僕たちは、いつまで団塊の世代の茶番につきあわされるのか?

週刊現代5月21日号に寺島実郎と佐高信の対談が掲載されているそうで、その中から産経新聞の阿比留瑠比記者が、次の3センテンスを紹介しています。

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寺島 …「官僚主導から政治主導へ」という言葉が価値の高いもののように使われていますが、この言葉を信じていたら、日本は民主党の政治家レベルの国にしかならない。彼らの政策論に日本を委ねていたら、とんでもないことになるということを、政権交代以後の1年半で我々は見てきたと思う。

寺島 …私自身も他人事ではない。菅さん、仙谷(由人)さん、鳩山(由起夫)さん、みんな昭和21~22年生まれで、私と同学年です。つまり世に「団塊の世代」と呼ばれている人間の真価が問われている。

寺島 …菅さんのように周囲の人を駆り立てる側にいた人物は、組織の下支え経験や問題解決のためのプロセスに呻吟することもなく、薄っぺらな戦後なるものを体にあふれさせている。そんなふうに団塊の世代が終わってしまうのかどうか。もしかすると、この世代は本当の危機に直面したときに解決に立ち向かう力がないことを露呈しているんじゃないか、というのが現政権に対する私の印象なんです。
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まあもっともらしい顔をして「なんでも外国まんせ~」と持ち上げる評論家の一人、寺島実郎なんて信用しちゃいけないのですが(w 。

団塊の世代ってのは、単に薄っぺらな戦後なるものを体にあふれさせている、本当の危機に直面したときに解決に立ち向かう力がない集団だということは、ネットではすでに指摘されていました。

TV報道を見ていると不思議なデジャ・ヴュにとらわれるのは、そこにある「絵」が、ある世代、ある特定の思考方法の人たちにひどくわかりやすい構図があるからのようだ。頭を下げる東電首脳、デモで押しかける被害者、東電という「企業」を突き上げる罪なきかわいそうな「市民」、そのかわいそうな市民の代弁者を気取るマスコミ……なんだよ、団塊世代にとって居心地の良い、学生運動・階級闘争の絵、そのまんまじゃないか。みんなが「かわいそうな市民」になりたがって、相手の責任を突き上げることに血道を上げる。今回の福島原発をめぐる「絵」は、そういう視点で眺めてみると、僕には無能な団塊の世代同士の茶番劇にしか見えない。皆さんはどう思う?



補償、補償と突き上げる住民。
すいません、すいませんと頭を下げるだけの東電首脳。

そこには膝をつき合わせて、これからどうしようか、腹を割って話し合おう、というオトナの対応は微塵も感じられない。二言目には「謝罪と賠償を」じゃないですか。あんたたちは朝鮮人か?と怪しんでしまうほどだ。ここに団塊の世代にはオトナの態度で問題解決に当たる理性、胆力、民度がないことが現れているように思う。

金切り声を上げるだけの首相。
市民運動家上がりの政治家なんて、まともな社会人経験すらない屑みたいな連中だ。そんな屑が間違って、この国難の時期にわが国の最高責任者の席にしがみついている。学生運動時代、敵からは「第四列の男」なんてこれ以上ない侮蔑の言葉で呼ばれていた恥知らずな男にいったい何ができる。意味不明な答弁でごまかし、金切り声を上げているだけじゃないか。

戦後、この国を覆い尽くしてきた政治的矛盾、思想的矛盾。
その矛盾がついに破綻したのが、今回の震災にまつわる人災の本質なのだろう。
僕たちはいつまで、団塊の世代の茶番につきあわされるのか。


この男の、なんと醜悪な背中よ。

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