名ゼリフきたー!!! らしいですね。

ウチの場合、

 「何言ってんだ。死ぬなんてそんな、そんなこと言うもんじゃない。食い物、油と糖分控えてさ、薄味にして腹八分目で、酒も減らして長生きしような、俺たち」

「最後のヤツは抜きで」(真顔)

とジルベール顔で彼氏に言われそうな気がする。
彼氏は可愛くて仕方ないんです。

彼氏と過ごす週末

予定通り来日した彼氏と過ごす週末。
ホテルでグダグダしながら、きのう何食べた11話を見たり。


ランチから肉バルで酒飲んでいたり。





シロさん、ケンジ君並みに幸せな週末を過ごしとりました。
来週末は彼氏と早い夏休みを過ごしてきます。

きのう何食べた 第11話

週末の楽しみになってるんだが、今日から彼氏が来日。
明日はベッドで額を突き合わせてiPadで最新の「きのう何食べた」を見る予定。
そうなると、午前中ベッドでグダグダすることになりそうなんで、朝ごはんを買い込んで部屋に戻ることになるなあ。

なに、このデブ製造機みたいなメニューっ!?
これ僕らへの嫌がらせでしょう、もう!

相変わらずジルベールのキレっぷりにしびれるわ~。

ジルベールいじられまくりも含めて神回でしたね。

それにしても磯バーグ(w

きょう何食べる?

いっちょ嚙みのブラウンさん。
そういうノリ、嫌いじゃないよ(w

腐女子、うっかりゲイに告る。最終話を見て

わりと駆け足というか、唐突な終わり方したなあと思ったな。

LGBTに政治的フォーカスが当たっていて、今期は特にLGBTネタのドラマが多かった。
だけどなんてかなあ……少なくとも「腐女子、うっかりゲイに告る。」は、ちょっと一周以上遅れの印象がするんですよね。

もちろん原作ありきだから、原作を逸脱することはできないのだけど。
同性愛者の苦しみ・悩みをリアルに描き出す、って啓蒙ドラマって、少なくとも公共ドラマでやるにはかなり「遅い」んだと思うのな。
「腐女子、うっかりゲイに告る。」の最後は、ゲイの安藤純が大学に進学して、自己紹介の時「僕はゲイです……」とカミングアウトすることを暗喩するような終わり方だった。それは、公共放送のドラマとして価値ある内容だとは思えないんだよなぁ。

一人のゲイとして、いま、このタイミングでゲイネタで公共放送に挑戦して欲しいのは、「シン・ゴジラ」であり、「桐島、部活やめるってよ」なんだよ。

なんてか、同性愛者の苦悩・生きづらさを描くのは3、ある人が同性愛者だと打ち明けた(あるいはバレた)結果、周囲の人間関係に及ぼす影響、周囲の人たちの心の動き・悩みを描く。いま、本当に必要とされているのは、ゲイを取り巻く世界の完全なシミュレーションドラマなんだと思う。

Eテレで流しているみたいなお為ごかしな予定調和ではなく、マイケル・サンデルの胡散臭い白熱教室でもなく、見てみたいのはヒリヒリするような現実世界での摩擦。

数百年前の誰かがつぶやいたドグマ(経典)を頭の中から外してみよう。圧倒的多数の異性愛者の中に少数の同性愛者が混じっている現実世界で、お互いの苦悩、利害調整の問題、誤解・偏見(があるから差別)、様々な制度の問題をぶつけ合って、その落としどころを描いたものを見てみたいんだよね。

偏見って、異性愛者・同性愛者双方にあって、一方的に同性愛者が偏見・差別に晒されているとは言わないし、言えない。セクシャリティを外してみれば、同性愛者も誰かに偏見を持ち、差別するなんてことはいくらでもあるのだから。

まあ、いろいろ大変だと思うよ。
学校一つとっても着替えの問題、トイレの問題が出てくるだろうけど、これをどう解消するのか。全部別にすれば良いのか、第三の場所を用意して隔離すれば良いのか、入れ替え制にすれば良いのか、となるとカリキュラムにどんな影響があるのか……これだけでも色々と語れることはあると思う。

損得含めて現実を提示しないまま、ゲイの少年にカミングアウトを勧めるようなドラマを流すのは安直だと思うわけで、NHKにはもっと精進して欲しいのです。

腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。 第7話

最終回を前にして、NHKとして見せ場を作ったつもりの第7話。

見せてもらおうか、NHKの人権意識とやらを!


