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イミテーション・ゲームを見てきた。

晴れ→雨。21.1℃/9.0℃/55%

上野で花見をした後、カフェにこもってMacBook Airにひたすら打ち込みをしていた。
そして夕方から始まる回の「イミテーション・ゲーム」を見に行った。

心臓を掴み出されるような、映画を見て、こんなに胸が痛くなったのは初めてだった。
英国の天才数学者アラン・チューリングの数奇な運命を描いた作品。
メインはナチスドイツが運用していた暗号「エニグマ」の解読のため、現在のコンピュータの原型となる暗号解読器を制作するあたりか。確かにすごい話だった。

その前に……チューリングが同性愛で逮捕されるんだけど、最初のシーンからね、チューリングがアスペルガー症候群の人だということが暗示されるのだ。いや、数学者だから変人、天才だから変人、というワケじゃなくて、あれは典型的なアスペルガーなんだ。「アスペルガーのうえに、ゲイだったのか」……もう見ていて痛々しくて仕方なかった。

もしも、彼がただのアスペルガーだったら、世間と折り合いが悪くても、変人学者として長生きできたかもしれない。もしも、彼がただの同性愛者だったら、新聞沙汰になることもなかったかもしれないし、英国が住みづらければ国外に出るなりやり方はあっただろう。だけど、彼はそういう器用さはなかったんだろうな。そして同性愛で有罪判決になった彼は、1年間の女性ホルモンの投与を受けたのち、自殺する。性ホルモンが乱れると、人間は鬱病になりやすくなり、自殺者も出る。性転換者にメンヘラーが多いのはそういうわけで。当時の処置は本当に酷い話なのだ。

それにしても、なんというか……パブリックスクール時代の同級生に抱いた淡い恋心と、一度婚約したあと破断した女性数学者を除いて、チューリングは愛を知らない生涯だったのだろうか?それは彼が不器用だったせいなのか、それとも同性愛者だったからなのか??なんだか、チューリングが哀れで仕方がなかった。
※追記あり

そういえば、以前、アナザー・カントリー、モーリスが流行った時期があったっけ。あれも共産主義に傾倒しちゃってスパイになってしまう人の話であったけれど、登場人物がみんな美形だったんだ。結末は結構悲劇なんだけど、それなりに同性愛をエンジョイした時期もあったんだろうと妄想する。だけど……チューリングはあまり美形でもなかったんだよね。しかもアスペでコミュニケーションも色々大変そう……そんなことを思ったらますます切なかった。


こんな美形だったらね……。


追記:
一晩経って、チューリングが暗号解読器に「クリストファー」と名づけていることを思い出した。映画を見ていない人にはなんのこっちゃだが、クリストファーとはパブリックスクール時代、チューリングの唯一の理解者で親友で、そしてチューリングが恋した同級生の名前。だが、生身のクリストファーは結核で早逝してしまう。

チューリングは機械は意識を持つかどうかについて、刑事と議論をする。その中でチューリングは、意識を持つかどうかは機械になってみないとわからないという。

チューリングは、いずれクリストファーが意識を持つようになると考えていたんだろうか。いまは機械が意識を持っているかどうかなんてわからないけれど、いずれ彼が生涯で唯一愛した少年を再生して、なにか語り合う日のことを夢見ていたんだろうか? チューリングは愛された記憶は少ないかもしれないけれど、深く愛した記憶を生涯抱えて生きていたんだね、

山中ヒコ「500年の営み」を思い出したよ。

『KANO 1931海の向こうの甲子園』を観てきた!

