Earth ミュージック&エコロジーの気持ち悪さ

中島みゆきの紡ぎ出す曲は、たぶん名曲が多いのだろうと思う。
たぶん、と書くのは、僕は彼女に関心がなく、有名な数曲しか知らないからだ。

で、ここしばらく、宮崎あおいを含む女子300人が「Nobody is Right」を歌うCMをEarth ミュージック&エコロジーがオンエアしていて、その気持ち悪さに鳥肌立った。誰か一人が呟くように歌っているならばまだ救いがある。だけど、集団で歌うこと自体に、新たな「正義」の押しつけになる自己矛盾がある。制作者はその自己矛盾に気付かなかったのだろうか?

で、安倍政権の安保法制への反対として「争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」を担ぎ出したんじゃないかという説がある。

その陰謀説の正否はともかく、実を言うと安保法制の件で、保守派と『本当の「リベラル」』との間の飛び越えられない絶望的に深い谷に僕は呆然としていた。日本には本物のリベラルはごく少数か、ほとんど存在していないと思う。ほとんどが自称リベラルという、なにか別のものだから。

誰だって戦争の現場に行きたいと思っていない。
それは保守であれ、リベラルであれ、自衛隊員であれ。

安保法制で保守と自称リベラルが絶望的にかみ合わないのは、自称リベラルを仮に誠実な人々だと仮定しても、「騒乱・戦乱」に対する認識のレイヤーがあまりにズレ過ぎたところで議論していたことにあるように思う。
この話を洪水に例えれば理解できるかもしれない。植林を行い、治水をすれば洪水は減る。そんなことは誰もが分かっている。ただ、目の前に濁流が迫っている状態で「急ぎ土嚢を積み上げる体制を整えよう」なのか、「洪水の元凶を立つために植林をすれば良い。土嚢は必要なし」で言い争っていたのが、今年の安保法制騒乱だったと僕は思う。正解は、「土嚢を積み上げる体制を整えてから、植林を行う」であろう。

たぶん、日本は支那とぶつかることになるだろうと思う。支那が立ち上がる前に経済を崩壊させて動けなくしない限り。彼らは自分たちが生き残るために日本人を殺し、奪うことに躊躇しないだろう。だって、そうしなければ生き残れないのだから。

自分が生き残るために何でもすると決めた相手は強いよ。

「もし中国や韓国が攻めてくるなら、僕が九州の玄関口で、とことん話して、酒を飲んで、遊んで、食い止めます。それが本当の抑止力でしょう?」なんてのは、よほどの世間知らずか、自分の傲慢さに気付いていない愚かな発言。小さな教室の、小さな格差の世界しか知らない人間の言うことだ。彼らは自分たちが生きるために殺しに来る。その時に人権やら国連やらは、まったく役に立たない。自分たちの身は自分で守るしかないし、他人の力を借りるためにはそれ相応の付き合いは必要、ってのが安保法制。

Nobody is Rightを聞いていて、少なくとも例えば、ISのような宗教集団が「正義を説くことを慎めば」少しは住みやすい世界になるとは思う。もちろんキリスト教、ユダヤ教、その他あらゆる宗教が、人の痛みを慰めても、自ら先頭に立って導くことを慎めば、きっといまよりいい世界になる。民族主義の先頭に立っている者すべてが、正義を説くことを慎めば、少し生きやすい世界が実現するかもしれない。

この曲になにか真理を感じるところがあるとすれば、静かに慎み深く生きてゆくことだけが世界平和への最短距離って事じゃないかと思う。

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『Nobody is Right』 作詞・作曲:中島みゆき
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right Nobody is Right

もしもわたしが全て正しくて とても正しくて周りを見れば
世にある限り全てのものは わたし以外は間違いばかり
もしもあなたが全て正しくて とても正しくて周りを見れば
世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり

辛いだろうねその一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は 軽蔑しか抱けない

正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ

Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 正しさは
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 道具じゃない


悪い人などいないだなんて あいにくですが頷けません
正しい人こそいないんじゃないか 完璧正しいってどういう人だ
争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか

