あおもり犬、三内丸山遺跡 2013年東北紀行 05

盛岡市のホテルを出発し、東北道をさらに北上する。
関東から青森へ車で移動するのは、思った以上に遠く感じる。
仙台を過ぎたところで道のり半分、盛岡と青森間も約180kmの距離があるのだ。

盛岡の先の東北道は、どんどん山深くなってくる。それまではほとんどなかったトンネルが続くようになり、そして車窓は「青い森」と呼ばれる深い森林地帯が広がっている。

今夜は弘前のドーミーインを予約してあるので、まずは弘前に立ち寄ってあらかじめチェックインを済ませ、荷物を預けてから青森市を目指した。以前、僕は弘前に立ち寄ったことがある。2006年の子供の日、仙台から十和田湖温泉へ向かう途中、弘前城の桜が満開だと聞き、渋る父親を説き伏せて弘前行きを強行。あれから7年も経つのか。

弘前から青森市内へは一般道を使う。弘前市を抜けて、東に向けてまっすぐ国道7号線が伸びている。抜けるような青空。東北の透明感のある夏空が水田に、林檎畑の上に広がっている。快調に飛ばせば1時間ほどで青森市に到達する。

途中で寄り道をする。
あおもり犬と、三内丸山遺跡。




高齢の両親が疲れすぎないように、あまり欲張りすぎず、あまり歩かせすぎないように。

空に吸われし 十五の心 2013年東北紀行 04

陽はゆっくりと、石垣の向こう、ビルの谷間に消えていった。
浴衣姿の女の子たちを追い越して、僕は盛岡城跡岩手公園を散歩していた。
本丸跡へ続く赤い欄干の橋を渡り、二階櫓跡櫓台から北上川の流れる市内南部を眺める。
本丸からの帰り道、母親が探していた石碑を見つけた。

不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心 (石川啄木)

正直、あまり啄木は好きではないのだが、この和歌を嫌いになれる人はなかなかいないんじゃないかと思う。


ホテルでごろ寝していた父親を呼び出して、南部藩長屋酒場 という郷土料理屋で食事する。
さんさ踊りの前に食事をしたいのだが、どの店も開店時間が30分ほど遅かったのだ。
一番早く郷土料理が食べられ、しかも母親リクエストの冷麺と、僕が食べたかったじゃじゃ麺が同時に食べられるのは都合が良かった。




町は活気づいている。
町の中心部、大通りは様々な露店が出て、肉やとうもろこしを焼くにおいが漂っている。威勢の良い居酒屋の呼び込みの間を、髪を結い上げおそろいの浴衣を着た女性達が歩いて行く。さんさ踊りはどうやら女性がメインの祭りらしい。

さんさ踊りは、お踊りから一本北側の、奥州街道が会場になっていた。
青森市のねぶた祭りほどの人混みではないけれど、それでも道の両脇は人がびっちりと立っている。
市役所前からスタートする踊りの先頭は、しばらくは遠くで鳴り物の音は響いてくるものの、踊り手の姿は全く見えない。ミスさんさ踊りが僕らの前を通過したのは、スタートから20分くらい過ぎた頃だった。










長時間の移動の疲れで、90分も過ぎると皆身体がしんどくなった。
高齢の両親を連れていたので、ホテルに引き上げる。
お腹に響く太鼓の音は、部屋の中まで忍び込んできて、祭りの余韻はなかなか消えなかった。

屋根に百合、土に馬糞のにおい 2013年東北紀行 03

カッパ淵見物を終えて、僕たちは再びホップ畑の棚を眺めながら、夏の小径を歩いた。
蜂の羽音が低い唸りとなって、四方から染みこんでくる。
自然の音以外、人間出す雑音のない世界はひどく長閑だった。

クルマを駐めさせてもらっていた伝承館で昼食を摂る。
蕎麦と夏野菜を使った天ぷら。
まいたけ、茄子のサクサクした食感は予想以上だった。




伝承館を出て、藁葺きの古民家の屋根に百合が植えられていることに気づいた。
"逝きし世の面影"の表記の通りだ。火除けのまじないだという。
古い時代の旅行者が記したものと同じ光景を見ると、「なんか繋がってる」という原初的な安心と喜びがこみ上げてくる。それも遠野がなせる技なのだろうか。

