答えはいつだって自分の中にある

晴れ。33.9℃/26.5℃/55%

今年は鰻の値段が高騰中~という話ばかりが巷では溢れていて、つい食べ損なっておりました。7月下旬はストレスが重なっていて、ずっとお腹を壊していることもあったな。ストレスって凄いですね。あんなものを抱え込んでいると眠れないし、老けるし、お腹壊しっぱなしだし。最悪、癌とか誘発して死んじゃうらしい。怖い怖い。

ということで、今夜の晩ご飯は吉牛で鰻丼。
きくかわに行って一人鰻とかさびしすぎるしねぇ。
ビール手酌ししながら、白焼を山葵で味わうとか、通過ぎていかんです。


月曜日の晩、都内某所で専門家という人に会いました。
少額ですが謝礼金を払って。

7月30日の日中は、僕にとっていろいろなことがありました。
週末ずっと考えていて、この局面は抗うんじゃなくて、相手の懐に飛び込んでみるのもありじゃないかと僕は思った。で、飛び込んでみたら、案外上手くいった。一方で、自分の夢はさらに強く、キラキラと力強く耀いて見えた。
仕事を終えたあと、その専門家に会ったのだけれど、僕の中では、彼に会う前に色々と準備したこと、悩んだ過程が大事だったようだ。その人に実際に会ってみると、むしろどうでも良かった。相手も継続してコンサルタント料が取れないと見ると、なんか対応が適当になった印象を受けたし。仕方ないね、あちら様も仕事だし。

考えてみると、話を聞いてもらう人がいることは大事だけれど、自分の運命についてアカの他人に答えをもらおうなんてするって自体が、間違っているか、あるいは遠回りの道なんだろうと思った。いつだって答えは自分の中にあるって言うじゃないですか。

ル・グラン トマト を買い食いして

富士登山前にいったん休んでいたフィットネスクラブに行ってきました。
久しぶりなので無理は出来なかった。
ちょっと動くと汗がたらーり。ガマの脂かよって。

気分が上がらないときは、無理矢理でも身体を動かすと成長ホルモンなどが出て憂鬱な気分を追い払えるんだとか。悪しき考えよ、去ね! ってな感じでね。短いトレーニングでもすっきりしました。

で、帰り道に気になっていたマックの"ル・グラン トマト"を買い食いしてみました。カロリーの関係でセットにはせず、爽健美茶と。味は美味かった。バターソースが濃厚なところがgood!



JINS で 乱視&パソコンメガネを買った

晴れ。33.3℃/27.5℃/62%

熱中症で亡くなる方が相次いでいる酷暑の日。
ここ数日の出来事をメモランダムに書き記しておこうか。

水曜日の電車の中で見つけたポスター。
夏ですねぇ~。


木曜日は仕事で来日した彼氏と共に、美人CAさんちでホームパーティ。航空業界の方3人+部外者1名で楽しく飲みまくりました。おいしい食事と、つきない話題。最近彼氏のご友人に「こちらが彼氏です」と紹介されることに抵抗なくなったな。ゲイな自分らを受け入れて、特別扱いせずに接してくださる方々は本当にありがたい。


4時間でワインボトル6本空いたはずで……このペースはさすがに僕には酷でした。帰宅して初めて酒で吐きました、ひとくちゲロ (^^;

金曜日も夕方から彼氏と逢い、でも酒で食欲もあまりなく、のし掛かられるとリバースするよ、という体調不良。彼氏を十分に楽しませてあげられなくて、本当に申し訳なく思った。やっぱり体調管理は大事。

今日土曜日も、体調はいまいち。だいぶ回復したけれど。
成田空港から出発する彼氏と電話で話したあと、ロンドンオリンピック開会式の中継を眺めていたよ。相変わらずグルグル悩んでいることは終わらないのだけど、少しの間だけ気が晴れたかもね。