辛いだろうねその一日は 嫌いな人しか出会えない
寒いだろうねその一生は 軽蔑しか抱けない

正しさと正しさとが 相容れないのは一体何故なんだ

Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 正しさは
Nobody is Right Nobody is Right
Nobody is Right 道具じゃない

BL漫画レビュー:一ノ瀬ゆま『gift 上』

サブタイトルは「白い獣の、聞こえぬ声の、見えない温度の、」という長いもの。

路地裏で出会った、獣のように獰猛で、美しい男――。
やがて宥がトレーナーを務めるジムに現れ、ボクサーとしての圧倒的な才能を垣間見せた勁は「プロになりたい」とうそぶく。しかしそれは、未成年の彼はジムの寮に転がり込むための口実に過ぎなかった。
「余計な口出しするなら、あんたの秘密をバラす」と脅し、宥の身体を要求する勁。しかしその瞳は欲望に曇ることなく、どこまでも澄んでいて……。

ふたつの魂の、邂逅と宿命の物語、上巻。

Amazonで確認できる限り、2013年以降にコミックスが刊行されている作家。画力は相当ある作家だと認めるが、gift以前に大ヒット作があった気配はない。それを前提に語ると、幻冬舎ルチル編集部は相当にチャレンジャーだなあと思う。
コミケに並ぶ薄い本の多くが二次創作だ。その理由として、例えば少年漫画誌で連載されるオリジナル作品のように、登場人物の設定、時代背景その他、Boys Love以外の部分を作り込むのが難しい、あるいはそれを発表する場(ページ数、媒体)がないという現実があるからなのかなあと思う。もちろん、他人の設定に背乗りするのは楽だという現実もあるだろう。

学園BLは比較的楽だ。読者のほとんどが「学園生活」というものを体験しているから。そんな読者との共有体験のない「ボクサーとトレーナー」という世界を描写することは、十分に挑戦的だ。リアリティを追求するとBL以外の部分が多くなり、連載誌はいい顔しないだろう。リアリティを放棄すると、ボクシングをテーマにする理由がなくなってしまう。ボクサーものでは春日直加の「駆け抜けるなら、消えないでくれ。」シリーズがある。こちらは登場人物達の腹筋はともかく、ストーリーはわりとグダグダで、しかも登場人物の関係がグダグダ。なんというか、熱さが、熱量が決定的に欠けている。

連載誌上で一ノ瀬ゆまにオリジナル世界の構築を挑戦させているルチル編集部はかなり挑戦的な実験をやっているのだと思う。この雑誌は儲かっているからか??

で、giftに戻ると、元プロボクサーで現トレーナーの御子柴宥(みこしばゆたか)は同性愛者。親子で小さなボクシングジムを営んでいる。プロボクサーとして父親の期待に応えられなかった宥は、同性愛者であることを父親にばれることが、とてつもなく怖がっていた。付き合っている男ともグダグダになっていた宥の前に「銀の髪、青灰の眼、白い肌、なんて綺麗で、およそ熱がないかのような-鬼のように美しい獣」白石勁(しらいしけい)が現れる。あとはあらすじの通り。

というか、これだけの設定を処理するだけでも相当の力量が求められるのに、勁自体が児童虐待と性暴行で多重人格持ち。幼い頃からセックスの経験を積み上げてきたけれど、「普通」の育ち方をしていないから、身体は大人でも心は子供のまま。初めは口封じに宥を抱いていた勁は、やがて宥を慕うようになり「プロになれってんならなるし。ベルト獲れってんなら獲る」というようになる。その勁に大手ボクシングジムへ移籍の話が持ち上がり、勁は心のバランスを崩す……ここまでが上巻。

あと、宥と勁のセックスシーン。
昨年だったか、ボーイズラブは「ちんこ」問題に揺れた一年だった。その結果ちんこが全面白抜きになったり、「焼き海苔」4枚状態になったりした。それに対して一ノ瀬ゆまはどう対応したか……。





お見事!エロイ!