千葉家住宅を訪ねてから、遠野を去ることにした。
江戸時代後期に建てられた南部七曲がりの代表的な民家で、L字型の形状をしている。
千葉家住宅は遠野市内から離れた街道沿いにあった。

駐車場で車を降りると、ちょっとした城塞のような石垣の上から大きな家が辺りを睥睨している。入場料を支払い、やや急勾配な坂を上って住居に到着。強烈な馬糞のにおいがする。昔は馬と一緒に人が暮らしていた住宅。土に馬糞のにおいが染みこんでいるのか、それはちょっと暴力的な刺激に感じた。





千葉家住宅は皇族がお立ち寄りになられた歴史があるそうで、写真が飾られている。強い日差しの午後なのに、屋敷の中は電気がなければ薄暗く感じる。古い建物特有のほこりっぽさとひやりとした感じを、ちょっと怖く思うのは子供返りしているためかもしれない。

千葉家住宅を見学したあとは、屋敷前の国道396号線を北上し、盛岡市を目指す。
渋滞のない田舎道をドライブするのは気持ちが弾む。

"人類資金" … 結末まで到達できるんだろうか??

福井晴敏さんの新作"人類資金"って、ちょっとタブーに触りすぎじゃないかな??
7巻まで続くそうだけど、ゴールインできるのかちょっと心配になってきた。(w

第2巻のキモとなる部分はここ。
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『いったいどこのどいつだ?』と津山は呻くように言った。
『こんな紙っ切れに価値があるって"ルール"を作って、おれたちを煙に巻いてる野郎は……』

だからこそ知りたい。
一万円札には一万円の価値がある、国家も企業も永遠に成長し続けねばならない--いまや常識でしかない貨幣経済の根幹に居座り、おそらくは『M資金』という魔物をもってこの国をも支配し続けてきた何者か。

まあいいさ。
"ルール"のせいでもなんでも、夢や希望があるってのは結構なことだ。
でもな、成長し続けなきゃな見れない夢ってなんなんだ?
無理なんだよ、もう。
みんな爪先立って、見かけの数字を稼いだってさ、誰も幸せになれてないじゃん。

いまの"ルール"に従ってる限り、この先はもうないんだよ。
"ルール"に支配されて、その場しのぎをくり返して……どこへ行こうとしているんだ……?
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小説のなかでは"M資金"だの、世界最大の財閥であり超国家権力でもある"ローゼンバーグ財閥"など、いろいろな小道具が出てくるけれど、福井節おなじみのキャラクターたちも、ただの狂言回し。

大学で経済学を勉強して、皆が見て見ぬ振りをしているのは「利子」という存在だ。
「現在価値」と「将来価値」の差が利子であるとかって、正直すんなりと納得できる?? 後付けの説明がお為ごかしにされるだけで、「利子」の起源とその運用による影響を真正面から語っている学者っているんだろうかね。異端の経済学者がどこかで語っているのかもしれないけれど。

経済活動に永遠の成長を強いるのは「利子」の存在。
なぜ「カネ」はその価値を減ずることなく、人の寿命よりも遙か永くに渡って存在し続けるのか?
そして何かに投じられ、誰かに貸し付けられることによって「増殖」する。
利子はどうやって支払われるのか?
農業のように種を蒔いて、その100倍、1000倍の収穫が得られれば、利子をつけて返済できる。
でも、もし「カネ」が金属じゃなくてただの有機物だったら、腐ったり、ネズミに食われたりして、「元本が減ずる」こともある。なぜ「カネ」だけが永遠なのだ。だれがカネは永遠に価値が減じないと決めたのだろう。農民は「元本(種)を維持してやっているのだから、むしろ利子なんかないだろう」といえるはず……と主張したのが異端の経済学者シルビオ・ゲゼル。

ホリエモンはかつて「株は返さなくていいカネ」と言っていたと記憶している。
そりゃたぶん間違いで、株式は(市場価値の増減はともかく)会社が倒産するまで利益の収奪ができる権利。
例えば株式会社が出来たときに、株で得たお金で買い込んだ生産機材…それが耐用年数が過ぎ、壊れてしまって全く無価値になってしまったとしても「株式」は残り続ける。そして配当を受ける権利だけが残り続ける。なぜだろう?? 僕はマルクスを勉強したことはないけれど、資本家が労働者の剰余価値を簒奪しているというのは、その一面だけで、深刻なのは企業が倒産しない限り「支配」の権利が消失しない株式会社というシステム。しかも「株主」というステークホルダーは「増え続ける一方」だから、企業も常に成長を強いられる。