…………30分後




ダメだ……こいつら全然わかってねー(頭痛いわー)

と僕は頭を抱えていたわけです。
日曜日の朝から。

全般の雑感……古臭い、もうなんてか、演出、ストーリー運び、すべてが古い。
体育館の演壇で独白、独白をやめさせようとする教師と、それに飛びかかる生徒達。
1980年代の金八先生のセンスをいまだに演るのかと……。
頭いてぇ……。

なんかね、第7話はいろんなことを分かっていない気がするんだよ。

例えばアウティング。
三浦紗枝が腐女子をカミングアウトするのは勝手にすればいい。
だけど安藤純を巻き込む必要があったのか?

生徒たちがどうして善人ばかりという前提を描けるのか?
アウティングの問題は、カミングアウトがとてつもない悪意に晒されて、結果としてゲイの居場所の喪失、下手すりゃ自殺にまで行ってしまう危険性なんだよね。
高校を卒業して、居場所を変えられる自由が得られるまで、それはやらない方が良いと僕は思ってる。逃げ場のない学校・教室という監獄で、悪意と向き合うのはとてつもなく大変。学園はなにか聖域、みんな善人、仲良しこよし。話し合えば皆分かり合える、みたいな意識で学園ドラマ作っているとしたら、それ、相当分かっていないですから。

ドラマでもちょこっと出てくるSNS。
これで悪意がばら撒かれたら、本当につらいですよ。
異性愛者の子でも自殺に追い込まれるのに、同性愛者なんてさらに弱い立場だからね。
安藤純はイケメン(で良いんだよね??)でしょ?
これがとんでもないブサメンだったらって想像できました?
誰も助けてくれないよ?
つらいよ?
ほんと、「ただしイケメンに限る」って前提で話が進んでいるの分かってる?
(ここら辺がやおい論争に通じる部分なんだけど)

小野雄介が「男だったら!」というセリフがあるけれど、ゲイが主人公のドラマでそれはねーよなあと。LGBT教育したという設定だったけど、何の教育をしていたの?
「男・女それ以外にも性は多様なんだよ」ってテーゼ、自ら壊してない?

三浦紗枝が安藤純にキスを求めるシーンがあるけど、マウス・トゥ・マウスもないなあ。てか、それができるならバイセクシャルでしょう?
僕が同じことを求められたら、頬っぺたにチュッですよ。
個人個人考え方はいろいろとあると思うけれど、マウス・トゥ・マウスのキスは性愛の「性」に属するものだと僕は思うんですよ。人類愛的なキスだったら頬っぺたか、オデコか、手の甲か……。
新宿二丁目で酔っぱらってビアンとキスする時だって、唇はねぇーわ。
てか、素面だったらキスすらねーわ。
ないない。

しかも、腐女子、ゲイにキス強要でしょ?
ノリでやっちゃいましたという感じのドラマじゃないし、NHKは分かってこのシーンを作ったのか僕はTVの前で固まってしまってました。

同性愛を取り上げるとき「性愛」を避けることができない分、同性愛者が「性」と「愛」をどう切り離しているのか、NHKはもっと考察しても良いかなと思う。


「秘め事」

Queenのこと、語れる知識はないけどさ、フレディー・マーキュリーはゲイを公衆の面前でカミングアウトしたことはないよな?
だから、Queenをゲイに関する文脈で語るにしても、それは「隠されたアイコン」としてであって、故人をアウティングに近い形で取り上げるのは良いことだとは僕は思わないんですよ。

カミングアウトして、何も包み隠さない、自分をすべて曝け出せばハッピーという考え方は、ゲイの中でもそれほど支持されてはないと僕は思っています。
人間、誰だって「秘め事」を抱えて生きてるし。

ドラマの中で「透明な壁」という表現が出てくるんだけど、それはゲイからしてみれば自己防衛であり、逆には優しさでもあったりするわけ。ゲイだと秘め事を打ち明けられて、それに耐えられますか? その秘め事を守ってやれますか? そのくらい世界はタフに育っていますか?って。
(逆に言えば、セクシャリティなんてものがどーでもいい事柄になってしまえば、この話はすべてどーでもいいことになるんだが。この世が宗教というものに縛られている限り、それはどーでもいいことにならないんだよなぁ)