なんなんだよ、この映画。
愛さずにはいられないじゃないか!!
ちくしょうめ! (T_T)

と言うわけで、高雄・台北旅行記を書き上げた晩に気づいた。
「やべぇ、今日はKANO初日だったじゃないか!!」
とにかく今朝一番の上映にすっ飛んで行った。
シネコンの小さなスクリーンだったけど、8、9割の席が埋まってた。
去年、予告映像を見てから恋い焦がれてきたKANO。
高雄車站で「嘉義」の文字を見つけた時、どれだけ愛おしく思ったことか。
溢れる想いを叩きつける今日の記事は、ダメ人間丸出しだろう、きっと。

色々書きたいことはあるけれど、順番を間違えるとダメダメになるので、分けて感想を書いて行く。まずもって「KANO」のベース部分、スポ根野球映画としての出来が非常に良い。台湾最下位(?)の弱小野球チームに鬼監督がやってきて、ダメダメ部員たちをがんがん扱く。「甲子園、甲子園」とかけ声を上げながら嘉義の町中を走って行く部員たちを、町の人たちは冷ややかに眺めていた。やがて嘉義農林学校野球部は試合を勝ち進み台湾代表となる。嘉義の人々は彼らの活躍に熱狂する。さらに嘉義農林学校野球部は1931年の甲子園決勝戦まで勝ち進み、中京商業と死闘を繰り広げる。少年ジャンプでいうところの「努力、友情、勝利」の鉄板ストーリーがストレートに胸を打つ。野球に興味ない人も、泥まみれになって戦っている少年たちから目を離せないはず。

次に出演者たちがすばらしかった。球児たちは全員野球経験者。ピッチャー呉明捷役のツァオ・ヨウニンに至っては現役大学野球選手だというのだから、舞台演技はともかく野球プレイは本物。試合風景はものすごくリアリティがあった。あまり日本語が上手じゃない人もいるのだけれど、つたない発音がすごく可愛いのだ。彼らに感情移入せずにはいられない。台湾内のローカルな野球場から、彼らは檜舞台の甲子園へ行くわけなんだけど、CGのクオリティが良くってちょっと鳥肌。昔観たグラディエーターのようだ。

少し引きで書こう。
映画は一人の兵士(札幌商業のピッチャー錠者博美)が基隆に上陸するところから始まる。汽車に乗り、嘉義へ向かう途中の浅い夢の中で、そして自分と戦ったチームのグランドに立つあいだに、嘉義農林学校野球部が勝ち上がって行く物語が挟まれる。映画中の現在時間は、嘉義駅から出征する兵士に高砂族が含まれていて、大日本帝国崩壊の跫音が聞こえ始めた時期。あの当時ですら、甲子園の暑いひと夏がノスタルジックな思い出になっている。

台湾ではよく知られていて、最近日本国内でも知る人ぞ知る八田與一が登場する。台湾内の親中国派メディアなどの批判に対し、プロデューサーのウェイ・ダーション氏が「日本を美化したわけではない。悪く描かなかっただけだ」と語っている。もし野球チームが農業学校ではなかったら、嘉南大圳のエピソードを挟み込むことは「政治的」な意図としてとらえられてしまっただろう。だけど農業学校の生徒の話ならば、八田與一と嘉南大圳のエピソードを挿入しても違和感はない。近藤兵太郎と3民族から構成される嘉義農林学校野球部、八田與一と台湾人たちが作り上げた嘉南大圳……あの当時、民族のちがいを乗り越えて、なにかを作り上げようと奮闘していた人々がいたという事を描写したことは、とてつもなく大きな意義がある。

さらに引きで見よう。
今回プロデューサー役に回ったウェイ・ダーション氏は、「海角七号」「セデックパレ」を発表してきた監督だ。海角七号では台湾と日本との間に横たわる「あるメンタリティ」について描写し、そしてセデックパレでは、台湾側から見た霧社事件を描いた。統治したものと統治されたものの間に横たわるメンタリティ、統治に抵抗した者たちの英雄譚を描いた後に、日本人と台湾人が力を合わせる物語を作った。これを日本側で作ったら「偽善」「帝国主義美化」など中国共産党、朝鮮半島、そして日本国内サヨクが騒いでつまらない事になっただろう。あの時代、統治された側の人たちが歴史を咀嚼し、表現された映画の一つが「KANO」であることに、僕は心から感謝したい。