てか、ボーイズラブじゃなくてゲイ雑誌に載せて欲しいクオリティ。
てか、ゲイ雑誌の作家にこういうクオリティが出せなかったから、僕はボーイズラブに手を出すようになった。はるかはるか昔、前世紀のことだけど。

1.絵柄
スタイリッシュで美しい。宥が短髪(やや)イカホモっぽいんでゲイ男子の方も受け入れやすいかと思う。ちなみに、本作で絵柄が相当変わったそうなので、以前の作品に手を伸ばそうかと考えている人は要注意。

2.ストーリー
挫折した元ボクサーの前に現れた天才ボクサー。二人が織り成すヒリヒリと熱い愛と闘いの日々という感じか?一部感覚器が閉じてしまってるほどの児童性虐待を受けてきた勁の過去を聞いた宥が「血が逆流する音が聞こえる……勁が本当に本当に他人事のように淡々と話せば話すほど目眩がする。怒りで頭がおかしくなりそうだ」と思う。ああ、ボーイズラブっていいなあと思う。傷つけられる原因が人間ならば、その痛み、苦しみを癒やすのは愛であり、また人間であるという少女漫画のDNAを感じるなあ。

3.エロ度
予想体脂肪率8%~12%の二人が絡み合う描写はとてもオイシイ。
穴と竿なしでもエロ描写の可能性は無限大。

4.まとめ
この二人はちゃんと救われて、幸せになれるのかどうか。続巻が気になって仕方ない。熱き男たちのボーイズラブを求める方々には自信を持ってオススメ。ぷにっとした体つきの男じゃないと怖いというボーイズラバーにはオススメできない。だって男の物語だから。

絵柄 :★★★★★
ストーリー:★★★★☆
エロ度 :★★★★★
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

男子高校生とねぶた祭り見物

今年は旅行の多い夏だった。
7月にフランスを旅行したあと、8月の初旬は青森へ行っていたし。
今年は青森市内二泊と五所川原市一泊。

青森入りした8月2日は小雨のぱらつくあいにくの天気。
今回青森市内に二泊する予定はなかったから、8月2日は桟敷席がない。
雨を避けるために、初めて新町通りのアーケードをぶらつき、適当な場所を見つけてねぶた見物をしていたんだ。

過去のねぶた見物は、すべて国道4号線の市役所前だった。
あそこはねぶたがダイナミックに廻転して良い場所なんだが、跳人との距離が遠くて盛り上がりに欠けるなあといつも感じていた。じゃあ新町通りはどうなのか?

これがね、すごく良かったんだ。
確かにねぶたの動きは悪い。大型ねぶたはご挨拶程度に左右に少し傾く程度。
対面2車線の道路だから、これは仕方ない。

その分跳人との距離がものすごく近くて、楽しさはこちらの方が上かもしれない。

僕の前にたまたま男子高校生の一団がいて、ヤツら体育会系部活の生徒かなんなのか、やたらノリがいい。「らっせらー!」と張り上げる声、跳人といっしょにおどけてる姿、やっべー青春甘ずっぺー(野郎どもだから、単にすっぺーだけか??)とか思ったさ。ヤツらのおかげで、ものすごく楽しかった。ねぶたは男子高校生と見物すると良いかもな。







そういえば、今回初めてビニールを被せたねぶたを見た。
写真写りは残念なことになるし、見た目も……な。
やっぱりお祭りは晴れ日を期待したくなる。






BL漫画レビュー:キタハラリイ『ジェラテリアスーパーノヴァ』

さて、新人作家がいきなりドラマCDデビュー作品となったことで、amazonに巣くう腐女子らに叩かれている本作。ちょっと応援にまわってみようぞ。

出会い系で適当に知り合った間柄。
知っているのはお互いのいい加減なハンドルネーム。
いつも近所にあるジェラート屋「スーパーノヴァ」で待ち合わせをして部屋でヤルだけの関係。
……だったはずなのに、少しずつ変化している自分の気持ちに気付く里谷。
自分だけが深みにハマっていく不安…。
でも気付いた気持ちには抗えずー?

