ブロークバック・マウンテン

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"ブロークバック・マウンテン"を読み終わりました。
涙は出ませんでした。とにかくすばらしい小説でした。
フレーズの一つ一つが自分の心の深いところに染み込んできて、なんかうまく言葉になりません。映像を見るまで少し寝かせておこうか。

あらすじや書評はamazonを読んでもらえば十分だと思うし、短編小説だからあらすじを聞くよりも買って読んでしまった方が早いと思う。だからここでは触れません。
同性愛がテーマの小説、と言えばそうでしょう。でも、主人公の一人はゲイじゃないんですよ。単純な同性愛小説としてとらえるにはもったいなさ過ぎます。

僕は、魂は肉体という檻に閉じこめられていて、解放されるのは死ぬ時だと思っていました。肉体の檻に閉じこめられているから、人間は本質的に壮絶な孤独の中にあると。ただ、ごく稀に、魂に穴があいて隣の魂との間にトンネルが貫通してしまう時がある。しかもそれは異性間、同性間いずれにも起こりうるのです。隕石に当たるような確率かもしれないけれど、ブロークバック・マウンテンの主人公の男性二人の間に、その奇蹟は起こってしまった、という事なのだと思う。



ブロークバック・マウンテンの自然に抱かれて、二人はひと夏愛し合う。
山は彼らを祝福しない。しかし否定もしない。静かに見守っているだけだ。
夏が終わり、下界に戻った二人は別れ別れになり、それぞれ結婚して、まず4年間会うこともないのだ。再会後、さらに20年の歳月が流れて行くのだが、二人が直面したのは同性愛を容認しないワイオミングの社会だった。
たとえば父親。彼の怒りはどこから来ているのか。宗教か?それとも世間体か?
愛し合うのも人間、痛めつけ、殺し、迫害するのも人間。二人は人間社会から隔絶された高山で、人目を忍んで年に何回かの逢瀬を重ねるのが精一杯だったのだ。

結末はせつない。関係者は散り散りになり、残された一人は二十歳のひと夏の思い出を抱きしめて、生きながら葬られる人生を歩むのだ。

マンハッタンを眺めながら"アメリカは大きな田舎だよ"と主人公に語らせたマンガがあった。その通りだ。行ってみればわかる。あの広大の国土のほとんどは田舎なのだ。熱心なキリスト教国であり、伝統的に保守的であり、テンガロンハットを被ってピックアップトラックを転がしている男たちがぞろぞろいる国なのだ。ワイオミングは知らないが、テキサスはそんな土地だった。そんな土地で、多くのクローゼットゲイたちが息を殺して生活をしているのが実態なのではないだろうか。それは今でも命がけの行為であって、ゲイパレードもおおっぴらにできない土地では「自分で解決できないなら、それは我慢するしかない」と息を殺して生きているのだろう。

映画は"李安"が撮っている。
基本キリスト教徒のアメリカ人には手を出しにくいテーマだったと思う。
外人であるアジア人に撮影させたのはとても正しくて、だからアカデミー賞を獲得するほどのパフォーマンスを出せたのでしょう。DVDの到着が待ち遠しい。

さて、今日のランチ!と言いたいのですが(笑)。
今日のお昼ご飯は前職の同僚たちが神保町に集結していたので、ケータイで呼び出してもらって皆で"スマトラカレー"を食べてました。気心の知れた元仲間たちと食卓を囲むのはとても楽しかった。ちょっと幸せな一日。 ナカーマ( ・∀・)人(・∀・ )

追記:フィットネスクラブにはちゃんと行きましたよ!

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