大東亜戦争敗戦後、近藤兵太郎監督をはじめとして台湾から引き揚げてきた日本人が残してきた「精神」が、WBC2013年日台戦の、あの感動の光景へつながって行くのかと思うと僕は胸が熱くなった。1931年夏の、甲子園で死闘を繰り広げた球児たちの想いは、いまも引き継がれているのだろう。

嘉義農林学校野球部ナインの活躍を、いつまでも見ていたかった。
年配者やおっさんに混じって、現役球児らしい少年がふたりで鑑賞していた。
中学生かな?それとも 高校1年生くらいかな??
現役球児の目に、KANOはどんな風に写ったのだろうか?


るろうに剣心 京都大火編 を観てきたら

曇り。34.7℃/27.8℃/59%

毎日暑い、暑い、暑い。。。。
るろうに剣心 京都大火編を観ましたよ。
前作がかなり気に入っていたので、今回はどうかなあと期待しつつ……。

ストーリーはさておき、アクションはかなり、相当、めちゃめちゃかっこよかった。
武井咲も前作ほどはうざくなかった一方、香川照之は存在感あったんだなあと思った。

ああなる前の藤原竜也が色っぽかった……ってやけど負ってあれだけ動けるのは変だよな。
それから……今回もさらに相楽左之助(青木崇高)の乳首がちらついて落ち着かない。
左之助が出てくると、顔見ないで乳首にばっかり目が行ってた。
あれは良い雄っぱい。

時間とお金が許す方は是非♪


「姫が犯した罪と罰。」が、思惑のずれだったのでは?

たまに読みに行かせてもらっている「隠居系男子」さんのブログで、ちょっと気になる記事があった。帰りの電車の中で読んでいて、僕もつらつらと考えさせられてしまった。

『かぐや姫の物語』が若者に評価されないことに対する危機感。
http://inkyodanshi21.com/subculture/studio-ghibli/5047/

ジブリの鈴木敏夫さんの『仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場 (岩波新書)』の紹介なわけですけど。肝心の仕事道楽を読まずにブログを書くことに気が引けるのですが、ちょっと引っかかるところがあるんですね。

隠居系男子さんが引用している「仕事道楽」の部分を、僕も孫引きします。

「 ぼくはこれまで、映画公開にあたってはこのくらいのお客さんが来てくれるだろうと予想し、あまり外れたことはありません。ただ『かぐや姫』だけはわからなかった。

映画興行としていうとやはりちょっと厳しかったですね。興行収益25億円。とてもおもしろがってくれた人たちがいた反面、一般的な広がりがそれほどでもなかった、娯楽映画としてはやはり長すぎるという問題があったと思いますよ。

でも公開してしばらくしてから観客が増えてくるという不思議な動き方をしてもいました。この映画のありようと関係しているんでしょう。表現に感心のある人は本当に関心したんですよ。僕としては何と言っても高畑さんが思いの丈をぶつけた映画なんですから、それはそれでいいと思っています。そういう意味では結果に対してショックはありません。

実はショックだったのは別のこと。若い人に多かった感想です。「何だ、月へ帰っちゃうのか」、こんな感想を言ったのは一人二人じゃない、つまり単にストーリーを追っている。表現を気にしていない。

僕は今までずいぶん映画を観てきて、ストーリーなどはおぼろげだが、シーンはいまでもハッキリ思い出せるという経験をしてきています。表現の仕方にこそ影響を受けてきた。そういう観方をしないのか。映画に期待しているものがまるで違ってしまっていることにショックを受けたんですよ。

