BL漫画レビュー:スリークオーター

BL書評、というか、書評は全然していなくて、BL本にインスパイアされてエッセイめいたものを書いているというのが実態なような気がするんですけれど(笑)。

 やまがたさとみ 『スリークオーター』

非常に繊細なタッチのラインを描く作家のようで、ページをめくるのが楽しいですね。
そのおかげでベッドシーンも、あまりヤラシーという感じではない。
この作品について語ろうとすると、なんかかなり自分の事を暴き立てなきゃならない気がして気が引けるなぁ……ま、怖いもの見たさでやってみっか。

"スリークオーター"は、その途中のモノローグが大変重い。

思うに
異性であってもレンアイの対象になりえる人と
なりえない人がいるのと同じように
レンアイ感情のスイッチが入るか入らないか
それだけの事ではないでしょうか
同性愛の法則


これはかなり言い得て妙で、たとえばゲイだとばれると「ええ!?オレのことを変な目で見るなよな」とかいうヤツは多々恋愛対象から激しく遠いところにいるヤ ツなのはお約束。そういう誤解が生じるのは、たぶんSexすること自体あまりなんとも思っていないゲイが多いからかもしれないね。
恋愛スイッチが入っちゃえば、そりゃもう恋愛したいモード突入で、その相手は「特別な人」になるわけですけれど、スイッチが入らなかったら、どこまでいっても気のいい友人ですよ。
その流れで言うと、ゲイに友情は存在しないのか?と言ってる人はそこら辺が分かっていなくって、多分"ゲイ友"って言うのは"仲間意識"をもつ交友関係に過ぎないと僕は思うんだ。仲間だから大事にはするけれど、でも対ノンケさんのそれとどうちがうのかと問われれば「おんなじです」と僕は答える。
だから、僕は一度でも恋愛感情を持った人から「オレたちに友情はないのか?」とか言われると、「わかってねーなおまえ!」と平手打ちしたくなるのかも(って、それじゃオネェだってば)。

オレたちは何をやってるんだろう
レンアイでもなく
行きずりでもなく
イミが弱い気がする
これを何ていえばいいんだろう
やさしくするでもヒドクするでもなく
愛に満ちてるでも冷めてるでもなくて
ただ
ただ強く ひたすら強く
暴き合った


これもけっこう自分には痛く刺さった。

何回か書いたが、僕にとってはSexはあまり意味がない。
気持ちはいいけど、だからそれがどうなんだ?と。
一緒に時間を過ごすことにプライオリティを置いていて、それをこんなものに使ってしまうのはもったいないなーというのが正直なところで(苦笑)。
相手の体温を感じていたければ、他にいくらでもやり方があるし。

僕の中には巨大な"水琴窟"があると、よく想像する。
僕はそこになにかものを投げ込んでみて、どんな音が帰ってくるか耳を澄ましている。心地よい音が戻ってくれば、僕はそれが好きなのだ。
同時に相手の中にものを投げ込んでみる。それで相手が心地よくなれば、少しうれしい。相手からなにか自分の中に投げ込まれる。自分の中からいい音が戻ってきたらうれしい。そのときは「うれしいよ」という気持ちをつけて返す。

繋がっているという意味は別に身体が繋がってなきゃいけないわけじゃない。
自分の指先が次々と相手の快感スイッチを立ち上げてゆき、相手がだいたいどんな状況にいるのかは、身体の筋肉の流れを見ていればわかる(女優ネコは除いてね)。
でもそれだけ。快感のレベルがわかるだけ。
身体を繋げたところで、相手の深いところがわかるわけではなく。身体を繋げているとき、頭の中は何も考えていないときもあるけれど、大抵僕は肉体の中の孤独 を思い、自分の中にどれだけ相手の場所があるんだろうか?相手の中にどれだけ自分の場所はあるんだろうか、とか考えてる。せめて、なにか共有できたらいいけどなぁと。

身体を繋げるから、かえって見えなくなってしまうこともあるんだ。
うまく表現できないが、ふたりの間に共有できたものの量が、恋愛の大きさなのかもしれないなぁ。

巻末の"情緒不安定児"の話がなかなか良いぞ。

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