午後、先日注文しておいたメガネを受け取りに出かけた。頭がクラクラするほどの酷い暑さ。熱せられた大気が陽炎になってアスファルトから立ち上っている中、道ばたの花壇に植えられているひまわりが元気でした。


メガネを受け取って、帰りの電車の中で本を開いてみました。いままで視界全体がぼやけて、まるで磨りガラス越しに世界を眺めていたような状態だったのが、くっきりと活字が網膜に像を結んでいることに驚きました。眉間に皺を寄せなくても、これからは大丈夫らしい。いままで目にかかっていた負荷が取り除かれて、ずいぶんラクになった。液晶ディスプレイからのブルーライトもカットするそうです。

THE ROAD TO GLORY

晴れ。33.2℃/25.4℃/55%

肌寒い日が続いたあと、ふたたびねっとりと湿っぽい夏が舞い戻ってきた。
朝、最寄り駅に行くまでに汗がたらーりと流れてくる。
どこかのお役所みたいに、スーパークールビズでハーパンにアロハで通勤とか許されるとおもしろいんだけどな。

最近ずっと悩み事がある。
両親や彼氏に概要は伝えてあり、それ以上の情報はない。
だけど自分の心の中ではいろいろと葛藤があって、それは日々、異なった感情となって吹き上がってくる。楽観的だったり、勇気に満ちていたり、不安に苛まれていたりとか。
僕自身、あまり怒鳴ったりはしないが、本質的に短気で短絡的な人間なんだと思っている。信じるところを追求していきたい気持ちが強いし、大事にしたいことはとことん大事にしたいと思う。一方で、訳の分からない人間に振り回されるのは嫌いだ。もったいぶってる人、自分を偉そうに見せたがる人、要求をストレートに伝えず相手を振り回して楽しんでいる人なんかは大嫌いだ。そういう人たちの間で生きて行くのは、、、無理。

悩み事がある時は、誰かに話すと良いそうだ。
今度、生まれて初めてお金を払って専門家に相談に乗ってもらうことにした。今朝申し込みをして、午前中に連絡をもらった。ちょっとホッとした。ぐるぐる一人で悩んでいても仕方がないので。

仕事を終えて、東京駅まで歩いた。
途中にあるスタンドのパスタ屋で晩ご飯を食べる。
いまから20年以上前、当時大学生だった僕は、京橋で働いている父親を訪ね、昼ご飯をたかることがあった。そのときに連れてきてもらった店だ。社会人になって、年に3~4回立ち寄って食事していたが、今日、初めて器に "THE ROAD TO GLORY" という文字が描かれていることに気づいた。器が変わったのか、それとも、いままで目に入ってこなかったのか。啓示なのだろうか? うん、いい言葉だ。


R,s でハンバーガーランチ

週末土曜日。

関東近辺でスペシャルティハンバーガー好きの人たちが行くというハンバーガーショップでランチをしてきました。まるでテーブルマウンテンのような塊は、BLTバーガーです。ケースに入れて食べましたが、肉汁たっぷりで美味かった。



父親と話していた内容は、正直重かったんですが、バーガーの美味さで多少は和らいだかな??

R,sは、千葉県西部の住民なら一度行ってみるべし。

人権教育が社会を荒廃させているわけで

この話、すごく共感する。
弱者のポジションを取ることで、手のつけられない強者の立ち場を手にするってことだ。
こりゃもう、卑怯者を量産していたわけで、こんな事を続けていたら、社会はおかしくなるさ。

>2つ目の問題は教育の内容についてだ。滋賀県は「人権教育」が盛んな
>地域として知られる。だが、人権教育が盛んな地域ほど子供たちは荒れ
>ている。
>
>人権教育は自身を「弱者」や「被害者」の立場に置いて「権利」を主張
>することを教えるからだ。内容はどうでもよく、「被害者」を自称すれ
>ば、どんな主張も成り立つと暗に教えるのだ。事件の加害少年と保護者
>も、自分たちは被害少年を自殺に追い込んだ“犯人”呼ばわりされてい
>る「被害者」と主張している。人権教育の見事な成果だ。