現代は、どう表現しているのかがすっ飛んでしまって、お話の複雑さのほうにだけ感心が向いている、そんな時代なんだなということを、改めて思い知らされました。」


なんなんでしょう、この違和感は。

「かぐや姫の物語」は、ずいぶん前に書いたとおり、僕もお金を払って劇場で鑑賞しました。
その上で拍子抜けして有楽町から戻ってきました。

その拍子抜けと、「仕事道楽」での鈴木敏夫さんの感想の落差を知って、やっと原因が腑に落ちたのです。
これはスタジオジブリのコミュニケーションミスが原因じゃないのですかね。

というのも、ほとんど日本人が知っている竹取物語。
もともとの原作には「姫の罪と罰」という要素は欠片もなかったと思います。
月から落とされてきた姫ではありますが、別にキリスト教的な原罪と赦しの物語ではないわけで。
そこに「姫の犯した罪と罰。」というキャッチコピーで宣伝をしたのがジブリで、しかも監督が高畑勲さんでしょう?
僕自身、サヨク臭がプンプンとする(※)彼の作品は苦手なわけですが、それでもメッセージ性の高い作家が「姫の犯した罪と罰。」と銘打って発表するのだから、いったいどんな新解釈があるかと期待するわけじゃないですか。ところが、観客はエンドロールを見ながら「えっ? これで終わりなの??」とはしごを外された気分だったと思いますよ、あの作品では。

宮崎駿が「崖の上のポニョ」を発表したとき、ジブリはストーリーよりも「いまどき、宮崎駿がオール手書きでアニメを作りました。その職人芸を見てやってください」というメッセージを出していたように思います。実際ポニョのストーリーはグダグダでしたら。でも、観客はそれなりに楽しめた。

「かぐや姫の物語」で、ジブリは「謎かけ」に近いストーリーに期待を持たせる宣伝をしていた。それがすべてのボタンの掛け違いだったように僕には思えます。

鈴木敏夫さんをはじめとするジブリが「アニメの表現」に注目して欲しかったら、「みんなが知ってる竹取物語。それを職人高畑勲がアニメにしました! 高畑勲一世一代の集大成を、とくとご覧あれ!」と宣伝すべきだったんです。それだったら観客は高畑勲さんの「芸」を眺めるつもりで映画館に行けたでしょう。

ジブリが自らのコミュニケーションミスに気づいていないのだとしたら、なんだかなあ〜と思いますね。

※僕は皮肉や当てこすりが嫌いな質なので、環境問題を扱った「平成狸合戦ぽんぽこ」は大嫌いでしたね。それだったらナウシカや、もののけ姫のように全力でメッセージをぶつけてくる方が好きだ。同じサヨクの臭いがする両監督だけど、性格の違いかもしれないね。


KANOをぜひ観たい。

最近、帰宅するとMacに向かって色々試行錯誤していて、気づくと就寝時間。
ブログ更新するネタもあまりないんですが、ひとつ台湾映画など。

日本での公開は2015年という気が遠くなるような話なんですが、今年2月に台湾で公開された「KANO」を超観てみたいです。



てか、国内でもこんな豪華メンバーなかなかないでしょ?
しかも、スポ根、甲子園。
みんなで夢を目指してまっしぐらなんて、ヒットしないはずがない。
地味に八田與一氏も取り上げられていたり、脚本家の目配りもイイらしい。

しかし、台湾映画を含めて、アジア映画の絵造りは上手くなった。
ぜひ観たいなあ。

るろうに剣心 を観てきました!

青木崇高のチクビは、もっと評価されるべきでござるよ。
オロ……(´・ω・`)

は、さておき、映画"るろうに剣心"を観てきました。
最っ高~でした。
邦画版"300(スリーハンドレッド)"と割り切れればね。

映画版"るろうに剣心"の特徴は次の3点。

1)アクション殺陣の映像美。
2)こってりと色の乗った映像美。
3)文明開化期のハイブリッド文化の不思議な背景

原作漫画、アニメ版を切り離して見れる人には、本作品は近年まれなアクション時代劇だと感じられると思う。オープニングの戊辰戦争シーン。雪化粧された森の中でのアクションは、人間の黒いシルエットと白い雪、その中で舞うように斬る佐藤健の姿に鳥肌が立ちます。その後も、殺陣シーンはいずれも鳥肌立つ完成度、迫力でございました。

ひとつ贅沢を言わせてもらえますか?