ジェラテリアを巡って繰り広げられる苦くて甘い、恋の駆け引き。

Amazonで批判しているレビューを取り出してみよう。

「あらすじ的にはネットで知り合ったリーマン×学生の名も知らないセフレな関係から進展する他の方も書かれてるようによくあるふつうの内容です。エロがとくに売りというわけでもなく、画力もまだまだ発展途上。ラフな作風がはやりの昨今とはいえ、人物の顔もデッサンも不安定すぎてうまいとは言えません。ならば心理描写がすごくうまいかといえば下手というわけではないのですが特筆してうまいというわけでもなく無難にまとまってるだけなので後に残りません。」

まあ、ね。
腐女子、ボーイズラブ、そして同性愛者という捻れた関係でもの申すわけだから、意見なんてかみ合わないに違いないのだが、ちょっと擁護したいと思う。この作品は「セックス経験は豊富だが、恋愛には疎い大学生が、恋を知り、そして(社会的な意味で)カミングアウトする話」ってところが肝なのだと思う。

腐女子の好きな「関係性」ってヤツを、僕はイマイチよく理解できない。彼女らが好きな「純情ロマンチカ」シリーズのように、狭い人間関係でグルグル悩んでみたり、三角関係になってドタバタしたり。あるいは主従関係のヤクザ作品で「関係性が~最高!」とか叫んでいる一方、もっと普通で、もっと大変な関係性に彼女らは疎いんじゃないかと思う。

ゲイの世界には「ハッテン場」という言葉がありまして、その昔は二丁目や堂山のようなゲイバーやいわゆる「ハッテン場」だったものが、雑誌ができ、Webができ、そしていまではアプリ全盛時代。そういう所の出会いは、どうしても身体の関係で始まってしまう。それを否定はしないが、身体だけのキモチイイ関係から、恋愛関係にスライドさせるのは相当困難。はっきり言って裸でヤッてるだけなら、ゲイなんて難しくも何ともない。ベッドを出て、服を着て部屋を出て、社会に出た時に、同性愛者として生きていくさまざまな困難にぶつかるわけだ。僕はそれを社会的カミングアウトと呼んでいるが、性愛から恋愛に移行させるには避けて通れないポイント。

大学生の里谷智秋は、性体験はそれなりにあるようで、身体も開発済みのよう。でも決定的に恋愛経験が少なく(あるいはない?)て、引き留めたい、あるいはそれ以上の関係に進みたいけれど「なー、今日泊まっていくの?」としか言えない。

一方、大学ではイケメン里谷は合コンのお誘いもあり、彼を気にしている女の子もいる。ノンケ、あるいは「普通」の大学生に戻るチャンスはいくらでもあるけれど、週末はセフレのkioとの衝動的なセックスに溺れている。

11月29日土曜日。セックスのあとのけだるさに浸っていると「なあ、腹減らない?どっか近場に夕飯、食いにいこーよ」とkioに誘われ、里谷は「恋愛関係」にステージを移してゆく。





この展開、上手いと思う。
というか、こういう機微は、経験したことのない人には分からないと思う。

出会い系とかクラブとかで知り合って、色々あって恋愛関係に移行できるパターンはこれ。夜明けのラブホで「こんなところ二人で出るのもなんだからさぁ、オレ先に行くね」とベッドに取り残されたらダメな関係。「腹減ったから、ここ出てモーニングでも食う?」となったら続く関係。知っていた?

そのあと、コート姿のリーマンkioと出会ってしまった里谷が自分のガキ臭さに凹んだり、煮詰まったkioが連絡取れなくなったりでグルグルとするのだけれど、それらは皆身体から始まってしまった恋愛関係の試練なのだ。

1.絵柄
良いと思う。僕好みの直線で構成されるシンプルな美しさがある。

2.ストーリー
匿名で知り合った大学生とリーマンのお話。
たぶん読者の多くが「ジェラート屋関係ねーじゃん?」と思っているだろうから、自説を書いておくと、里谷はバニラ一本槍。政田直規(=リーマン)は都度フレーバーを変える。里谷は一途で、政田は浮気性(柔軟性がある)ともとれる。もう一歩踏み込むと、里谷は経験不足で、政田は経験豊富とも取れる。さらにもう一歩踏み込むと、バニラ択一の里谷に対し政田は「たまには他も試したら?」と薦めているから、里谷の経験の幅を広げようとさりげなくリードしているとも言えるし、一緒に新しい経験をしようよと呼びかけているとも言える。その感じはデート編で表現されているような気がする。