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【危機の正体】民主党政権の大罪…道徳教育といじめ自殺★(5)

2012.07.15

大津市の中学生いじめ自殺事件は、滋賀県警がやっと被害少年が在籍した中学校と大津市教委を家宅捜索した。自殺の練習をさせるなど、いじめは残酷を極めていたのに、学校も市教委も事態を放置してきた。市教委はいまだにいじめと自殺の因果関係を正面から認めようとしない。警察も遺族が3度も被害届を出しながら受理しなかった。マスコミや世論が騒ぎ始めて、やっと警察も重い腰を上げたのだ。2つの問題を指摘したい。

1つは教育界の構造的問題だ。学校を所管するのは教育委員会。ここでは大津市教委となる。教委は「レーマン・コントロール」といって教育関係以外の者が委員となって高い見地、広い視野から教育行政をコントルールする仕組みだ。委員のうち教育長だけは常勤だが、他の委員は非常勤。会議のときだけ来る存在だ。

結果、教育長をトップとする教委事務局が教委を仕切ることになる。事務局は現場の学校の先生の出向者が大半で、両者は表裏一体の関係にある。大津市の場合は教育長も校長経験者だ。教委が現場をかばうのも当然だ。

市長はどうしているのか。教育長を含む教育委員は市長の任命だが、委員には任期があり、途中でクビにはされない。大津市の場合、教育委員は全員、前の市長に任命されている。教育行政の「政治的中立性」の名の下に市長が教委に口出しできない仕組みになっている。こうして教委が現場と一体となって聖域化する。偏向教育が横行し、いじめが隠蔽される理由だ。大阪府市の教育関連条例はここにメスを入れ、教育を住民の手に取り戻そうとしている。

2つ目の問題は教育の内容についてだ。滋賀県は「人権教育」が盛んな地域として知られる。だが、人権教育が盛んな地域ほど子供たちは荒れている。

人権教育は自身を「弱者」や「被害者」の立場に置いて「権利」を主張することを教えるからだ。内容はどうでもよく、「被害者」を自称すれば、どんな主張も成り立つと暗に教えるのだ。事件の加害少年と保護者も、自分たちは被害少年を自殺に追い込んだ“犯人”呼ばわりされている「被害者」と主張している。人権教育の見事な成果だ。

必要なのは人権教育ではない。善悪の判断を教える「道徳教育」だ。だが、この中学でまともな道徳教育が行われた形跡はない。それどころか、道徳教育に反対する日教組を支持基盤とする民主党政権は道徳教育を学校から消そうとしている。大津市の事件は氷山の一角でしかない。=終わり

出典:ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120715/dms1207150701000-n1.htm

思考は現実化するの !?

最近……。

昔読んだ、思考は現実化するとか、引き寄せの法則だとか、原因と結果の法則だとか、そういうものってあるんだなって感じることが多くなりましたよ。いろんな意味で怖いなあと。

今夜はこれだけ。

登山未経験者が富士山に登ってみた(教訓)

さてと。
富士登山…というより、初めて本格的な登山を体験して、僕なりに得た教訓を書き残しておこうと思います。

1.だまされるつもりで装備を調えるべし
初心者って、どういう装備を準備したら良いのか分からないじゃないですか。ネットのおかげで色々情報は手に入りますが、正直玉石混淆。東京だったら、登山用品を扱っている店が集中している神保町あたりで、店員さんの言うとおりに一式揃えてしまうのが無難で確実だと思いました。素人がたらればしても時間の無駄です。

2.武勇伝を信じるな
これはネットにありがちな話ですが、例えばTシャツ、短パン、サンダルで富士山登頂に成功した人はいると思います。だけど、これはものすごく登山経験がある人か、あるいはものすごくコンディションが良くてラッキーなケース。天候が急変したら軽く死ねる状態で登山をするのは、自殺志願者みたいなものですよ。少なくとも初心者はこの手の武勇伝を鵜呑みにして舐めちゃイケナイと思います。
一緒のツアーに参加した人で、今回4回目の登頂だという人がいました。この人も初回9月に軽装で登頂を試み、低体温症に罹ってえらいことになったと言っていました。「正直舐めていた」と深く反省したとか。

