3連休の中日。
先週思いついたサービスが技術的に実装可能なのか?ってことを調べるために、丸善まで出張ってきました。結論から言うと実装可能でした。ちょっとうれしい。休み明けに同僚に相談することができます。
日本橋→大手町→丸の内→日比谷→銀座→八重洲と、四角形を描くように散歩しながらウィンドショッピングしたり、お茶したり、デジカメを買うかどうか悩んだりして時間が過ぎてゆきます。
"ブリヂストン美術館"で開催されている"青木繁"特別展が会期終了間近だったんで、立ち寄ってみました。普段は久留米で展示されている"海の幸"と"わだつみのいろこの宮"が展示されていて「ああ、日本史の教科書で見たっけ」ってなつかしく感じました。
青木繁という画家は21歳で画壇デビューを果たし、28歳で生涯を閉じました。充実した制作活動は21歳から25歳までのたった4年間で、残された作品も多くはないとのこと。そんな解説を読みながら、ほどよく混んだ会場をゆっくりと漂います。
この風車の絵の作家は誰だと思いますか?
ちょっと連想するのは難しいと思いますが、これはゴッホの"モンマルトルの風車"です。印象派の影響がものすごく出ているような感じがします。印象派的であり、そして写実的でもあります。きっとゴッホが彼の作風を確立する前の作品なのでしょう。
僕はまったく絵の描けない人間なので、正しい理解はとうてい無理なのですが、たとえばピカソも修業時代はとても写実的なスケッチを残しています。それがやがてキュビスムへ変わってゆくわけですが、彼が美術修行中にキュビスムの絵を教師に提出し続けていたら、天才と賞賛されるか、キチガイとののしられるかのどちらかだったでしょう。でもいずれの画家も「独自の作風」ってヤツを確立しようと試行錯誤しますね。
数学の関数で言うと y=f(x) (xはモデル。yは作品。fが"独自の作風")
石膏像やモデルをデッサンしている美大生の作品の多くは、fの揺らぎが少ない分、y≒xなんだと思います。それがやがてfの揺らぎが大きくなってきて、どんどんyとxが乖離してゆく。モデルとは似ても似つかぬものに変貌してゆく。その変化の過程は、画家の作品の変遷を追いかけてゆけばある程度理解できます。
僕が知りたいのは、fが大きく乖離してしまった画家という人間は、僕らと同じ対象物を前にして、同じ認識を共有できるところに立っているのかどうかってことなんだ。それとも絵を描くことは仕事であり、一種の芸風であるから、一人間の生活にはまったく影響を及ぼさないものなんでしょうか?
どうなんでしょう??
こればかりは実際に絵を描いている人に尋ねるしかないんですけど。
レオナール・藤田の"猫のいる静物"もありました。
藤田の描く人物画には相変わらず興味がわきませんが、とにかく猫は愛らしい。
静物というとまったく動かないものを描いているものだと思っていましたが、小鳥は飛んでるし、猫はいまにも前足を伸ばそうとしているし……静物なん? (^ω^;)
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