そういう文脈でタイトルにジェラテリアを冠する必然性はある。「牛丼 渋谷文化村通り店」じゃストーリーに広がりは作り出せないから。「いつも紅ショウガ?今日は七味にしなよ」じゃしまらない。

本編は里谷目線だが、デート編は政田視線なので、いろいろと謎解きも楽しめる。めでたくカップルとして歩き始めた二人のその後が見れて、たっぷり余韻を楽しめる。

3.エロ度
そこそこエロイ。19歳で初体験後、里谷くんはどんだけくわえ込んできたの?って思ってしまうほどの乱れ方がステキ。

4.まとめ
良作、佳作だとおもう。定期的に読み返したくなる味がある。僕はオススメする。

絵柄 :★★★★☆
ストーリー:★★★★☆
エロ度 :★★★★☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

BL漫画レビュー:生田いくじ『オス♂ブラ』

いや、何の因果か。
ひさしぶりのBL漫画レビューがキワモノスタートだったことを深くお詫びしたい。
書店に積み上げられたあまたのマンガ本から、異様なオーラを吹き出している作品が時々ある。
興味本位で手にして、ほとんど後悔することになるのだが。

大手下着メーカーに入社した新米サラリーマン、大野誠。
メンズブラの企画をまかされ、社内一デキる男なイケメン部長の早乙女と共同作業をすることに…なったのだけど、ちょ、待ってぶちょぉぉお!!?
胸囲を測られて感じちゃったり、ブラとヒモぱっちんでイッちゃったりと大忙し(❤)。
部長と理想のメンズブラを作るために、一肌も二肌も脱いじゃいますっ!!
変態上司×乙メン男子のハッピーラブストーリー★


お、おう。。。
そういう話かい。

「ぶちょぉぉお!」ってセリフで、綾瀬はるかの「ホタルノヒカリ」を思い出した。
あの干物オンナが幸せになる話は嫌いじゃなかったよ。

と、表紙をめくって、一度そっ閉じしたわ。

いや、これをどうしろと。
貧乳眼鏡少女じゃなくて、こいつは立派なリーマンですから。

 気を取り直して読み進めて、イケメン部長が「アレは私のものだよ」とファサ……と現れた時点で一度吹いた。


そして、この右下のコマ!
紅蓮ナオミに匹敵する、レジェンドが誕生か!?と笑いつつ、ふたたびそっ閉じした。
そういえば、最近紅蓮ナオミを見かけなくなったなあ……生きてるのか?


1.絵柄
悪くはないんだけどね。やや古いスタイルかな。

2.ストーリー
メンズブラ、メンズブラっすよ。乳首愛ですらなくて、下着フェチの話。
だから別にBL枠じゃなくて良かったんじゃないのかなあと思う。4コマでHENTAIマンガで出しておけばそこそこ長持ちしたかもしれない。あ、でも男がブラを付けることに執着しているけれど、素材やレース愛とかはないな。となると下着フェチ話じゃないのか。

3.エロ度
ある。あるけど、すごくおざなり。

4.まとめ
ひさしぶりの大失敗。
あんたと共に引き締めるものなんてないぞ。。。。

次はまともな作品をレビューしたい。

絵柄 :★★★☆☆
ストーリー:★☆☆☆☆
エロ度 :★☆☆☆☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)


フランスから帰国したあと

7月初旬のフランス旅行から戻ってきて、もう2ヶ月過ぎてしまった。
その後なにをやっていたかというと……

何回か彼氏が仕事で来日していて、デートしたりしていて。
桃が食べ頃の7月に甲府を訪れ、桃狩りとワイン風呂を楽しんだ。
「もう予約締め切ったんですけど」と困惑するびゅープラザのお姉さんを泣き落とし、あちこちに電話を掛けさせてチケットを確保したのはよい思い出(いや、本当にすまんかった)。往復の特急料金、桃狩り、昼食、温泉、施設間の送迎がパックになっていて、約1万円はお買い得。駅から桃農園までタクシーで往復しただけで6000円くらいは行っちゃう距離だし。


