なぜ韓食はグローバル化しないのか? (最終回) ロマンスがないから!

そろそろ韓国料理のグローバル化の話をまとめようかと思う。

最初はもっと細かいところ、メニューの話だとか書こうと思っていたけれど、韓食がグローバル化しないのは、韓国料理のDNA的な問題が絡んでいるようだと考えるに至りました。ああ、グローバル化しないというのは間違いですね。世界の街にある韓国料理屋の数を見るに、グローバル化はそれなりに実現はされている。そういう意味では、韓国人と韓国政府が叫んでいる「グローバル化=世界五大料理をめざす」という目標の立て方が間違っている、という事を指摘して結論にしたいと思います。

特に「世界料理」と呼ばれるものは、おそらく、ハレの日に食される固有のスペシャリティが受け入れられた料理を言うのではないかと思います。グローバル化とは二つの意味があって、マクドナルドのように世界各国にチェーン店があり、一定のユーザが食べる物。そして真のグローバル化の域になると、その料理方法が各国の現地食の中に取り入れられ、原型を失って溶けこんでしまう状況を指すのだと考えています。溶けこんでしまったときは、そもそもの名前すら失われているかもしれません。

いま、韓国人が目指している世界五大料理への挑戦は、要は「ウリたちの味と美しさで外国人を魅了させるという自信があるニダ。だからウリをそのまんま受け入れるニダ」というゴリ押しに過ぎず、その韓国料理自体の持つ特性について、全く考慮されていないように思うんですよね。

ハレの日、ということで、個人的な体験を書いてみます。

韓国料理の持つ臭いと辛味については、もう既にさんざん語りつくされているので、改めて触れるまでもないでしょう。

それ以外に、韓国料理の欠点は、「ロマンスがない!」という事を挙げてみます。

一昨年、彼氏とニューヨークへ旅行するにあたり、雰囲気のよいレストランで晩ご飯を食べることにしました。レストランガイドには「ロマンティック」という指標があります。僕たちはザ・リバーカフェを予約し、食事した。店に滞在したのは3時間30分あまり。アミューズ→パン→前菜→メイン→デザートと5つの皿を食べるのに、これだけの時間を要してました。当然ギャルソンがついていましたが、一皿一皿の間は20分以上空きました。この手をやすめている間、恋人同士は静かにおしゃべりしたり、窓の外の景色を眺めたり、ワインを含んでいたりするわけです。ロマンティクディナーって、そういうものじゃないでしょうか。

それに対して韓国人の誇る「焼肉」とやらはどうでしょう。皿にバラバラに載せられ、しかも血のような赤っぽい汁が流れ出ている生肉をトングで網に載せ、あっちをひっくり返し、こっちをひっくり返し、そして生焼けでお腹を壊したりしないか心配したりと、とにかくお客に神経を使わせ、忙しない。恋人の顔を見つめているよりも、網の上で炙っている肉の方に神経が行ってしまっている。しかもにんにく臭くて、食後にキスする気もおきない。アフターのバーにも服が臭くて行けない……みたいな。

つまり……。
韓食……特に焼肉にはロマンスがないと僕は思います。
臭いといい、客に手間をかけさせるといい、韓国料理は自己主張しすぎる。デートの場所では恋人たちが主役。あくまでも料理と酒は、恋人たちの引き立て役に回らねばならないのに、韓国料理は恋人を押しのけてテーブルの真中に居座ってしまう。だからロマンスがなくなってしまう。デートに使えないのです。それがまた、いかにも韓国人の性格に合致しすぎていて苦笑してしまうのだけど。

これは接待にも言える問題。デートと接待に選ばれない食事に、世界五大料理への道は閉ざされていると僕は思うんですよ。


とにかく、ウリをかまうニダ
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(´・ω・`) <丶`∀´> (´・ω・`)

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