僕だってどうでもいい人の「秘め事」なんて触りたくもないし、知りたくもない。
なんで他人の秘め事を受け入れて、配慮してやらなきゃならないのか、ってね。
「秘め事」だから、触れないし、偶然知ってしまったら、それは他人に漏らさない。
僕が今できるのは、そこまでだから。

腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。 第7話
とても暴力的でした。

「あいつ来月結婚するんだって!」
「うっそー、あいつノンケだったの!?」

くらいな組織にならない限り、NHKはこの手の微妙なドラマに手を出すには早すぎる。
腐女子はいる、ゲイもそれなりにいる、だけどBLと腐女子に理解を示すゲイはそれほど多くないから、取材でカバーしようったって難しいよ、ほんとうに。
そこ、分かっていたのかなあ。。。。

次、NHKがゲイドラマやるんだったら、田倉トヲルの「こいものがたり」を映像化してみたらいい。こちらの方がよほどリアリティがある(ただしイケメンに限る、ではあるけれど)。

やおい論争から「きのう何食べた?」へ

2019年4-6月期、LGBTというか、ゲイにスポットを当てたドラマが3本走ってる。
・きのう何食べた?
・腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。
・俺のスカート、どこ行った?

「俺のスカート、どこ行った?」は面白いけれど、まあ前期の「3年A組」っぽい感じがしていて、目新しさは今のところ感じない。女装のオカマが現状を打ち破って行くストーリーは、なんてか、異形の者をトリックスターにして話を転がしてゆくありがちな物語だからさ。古田新太の怪演はとっても好きだよ。

で、今日の材料は残りの二つ。

僕は原作「彼女が好きなのはホモであって僕ではない」を読んでいないので、ドラマだけ見た印象で語りますね。
人権にはセンシティブな(はずの)NHK様が手掛けるので、ある程度安全な着地点はあるのだろうけれど、あらためて見るとオタク・腐女子って結構酷いよね。
ノンケ男子を絡ませてキャーキャー妄想するものの、実は自分と付き合っていた彼氏がゲイだと知ったら平手打ち……。。。。。

昔々、やおい論争があったころ。

「表現物の中に押し込まれてしまったゲイの側からながめると、女たちは確実に『男』化しつつあるように見える。他者を使って、自らの性的ファンタジーに都合よい役割を演じさせ、あまつさえ、ベッドの中までのぞき見してしまおうというのだから、タチが悪い」「キャラクターには共通していることが一つだけある。つまり、『女を楽しませてくれること』である」
「『女性差別表現』という言葉がある。『女を欲望の対象としてのみ描き、女の性を商品化する表現』、または『女を男社会に隷属させるためのステレオタイプに押し込める表現』であると理解している。‥では少女マンガにおける同性愛表現、とりわけ、やおい表現物などは『ゲイ差別』にあたるのだろうか?」

とあるゲイからの問題提起に対して、女性側(腐女子)からは、

「私がショックを受けたのは、あなたがやおいを自分に関係あることとして受け止めていることでした」
「ゲイの人たちがやおい本を読むということは、私の世界に土足で踏み込まれたような気がするのです」
「そこで描かれているのは『究極の関係』という『物語』であって、『純粋な欲望』としてのセックスではない」

なんてリアクションがあり、当時のBL作家を含め「やおいはあくまでもファンタジーであり、同性愛者側から不愉快であると言われたら謝るしかない」というスタンスだった。

最初にリアルな同性愛者という存在への想像力欠如があって、その上に視野狭窄になりがちな「オタク・腐女子」の行動スタイルが加わって、リアルゲイの反発を買ったんだろうなあと思うんだ。まあ彼女達からすればリアルゲイと遭遇して「キャスティングが酷すぎる!原作を侮辱!!」ってな感じなのかもしれないけれど。

やおい論争があった当時から、よしながふみは漫画を描いていた。
僕個人としてはよしなが作品には「なんか観察者のようなひんやりとした眼差し」を感じることが多くて、それほど好きじゃない。だけど「大奥」等 挑戦的・実験的な作品を描く才能にはリスペクトしている。