佐藤健の時代劇というと、NHK大河ドラマ"龍馬伝"の"人斬り以蔵"で大ブレークしたことは記憶に新しいところ。殺人者としての以蔵を視聴者が憎めないのは、坂本龍馬役の福山雅治に見せるはにかんだような、強がっているような複雑な、たぶん親愛表現があったからだと思います。殺人者として数多の命を殺めてきた彼が、ついに逃げ場を失ったとき「りょぉまぁ~!!」と叫ぶシーンが僕は好きでした。
それに比べると、今回の緋村剣心役の佐藤健は、わりと能面のようだった印象があります。一度でイイから、感情を全開にして欲しかったと思います。それが怒りであれ、過去を悔やんで涙するにしても。剣心が泣くシーンを作るために、神谷薫をもっと上手く使えたら良かったのかもしれません。




残念な点
1)女優陣がいまいち…あるいは不要
神谷薫役の武井咲を外すことは無理でも、このストーリーならば高荷恵役の蒼井優の登場部分はもっと刈り込んで良かったはず。二人ともお供え物…いや、添え物でよかったと思う。そうすればより本筋に集中できたと思う。

2)原作マンガ実写化の困難さ
これは原作に思い入れがある人ほどギャップに悩まされるだろうね。「生活者」としての緋村剣心を描くのは映画の尺的に無理だし。でも、剣心の緋色の半着が神谷越路郎のお下がりというエピソードはなかなか良かった。

3)ストーリーの刈り込みに疑問……
山県有朋の訓示シーン、祭りシーンあたりはカットでいいのでは?
武田観柳邸の門扉を漫然と映すのではなく、なぜ悪徳商人になったのかト書きのような書き割りで良いから説明しておくべきだったと思う。原作を知らない人にもう少し配慮を。

その他
青木崇高の雄っぱいとチクビは、もっと評価されるべきでござるよ。
チラ見せの時も、全開の時も。
オロ……(´・ω・`)

とにかく、チケット代は十分に元が取れるおもしろさでした。

ヒューゴの不思議な発明 と 静岡おでん

曇り→雨。6.6℃/4.9℃/61%

今日は、来日中の彼氏と過ごす週末でした。

午前中、"ヒューゴの不思議な発明"を鑑賞。僕は、CGを使ったジオラマチックな絵作りが大好きだ。なので、不思議の国のモンパルナス駅なんかは、とっても楽しませてもらったよ。だけどさぁ、タイトルと内容が乖離しすぎ。それから、予告映像と内容が乖離しすぎ。"学天則"はほとんど活躍せずだし(^^;
内容はそれほど悪くないのだからさ。フランス版"ニューシネマパラダイス"じゃん?配給会社は観客に拍子抜けさせるような事をしちゃダメだと思う。タイトルを変えた方が良いんじゃないかな。"ヒューゴ"は"不思議な発明"をするわけじゃないんだし。


ヒューゴの夢の中で登場する列車事故は、実際にモンパルナス駅で1895年に発生していたんですね。こちらの方がやけに衝撃的でした。


映画鑑賞の後、静岡おでんを食べに、閉店間近の"ロコディッシュ"まで足を伸ばしました。約1時間待ちましたけれど、店内は終始混雑していました。ドラマ"孤独のグルメ"で登場したから、お客が集まっているのかもしれません。

千葉県 浦安市の静岡おでん
http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume/story/chapter4.html

残念ながら、静岡おでんの名物"黒はんぺん"は売り切れていました。ランチディッシュを彼氏と楽しみましたが、おでんの汁が良く染みこんだタネが、おいしゅうございました。静岡おでんといえば、3年位前になりますか、出張で静岡市に出かけたとき、仕事の反省会で食べたのがきっかけ。それまでおでんは苦手な食べ物でしたが、婆さんが切り盛りするきったないおでん屋でうまさを再認識して以来、だいぶ好きになれた。そういうわけで、大きな"借り"を感じる静岡おでんなのでした。