3.歩けなくなったらお終いだ
ツアーではなく、友達同士で来ている大学生らしいグループがいました。そのうち一人がスニーカーを履いて7合目近くに来ていました。汚れるからと思ったのか、彼の履いているスニーカーはだいぶ古ぼけたもののように見えました。グレートウォールのジグザグ道を歩いている頃はなんとかなったのでしょうが、岩場に入るとスニーカーはグリップを失って踏ん張りが効かなくなっていました。そのため彼はトレッキングシューズでは楽勝の場所でも、這いつくばって前に進めなくなっていました。足が前に出ないのです。でも、誰も助けてあげられないし。やっぱり靴は大事です。

4.防寒対策が命に直結してくる
靴に次いで大事なポイントだと思いました。まあ、靴がダメなら上に登れないから、撤収してくれば良いのですが、いったん上がっちゃったら寒さ対策は命に直結してきます。ぺらぺらの防寒着や、100鈞で買った雨具なんかじゃ軽く死ねるかもしれません。

5.水分補給
お金出して買えるものは買っちゃえば良いと思いました。500mlで500円くらいお金がかかりますが、下界から持ち込む量で悩むくらいなら買っちゃった方が早い。
僕は山小屋での食事を除き、結局五合目→頂上→五合目の行程で1.5リッターしか水を飲みませんでした。ちょっと少ない気がしますが、僕の場合はこれで足りてしまいました。

6.手袋
晴れている間は軍手でOK。
悪天候や、山頂でご来光見物の時などは、防水・防寒仕様の手袋が必要。

7.行動食
甘いものは必要です。頂き物でしたがキャラメルなんかも良かった。

8.金剛杖
記念としては良いと思いますが、太さ、先が尖っていない取り回しのめんどくささを考えると、登山用のステッキの方が使いやすいと思います。膝の負担減効果抜群なので、ステッキはぜひ使うべきだと思います。

9.ガイドさんのすぐ後ろを歩け
初心者、体力のない人にはおすすめ。

10.高山病
これは体調・体質に依存するので確実なことは言えませんが、頭痛や吐き気に苦しんでいる人はいました。無理しちゃいけませんね。

以上、教訓めいたものを書き残しておきます。

2012年も金桜園で桃狩り

三連休の最終日、両親と弟、そして甥っ子を引き連れて、桃狩りに行ってきましたよ。
 往きは高速道路が空いていたおかげで、思いがけずサクサクと楽しめました。

金桜園は3年目。
去年の訪問は7月の初めだったので、早生種の千代姫。それなりに甘くはあったけれど、小ぶりだし、ジューシーさが今ひとつ残念だった。今年は桃の王様白鳳で、箱に収まりきれないほどの大ぶりの実。ジューシーな果肉で、彼氏と初めて桃狩りに行ったときと同じく大満足でありました。



10:30過ぎには"金桜園"を出て、"ほったらかし温泉"へ。
今回は"あっちの湯"に入った。
富士山もきれいに見えて満足満足。

そして、11:30過ぎには"ほったらかし温泉"を出て、"グランポレール勝沼ワイナリー"でお昼ご飯。
ジンギスカン料理とサイドディッシュをいくつか頼んで満足満足。



帰り道に、桔梗屋本社脇のアウトレットコーナーで信玄餅などを安く買う。
プロ漫画家の色紙は、信玄餅がうまそうに見える。



高速道路に乗ったのは13:45位かな。バスツアーだったらあと3箇所は廻るんだろうけれど、早々に撤収したのですが……。中央道の渋滞に引っかかって、4時間かかって都内に戻ってきましたよ。 子供を連れての1Day Tripって、ほんと楽しいですね。

登山未経験者が富士山に登ってみた(7)