そんな大御所が描き続けている「きのう何食べた?」は、腐女子に対する一つの挑戦だと僕は考えているんだ。

「『究極の関係』という『物語』であって、『純粋な欲望』としてのセックスではない」という腐女子に対して、「『究極の関係』という『物語』にセックス描写は必要なの?それがないとBLは成立しないの?」という問いかけなのだと僕は考えているんだ。

「きのう何食べた?」は、やおい論争に対するよしながふみなりの回答なのだろう。
ゲイをセックスの視点で切り取ることをやめて、ただの隣人として眺めてみたらそこには淡々とした人間の営みがあるだけだ、ということ。
(……いや、ジルベール航みたいのに振り回されていたら淡々ではないか。。。)

あらためて僕は腐女子とBL研究者達に問いかけてみたいんだ。
BLにセックス描写は必要ですか?(別にやめろとは言いません……)
セックス描写がないとBLは成立しませんか?
なぜセックス描写が必要なのでしょうか……そこにあなた方はなにを求めているのでしょうか?

彼氏はきのう何食べたの原作を揃えている。
かなり好きらしい。


新しい店

金曜の晩、僕らは新宿にいた。
ご飯を食べた後、二丁目のゲイバーをふらつくことにした。
外国人の多いEAGLE TOKYOのカウンターに止まるのも悪くないのだけれど、ワカモノの勢いに交じってるとちょっと疲れるんだよね。
ということで、彼氏の同業者が集まるというバーに行ってみた。

ん、ワカモノはいない代わりに、落ち着いた感じの雰囲気はよい感じ。
ワインを飲みながらマスターの経歴を聞いてみたら、某エアラインのCAで……というところで彼氏にわかに緊張。彼氏の尊敬する先輩がそこ出身で……と言ったら、マスターが「その人よ」。「えー、ほんとですか!?」

まったく狭い業界だこと。
怯えたハム太郎のようにプルプル震えている彼氏と一緒にマスターの話を聞いていたら、まさかまさかの先輩登場!

「うっそん!?」
さっそくご挨拶にすっ飛んでく彼氏。

その方、めったに現れないそうだが、初来店の僕らとかち合うなんてすごい偶然。
「すごいご縁ね!」というマスターの言葉通り。

しかも僕らが引き上げようとしたら、ボトルで飲んでいたところまでは先に帰った先輩が勘定してあると。。。

やばい、かっこ良い。
あれはモテるわ。

どうでもいいニュースランキング2位……勝間和代

一昨日のランチ時だったかな、勝間和代のカミングアウトの報道が「どうでもいいニュースランキング第2位だよ」って話題になった。
じゃあ1位はなんなの?ってことになり、「美川憲一が2歳年齢をサバ読んでいた、だってさ」「そりゃーどうでもいいわ!!」とゲラゲラ盛り上がったんだわ。

僕にとって、勝間和代はどうでもいい人なんだけど、お相手には思うことがある。
増原裕子という女。

LGBT運動のアクティビストであり、まあ、同性愛を商売にしている人だよ。

2013年に東京ディズニーシーで同性挙式で騒動を起こす
2015年の渋谷区「パートナーシップ証明書」第1号証明書を受理
2017年パートナー解消に伴い、証明書を返還
2018年勝間和代との同棲関係で再びクローズアップされる

同性愛者の一人として言わせてもらえば、お騒がせな人。
東京ディズニーシーで挙式し、パートナーシップ証明書受理でメディアの注目を挙げたものの、「それぞれの活動や仕事が増えていく中で、時間のすれ違いが生じてきて、また価値観の違いから、夫婦として見たい将来にも少しづつすれ違いが生じるようになった」でパートナーシップを解消。

ご当人たちの自由だから、どうしようが勝手ですけどね。
なんてか、彼女は良いロールモデルではないと思う。
で、良いロールモデルになれないような人がしゃしゃり出ることに違和感の声が上がってこないことに、なんだかなあと思うのだよ。
こういう人たちが「アクティビスト」なんて名乗るから、市井のLGBTは迷惑するんだよなあ。

勝間和代と福原裕子のツーショット写真を見たとき、なんだか顔つきの似た人たちだなあと思った。
お互い利用しあって、利用価値がなくなったらポイ捨てしあう位の関係ならいっそ清々しいんだが。

今後どうなるのか、生暖かく時々思い出すことにしよう。

『半分、青い』と言えばボクテっしょ

今期ドラマのお気に入りは『半分、青い』。
出てくるキャラがみんな濃くていい感じだけど、「ボク ゲイ だから」っていきなりのカミングアウトには内心のけぞったね。

ボクテってのは口癖が「ボクって」だからという設定。
それって自分語りするからなんだろう!?