海洋天堂 Ocean Heaven を観てきました。

海洋天堂Ocean Heaven
平凡にして偉大なるすべての父と母へ―。



都内では単館上映。しかも上映は朝10:00から1回だけ。
休日だというのに、普段の出勤時間よりも早く家を出ました。
電車の繋がりが良くて、9:20に渋谷に着いて、10:00からの上映を見てきました。

最初の、タイトルクレジットでいきなり泣けてきます。
クリストファー・ドイルの映像に、久石譲の音楽でしょ。言い方は悪いけれど、あざとすぎる……始まり方でした。それ以降はむしろ淡々とお話は進んで行きます。

弁髪で「アタタタタ」と戦っていたリー・リンチェイ(李 連杰=ジェット・リー。まぎらわしいな)が、すっかり初老のお父さん役を演じていたのが印象的でした。あの自信に満ちた戦闘的な目力の持ち主が、命の終わりを知った弱々しい不安なまなざしの、障害児を育てているお父さんを演じていました。時の流れを感じさせます。

自閉症児と心を通わせるのは難しいと思う。そんなことが簡単にできたら、障害でもなんでもない。近くで、長い間、辛抱強く付き合って初めて気持ちが分かるのだろうな。だから映画の中でも、僕は息子・ターフー(大福)に感情移入できなかった。
その代わり、命の終わりを知り、この子が幸せな人生を送ることができるようにと奔走する父親・ワン・シンチョンがせつなかった。ほんと、せつない。もともと優しい人柄の父親だったのだろうけれど、人は死期が近づくと、こんな風に優しくなれるのかなあって。それから、人としてなにかを伝えなきゃならないこと、なにかを伝えられなきゃならないこと、それを自分もしっかりやってきたかなあ、できたかなあという後ろめたさに押しつぶされそうになる。

映画の作りは淡々と、終始淡々と。
むしろ久石譲の音楽がかぶると、過剰にあざとく感じられる位だった。

60人ほどしか入れない会場には折りたたみ椅子がいくつか出され、地味な内容なのに満席だった。中高年の夫婦の姿が目立ち、終始あちこちから鼻をすする音が聞こえていた。障害児を抱えた両親の鑑賞が多かったのだろうか。

そういえば、主題歌はジェイ・チョウ(周杰倫)だった。
彼とは妙に縁があるなあ。


映画館を出た後、表参道を散歩して、千代田線でお茶の水へ移動。小川町の"二代目つじ田"でつけ麺を食べ、秋葉原から電車に乗って帰ってきた。敬老の日だから、思い出したように手土産のケーキを買って。

"千と千尋の神隠し"にあらわれる、日本人の宗教観。

雨。19.3℃/17.1℃/87%

自宅のネットワークの調子が悪くて、前から懸案だった無線LANルータを買い換えました。ウチは一戸建てで、無線LANの親機と子機が家の中で最も離れた距離にあり、途中でプチプチ切れる現象に悩まされていました。最近無線LAN機材もこなれて安くなりましたが、スカをつかんじゃいけないということもあり、悩んでAterm WR8700というNEC製を買ってきました。これでダメだったら諦めろと。設定には手こずりましたが、確かに、安定して、しかも若干スピードも良くなった感じがしますね。

今週、海外でこんな話題があったことを知りました。

『日本人って無神論者って聞いたけど何でキリスト教圏の国より犯罪少ないの?何で行儀良いの?』
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20091228045804AAUDgZH