そして下山が始まった。
頂上からの下山道がまだ開通していないため、登山道を無理矢理下ることになる。狭い登山道は渋滞し、また、両手でスティックを操りながらも岩場を通過するのは、かなり恐怖感は強かった。

それでも、時々風が雲を払うと、雲海と、遙か下方に河口湖の湖面がキラキラと光っている様子が見えて、感動的な美しさだった。









"本八合目トモエ館"に戻ってきたのは7:00過ぎた頃だった。
精根尽き果てた。
所在なげにしていたリタイアした人たちから「どうでした?」と尋ねられた。「しんどかった。頂上まで寒くて大変だった」と僕は答える。彼らは他の帰還者達にも様子を尋ねていたが、ほとんどの人が「しんどかった」と返していたのが印象的だった。

弁当を食べた。炊き込みご飯に鮭の切り身がのっている。温かい緑茶を飲んで、ちょっとほっとした。

ガイドの小島さんに訊くと、「いままで最悪の渋滞だった」と言った。こんなに遅れるのは初めてだと。

"本八合目トモエ館"を7:30に出発。点呼を取った後、ここから下山道を各々のペースで下る。軽い石が滞積したすべりやすいジグザグ道を、滑らないように注意しながらざっくざっくと下る。約1時間ほど歩いたところで白い建物が見えてくる。期待して寄ってみると七合目の公衆トイレだった。まだ一合分しか下っていないのか……かるく目眩がした。


やがて下山者から忌み嫌われているという、六合目に向かっての長い横道に突入する。地図上では、黄色く描かれている吉田ルートが横一直線になっている部分だ。ここに階段部分があって、痛めつけられてきた膝に響く。約30分は歩く。
そこをがんばって歩き終えると、六合目のグレートウォールの下に出る。登山道と対面通行になる。馬も歩くその道は石畳で舗装されていて、これもまた膝にきつかった。

なんだかんだで五合目の雲上閣に戻ってきたのは11:00頃。本八合目からの下山に、約3時間半の時間がかかったことになる。雲上閣入り口の下山者名簿にチェックを入れる。ロッカーから荷物を取り出し、更衣室で着替える。荷物を詰め替えて、レンタル品の返却準備を整えた。二階のレストランで天ぷらうどんを食べる。冷たい水を飲みながらぼんやりしていると、数時間前のあの寒さが嘘のように感じられた。

食事を終え、お土産を買うために売店に降りて行くと、五合目駐車場は外に出られないほど激しい雨に見舞われていた。ずぶ濡れになって到着する下山者たち。30、40分の差で早く降りて来られたことは、本当にラッキーだと思った。

12:00に五合目を出発したバスは、1時間ほどで河口湖に到着。そこで風呂に入ってさっぱりしてから東京を目指す。入浴施設に到着したとき、僕は思わず笑ってしまった。前回河口湖で猛烈な下痢に襲われた事件の時、息絶え絶えになって宿の迎えの車を待っていた場所じゃないかと。

風呂を浴びた後、河口湖脇の遊歩道に座って、湖面の向こうに聳えているはずの富士山を眺めた。いまは、雲にすっぽりと覆われたあそこでなにが起こっているのか、僕は想像することができるようになったことがうれしかった。


東京丸の内でバスを降りた。日曜日を楽しむ人たちで賑わう丸の内中通りを歩いていると、なんだか不思議な気分になった。山から下界に下りてきた人たちは、皆同じ事を感じるんじゃないだろうか。

あれから一週間が経った。
ちょうど一週間前、僕は本八合目を目指して山を下っていた頃だ。
とても懐かしい気がする。

「富士一度登らぬバカ、二度登るバカ」ということわざがあるという。
僕はすでに、山頂を目指して再びあの道を登りたくなっている。

富士山登山記終了。

登山未経験者が富士山に登ってみた(6)

知らないって事は、いろいろと恐ろしいものだと思う。
富士登山の死亡事故報告を読んでいると、無計画・軽装で登った人たちが多かった。特にTシャツ・短パン・スニーカーで登頂を試みた外国人などとか。