自分がクローゼットゲイだとは思わないけれど、余計な自分語りをすることでゲイであることを明かしたくない気持ちは強い。

だから自分語りをしない僕は、打ち解けない人、秘密主義者だと思われているらしい。
まあ、仕方ない。

ボクテの設定にケチをつける気は全くないけれど、僕とは異なる世界観だなと思ってる。


ゲイを見分けられるのか……

腰をくねくね振りながらオネェ言葉でしゃべっていれば分かりやすいけれど。

NURO光が開通してネット環境が良くなった。
いまさらhuluでプリズンブレイクにはまっている。
主人公マイケル役のイケメン、ウェントワース・ミラーを見ていて、わりとすぐに彼はゲイっぽいなあと思っていたらやっぱりそうだった。舞台が刑務所だから男ばかりの世界なんだけど、なんてか、そういう設定じゃないのに、いかつい野郎に囲まれているとマイケルはお姫様なんだよなあ。

ミラーが意識しているかどうかは分からないけれど、画面の中での彼の視線の飛ばし方、唇の紅さ、流し目の色っぽさがお仲間っぽい感じがしたんだ。カミングアウトしていると知って、ただの色男じゃなくて、やっぱりそうだったんだなーって。スピードの時のキアヌリーブスのイメージとも似ているなあと。

吉田修一×李相日 「怒り」を観てきましたよ。

妻夫木聡×綾野剛の濃厚な濡れ場が一部で話題になっていた「怒り」。
公開二日目ですが、有楽町日劇まで出張ってまいりました。
入りは8割以上だったかな?

妻夫木聡×綾野剛のシーンですが、けっこうガチでしたね。
ゲイに嫌悪感のある人たちには耐えられない光景かもしれないなー。
妻夫木聡のお尻のえくぼまでバッチリ映っていて、おいしいなーと。

で、原作者と映画監督、そして観客に誤解して欲しくないなあと思うのは、ハッテン場で妻夫木聡が綾野剛の脚を無理やりこじ開けて抱くシーンがあるのだけど、これは現実にはほとんどありえないということ。
僕の知っている範囲では、ゲイの心は乙女だからね。
ああいうハッテン場ですら、選びたいし、選ばれたいのですよ。

妻夫木聡がガタイの良い半裸の男たちの中から、綾野剛にアプローチする。
リアルゲイの世界だと、綾野剛に断られたら、妻夫木聡は大人しく引き下がる。
だって、自分は相手を選んだけれど、相手からは選ばれなかったのだから、仕方ない。
酒で意識をなくしているとか、ドラッグでラリってるんでもなかったら、1対1でああいうレイプ紛いのことは発生しえない。
無理強いされたら相手を殴っちゃえばいいんだからね。

綾野剛のゲイ役は、なんか「嶋くん」って感じだったな。

映画の話に戻るけれど、原作を読んでいなくとも物語の中盤で犯人はわかる。
殺人の後、シャワーを浴びている犯人は肩周りの筋肉がすごい。
妻夫木聡に抱かれている綾野剛、宮崎あおいに抱きつかれている松山ケンイチ、どちらもあそこまで筋肉質ではないから、犯人は残る一人となるよな。

坂本龍一の音楽はそれほど印象的ではない。
だけど、二度目の「怒」が現れたときは、音楽と映像がシンクロして鳥肌だった。
麦茶を受け取る時、犯人の顔を映してしまっても良かったんじゃないかと思ったな。

沖縄問題が少し取り上げられているけれど、とってつけたような消化不良感がある。
米兵がいなければ、レイプもなかった……その通りだけれど、だったらデモをするのは米軍基地前じゃなくて、国会議事堂前か、首相官邸前でやるべきなんだろう。軍隊に痛みを訴えても効果はなくて、やはり訴えるなら政治に対してだろう……と思ったな。