まあ、宗教と犯罪率はあまり関係がないという結論なのですがね。


日本人の多くが無神論者であると外国人は誤解しているようですが、それはたぶん間違いです。八百万の神というくらいにあまり神様が多いので、単純な一神教徒に「あなたの神さまは誰ですか?」と尋ねられた時に「あれだよ」ってスパッと切り返せないだけ。多くの人が片手じゃ足りないくらいの数の神さまとおつきあいがあるのでしょうから。しかも外国人に理解できるようなドグマすらない。「神との契約」が宗教の根底にある一神教徒たちには、あるがままの神さま達とつきあっている日本人が、無神論者に見えてしまうのでしょうね。

この辺の事情を外国人に理解させるのは難しいのですが、わかりやすい例の一つに、宮崎駿監督の"千と千尋の神隠し"の湯屋のシーンを僕はあげます。


こういう神さまが館内を好き勝手にウロウロとしている光景は、あまり論評されていないようです。本当は日本人と神さまの関係性を、わかりやすく描いているのですが。

・神さまはたくさんいて、しかも好き勝手に行動している。
・神さまは集まってきて、宴会をするのが好きだ。
・人間は働いて、神さまをもてなさなければならない。
・神さまはもてなされると喜んで、たまにご褒美をくれることがある。
・もてなされないと、機嫌を損ねて大変な災いが起こるかもしれない。
・神さまは基本的に意地悪ではなく、あまり語りかけてくれないが、ちょっとだけ親切だ。
・直接的な御利益を返してくれる神さまは、疫病神(たとえば顔なしとか)だ。

こんな感じ?

日本の八百万の神さまは言葉を発しないし、その行動もよくわからない。だから、人間は頭を下げて神さまに敬意を表して迎え入れ、勝手気ままな神さまの欲するところを察し、親切にもてなし、粗相なくお帰りいただかなければならない。人間が働くのは神さまへの奉仕であり、神さまに満足してお帰りいただければ、食事と寝場所は確保される。「働く場所がない」というのは、神さまへ奉仕するためのチャンスが失われた状態にある。「働く場所がない」というのは、社会に居場所を失うことだ。出会いと成長のチャンスから遠ざかることだ……こんな風に"千と千尋の神隠し"のあのシーンを解釈してみせても、日本人の多くはあまり違和感を感じないと思う。外国人が日本の社会はマナーが良くて、快適だと感じるのは、それは「神さま」に対するメンタリティでもてなされているからだ。

人間と神さまが雑居しているのが、日本という国。しかも"A Living God"のような生き神と称えられる人も結構いるのが日本という不思議の国。

仕事が行ったり来たりする

曇り→雨。21.7℃/18.2℃/61%

仕事が行ったり来たりする。

連休前に突然引き継ぎを受けた仕事。
戸惑いながらも同僚が一日5時間近くをかけていた作業を2時間以内に抑えられるよう工程を改善し、やっと作業にも慣れて軌道に乗ってきたところで、ふたたび仕事が戻されることになったと告げられた。いや、別に力仕事だから引き取ってもらってかまわないのだけど、なんだかなあ~。やっと軌道に乗ったのに……。

EXILEの"願いの塔"を聴いてます。
本編も良いけれど、Coverディスクの出来がとても良い。
懐かしい曲ばかり。

Choo Choo TRAIN、銀河鉄道999なんて、ノリノリですし。
槇原敬之の"遠く遠く"も、しっとりイイ感じに歌い上げてます。

空の王者(29) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)


水を飲む牛の群れ
Troupeau s'abreuvant
1890年
79.2×109.4cm


トゥーク河の古い港
Le vieux port de Touques
1890年
49×65cm

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

"空の王者" ウジェーヌ・ブーダンの掲載は、10月22日までお休みします。

空の王者(28) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)


ダンケルク郊外の農場の片隅
Un coin de ferme aux environs de Dunkerque
1889年
46.8×65.7㎝


ベルク、小舟の出発
Berck. Le départ des barques
1890年
79.5×110.9㎝

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

空の王者(27) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)


