マルディグラの記憶

晴れ。13.8℃/3.6℃/17%/857day

今日はなんか気分的にイライラしてた。なぜだろ?

朝の通勤電車の中で羽田モノレールの広告を見てた。浜松町から空港まで16分だったんだね。あの「ザー……」っという独特のロードノイズを聞きながら、天王洲を抜けた先、海 岸線で遊ぶ海鳥たちの姿を眺める。これから旅に出るんだなぁとあらためて実感する。やっぱり飛行機で行く旅は心が躍る。

大抵レンタカーで移動してしまうアメリカ滞在が多かったので、見知らぬ外国に降り立ち、空港を出て、大きな荷物を抱えながら宿泊先に向かうという経験が案外僕にはない。初めてのサンフランシスコ、ニューオリンズ、ニューヨーク、シドニー、ミラノ、パリ、香港、そして台北……くらいだ。これらの街では、旅行鞄を引きずりながらシャトルバスやエアポートエキスプレスを探し、慣れない言葉と見慣れない貨幣に少し心細くなりながら目的地を目指した。現地人とOdayで接触するわけなので、その分刺激的だった。

初めて自力で空港から目的地を目指した経験は、ヒューストンのホストファミリーに見送られ、シカゴオヘア空 港を経由してたどり着いたニューオリンズだった。有名なバーボンストリートにほど近い、カナルストリートの道ばたでシャトルバスを見送って、僕は途方に暮 れた。360度見渡す限り黒人ばかりの世界。2月だというのに汗ばむほどの陽気の中、僕は「うねるような黒い波のまっただ中」に立ちつくしていた。弾むように駆けだす小さな女の子のあとを、心臓をバクバクいわせながらホテルに向かってソロリソロリと歩いた。僕にとっての本当の外国デビューはこのときだったと思ってる。

出国前「ホテルに入ったらドアを開けちゃいけない。ホールドアップされるぞ」とさんざん父親に脅かされていた。現地に着くまでまったく知らなかったが、その年の2月中旬は有名な"マルディグラ"まっただ中だった。そういう理由で「ホテルは最低ホリディ・イン以上にしなさい」という父親の指導があったにもかかわらず、ニューオリンズは安宿しか押さえら れなかった。古ぼけたホテルにチェックインして部屋に入った。薄っぺらな木製のドア。2つあるカギも立て付けが甘くて、足でけっ飛ばしたら簡単に開いてしまいそうな心細さだった。

部屋に入って5分もしないうちに「コンコンコン」とドアがノックされる。
「えっ!?どうしよう????」と逡巡していると、さらにノックされる。
覚悟を決めて「Who are you?」と恐る恐る尋ねる。心臓がバクバクしてる。
「I'm Maid」と女性の声がする。
「あー、どうしよ。えいっ!」とドアを開けると、三角巾を被った小柄な黒人女性が3枚のタオルを2組持って立っていた。
「Thank you」……お礼は丁寧にと教えられていたのでニッコリ笑って送り出したが、人生これだけドキドキした経験はなかったんじゃないかと今でも思ってる。

夜、"フレンチクォーター"へ繰り出した。20時頃だっただろうか。
バーボンストリートの奥からカナルストリート方面に向かって、様々な形のフロートが次々にやってくる。仮装した祭り人たちはフロートの上から、マルディグラ・カラーと呼ばれる紫・金・緑色の ビーズを夜空に向かって高く投げる。沿道の観客は手を伸ばしてそれを奪い合う。紫は正義、金は権力、緑は運命を象徴する。時々空からハラハラと金箔が降ってきて、星のように輝いた。にぎやかなカーニバルがはねたあと、通り沿いのいかがわしいバーでビールを舐めた。たぶんこんなに不思議で楽しい夜は、もう二度と味わえないんじゃないかなって、そんなことを考えていたよ。

他の街の話はまた今度。

今日のランチ!はまたまた"エチオピア""チキンカリー"の辛さ1倍(笑)。
先日の感動は偶然かどうか確認もかねて。
やっぱりうまかったよー!
ふたたび感動の津波にさらわれたー。
ビーフに比べてお肉の量が多いのと、チキンは淡泊な味な分、カレーの辛さを逃がすんですね。これなら辛いのが苦手な僕も、辛さ3倍くらいまでは行けるかなぁという気がします。

ということで、カレー好きな方はぜひ一度ご賞味あれ。

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