生産性が貨幣の増殖率を上回っているうちは、まあ、まだなんとかなるんでしょうが。
貨幣の増殖が生産性を上回ると、生産物の価値を固定して考えると貨幣の価値が下がる。
インフレだ。
ただの「交換手段」のはずのカネの量が増殖することで、インフレが発生する。
インフレを乗り越えるために、さらなる生産性の向上に追い立てられる。
生産性の限界が来れば、今度は「コスト削減」の嵐が吹き荒れると。

小説"人類資金"の"ルール"が単なる暴力装置の超国家財閥とか、国家とかではなければいいと思う。その根本には「(永遠の命を持つ)貨幣と(無限に増殖を続ける)利子」という壮大なペテンがあって。金はともかく、その他の卑金属の硬貨にも「これは価値がある」というペテンをかけた謎の存在があって。

経済史によれば「金の預かり証」だった紙幣を、その金の価値以上に勝手に増殖させたペテン氏たちがいて。しかも「最後の価値を担保する金」という共同幻想と紙幣を切り離して、勝手に増殖させることの出来るのが現行制度であって……。

「貨幣と利子」「収奪システムとしての株式会社」は世界最大のペテンだろうな。キリストは必ず復活すると叫んでいるカルト宗教が可愛らしく見えるくらいの。

マルクスはこのペテンを階級闘争で解決しろとアジったわけですけど、あれもポジショントークだったのかもな。仮に共産主義革命が成功しても「貨幣と利子」のシステムは無くならなかっただろうから。

解決方法は、たぶん、エイジングマネーだと思うんだけど。
でも、「永遠の命を持っているカネという存在」を「経年劣化して最後は滅びるカネ(歳をとるカネ。つまり長くの保存が出来ない。常に交換が強いられ退蔵されないから経済の需給が一致する)」に変えるというのは、コペルニクス的転換以上のジャンプが求められる。

だけど、もし「貨幣と利子」の呪縛が解けたなら、リアル"マトリックス"になっちゃうわけだが。

三鷹駅前のドトールから。

"人類資金"を見つけてテンション上がった~

PCを本格的に復旧させるには、週末まで掛かりそう。(-_-)
初めてですが、ハードディスクを修理に出してみるつもりです。
で、修理中にディスクをもう1本追加しておくつもりなんですけど。

そんなわけで旅行中の写真を取り出せないので、東北旅行記はしばらくお休みをいただくことになります。
そのうち再開しますが。

今日、外出途中の書店で福井晴敏の新刊本を見つけてテンション上がった~!!!
"人類資金"ってヤツなんですが、そうか~今回は経済ネタですか。
福井晴敏も似たようなこと考えていたんだな。

大学の経済学じゃ教えてくれませんが。
世界を破滅に追い込むモノがあるとしたら、それは核戦争とかじゃなくて、マネーなんですよね。

貨幣と利子
資本主義の「株式」という不死の支配者
管理通貨制度による野放図なマネー増加

人類が衰退するとしたら、環境汚染が悪化しすぎて息絶えるか、野放図なマネーに取り付かれた経済が破綻し、文明自体が活力を失って衰亡するか、そんなところだと思います。

"人類資金"第一巻を読み進めてます。

へばっ!

ただいまトラブルシューティング中! (>_<)

恐れていた事故が発生! (-_-;)

データ類を保存していたデータ用ハードディスクに障害発生。
物理的ではなくて、ソフトウェア障害っぽいんだけど。
データを緊急移動させるために、空き機材をかき集めたりしているんだけど、1Tバイト越えなので四苦八苦。しかも10%位は回復不能っぽくてがっくりしています。

データ保存用なので激しい読み書きなどしないよう気をかけていたんだけどなあ。

こういう事故が起こるとバックアップの必要性を説かれてしまうのだけど、DVDディスク数枚で収まるのならばともかく、1T越えのデータなんて結局ハードディスクにバックアップを取るしかないわけで。たくさんのデータを抱えて転げ回っているのもバカ臭くって、なんかダメになったら仕方ないという割り切りが、僕の心のどこかにあるんですよね。だからDVDへのバックアップはやっていないんです。

