とあるブログで「女性はBLになにを求め、期待しているのだろう?」という問いを見かけました。なかなかおもしろい。では、僕は少し質問を変えて「僕はBLから何を読み取るのだろう?」とか考えてみました。
いつの時点かは知りませんが、"June"から"Boys Love"へ名称変更された頃に、2つの大きな変化があったと思います(古い時代の話は置いておきましょう)。1つは偶然から、1つは必然から。
1 つ目は従来型の(少なくとも受けは)美少年という設定が変わってきたこと。相変わらずそれは王道なんですが、それ以外にも年下攻め年上受け、オヤジもの、 誘い受け、ノンケ同士といった派生ジャンルが出てきます。きっと作家たちも「学園で愛される美少年」という設定に飽きたのでしょう。
2つ目がオヤジもの、リーマンものなどが出てくることで、お話の舞台が広がりました。学園という閉ざされた場所から、様々な社会人が登場する設定が出てきます。これは1つ目の偶然にともなう必然だったと僕は思います。
"Boys Love"が世界を拡大したおかげで「攻めと受けの役割分担」が流動化しました。たとえば富士山ひょうたの「落下速度」のようにノンケサラリーマン同士が同性愛に陥るとき、攻めと受けの役割分担はなにがポイントだったのかという明確な答えを誰も持っていません。確かに能動的・受動的という性格づけ、年齢 差、体格差などがキーになっているようですが決定打とは言い切れません。不思議だよね。同性なのになぜ役割分担ができるのか?なぜそれを受け入れるの か??
ここで思考を飛躍させると、僕は"BL"を通じて、肉体的に同質な男×男を使って、男×女間におけるジェンダー(注:この言葉に格 差などの意味を付与しません)の発生起源に関する仮説を見ているような気がしています。そして、いわゆる「ジェンダー(役割分担)」というものが、かくも 偶発的に決まりうるものなのかと新鮮な驚きを持ってそれを読むのです。
ここでちょっと恥ずかしい話を。
ゲイの世界では攻め(タ チ)と受け(ネコ)の比率が2:8だと言われます。圧倒的に受けの方が多いんです。理由は分かりませんが。僕は攻め(タチ)なんですが、声をかけてくるのは大抵タチ。そして「ネコだと思った。目が誘ってたよ」と言われてびっくりします(誘い受けに見えるらしいよ。ホントかなぁ??)。タチの方が一般的に能動的であるとはいえ、自分は他人からはネコに見えるのか……と思うと少し複雑です。そして「じゃネコやってやるよ」と言ってしまえば、今日からネコの仲間入りかー、とあらためて不思議な気分になります。自分の意思次第で僕は役割分担を変えることができるのだと。
こんなことを考える僕が単純にヘンなだけかもしれません。が、
かくも役割分担の境界線は曖昧で、決定要因は偶発的なのかと。
そして役割分担の逆転もあり得るのだと。
まぁ「とりかえばや」を楽しんでみてもしかたないのですが。
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