劇場は腐女子、貴腐人率が高かったのは、やっぱり妻夫木聡×綾野剛目当てなんだろうな。
右も左も女性の二人連れ。
真ん中にゲイのおっさんという、シュールな光景。

綾野剛はやや女性っぽい雰囲気を醸し出していた。
個人的には妻夫木聡と松山ケンイチのガッツリ掘りあいとか見てみたかったなー。

映画だとどうしても原作の要素は欠落してしまう。
ゲイパートだけ切り出して、ミステリーBLとかで見てみたいな。

僕にとって居心地の良いゲイバーは……

仕事が終わった後、二丁目のゲイバーに顔を出す。
周年パーティには行かないので、お詫びを兼ねて一杯だけ飲んで退散。
最近、僕は女性客の騒ぎ声が苦痛になっている。

ここ数年、いや、10年近く、自分にとって居心地の良いゲイバーを探して彷徨ってた。
新宿二丁目以外では、新橋だの、上野だの。
なかなかしっくりくる店がなくて、たまにいい店だと思い通い始めても、半年、1年で店の雰囲気が変わってしまい、やっぱりちがうなと撤退を繰り返したり。

もちろん、店が悪いわけじゃない。
僕が店の雰囲気に合わないということだって結構あった。
こればかりはご縁みたいなものだ。

ゲイバーって、ゲイが集まっているバーと、ゲイが経営しているバーの、ざっくり言えば2種類ある。
最近は二丁目も経営が苦しいから、ビアンバーと女性向けの観光バーが急増している。
ビアンバーはさておき、女性も入店できる後者のmixバー系は正直苦手だ。

普段から女性が嫌いなわけじゃない。
ただ、アルコールで焼けた喉から大声を張り上げ、ゲイバーで騒ぐ女性全般にうんざりしている。
なぜ彼女らはオカマ相手にあんなにオヤジ化するんだろうと。
ゲイバーで騒いでいる客は、ホストクラブでの痴態とも違うのだよ。

いいゲイバーとはなんぞ?と議論したら、人それぞれ十人十色の意見が出てくるに違いない。

僕が出した結論は、ハコはセンスが良いに越したことはないが、清潔であればどうでもいい。
値段はぼったくりじゃなければ、どうでもいい。
店子がイケメンじゃなくても別にいい。
唯一最大のポイントは、客層。
いいお客が集まっている店は、だいたいハコ、店子、プライスともにいい感じだ。

先日彼氏を連れて行った某店は、今のところ僕の理想郷。
なんといっても客層がいい。
20代中盤から上はいくらでも上がっちゃうんだろうけど、30代中盤以下が60〜70%程度。
ワカモノ同士、あるいはカップル同士で来店すると、ついつい連れとしかおしゃべりしないのだけど、この店は一見さんでも隣の席の話題に混じって、すぐに知り合いになる。みんなが気さく。一つの話題でお客さん、店子がおしゃべりできるから楽しい。恋バナから、別れて同棲解消してきた話だの、ルームシェアの話、ダメ彼氏の悩み相談やら、ペットの話、芸能ネタ、仕事の愚痴 etc。社会人ゲイたちの日常生活をあっけらかんと酒の肴にして過ごす空気感が、とても心地よい。

入店は男性のみ。
カラオケなし。
自慢話と他人の悪口、説教は、なんとなくみんなが自粛しているような印象。
自慢話と他人の悪口はオカマの嗜み。
説教は古カマのごちそうなんだけど、結局店の空気を悪くする。
悪口で盛り上がる店は、自分が不在の時に悪口を言われている可能性が高いのだよな。
そういうのは嫌じゃん。

品の良い、綺麗にお酒が飲める人が集まる店は、きっといい店なんだと思う。
僕はその店がすっかり気に入ってしまっている。

ゲイっぽくないね……

ゲイバーでよく言われる。
新宿二丁目で何十年もカウンターに立っている人がいうのだから、そうなんだろう。

そして、それは褒め言葉じゃないんだろうなって、昔から思ってた。
ゲイの様々なコードから外れた存在は、なんていうか、やっぱり異質な者扱いなのかもしれぬ。

ちゃんとゲイのつもりなんだがなー。
とぼやいて、火曜日が終わる。

年下の彼

ある飲み屋で、年下の彼氏を自慢された。
年齢は二十歳。
ケンカが多いが、かわいくて仕方ないんだそうだ。

「元ヤンの彼は、高校を卒業して鳶になった」

へぇ~かわいいガテンが恋人か。

「だけど……」

ん!?