自分の撮った写真データはすべて救出できたので、不幸中の幸いと思うことにします。

Windows7って、よくプログラムが固まる(応答なしと表示される)し、Windows7になってからディスク周りのトラブルが増えた気がするなあ。ドライバーにバグでもあるんだろうか……。

キミはカッパと出会ったか? 2013年東北紀行 02

カッパ淵は、JR釜石線遠野駅から6km離れた場所にある。
カーナビに案内されながら、緑の絨毯のような田圃の中を走って行く。
目的地近くの「伝承園」の駐車場にスカイラインを駐め、そこから歩く。

昼下がり、有名なカッパ淵へ向かう道は人気もなく、アスファルトから立ち上る陽炎に揺れていた。道の両脇には、地ビールに使われている背の高いホップの畑が聳えていて、そして、向日葵がのどかに太陽を追いかけている。そんな道を5分ほど歩いた。



カッパ淵へは常堅寺の境内を抜けて行く。
お寺さんを通り抜けていいのだろうかとちょっと躊躇するけれど、これが正規ルート。
山門を抜けて、本堂の脇を抜けると小さな橋が架かった小川がある。
その先がカッパ淵だ。

釣り上げるつもりなのだろうか、胡瓜が淵に吊されていて、その先にカッパがいた。
やっぱり、遠野は不思議な場所だよ。








2013年東北紀行 03はこちらから。
http://blackarmor.blogspot.jp/2013/08/2013-03.html

サマータイムブルースを聴きながら

 ギラギラとした日差しから逃れて、平日、お昼ご飯前のガストにたどり着いた。
サラリーマンの匂いのしない、住宅街にあるガストだ。
大葉と海老の和風サラダうどんを注文してから、しばらくぼんやりと窓の外を眺めた。

朝9時からクリニックで検査をこなして、帰り際にシェフグルメカードを渡される。これで抜いてきた朝飯をどこかで食べろということなんだ。クリニックにレストランが併設されていると便利なんだけどね。

渡辺美里のサマータイムブルースが流れている。
高校から大学の頃に良く聴いていた。
なんかあまりにひさしぶりすぎて、彼女の事なんてすっかり忘れていた。
いま聴くと、あんまり抑揚がない一本やりな、童謡みたいだなって思った。

カーステの定番にribbonとか、いれていたっけ。
「さくらの花の咲くころに」とか「Believe」とか歌ってたっけか。
彼女の歌詞と小室哲哉ってすごく相性が良くて……でもいま聴くと厨二っぽいわ。




小室哲哉って転調が神業的に上手かったよなあ。。。

脳がフリーズして、腐ってるんじゃないかと。

酷暑を通り越して、痛暑とでも言いましょうか!?
これだけ暑い日が続くとまいりますねぇ (-_-;)

帰宅して、お茶を飲みながらTVをつけたら、"グラディエーター"をやっていて、ついつい最後まで観てしまいましたよ。リドリー・スコット監督の絵はとても好きなんだ。あのグレーががったメタリックのような画面は、どうやったら手に入れられるんだろう。フィルターなのか、Photoshopのようなツールで調整しているのか。。。。とっても知りたい。

ここからちょっとマジバナになります。

彼氏にも言っていませんでしたが、僕はずーっと、10年くらい苦しんでいることがありました。綴じ代が外れてしまった本が頭の中に溢れて収拾がつかなくなっているというか。画面の写っているMSゴシックを見続けていたために、なにが重要でなにがどうでもいいことなのか分からなくなって、すべてがフラットの世界で苦しいというか。頭がほんの一部だけしか動いていなくて、あとほとんどは死んだように機能していないように感じることが多かったりとか。乱視であることが分かったので眼鏡をかけて、少し頭がすっきりするようになったのだけど、実は原因と結果が逆で、頭がすっきりしないから目の焦点が固定されて乱視状態になってしまったんじゃないか、、、、とか。

これって鬱なのか、あるいはなんらかのテクノストレスなんだろうけど、医者に掛かっても原因が分からないんだろうなーと思ってました。僕が昔、花粉症と呼ばれる病気が知られるようになるより前から、春になると「慢性鼻炎」と誤診されていたように。

で、先日「フリーズする脳 思考が止まる、言葉に詰まる」という本があることを知りました。早速買って読んだら「あ~あるある、同じ症状だなあ」という事が分かったんだ。脳がフリーズしている人は目が動いていないらしいよ。そして目を動かさないとボケてしまうんだって。脳の使い方が偏っていると「ボケまっせ」って。

