Nifty Serve ってサービス終了していたんですね

晴れ。17.9℃/9.4℃/53%

かなり暖かい一日でしたね。

インターネットというか、大昔のパソコン通信を始めたばかりの頃。お節介ババァみたいに"ネチケット"って言葉を乱発する奴らがいて、彼らが大嫌いだった。僕はルール破りな人間ではなかったつもりだが、不文律を振りかざして他人をしかりつける彼らの姿が好きになれなかったんだ。しかられるのはたいてい初心者、しかる奴らはたいてい理屈っぽく、その声にあまり暖かい視線が感じられなかったせいもあった。

今年に入って僕はJustsystemのSyuriken-PROというメールソフトを買った。というか買わざるを得なくなった。朝、オフィスでPCを立ち上げると会社のアカウントに数百通の迷惑メールが押し寄せている。フリーのメールソフトThunderbirdの迷惑メール防止機能でかなりしのいでいたが、それでも手元には山のように迷惑メールが残るし、逆に仕事のメールが迷惑メールフォルダに落ちてしまい困っていたんだ。

4月に入ってから、ブログにアダルト系のコメントやトラックバックをつけるヤツらが現れて気分が悪い。いままでは、アダルト系のトラックバックをつけてくる人が多かったアメーバブログからの接続を制限していたけれど、今週からはしばらくの間、こちらからトラックバックを張っていないところに対しても制限を加えることにした。ひょっとしたらコメントにすら制限を付けなきゃならない日が来るのかもしれない。

"フリーライダー"ってのは経済学の用語だけど、 ネット上でも定額コストのメリットを最大限に利用して、他人さまに迷惑を振りまいている"ネットフリーライダー"って連中がいる。以前勤務していたISPでは、法務部から毎日のように、個人向け接続サービスを悪用するアダルト業者に対してサービス停止通告を送っていた。でも彼らはクレジットカードを変え、 住所を変えて何度でも申し込みを試みていた。それが他人さまの迷惑になることは、彼らにとってはどうでも良いことだったようだ。

ネチケットっていうのは、初めて接する者にとっては、それを説く者の態度もあって反発するか、萎縮する原因になっていたとは思う。が、簡単に言えば、まぁルールを守れというよりは、他人を思いやれという事なんだ。
毎朝自宅近くの交差点で信号無視をする高校生たち。高校時代は自分もさんざんやっていたことだが、その問題がいまは分かる。キミが怪我をしなかったのは運が良かったんじゃなくて、他人がルールを守ってくれたため。他人の思いやりのおかげでキミはたまたま怪我をせずにすんだ。それは甘えなんだよって。それに甘えているうちは子供だよってな。

もう一つの問題は、それを今どきの大人が説明できないってこと。同じ交差点で、赤信号すれすれになってつっこんでくる車の数が急増していることは肌で分かる。右折専用信号が点灯している時に平気で直進する車も多い。信号待ちをしながらそういう運転をするド ライバーの顔をたくさん見てきた。年代、性別問わずいろいろいるが、共通しているのは、卑しい顔つきをしている人が多いってこと。なにをもって卑しいのかと説明はしないし、する気もない。僕がそう感じただけ。子供と同じ事をやっている大人が、子供を叱れないのはあたりまえだよな。

なんでこんな事を書いたのかといえば。
このブログにもアダルト業者の手が伸びてきたことが不快だったのと、もう一つは先月末にサービスを停止したパソコン通信"Nifty Serve"へのオマージュだ。

いま考えれば、独占に近い通信会社が支配するパソコン通信サービスにはある程度の秩序があって、そしてネットワーカーというか、自らをネットの住民と意識して活動している人が多かったように思う。だからリアル世界と同じく、せめてお互い気持ちよくすごそうよという意識はあったと思う。初心者は先輩に叱られる 時もあったし<ネチケット。"Nifty Serve"からネットに触れたのは、僕にとっては悪くない経験だったといまでも感謝している。

僕が"Nifty Serve"を離れたのは1996年。
インターネットの世界に足を踏み入れ、それから2度と戻ってこなかった。

通信キャリアは別として、インターネットを独占的に運用する業者はいまはいない。
ブロードバンドがある程度普及して、それを高速道路にたとえたISP経営者もいたが、実現してみれば、それはパケットが洪水のように流れるただの土管であっ て、不快のモノをまき散らし、不快のモノを引っ張り込む、やっぱりただの土管のような気がする(もちろんイヤならネットワークに繋がなければよいという意見はあるでしょうね)。それは接続サービスであって、情報サービスではないから。"Nifty Serve"のような、誰かに設計され、管理された世界にはない自由を謳歌しているけれど、でもなにかを失ってしまった気がする。

いま、 僕らは混沌としたネットワークの海を漂流している。もう"ネチケット"ってやつで叱ってくれる人もいなくなった。というか、叱れる根拠が見つけにくくなった。利用者それぞれが自分のドメインに立てこもり、自分の使い方にのみ固執し、ネットワークサービスを自分に都合の良い目的のために情報を吸い出す(ある いは送り出す)土管の役目としか見ていないから。なんでもあり。不快のモノ(迷惑メールとか)は技術で閉め出して、検索エンジンを使って自分の好みのモノ、探しているモノにしか触れなくなる。なんか僕らは情報のあふれる海の中で、自らタコ壺にはまりこもうとしているような錯覚すらあるよ。良くないね。

やっぱりさ、ネットワークの世界でも思いやりって必要じゃない?

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