「鳶は性に合わないってすぐに辞めた」

ほぅ。

「製菓学校に入って、いまはパティシェ(❤)」

やっぱりオカマはそうじゃなくちゃ。(w

彼氏と河津桜を眺めにゆく。

お仕事お疲れさま。

土曜日の午後、日の陰り始めたカフェで、僕は彼氏を迎えた。
彼氏が日本に向かって飛行を続けている間、僕は税務署によって確定申告の手続きを行ったあと、カフェ難民になって彷徨い続けていた。1月8日に腰椎の障害を起こして以来、こんなに長く歩いたことはなかったとあとで気付いたくらい。

仕事明けの彼氏はちょっと疲れていて、時差ボケでぼんやりしているように見えた。

普段、ご飯を食べたあと、ゲイバーでワインを飲んで、グダグダになって部屋に戻ることが続いていた。ゲイバーは僕らにとってはくつろげる場所ではあるものの、パブリックスペースであることには変わりない。ついつい店子やほかの客としゃべってしまい、最近ちゃんと向き合っていないなあという反省はあったんだ。

今夜は部屋にいよう。

新宿で気になっていたイタリアンレストランで、晩ご飯を食べる。〆にぷりっぷりの海老のクリームパスタをシェアして、二人とも満足して店を後にした。週末の新宿は歩道に人が溢れていた。日が暮れたあと、冷たい風が吹き付けてきて、ホテル向かう僕たちは思わず頸をすくめた。

(ここのパスタはお安くて、気楽なイタリア料理店だった)

高層階の部屋から見下ろす東京の眺めは、遠く地平線まで光が溢れている。部屋の電気を落とし、彼氏のiPhoneから流れる音楽を聴きながら、とりとめのない話をする。感情を殺したようなサカナクションから始まって、Swallowtail Butterfly ~あいのうたが暗い部屋の中に流れていて、窓の外を眺めながら、ときどき口づけて、ときどき身体を引き寄せて肩を抱き、互いの身体の温かさを確認する。そんなふうに過ごした。

今日2月28日。
地上では東京マラソンが開催されていて、まるで川が流れているかのようにランナーが駆けてゆく。朝ご飯は簡単に済ませる。



次回彼氏が来日するときに桜は咲いているかどうか分からない。ちょっと遠出して花見に行こうということで、JRと京急を乗り継いで三浦海岸まで来た。伊豆の河津まで出かけるのは大変だが、三浦半島ならばだいぶ手軽だ。

三浦海岸駅からてくてく歩く。
京急の線路沿いにピンク色の河津桜が咲いている。
先週が一番の見頃だったのかもしれないが、まだまだきれいな花を咲かせていた。






京急と河津桜の写真は彼氏提供。
車窓から桜を楽しませるためなのか、電車の走るスピードはかなりのんびり。

さらにてくてく歩いて三崎口駅に到達。駅の名前はよく知っていたけれど、駅前になにもないこんなローカル駅だとは想像もしていなかった。ここから横須賀へ。

どぶ板通りで、定番TSUNAMIのネイビーバーガーを食べ。
これはクォーターサイズだから小さい。
レギュラーはかなりのボリュームだ。
佐世保バーガーを食べたことのある人には馴染みのある、ボリュームはあるが優しい味付けのハンバーガーだ。

三笠記念公園へ行き、戦艦三笠を詣で。
連合艦隊解散の辞は何度読んでも名文だと思う。

有楽町に戻って晩ご飯を食べて、彼氏と別れた。
けっこう歩いたから、今夜は二人ともよく眠れるにちがいない。

彼氏と過ごす週末はこんな感じ。

LGBTが就職難と聞いた件

腰と左下肢の痛みで悲鳴を上げていた大阪の夜。
ベッドに転がってTVをつけていたらNHKバリパラとやらで「LGBTの就労」というテーマを流していた。再放送らしい。

その中で「スカート履くのが苦痛だった」と嘘をつかずにエントリーシートでカミングアウトして30社落ち続けている方が紹介されていた。で、番組レギュラーの捉え方は「ここまで落ちると(LGBTが原因だと)本人は疑ってしまうよね。最後にちょっと喋ったけど、やっぱり国がちゃんとこの問題を捉えられていない。障害者雇用の範疇ではないし。けれど●●さんみたいに就職できない状況がある。国の政策として、なんらかの支援を考えていかないといけないと思う」なんだとか。