桃狩りのコツを教えてもらった。
桃の木の上の方、枝の先、赤よりは桃色の実を選ぶと「1個1000円相当」の桃が手に入るんだとか。彼氏の取った桃の中の一つが値1000円ものだったらしい。
甲府盆地は相変わらず暑かったよ。

一番楽しかったのはホテル八田のロビーで、鯉に餌やりしたこと。
いや、本当に楽しかった!
完全に童心に帰った二人は、二袋分の鯉の餌をブチまいてキャーキャー喜んでた。

8月に入って青森を一人旅。
青森市内に二泊してねぶた祭りを楽しんで、さらに五所川原へ移動して立ちねぶたを眺めてきた。この時のことは、また別の機会に。

お盆を挟んで新潟まで二往復のドライブをこなし。

8月下旬に彼氏が来日した時は「和牛万博」に潜入。
新橋「ろっきー」の焼きしゃぶが、とても美味だった。




暑さ対策で、生まれて初めて朝鮮かき氷「パッピンス」というものを食べた。
値段はぼったくりだと思うが、食感のおもしろい食べ物だと感じたな。

周りのお客は新大久保特有の方々で、韓流スターの話などで盛り上がってる。
成田空港で、彼氏の業界繋がりでイ・ミンホという人の立て看板を見た時のことを思い出した。チェジュ航空のポスターは、彼らの言う「弟系」のかわいらしさ。もっとも、制服姿はうちの彼氏の方がかわいいと思う。


は、さておき、どこの国でもスターと呼ばれる人たちは美男・美女なのは当たり前なのだよね。そうじゃない一般人の、加工前ルックスがどれだけ良いのかが大事なわけで。新大久保をふらつけば、メディアの垂れ流していた「日本人に比べて韓国人の方がイケメン!」という戯れ言の真実はすぐに分かる。イケメンなんて、いないぞ(w

「(日本で)韓国人タレントが人気を集めていますが、あれは本来の韓国人ではありません。ほとんど整形してますから」
「韓国通になると、どちらかというとジャガイモ系というか、セクシーブサイクな方に行くの。ソン・ガンホとかね。この言葉って、悪口を言っているように思われるけど、メチャメチャ褒めているんですよね」とのたまう岩井志麻子姐さんは信用できる人。

8月の暑さにクラクラしながら、そんなことを考えていた夏。
BLマンガレビューも近々書く予定。

フランス旅行記(2015年) エピローグ

パリ滞在最終日の朝は、まだ夜が明けきらないうちから動き出す。
旅行鞄に最後の荷物を詰め、二人で指さし確認しながら部屋を出る。
ドアを開く前にフランス、楽しかったよね。と軽くキスをする。

凱旋門近くからシャルルドゴール空港へむかうバスが出ている。
セシリアホテルをチェックアウトしようとしたら、バスのチケットを売っているよと言われ、フロントで2枚のチケットを買い、僕らはマック=マオン通りを歩き始めた。
まだ周囲は夜明け直後で薄暗く、歩いている人はほとんどいない。
バス停はすぐに見つかった。

凱旋門からの乗客は数人。途中のヒルトンでふたたびお客を拾い、バスの中が半分埋まったところで一気に空港を目指した。

彼氏にサポートされながらルフトハンザでチェックインを済ませ、地下のフードコートでサンドイッチを食べたのがパリ最後の朝食。あとはフランクフルトへ向かう小型機が到着するまで、僕らはボーディングゲート手前のソファでグタグタとしゃべっていた。



フランクフルトでは乗り継ぎに時間があった。
ここで彼氏とは搭乗便が別となるのでお別れ。
ボーディングゲートの先には777が駐機していて、あとはこれに乗るだけだ。


出発まで余裕があるので、目に入った寿司屋のカウンターに座って、ビールと寿司を頼んだ。ドイツはちゃんと線の所までお酒を注いでくれるから安心だ(写真は一口飲んじゃったあとのもの)。寿司の方は……注文の仕方がめちゃくちゃで、しかも酢飯じゃない寿司が出てきて苦笑したが、海外じゃこんなもんだろう。ちなみに帰国してから5000円近い請求が付いていて苦笑した。