トゥーク河、朝
La Touques, le matin
1889年
24.6×18.7㎝


ヨット、荒れる海
Voilier. Mer agitée
1889年
35×58cm

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

空の王者(26) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)


ノルマンディの牧場
Le pâturage normand
1888-95年頃
32×41cm



浜辺と空
Rivage et ciel
1888-95年頃
22.5×30㎝

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

空の王者(25) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)



トゥルーヴィル近郊の浜辺、干潮時
Le rivage aux environs de Trouville. Marée basse
1888年
38×46㎝



ドーヴィル、堤防
Deauville. La jetée
1888-95年頃
26.7×40.7㎝

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

空の王者(24) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)



トゥルーヴィル、港
Trouville. Le port (Trouville Port)
1886年
45.7×65cm



トゥーク河畔の洗濯女たち
Les laveuses au bord de la Touques
1886年
32×33㎝

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

空の王者(23) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)



リュールの停泊地、ル・アーブル
La bassin de l'Eure, Le Havre
1885年
65×90cm



スコール
Un grain (A Squall)
1885年
65.2×90.3㎝

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

空の王者(22) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)


顔をこちらに向けた洗濯女たち
Les laveuses de face
1884年
23.5×33cm


洗濯女たち
Les lavandières
1885年
24×32.5㎝

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。

「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 に行ってきました!

雨。18.7℃/15.8℃/87%/657day/14320(+0)

雨の中、六本木の国立新美術館へ行ってきました。
本当なら秋晴れの気持ちの良い週末に、ブラブラと散歩がてら出かけたいものなんですが、来週末は実家の用事に巻き込まれる可能性が濃厚、再来週はテートブリテンでターナーの前に立っているはずなので、本日強行したわけです。


『「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』というタイトルの展覧会は、悪天候もあって絵の掛かっている壁伝いに人が連なってる程度で、想定していたよりは空いていた。やっぱりフェルメールが来るとなると、天気が悪くても人が集まるんだね。

で、「牛乳を注ぐ女」ですが、やっぱりたいしたものでした。まるで写真のよう……というとアーティストに失礼になりますが、遠近法を厳密に適用した写真のような絵画でした。写真とちがう点をあげるならば、高性能カメラを使っても、ああいう色は出せないだろうということでしょう。
以前、僕は、写真では自分の思い描いている空をどうしても撮れないとこぼしたことがありました。そうしたら「無理だよ。あなたが言っているのは記憶色だから」とある人に言われました。記憶の中の色は、色の特徴的な部分が強調されているんだそうです。僕の中のそれは、カメラでいうとやや露出気味で、コントラストの強い色です。 だからフェルメールが描いた絵のモデルと場所を完璧に再現して、そこで写真を撮っても「こんなハズじゃなかったのに」と不満を言うんだと思います。その点、絵画は記憶色に基づいて描かれているのでしょうから、あまり違和感を感じないんだろう。

この展覧会は「風俗画」ってことになってるんですが、集められた絵の多くが台所を描いたもので、太めの女性が料理している生活臭溢れる不思議な空間でした。オランダ絵画は、暗い室内を描いたものが多く苦手。ヤンとか、ヤーコブとかいう名前の画家さんの展覧会は食わず嫌いで避けていたりします。今回もフェルメールをのぞくと、やっぱキビシかった。でも 「牛乳を注ぐ女」は窓から射し込む陽光が穏やかで、明るくて、僕は好きです。居並ぶ暗い絵のなかでひときわ耀いて見えたのです。

空の王者(21) Eugène-Louis Boudin(ウジェーヌ・ブーダン)


ドルドレヒト、スワンドレヒトから眺めたムーズ河
Dordrecht. La Meuse vue de Swandrecht
1882-85年頃
95×129.5cm


トゥーク河畔の牧場
Le pâturage au bord de la Touques
1884年
36×46cm

注)素人スキャニングなので、色彩が原画と相当異なっている場合があります。
   美術館へ直接足を運んで本物の良さを味わってください。