一緒に暮らせないけれど、一緒に生きてゆく関係

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ここ数日冷え込みが厳しい。休みに入ってから、朝のウォーキングに出る時間が1時間遅くなった。われながら楽してるなぁと思うけれど続けることが優先。代わりに自宅で結構筋トレしてる。腕立て伏せ300回とか。

先日ダウンロードしたFedora Core 6が調子悪いので、"Yellow Dod Linux"をダウンロードしている最中。12時間近く時間がかかっている。もちろんPCに張り付いているわけではないので、買い物に出たり、掃除をしたり、"東京タワー"を読んだりして過ごした。

人間は機械を擬人化する。自動車工場のロボットに名前を付けたり。
ふと、樹なつみの"OZ"で、主人公の傭兵が、「自分の育て親だったおじいさんがおんぼろのトラックが壊れたとき、まるで生き物が死んだときのように泣いて悲しんだ」とエピソードをアンドロイドに話す場面を思い出した。
PlayStation 3にLinuxをインストールするってのは、とびきり頭が良くて、誰よりも人を楽しませることに長けた友人を部屋に閉じこめて、ひたすら計算問題を解くこ とを強要するようなものなのかなぁと思ったりもする。彼(or彼女?)の持つ美しい声も、圧倒的な表現力を奪い取って、コンソール越しにぼそぼそと命令と 結果を交換しあうだけの関係に造り替えるってのは、なんだかひどく残酷なことを実行しようとしているのかもしれない。他愛のない話と言えばそれで終わりな んですけどね。

で、"東京タワー"を読了したわけですが。
江國香織作品の中では青年目線でかかれた珍しい作品でもあり、取っつきやすいというふれこみでありましたが、感想をまとめろと言われるとかなり難しい。既婚女性と大学生の二組の恋愛を描いたものですけれど、なんというか、これほど現実感のない恋愛小説も珍しい気がした。あるいは僕が主人公に感情移入できなかったせいかもしれない。「不倫」という手あかの付いた言葉でレッテル を貼ってしまえばそれで終了だけど、「恋」という感情が交じっていなければ男友達、女友達という解釈ならそれもありかなぁとも思う。
僕も年上の女性とつきあっていた頃がありました。でもそれは恋じゃなくて、なんでしょう姉弟みたいな関係でしたね。僕は楽しかったし、お互いの過去に嫉妬するようなことはありませんでしたけれど、彼女はいつか来る別れに対して悲しみの混じった覚悟みたいなものを抱いていたかもしれません。

実際年の差カップルの場合、年上の方はいつか来る別れの日を想像してあまりのめり込めないってのはありますね。僕も時々大学生と遊んでいますけれど、かわいい弟という感じで今のところ恋愛の対象にはならないな。別れを覚悟で刹那的に恋愛にのめり込むか、あるいは傷つくのをおそれて恋愛を避けるのか、二つにひとつ。それを選ぶのがめんどくさくて、いまはただ遊びにつきあうだけ。彼がスーツを着るバイトをしているので、平日夜にパッと飯を食いに行くのに都合がよい。しばらくうまいメシと酒を食べ歩く関係で十分だと思ってるけどな。

"東京タワー"はこれといった結末を示さず唐突に終わる。
「一緒に暮らせないけれど、一緒に生きてゆく関係はあるのか?」
んー、それは当面年下男性にものすごい犠牲的がまんを強いるものだし、長期的に共犯関係を続ける二人に関係する人たちに不幸をもたらす可能性も高いし、ちょっと厳しい提案だと思う。だがしかし。身近にこういう関係の人たちがいるので僕も歯切れが悪い。

もし僕自身がその立場に甘んじることができたら、今頃何人の人と同時につきあっていることだろう!?ってことで僕には選べない選択です。(苦笑)

ひどくまとまり悪く終わります。

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