フランクフルトで寿司食うくらいだったら、日本までがまんして食べた方が良いと思うぞ。海外ならではの微妙さを試したいならともかくも。

握りを食べ、ビールをウマウマと飲んでいると、隣席のアメリカ人がしゃべりかけてくる。そのアメリカ人としゃべっているうちに「写真を撮ってやる」と言われ、寿司バーで撮影しているところに彼氏が現れる。彼氏とはちょっとだけ話しただけで、今回は彼の方が先に出発なので、見送って、僕もボーディングゲートへ戻ると777がいなかった……。

機材交換のため代替機が来るまでさらに90分待つ。免税店を冷やかすことも、ソファに座って待つことにもいい加減倦んだ頃、アナウンスがある。バスに乗り込み滑走路端っこまで運ばれたあと、やっと機上の人になった。今回は最後まで色々とあったな。

欧州旅行は……もうちょっと円高になったら再訪したい。
今度はポルトガルとか、北欧とかで移動減らして彼氏とのんびりと過ごしたいな、と。



フランス旅行記(2015年) カタコンベ

空に近い場所から、一転して彼氏リクエストでカタコンベへ向かう。
地下に人骨を積み上げた墓所という薄気味悪い場所なのに、カタコンベ入り口までは長い行列ができていた。日陰のないかんかん照りの下、2時間あまり並んで入場すると、そこはカビと埃っぽい長い長い通路が延びていた。しばらくは石の壁が続くだけだが、やがてしゃれこうべが積み上げられたエリアに到達する。ひんやりとかび臭い空間をウロウロして、地上に出てきた時には「ここはどこ?」としばらく迷子になっていた。

晩ご飯は凱旋門近くのビストロで摂った。




ニース風サラダとビーフシチュー。
この熱い季節に、なんでビーフシチュー食べてるんだろオレ!?と悩みながら。

パリ最後の夜。
周囲のテーブルから漏れ伝わってくる異国の言葉を音楽のように聞きながら、ゆっくりと暗くなってゆく窓の外の風景を眺めていた。彼氏は少し疲れていたようだった。僕らの頭の中は明日出立のプロセスがグルグルしていて、なんか落ち着かない気分でホテルに戻った。




フランス旅行記(2015年) エッフェル塔頂上へ

パリ3日目。

以前、ローマで「真実の口」を見ていないうちは、いつまでも未練が残るだろうと思っていた。パリに来たら、やっぱりエッフェル塔の頂上まで上がること、は外せない。彼氏も僕も、中段までは上がったことがあるのだが、頂上は未経験だった。

エッフェル塔チケットのオンライン販売はすぐに売り切れてしまう。チケット購入に行列するのは時間がもったいない。今回は現地発オプショナルツアーに参加して、頂上まで上がることにした。

ホテルを出て、シャンゼリゼ通りを下ってゆく。コンコルド広場からセーヌ川に出て、遠くにエッフェル塔を望みながら、ゆっくりと時間を掛けて散歩した。マッチョな消防士達がセーヌ川に向かって放水訓練をしている様子を眺めたりして、地元民のような約1時間ほどのお散歩でちょっと贅沢な気分になる。

そしてよく見かけるシャイヨー宮と反対側から見たエッフェル塔の写真を撮った後、早めのランチ。僕は昼間っからタルタルを頼んでしまい、胸焼けしながらツアーに参加するハメになったのだけど。






ツアーはエッフェル塔から歩いて10分ほどのオフィスから出発した。皆インカムを渡されて、ガイドの声はインカム越しに聞く。ガイドは小太りのアメリカ人で、陽気で親切なヤツだった。英語での説明を聞きながら、2階、頂上を目指す。パリの街がどんどん小さくなって行く様は、思った以上に楽しい。








そして頂上。なにがびびるかと言えば、金網が張ってあるとはいえ剥き出しのテラス。床の鉄板は人が歩くと微妙に撓むし、これがめちゃめちゃ怖い。でも慣れてくると見晴らしの良さと相まって楽しくなってくる。











上昇する時に撮影したかったな。