いまさらですが"ハウルの動く城"

いまさらですが"ハウルの動く城"を見返していました。

初見はもちろん映画館で。"マエストロ宮崎駿"の作品ですから、これは一応押さえておかねばというわけでシネコンまで出張って観ました。ところが帰り道「うーむ、これは失敗作ではなかろうか?」と首を捻って帰ってきたことも事実。その後、僕の中では「マエストロ失敗作」と結論づけて半分忘れていたのですが……。

年末、古くからの知り合いがコンビニでDVDを見かけて「はうる~待っててね~」なんてタイトルの日記を書いていました。じゃーあらためて僕も見返してみるか、という気になったわけです。たしかに2度目になると作品と多少距離感がつかめるので、新たな発見もありました。"Diana Wynne Jones"の原作を読んでいないので、あくまで宮崎アニメからの雑感です。


この空中散歩のシーンなんて、とてもうまく作ってあるんですけどね。

そもそも魔法と近代戦争(?)の組み合わせは相当違和感がある。たとえば紅の豚のように、第一次世界大戦のころのアドリア海という、絶妙な場所とタイミングに設定がされているから、中年男のブタが空を飛んでいても爽快だ。 ポルコ・ロッソは自分で魔法をかけてブタになってしまっているが、それ以外の局面で魔法の要素は出てこない。
それに対してハウルは思いっきり魔法が飛び出してきますからね。これはちょっとキビシイ。なぜ魔法と近代兵器が戦いあっているのか、そもそも魔法と近代兵器は対立関係なのか、補完関係なのかすら明らかではないので。

とはいえ、この基本設定は原作がある以上変更できないとして、ではなぜ「シナリオがまずい」「ちょっとご都合主義すぎる」という感想が多いのか。原作なしで見ている僕なりの感想では……。

1.伏線が3本足りない
1)カルシファー(火の悪魔)に関する事前情報がなさ過ぎ
これが足りないために、ハウルとカルシファーの出会いのシーンが"?"となってしまう。荒地の魔女か、サリマンでも誰でも良いから「火の悪魔」のルーツについてなにか語らせておくべきだったと思う。

2)そもそもなぜ戦争になっているのか?
これは"カカシのカブ"が絡んでいるのだが、この説明が十分にされていないとエンディングシーンが「はぁ?」と なってしまうでしょうに。「敵爆撃機から撒かれたビラにはカブ王子の絵が載っている」という指摘があったのでDVDを止めて見てみたが、カブ王子の顔とは 相当ちがう絵が描かれているビラだった。これで理解しろというのは無理でしょう。ソフィーは「くだらない戦争は……」と言っているが、一般論はさておきなぜくだらないのかという前振りは必要だったと思う。

3)というか、なぜ荒地の魔女はハウルに執着しているのか?
これも相当謎でしょう。どうも過去にハウルが荒地の魔女にちょっかいを出したような発言(「おもしろそうな人だなぁと思って、僕から近づいたんだ」)がありましたが、美しい若い男に執着している老女……そこら辺の絡みがもう少し強調されないと、呪いの手紙を送ってまで執着する理由が視聴者には理解できないでしょう。

2.突然出てくる音信不通(?)だった母親
彼女は脅迫されてサリマンの使いをしたわけだが、いきなり母親が出てきて小さなバックを残して帰ってゆくってのは唐突すぎでしょう。これが一番キビシイエピソードじゃないかと思う。制作上時間がなかったのなら既出の妹に持たせて寄越しても良かっただろうに。

3.泣く時はもう少しテンション下げて
ちょっと涙の量が多すぎ。(苦笑)

ここら辺のフォローがあれば、もう少しみんな納得できたのではないかな。
見始めればあっという間にエンディングまで引っ張られるのだから、それなりに力のある作品だと思うんだけどなぁ。

金髪のハウルと黒髪のハウル。みなさんはどちらがタイプですか?(笑)

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