ツアー参加の場合も、知らないといろいろと怖いことになった。午前1:40に準備を始め、2:00には"本八合目トモエ館"を出発する予定が告げられた。参加者は各人身支度を調え、集合場所に集まってくる。外は相当寒いだろうから、速乾性下着代わりのTシャツ、長袖シャツ、宿で借りた防寒着を着込み、最低限の荷物を積んだザックを背負って山小屋の外に出た。


外は霧…水滴が細かい粒子になった世界だった。「ボウッ」と白い壁の中からヘッドランプをつけた登山者が現れ、山小屋の前を通過して行く。強い風が吹き付けていて、耳が凍り付く気がするほど寒かった。周囲の人を見ていると、皆、フードで頭を覆っている。アレはなんだろう……ああそうか、雨具をつけているのか! 慌ててザックを下ろして雨具を着る。風は強く、ガイドは山頂に登頂できるかどうか相談を続けている。出発が20分遅らされたので、雨具をつける準備ができたのは助かった。

集合場所に集められた人たちに対し、ご来光は運が良ければ見られるかもしれない、強風が続く場合は引き返すことが告げられた。頂上は山小屋がすべて閉まっており補給はできない。また、トイレもないのでここで済ませておくように、とのことだった。この悪天候を見てパーティのうち5人がリタイアした。

そして(僕にとって)死闘が始まった。
八合目から頂上までは、ご来光見物をしたい登山客でごった返していた。
なかなか前に進まない。強風に煽られた霧…いや、いま考えると雲の中にいたのだと思う、雨、霙が身体にたたきつけられる。なんどもフードが外れるほどの強風。その中に立って、前進を待つ。幸い山小屋で借りた防寒着が高性能で、お腹が冷えて下るようなことはなかった。両手で握ったストックを空手の正拳突きのように動かして、少しでも身体を温めようとした。前にいる人は髪の毛が凍り付き、身体が震えていた。低体温症になりかかっていたのだろうか。

山頂を目指す人の行列は、霧の中を光の川になって、頂上に向かって、そして僕らのいる位置を目指す八合目からずっと続いていた。


晴れているときは、こんな光の川を目撃できるんだそうだ。
http://portal.nifty.com/2010/08/11/c/4.htm

2012年7月8日のご来光は、4:26だと聞いた。そのときを僕たちのパーティーは九合目を過ぎた場所で迎えた。厚い雲の中が一瞬、赤く切り裂かれた。太陽の力はすごいもので、風が雲を払うと、雲海と、紫色に染まった空を眺めることができた。ふたたび闇に沈んだ登山道を僕たちは歩き出す。



今年はまだ頂上からの下山道が開通しておらず、登山道を対面通行で利用していた。そもそも岩場を無理矢理下るわけなので危険であったし、登り客のスピードも全く上がらなかった。やがて下山客が「もう少しですよ、がんばって」と声をかけてくれるようになった。霧の中にうっすらと鳥居が見えた。

頂上は霧に包まれていた。
多くの人が疲れ切って座り込んでいる。
お鉢巡りは最初から実施されないことが伝えられていたが、ガイドすら火口を眺めに行って来いとは言わなかった。僕たちパーティは、富士山頂上浅間大社の碑の周りにザックを下ろして、へたり込んでいた。目の前には、下山客が長い列を作って順番を待っていた。






登山未経験者が富士山に登ってみた(5)

今夜の宿泊地は本八合目の"本八合目トモエ館"。
標高3400mの場所にある。
予定時刻から1時間遅れての到着だった。

登山靴を入れる袋を手渡され、ザックを担いだまま2階へ続く階段に誘導された。19時になったばかりだというのに、すでに大鼾をかいて寝ている人がいて驚かされた。今夜の寝床は蚕棚の上、6人の人が並んで寝て、その足がずらっと並んだ下に僕一人分のスペースがあった。他人の足の下で寝るのはいい気分はしなかったけれど、隣はカーテンで仕切った廊下なので、身体を横向きにして眠ればそれほど悪くない。寝返りを打ってぶつかってくる隣人もいないし、鼾の元からだって多少は離れているし。