ボケは怖いよ。自分が自分じゃなくなって行く感じだから。オレ、緩慢に死んでってるわぁって思ってましたから。

あわせて「脳が冴える15の習慣」って本も買ってみた。
こちらは「フリーズする脳」が終わったら手をつけてみる。

結局さ、一日中PCに向かって仕事するなんて身体に悪いだけ、ってことなんですね。

遠野の空は綺麗でした 2013年東北紀行 01

今年の2月くらいかな。
両親にねぶた祭りを見せてやりたいなあと考え始めたのは。

8月第一週に青森のホテルを押さえるのはすごく大変で、いろいろと試行錯誤をしながら最終的に決定したのは出発2週間前。例のツバメを救出してあげた晩、弘前で2泊宿泊可能の部屋が出たんだ。ツバメの恩返しかと思ったよ。

関東から東北まで自家用車で移動するから、日程はやや長くなった。

当初の旅程
自宅→盛岡泊→青森市でねぶた祭り鑑賞→十和田市泊→弘前市でねぷた祭り鑑賞・弘前泊→帰宅

最終的な旅程
自宅→盛岡泊→青森市でねぶた祭り鑑賞→弘前市泊→弘前市でねぷた祭り鑑賞・弘前泊→帰宅

となった。

8月2日3:00AM起床、4:00AM 自宅を出発。
外環自動車道→東北道をひた走る。
この時間帯を走行すると、おおよそ8:00前後に福島市を通過する。これは何回か花見山公園に観桜しに行ったときの経験通り。福島を過ぎた頃から激しい雨が降り始め、この雨は一関近くまで続いていた。

もし11:00までに仙台に到達していたら、遠野に立ち寄ることを提案しようと思っていた。そのあともがんばって走り続けて9:00前には仙台を通過。改めて遠野に寄り道してから盛岡市を目指すことになったんだ。

花巻ジャンクションから釜石自動車道に入り、そして遠野を目指した。
遠野駅前に到着したのは11:00。
小さな駅に「民話」という名前のつけられたホテルと。


駅ロータリーに観光案内所があって、遠野観光マップをもらった。
お土産品の販売や、レンタサイクルの申し込みもここでできる。
有名なカッパ淵を除くと、わりと歩ける範囲に観光スポットがあるらしい。

遠野は民話のふるさと。
駅前から天狗様に見守られていたりする。


駅から遠野市立博物館まで歩く。
地方の小都市らしく、暑い昼下がり、道を歩いている人の姿はまったくない。
通り沿いには「語り部」の札が下がっている商店がいくつかと、翌日8月3日に開催される「まぬけ節」のポスターが目に付いた。地方のお祭りも「萌え」路線らしいよ。


遠野市立博物館で、民話のビデオを観たり、古民具などを眺める。
昭和初期の古民具は、両親が懐かしがっていた。

2013年東北紀行 02はこちらから。
http://blackarmor.blogspot.jp/2013/08/2013-02.html

スタジオジブリの「風立ちぬ」を観てきましたよ

スタジオジブリが新作をリリースしたとなれば、日本人として何らかのコメントを出さなければならない……みたいな空気があるような気がします。

で、宮崎駿監督最新作「風立ちぬ」を観てきました。

なんというか、宮崎駿氏の矛盾がそのまま作品に結実したような印象です。

先日の「熱風」の小論文によれば、宮崎駿氏は戦争反対の平和主義を唱えつつ、子供達に戦争をさせるような作品を創る人。戦闘機という殺戮兵器に、見いだした「美」を賛美してしまう矛盾。療養させておかねばならない最愛の妻を手元に置いて、結果として死期を早めてしまった事を「わたしたちには時間がない」と押し切ってしまう矛盾。

そもそもスタジオジブリというアニメプロダクションも不思議な立ち位置なのかも。

たとえばディズニーは、アニメで「殺戮」はやらないでしょ。いつまで経っても動物がべらべらしゃべるヤツだとか、そういう路線は変えない。それがディズニーらしさというか。実写でドンパチしたいときはタッチストーン・ピクチャーズでやってる。

ジブリは、トトロや千と千尋の神隠しといったファンタジー路線、火垂るの墓、風立ちぬといった社会派(?)、風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタのようなSF路線みたいなものが混じって出てくる。そこら辺のごった煮っぽいのは何故なんだろう??

