クレモンティーヌとK-POP ……どちらが日本人に好まれるのか。

昨晩、ワインを楽しみながらおしゃべりをしていた。
お通しには、クラッカー、サラミソーセージ、ナチュラルチーズ、スモークチーズ、ブルーチーズが盛りあわせてある。暑い日は、スパークリングワインで乾杯!という手もあるけれど、炭酸でお腹が膨れるのも微妙なところ。最初は良く冷やされたロゼワイン。2杯目はキリっと辛口のシャルドネを味わう。

モニターには映画"海猿"が流されていて、伊藤英明らがむやみに裸になるところで、店内は「……し~ん」と静まり返るところが新宿二丁目っぽい(w。画面が切り替わると溜息とともに「いいわね」「仲村トオルがあの歳で、あのカラダ!?いや~ん!!」とひとしきり感想が飛び交い、カウンターのお客たちはふたたびグラスに向かう。この繰り返し。

店内では、クレモンティーヌの"アニメンティーヌ~Bossa Du Anime~"が流れている。なんでもボサノヴァにすりゃイイってもんではないけれど、外人のねーちゃんの「これでいいのだ~♪これでいいのだ~♪」と気怠い調子のつぶやきに耳を傾けていると、新宿二丁目のゲイバーの客たちも、なんだか午睡の夢に溺れているような気分になる。

Bon・Bon・BakaBon♪
Baka・Bon・Bon♪

松岡正剛が"日本という方法"という著作の中で、「おもかげとうつろいの文化」について語っている。漢字で書くと「面影と映ろい」ということなんだけど。
この著作の中で、松岡は「アワセは合併ということではなくて、二つの相対する文物や表現を、左右や東西の仕切りの両側で情報的に比べ合わせることです。そして、アワセの次は競います。つまり勝負をつけるのです。こうしてアワセ、キソイをへたのちの歌などの表現物を、あとでまとめて編集構成するのです。これはソロエ(揃え)です」「アワセ・キソイ・ソロエに、さらにカサネ(重ね)という手法を加えて、これをもって日本の情報編集の最重要な方法のひとつだと見ています」という指摘をしているんだ。

なんか難しく感じられるかもしれないけれど、簡単に言うと、誰かがネタを置き、そのネタに様々な意見や見立てを並べ、その解釈を競い合い、そこにAAやら「台風の日はコロッケ」みたいなものが重ねられ、一定時間が過ぎるとまとめスレが出来る……2ちゃんねるでよく見られる行動を難しく言っているだけ。

僕らは、たぶん日本人のかなり多くの人が知っている天才バカボンの「これでいいのだ~♪」をクレモンティーヌのボサノヴァで聴くとき、「これでいいのだ~♪」を橋頭堡にしてボサノヴァ文化にアクセスできる。あるいは手持ちのアニソンを、ボサノヴァ風に改造してゆく。日本人は職人根性が半端じゃないから、どんどん一途に突き詰めて魔改造を繰り返す。やがて気づくと、多様な文化を手に入れているという結果が待っている。

松岡正剛の解釈とは全然異なっているけれど、外国のものに日本文化を重ねて消化し、それを改造しているうちに、外国のものが日本文化に移ろってゆく。例えばカレーライスのように、そこにはインドとイギリスの面影は残っているものの、実質日本文化の世界に移ろっている。そんな感じ。

で、ふと、メディアと在日が大好きなK-POPとやらが頭に浮かんだ。
あれって日本人とってはかなり不思議な存在だ。
外国人が、我が国にやってきて、日本人グループのような名前をつけて、でも個別のメンバーの名前は朝鮮氏名。その連中が日本語で歌をうたう。しかしジャンルはK-POPという別枠扱い。あれはいったいなんなのだろうね。クロスオーバーと云えばかっこ良く聞こえるかもしれないけれど、単に野蛮人の横紙破りだといったら、もう身も蓋もない。冷静に考えてみると、K-POPをゴリ押しする連中って、日本人、日本文化にとって、なにかプラスの効果があるのだろうか??僕には全くないと思うのだけど。

漢字を使っていない国のくせに"少女時代"とか。ネーミングからして日本と支那をパクッたようないかがわしさがあってさ。1ソースマルチユースのつもりなのだろうけれど、韓国人が日本人のふりして日本語で歌ってみせて何が嬉しいのかねぇ。。。。

クレモンティーヌらの日本編集は「へぇ~おもしろいじゃん」と日本人が面白がるけれど、K-POPの連中には「なんなの?このキモチ悪い集団は!?」という異物感が残る。この韓流なんていう泡沫文化は、とっとと消えて欲しいッス。

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