今日はボスが出張、例のアシは昨日で姿を消して、僕はとてもラクしてる。
立場上あまりいいこととは思えないけれど、自分でシステムをオペレーションした方が作業が早かったり、Try&Errorもパズルを解くようでいい気分転換だ。
じゃ、昨日の続きを書いてみようかな。
このブログで書いたかもしれないが、僕が社会人になって最初に拾ってもらった職場は通信業界。もうちょっと言うとネット業界だった。インターネットが商業利用に開放され、業界全体が沸き立っているころでした。世の中のほとんどの人が電話回線を通じてチマチマとネット接続している時分に、どかーんと贅沢なブロードバンド環境にいました。
もう10年前くらいになりますか。
1997~1999年頃のネット世界は、僕の中でとても懐かしい思い出として残っています。
"小室哲哉"や"坂本龍一"らがネットワーカーたちとコラボレーションして話題になったり、なんというか、社会のなかにある"壁"が取り払われて、僕らはもっと自由になれるような希望を感じていられた時代でした。性別、世代、地域を越えて、お互いに手をさしのべることができる自由な空気がそこにあったと思います。それは大きな夢でした。
僕の目から見て、当時のネット世界は牧歌的で、あまり汚れていない場所でした。もちろん、ARPANETの時代から関わっている人たちからすれば、商業利用に開放された時点で薄汚れてしまったように感じられたかもしれませんが、僕の目にはとても美しい世界でした。
誤解を恐れずに言うとすれば、そこは「ヤクザのいない世界」だったんです。
好意とリスペクトで成長が続く美しい場所で、仕切るヤツ、大きな顔をするヤツ、寺銭を要求するヤツ……そういう類の人の少ない世界でした。もちろん商社や広告代理店やらが利権争いや縄張り争いを始める兆候はありました。いまでは4大ヤクザグループの一つで仕事している自分ですので天に唾するような発言ですけれど、利権争いや縄張り争いは男の……というかオヤジの発想と仕事だなってつくづく思います。僕自身はそのような発想が好きではないです。(^ω^;)
牧歌的なネット時代。大学生がなにかを求めて声を上げれば、それに手をさしのべる大人たちがたくさんいました。僕もとても知的な人たちに、さっと手をさしのべてもらったことが何度もありました。この無償の好意のやりとりが僕は好きだったんですね。
だから、僕は今でもそういう状況に立ち会うときは喜んで手をさしのべます。それは自分が先人から預かったご恩を、他の人を通じてお返ししていると考えているからです。
長い昔話になりましたね。
ここからは蛇足です。
今はネットに接することが当たり前の時代になりました。
あるいは仮想世界であるネットで生活している人も現れるようになりました。
それは危険だなぁと、僕は思っています。
僕にとってネットは「気づきの装置」でしかありません。
それは、なにかを気づかせてくれるトリガー。
でもそこで完結したって、僕のリアル世界はほとんどなにも変わらない事を知っています。
僕の実体は、僕の肉体の内部にあります。
だったら仮想の世界でダラダラしているのはもったいない。
実体である肉体はなかなか良くできたデバイスで、PCでチマチマなにかやっているよりも何倍も情報処理に優れ、使い勝手がよく、そして楽しい。
ネットに耽溺するより、リアルな世界を楽しんだ方が何倍もおもしろいよ、と僕はことある毎に説いています。自分でもおっさんくさいなぁと思うこともありますけどね。
うーむ、当初の趣旨とはまったくちがうオチですなー。(^ω^;)
0 件のコメント:
コメントを投稿