人権屋系NPO関係者がコメントしていたりしたけれど、なんて言うか、イデオロギーな発言だなあとやや引き気味で、僕は眺めていたんだけど。

LGBTが居場所を求める切実な気持ちは分かります。

だけど「ありのままの自分をさらけ出したい」という欲、それをさらけ出すのは結構だけど、ありのままの自分をさらけ出して自分らしく生きたいと望むならば、他人が作って運用しているルールの世界、あるいは他人の営みを自分の欲で壊しちゃいけないと僕は思う。「こういう自分を受け入れろ」と他人に要求して受け入れられるのが当たり前だと考えているならば、それはとんでもないエゴだと知った方がいい。

人権屋系のコメントは、なんて言うか自分たちにとっては正論なのかもしれないが、相手の都合はあんまり考えていないというか、身勝手じゃないかと感じることが多い。

悪意はないつもりで例に出してしまうが、この人が「スカートが好きなありのままの私をなぜ会社は受け入れてくれないのですか?希望職種は受付嬢です!」とかアピられたら、シャレの分かるオーナー企業ならともかく、大手町や丸の内界隈の会社としたらどん引きだろう。差別とか言われても困る。アナタの生き様を否定はしませんが、うちの会社に居場所はありませんと告げられてお終いだ。


てか、なぜ誰も「就活は自分を売り込む商談である」と言ってあげないのだろう。以前、優秀な大学に在籍しているのに面接落ちまくってる学生と会ったことがある。彼の悩みを30分ほど聞いて、僕が言ったのは「漠然と国際貢献したいなら、国連機関かNGOを目指したらイイと思うよ」だった。民間企業が求めてるのは人物像はそこじゃねーだろって。モノ作りなどを通じて国際貢献したいというなら、それはアリだと思う。コンサルティングファームで世界を変えて行くという道もあるだろう。だけどなにがしかの正義に取り憑かれて国際貢献をしたいと望んでいるならば、運動家にでもなるしかあるまい、と。その彼は自己PRを変更して、上場企業からいくつも内定を獲った。僕の手柄とは思わないが。

エントリーシートに「スカート履くのが苦痛だった」と書く子だったら、就活なんかしていないでまずカウンセリングへ行ったら?と僕だったらそう思う。採用担当者は人生相談の相手ではないのだから、そのアプローチは下策だろう。
また、エントリーシートにそういう事項を正直に書くことを礼賛する大人に対しては、ちょっと怪しんだ方がいい。採用側としたら一緒に仕事が出来る人、周囲の人と協働出来る人を求めているのであって、きわめて個人的なLGBTという立場をアピってこられても正直当惑するしかない。企業はLGBTを採用したいのではなくて、一緒に仕事を出来る人を探しているのだから。自分を受け入れてくれる場所探しと考える以外に、自分も相手の立場を受け入れなきゃ、ね。

コメンテーターたちは、LGBTを前面に出して仕事をしたいのならば、アパレル、小売り、コスメ、デザイン業など、もともとLGBTと親和性の高い業種で仕事を探すように勧めた方が建設的だと思う。才能を活かした自営業、各種フリーの職業……タレント業なども含めてね。
もしNHKがLGBTだから就職難が発生しているのだと考えているのだとしたら、むしろそれはミスリードの原因じゃないかと思う。覆面座談会でもいいから採用面接とはなんなのか、就活とはなんなのかを人事部目線で教えてあげたらLGBTに限らず役立つだろう。

その一方で、会社内でのLGBTへの当てこすり、差別はやめようという活動はまた別の話。これは広義のセクハラ・パワハラ問題であって、仕事とは関係ない下品なハラスメントはコンプライアンス問題として処理すべき。

でもね、まだ会社・組織の一員になっていない者がLGBT差別云々を語るのは気が早すぎる。世の中に完璧な場所なんてないのだから、周囲と折り合いをつけながら仕事をして自分の居場所を作って行くか、あるいは独立起業して自分で居場所を作るかのどちらかしかないんだよ。