Sexと嘘とひそかな告白 2

くわしいことはよく知らないが、"タチ"、"ネコ"、"ノンケ"はもともとレズビアン達が使っていた呼び方であるということを聞いたことがある。ふむ。そうなると、レズのみなさんの方がこのニュアンスをうまく説明してくれるんじゃないかな?と思うよな。

昨年の12月8日の日記で、二十歳のビアンの子と錦糸町で下ネタを炸裂させたということを書いた。彼女はタチで、僕もタチ。そしてやっすい居酒屋で、性別を超えた"タチ道"について熱く語り合っていたのだった。ビアンのSexというのもまぁ、僕の想像を絶する世界なんですが、いろいろなお道具やテクの話、そして役割分担について興味深い話を聞かせてもらったのだ。

話は脱線するが。
当時高校2年生の彼女とはじめて新宿で会った時も、ビアン女子高生のあけすけな性態について語り倒されて卒倒しそうになった。傍目からは援交女子高生とスケベ親父に見られていたのかもしれないが、彼女愛用の「と○○こ」っていうツールについて、顔を赤らめながらとんでもないエロ話を聞かされていたってのが実態だ。ほんとだよ。しばらく寿司屋に行くとメニューを見てニヤニヤしてしまったくらいだ。(苦笑)

で、
話を戻すが。彼女と話していてわかったのは、同い年同士のビアンカップルでもタチとウケの役割は完全に分かれるということ。タチは男っぽいリードしてゆく役割を果たし、ウケは拗ねたり焦らしたり嫉妬したりと、より女っぽい行動をするようになるらしい。
ちょっ と鬼畜発言なのかもしれないがあの時、酒を酌み交わしながら「ネコいじるのって楽しいよねー」って発言が双方から出た。これって大きなポイントなのかもしれない。僕にとっては女の子にもそういう感覚があるんだなってことを改めて認識して興味深かった。Sexにおいて女性が受け身であるというのは思いこみだし。"ネコ"が受け身であるのはその場の何かの要素が決めてゆくんだろう。

僕はジェンダーフリーを説く者じゃないことを断っておく。特に女性ジェンダー研究者の"乾き"具合を見て、つくづくお気の毒にと思う程度には嫌悪感があるので。あの手の研究者に叶姉妹じゃないけど、フェロモンだだ漏れな人っていないもんね。

さておき。これを踏まえるとね。たとえばノンケカップルのSexにおけるロールプレイも刷込なのかもしれないし、ゲイ同士の役割分担も多分にシチュエーションプレイなのかもしれないなぁと思うのだ。たとえば普段タチの僕が、相手に身体をゆだねてしまう時だってある。あくまで自分はタチでケツはできないと主張しますけどね。(笑)

日常の自分について思い返してみても、男性的な部分が強く出ている時もあるし、女性的な部分が強く出ている時もある。それはその瞬間瞬間で知覚している。たとえば「あたしはオネェだから」とか「おかまだから」って言う人がいるが、その人は自覚的にその言葉とその時点で演じている性別について使い分けているハズ。

ノンケさんは多分それを知覚していないか、出来ないか、あるいは目をつぶっているだけであって、人間の中の性別(生殖機能ということは除いて)というものは案外センシティブに揺れ動いているのではないかと僕は思う。

直前のセンテンスで「生殖機能は除いて」という括弧書きが自然と出てきたところで、ようやくオチが見えてきた感じがした。(笑)
やっぱりゲイの"タチ"、"ネコ"ってのは生殖から切り離されたシチュエーションプレイなんだろう。やっぱりカップルは原則"50:50"の関係だよな。

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