靴袋を置き、フリースを脱いだ。ふと上を向くと柱にフックがあった。そこにザックを架けた。なんだかほっとして、座り込んでしまった。
靴下を、足の指を動かしてみる。幸いにも靴擦れ、マメもできていなかった。ちゃんと足に合った登山靴を買ってよかったと思った。

汗で湿ったシャツを着替えた。そして、山小屋の外にあるトイレに行く。入り口で200円を払う。一応水洗。個室で下着も替えて、さっぱりした。

山小屋に戻ってくると、すでにパーティの人たちは晩ご飯を食べ始めていた。あわててテーブルの端っこに座る。ハンバーグ付きのカレーライス。お茶は一杯サービス。紙に包まれているのは、明日の朝食の弁当だという。各人寝床に持ち帰って保管。お昼ご飯を満足に食べていなかったので、空きっ腹には美味だった。ここでビールでも頼みたいところだったが、この後に夜間登山が控えていることもあってガマンした。


食事中に山小屋のスタッフが、貸し防寒着のセールスをする。借りた人は皆良かったと言った、というセールス文句にだまされたつもりで僕も借りた。外側はゴアテックス、内側は起毛した素材が使われている。冷たい風を通さなさそうだ。



食事を終えたら、あとは寝るだけ。
生まれて初めてのシュラフに潜り込む。
フックに引っかけた山小屋で借りた防寒着と、レンタルで地上から持ってきたミズノ製のフリースをシュラフの中から見上げた。なんでも初めての経験。自分の居場所が少しだけ快適になる喜びをかみしめて、僕は浅い眠りに落ちた。

夜半、激しく屋根を叩く雨の音で目覚めた。
ドーン、ドーンと耳元で轟く雷鳴が、登山者達をおののかせた。

時刻はちょうど0:00を過ぎたところだった。

登山未経験者が富士山に登ってみた(4)

実はまだ七合目に到達していない。
壁に寄っかかりながら休憩を取っている。
持って行ったm&m'sをほおばりながら雲を眺めたり、僕たちのパーティを追い越して行く人たちを見送ったり。そろそろ人によっては高山病が気になるところだが、僕は全く問題なし。4000mを超えるマウナ・ケア山でも高山病に罹らなかったので、たぶん大丈夫。





七合目の山小屋群に到達。
ここから岩場が続く。
軍手をはめて、落石を起こさないように、足を挫かないように神経を集中しながら黙々と上を目指す。
ちょっと大変だけど、結構楽しくなってくる。





七合目の途中でひと休み。
雲が目の高さで移動して行く。遠く南アルプスなんかも見えている。




再び八合目を目指して移動開始。
この頃はちょっときつくて、多少動悸も上がるし、呼吸も浅くなる。

途中で富士山の陰に入る時間になった。急に肌寒くなって、フリースを羽織った。
冒険家の三浦雄一郎氏がスキー滑降したという雪渓を眺めながら移動。



七合目から八合目まで約140分間の行程。


登山未経験者が富士山に登ってみた(3)

六合目から七合目を目指している間に、急に雲が流れ、青空が現れた。
一気にテンションが上がった。



ジグザグ道の"グレートウォール"が目の前にそそり立つ。








日が差してくると、坂道を登っていることもあってすぐに汗ばんでくる。袖をめくったり、適当に衣服を調整することが必要。20~30分に一度休憩があるときに。

だんだん自分たちが雲より高い位置に移動して行っていることが実感できるようになると、本当に楽しくなってくる。七合目が近づいてくると、吉田ルート沿いに山頂に向かって山小屋が連なっている光景が目に飛び込んでくる。あの場所は、遠いんだか、近いんだか。




六合目から七合目までは、約90分間の行程。