週末に考えたこと

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昨日「行くぜっ!」と行っていたフィットネスクラブですが、Blogを書いた直後に爆睡してしまって(苦笑)、改めて今日走ってきました。データによると1ヶ月ぶり。前職を退職する一週間前に行ったのが最後のようでした。
体重を量ってみるとさほど変わっていないのですが、ロッカールームで鏡を見た際に、以前はバーンと張っていた大胸筋がやや弱くなったかなという感じがしました。
またトレーニング再開です。今日のメニューは、
・スタートラック 3.5km
・マシントレーニングを軽く
・エアロバイクを 20分

最後のエアロバイクは"ターザン"を読みたかったので、ついでに廻しておくか?位のノリでした。僕は活字好きなので、雑誌を読みながらのトレーニングだと案外苦痛を感じずに時間が経っていることに気づきました。スタートラックも、この方法が使えれば更に距離を伸ばせるのかもしれないんですが。冷たいシャワーをさんざん浴びたあとも、身体が熱を帯びていて、ちょっと眠い(w

さて、いまさらって感じなんですが、僕がフランスへ行っている間に"子猫殺し―――坂東眞砂子"事件が話題になっていたみたいですね。帰国してからも伝聞で「へぇ~なんか大変なことになってるな」位にしか認識していませんでしたが、昨日原文を初めて読みました。最初の印象は、想像していたのと異なり、けっこう奥の深い問題提起がされているのかもしれないと感じました。

世の愛猫家たちの激烈な反応は、まぁ、当然でしょうね。理解できる気がします。

今回のエッセイのようなものに接すると、僕らが(近)現代的文化生活と信じて疑っていないもの……簡単に言ってしまえば快適な都市生活ってものは、ものすごく最近作り上げられたものであるって事を、僕は再認識させられます。
間引きとか、姥捨てみたいな風習って、表には出なかったけれども最近まで続けられていたとも聞きます。小ぎれいな都市生活をしていると忘れがちですが、生き物はやがて死ぬということ。処理場ではたくさんの捨てられたペットたちが毎日命を落としているということ。あるいは太陽を見ることもなく命を終える家畜たちの肉を、僕たちはあまり考えることもなく口に運んでいるというのが現実です。

生物の生き死に対し、リアリティを失うほど、この手の話は抽象論になって行きます。
猫を去勢手術させるのが正しいのか、あるいは生まれてくる子猫を間引くのが正しいのか、それは(人間側からの一方的なものですが)考え方次第だと思うのです。

「生き物の究極の生きる目的は、子孫を残すこと」これに尽きると思います。
名前は忘れましたが、ある生物学者が「肉体はDNAを運ぶための器に過ぎない」と言っていたことが印象的でした。DNAのレベルで考えれば、そういうことなんですね。

僕はゲイですので、時々考えることがあります。生物が発生してから母親経由で受け継がれてきたミトコンドリアとDNA……僕の前には何代もサバイバルしてきた先祖がいるから今の自分がいて、僕がちゃんと役目を果たせば、また何代もの子孫にそれが受け継がれて行くはずなのに……。これを考えると肌が粟立ってきます。その連鎖を止める責任を僕は負えるのか?いや、負いきれないでしょう。
ウチはたまたま三人兄弟で、他の二人がその役目を果たしてくれています。でも自分が子孫を残せば、もっと良い未来があったのかもしれないのに、という仮定に対し罪悪感がないと言ったら嘘になります。

猫に去勢手術を施すことは、飼い主とその猫の関係においては良い選択なのかもしれません。ただ連綿と続いてきた遺伝子の連鎖を、その人間の手で勝手に止めてしまって良いものなのか?坂東さんの主張するポイントのひとつはここにあると思います。手術を施すというのもひとつの選択であることに間違いありませんが、生物の連鎖を断ち切る事について飼い主は葛藤し、その重さを引き受けた上で、処置を行うべきなのではないのか、という主張には僕は同意できます。

一方で、では生まれてきた子猫を崖から投げ落とすのが許されるのか?と言われたら、それもまた難しい問題だと思います。できればそんな事態にならずに済めば良いのに、とは思います。でも現実はそうじゃないみたいですね。
彼女の飼っている猫が飼い主から独立し、子猫を産み、育て上げれば、彼女の子猫殺しは起こりえなかったでしょう。でもそれはペットではないですよね。どちらかが飼い主とペットという依存関係を断ち切らない限り、猫が坂東さんの元を去って、野生に戻らない限りは子猫殺しは続くでしょう。彼女は子猫殺しの罪は背負うと言っているのだから、難しい問題です。快楽殺猫でやっているのとはわけが違うようですから。

ひとつ興味があるのは、坂東さんがペットの猫が野生に戻ろうとしたらどう振る舞うのか?それを容認するのか、あるいは無理矢理引き留めようとするのか。

坂東さんのいう「生の充実」という感覚に与する気はまったくありませんが、こういう世界があるのも現実なのだと、僕は受けとめたいと思います。不条理かもしれませんが、それが現実なんだと。

もしかしたら、とても運が強くて、崖から投げ落とされてもしぶとく生き残る子がいるかもしれません。その子こそ充実した一生を送る選ばれた猫なのかもしれません。

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