で、風立ちぬに戻るけれど、主人公の「空想」部分と、リアル部分がごちゃごちゃ入り組んでいて分かりづらかった。なんて言うのだろう、晩年の黒澤明作品が「黒澤っぽいなにか混乱したもの」っぽいように、宮崎駿作品も「宮崎駿っぽいなにか」に堕して行くのだろう。色彩はジブリクオリティで美しいけれど、新海誠作品のようなスタイリッシュ感はないし。なんとなく監督が主張したいことらしいものは感じられるのだけど、ストーリーは破綻気味で着地点がいまいち微妙。

僕の隣に小学5年生くらいと中学生らしい兄弟がいて、エンドロールを眺めながら「兄ちゃん、これってハッピーエンドなの??わからないよ…」と弟が尋ねると、「超バッドエンドだよ!」と兄が答えていたな。

本当に反戦を訴えたいなら、もっとえげつなく「戦争は反対だ!!」と登場人物に叫ばせたらいい。だけど、主人公は戦闘機という殺戮兵器のデザインの中に、機能美を追求し続けちゃう人なわけで。薄い反戦平和っぽいメッセージがあるにもかかわらず結構恋愛映画で、だけど名作「ひまわり」のような反戦映画には昇華されず。

エンドロールが終わったあとの、劇場内に流れていた微妙な空気に「これをどう評価したもんだか」という懊悩が現れているような気がしたんだけど。

さんさ踊り、ねぶた祭り、ねぷた祭りを巡ってきました

東北旅行から帰ってきました!

訪ねて廻った先、どれもがすばらしい場所でした。

盛岡市 さんさ踊り

青森市 ねぶた祭り

五所川原市 立佞武多

弘前市 ねぷた祭り

中央アルプス韓国人遭難と旭日旗

2ちゃんねるには、たまにものすごく本質を突く書き込みがあるから侮れない。

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100 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/07/31(水) 07:59:52.29 ID:fC7Razfz
    なんでそこまでしてチョンは日本に来るの?

120 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2013/07/31(水) 08:03:44.52 ID:p9l159sQ
    >100
    日本で遊ぶのが楽しいからですよ
    他方、反日を叫ぶのも奴らにとって楽しい
    共に「楽しい」からやっているだけ
    従って、反日と来日は矛盾しない
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最近、朝鮮人が「戦犯旗」という造語を作り出して、旭日旗を排斥するキャンペーンを全世界で繰り広げていますね。

慰安婦が問題だというならば、日本の敗戦直後から指摘できたはず。
しかも被害者「20万人」…ざっくり言って当時の若い女性の30人に一人が被害に遭っているはずなのに、当事者の証言以外の目撃証言はない。普通に考えておかしいだろう。

「従軍慰安婦」問題は、詐欺師吉田清治の虚言を利用した福島みずほ等の反日活動が原因であったのに対し、突然旭日旗を「戦犯旗」と糾弾を始め、反日の攻撃対象にしたのはコイツ(キ・ヨンソン)が原因。



サッカーコート上で日本人への人種差別(猿が顔をひっかくマネ)をしたことを非難され、その言い訳に「観客席にある旭日旗を見て涙が出た」と使ったのが始まり。それに韓国マスコミが騒いで、朝鮮人等が乗っかったのが真相。

愚かなサッカー選手の幼稚な言い訳が、国際問題に発展したわけで。
彼らにしてみれば、反日出来れば攻撃対象はなんでも良いのでしょう。
国民全体が一つになれる、韓国人にとって「反日」は最大の娯楽。
だから、日韓関係改善なんて絶対無理なんですってば。

アシアナ航空墜落、中央アルプスでの韓国人の遭難などでも明らかになってきたけれど、不祥事のたびに出てくる他者への責任転嫁、幼稚な言い訳をわめき散らかすのが韓国人。彼らの失敗のほぼすべてがずさんな計画、彼らの幼稚な自我が原因だと僕は思います。

反日も同じ。
ずさんな国家運営の失敗を他国に責任転嫁している。

嫌韓に対し「日本が韓国に嫉妬」と韓国人はうそぶきますが、その言葉、そもそも鏡に映った自分に対して叫んでいるのが実態なんですけど。

8月1日、終戦記念日が近づいてきたので忘れないように記しておきます。