天空の悲劇

晴れ。モチベーション地下500mってとこでしょうか(苦笑)

大森、大手町、新宿と出入りの多い一日だったが、なんというか、ただ疲れた なぁ~という徒労感にどっしりとのし掛かられて沈没。早く寝ましょう。帰宅してニュースを見れば、寝屋川では小学校にナイフを持った男が侵入して犠牲者を 出したと言っているし……ほんとうに気が抜けない。

 『空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』を読み返してる。もう3回目くらいか。足下が崩れ落ちそうな不安感にとらわれている時期になる と手にしている。エヴェレスト大量遭難事件を圧倒的な迫力で描き出したノンフィクション。1996年5月10日に事故は起こったが、僕は当時1ヶ月遅れ位 のNewsWeekで概要を知った。イラストは青空を背負ったエヴェレストが描かれていたが、事故当時山は荒れに荒れて、こんなのどかな状況ではなかった はずだ。その後詳細をこの本を通じて知った。よく言われる話だが、事故は単独の原因で発生することは少なくて、様々な小さな判断ミスや、状況の変化が積み 重なり、ある臨界点を超えたときに雪崩のような襲いかかってくる。

自分が仕事に関わるときもそうで、大きな仕事に手をつけているとき、無 意識はいつも「あ、このまま進めると事故が起こるかも」というサインを出し続けている。あまりにサインにばかり気をとられていると仕事が手につかなくなる ので、考えないようにしている時の方が多い。でも組織の欠陥や、個人に起因する遅滞が少しずつ積み重なってゆくと、遠くから事故の跫音が聞こえるようにな る。そうなるといよいよ危ない。そのまま跫音が聞こえないところまで逃げ切れるか、それとも事故が近づいてきてドアをノックするところまで追いつめられる か。いつもその狭間で仕事をしている気がする。

山の描写でもそう。晴天の中、遙か彼方に染みのように現れた悪天候は、信じられないほどの スピードで迫ってきて、あっという間に登山者を飲み込んでしまう。生死の境は、ほんの小さな判断と、運だったりする。危険を察知して引き返すか、登頂して 速やかに下山できると踏むか、足手まといになるファクターをどこまで救うか、どこで切り捨てるか。プロになるほど大胆になるのと同じくらい臆病になるもの だと思う。

この本については思い入れが多くて、なかなかうまく語れない。

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