ときにはフレンチ。アートもフレンチ。(モネ展に行ってきたよ!)

晴れ。23.2℃/15.7℃/54%/819day/4660(+120)

ひさしぶりに4月らしい春めいた陽気……なのに、このバカっ風はなに?って感じ。おかげで地元の駅に着くまでに髪はぐしゃぐしゃになって微妙に凹んだよ。

で、先週見送っていた"モネ展"を見に、国立新美術館に行ってきた。チケットに印刷されている"日傘の女性"をはじめとして、目玉のいくつかは去年オルセー美術館で見ていたりするので、その点個人的に新鮮味が足りなかった気はする。
そ れはそうと、大回顧展と言うだけあって、よくもまぁ集めたものだなぁと感心したよ。個人的にはワシントン・ナショナルギャラリーの"日傘の女性、モネ夫人と息子"と、マルモッタン美術館の"睡蓮"があったら、もうパーフェクトとか思っちゃうんだろうな。とにかくモネだらけ。画家ってのは一生にいったいどれだけの数の作品を残すものなのだろうと、素朴な疑問にとらわれてしまった。

とは言え、これだけモネを見ていると、自分は別にモネが好きなわけじゃない事に気づいた。ほんとにアートを見る眼がなくて恥ずかしい限りだけど、僕は明度と彩度の高い青と白がたくさん使われている絵に反応するらし い。先日のオルセー美術館展に行った際に、"Alfred Sisley"(アルフレッド・シスレー)の"洪水と小舟"が気に入ったり、"Eugene-Louis Boudin"(ウジェーヌ・ブーダン)作 "トルーヴィルの海岸"に幸福を感じたり。それって単なる条件反射のレベルかもしれないと思うと、なんというか恥ずかしい気もする。

"睡蓮"が何作かあって、いずれもよく描かれている印象を受けたが、同時に気づいたこともある。マルモッタンの"睡蓮"はOKなんだけど、その他はいまいち……モネが描く庭園シリーズの緑が苦手。樹や森のモチーフはわりと好きなんだが、徹底的に草には興味がないらしい。「草嫌いのオレ……そんなことでいいのか!?」と苦笑い。

作品の貸し出し元を眺めていると、やっぱりポーラは良いコレクションを持っていると思う。箱根まで足を伸ばす価値は十分にあるね。


今日一番のお気に入りは"かささぎ"
積もった雪に落ちる影に、ものすごいリアリティを感じる。
雪国出身の両親から受け継いだDNAのなせる技かもしれないな。

美術館を出て、青山墓地を抜け、表参道へ。
表参道で手みやげに中国茶を買い、さらに原宿を抜けて渋谷へ。
渋谷で買い物に立ち寄り。この街を歩いている男の子たちは妙にかわいい。
さらに渋谷から二子玉へ移動。

今日のディナー!は"irreel Deux-Boules"(イレール ドゥーブル)でフレンチのコースをいただく。テーブルを囲んだのは元会社の元上司。1年ぶりの再会で、たぶん最後に食事したのも去年の同じ頃だったように思う。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、社会人としてのDNAは最初の3年ですり込まれると言われてる。IT業界に関連する場所で仕事をしてきたけれど、彼女の前に座ると忘れていた昔の夢がうずき出す。果たせなかった約束とか、置き去りにしてきた希望とか、いろんなものが押し寄せてきて、メランコリックな気分になる。あわせて自分のガキっぷりも目について、多少凹む。(笑)

それにはわけがある。彼女は僕がゲイであることを知っている何人かのうちの一人なのだ。最近とみにオープンマインドに努めているものの、接するほとんどの人たちに打ち明けられない秘密を抱えて僕は生きている。「キミは秘密主義だ」とか「うち解けない人だね」とか言われたことも少なくない。でもそれは仕方ないんだ。
だから、打ち明けた上で、普通に食事のテーブルを囲んでくれる人の存在はとてもありがたい。グラスの向こう側ではどう感じているのかわからないが、少なくとも秘密の箱の蓋は外れたままで、僕は深呼吸できる。

アペタイザーにはコンソメのスープ。
前菜は、10種類の有機野菜と鮮魚のマリネ。
色鮮やかな盛りつけが目を楽しませてくれる。

グリンピースのポタージュは口当たりもなめらかな仕上がり。
もう少し夏に近づいたら、ビシソワーズを楽しめるのだろう。

メインは岩手産 プラチナ・ポークのグリエ 黒こしょう風味。
霜降り牛のように刺しが入った特製の豚肉。
ナイフがすっと入る柔らかさ。

そしてデザートはドルチェの盛り合わせと紅茶。

フレンチはだらだら時間をかけて食べるものだけど、時間の経過が写真に現れていてちょっとおもしろい。前菜を眺めていた頃はまだ夕日が差し込んでいたのに、デザートに「うまうま」と舌鼓を打っている時分は、もう外はとっぷりと日が暮れている。 この間、2時間弱食べてました。満腹満腹。うまかったよ。

今年のテーマは"オープンマインド"
実際カミングアウトして廻る予定はないけれど、それでも秘密の箱を極限まで小さくして開けっぴろげにした先に、呼吸が楽になって安堵している自分の姿が見えるような気がするんだよね。もちろんけっこう傷つくのだろうけど、それを上回る祝福が約束されているにちがいないと思うんだ。

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