麦藁帽子

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月曜日はいろいろと仕事が積んでいる。
午後は来月のイベントについて業者とMtgして、コンパニオンの面接だとか、ノベルティの手配やら、パネル原稿の入稿スケジュールなど、懸念事項を次々処理してゆく。
細かい実務作業が片付いてゆくさまは爽快な反面、手元に目線をおろしているような気もする。先の事ってあまり考えたくないものじゃない? その先には天国が両手を開いて迎え入れてくれるかもしれないし、あるいは地獄の口がぱっくりと開いているのかもしれない。でもその結末を見たくないから、手作業に没頭するふりをしているのが、いまの僕なのかなぁという気もするよ。

昨夜から本格的に読み始めて、危うく寝そびれるところだった"6ステイン"は、福井節炸裂でやっぱりいい感じの熱さが溢れ出ていた。第二番目に"畳算"という、情報工作員が業つくババァになった元芸者を訪ねてゆくという短編がある。夢中になって追っている活字の中に「麦藁帽子」という単語を見つけ、僕は思わず「……母さん」とつぶやいた。

昨年の夏、父の実家を取り壊すために僕らは泊まりがけで荷物の整理をしていた。田舎の家ってのはタイムカプセルようなもので、僕が小学生の頃だから、いまから30年も昔に遊んだおもちゃが出てきたり、虫取り網や釣り竿がしまい込まれていて、つかの間のタイムスリップ感覚を味わっていた。その納戸の壁に、古ぼけた麦藁帽子がかけられていた。昔、母さんが使っていた麦藁帽子だった。

田舎の旧家の長男に嫁いだ母。AB型で、完璧主義者。その生来の性格からか、夫の実家に帰省すると、誰よりも良くできた嫁、実の娘に引けをとらない献身的な義理の娘になろうと熱心に働いた。でも旧家に嫁いだ嫁は所詮よそ者であり、目に見えない壁にぶつかっては苦しんで、藻掻いていたのであろう。ある日の夕方、イッパイイッパイになった母は、子供の手を引いて家を飛び出した。

父の実家は小さな田舎町にある商家だった。男は仏間で政談などしながらビールと食事を摂り、女子供は奥まった台所のテーブルに分かれて食事をするような家だった。
そ の日、たぶん17:30頃だったと思う。舅、姑、そして夫に夕食を出し、母は子供の手を引いて家を出た。山間の盆地にあるその田舎町は、太陽に焼かれたア スファルトと、豪雪に耐えるため黒いコールタールで覆われた屋根が集めた熱で、町中が蒸し殺されるような熱さに喘いでいた。
子供の手を引いて母は、町外れにある国道に向かった。国道は町の外周を決めているような道で、その交差点を超えた先には見渡す限りの田んぼと、山麓へ続くほこりっぽい田舎道しか視界に入ってこない。子供なりに心細さを感じた。

その時間帯は山間の盆地らしく、すでに太陽は西の山に隠れていて、あかね色に輝く残照と地上に蹲る黒い山の塊が印象的だった。陽も翳った夕方であったのに、 なぜか母は麦藁帽子をかぶって子供の手を引いていた。それはすれ違う地元の人に顔を見られたくなかったのか、なにか無意識がなせる技だったのか、今もわからない。母の中に具体的な行き先はなかったと思う。薄墨を流し込んだような闇が迫ってくる中、手をつないだ三人は慣れない土地を漂流していた。

あてもなく田舎道を歩いていると、やがてポチャポチャと灌漑用水が音を立てている土手にたどり着いた。そこには白詰草が群生していて、周囲が薄暗くなってゆく中、白い花弁がくっきりと浮かび上がって見えた。子供らは4つ葉のクローバー探しに夢中になり、母は土手に腰掛け、白詰草でバングルを編み始めた。やがて僕の左腕にはバングルがはめられ、白いティアラが妹の額を飾った。

「そろそろ帰ろうか……」満足したように母が促した。
「母さん……」僕が見上げた母の顔は、先ほどまでの思い詰めたような表情はなかった。先に立って歩き出した母を、僕らはあわてて追いかけた。歌いながらずいぶん歩いたことを記憶している。僕らは、国道を行き来するクルマのヘッドライトが揺れる漁り火に見えるほどに、町から離れた場所まで来ていた。

やがて国道の交差点まで戻ってくると、ポケットに手を突っ込みサンダル履きの姿で父が突っ立っていた。帰り道、父は僕ら子供にアイスクリームを買い与えた。子供は歓声を上げていたが、両親は終始無言だった。

翌日、急遽予定を繰り上げて、僕らは母の実家に移ることになった。
あの晩、父にも何か感じるところがあったにちがいない。

僕が麦藁帽子という言葉を見聞きすると、あの不思議な晩の事を思い出す。

父の実家を出る時、母は納戸の壁に麦藁帽子を掛けた。
その帽子が使われることは二度となかった。

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