BL漫画レビュー:町屋はとこ『また あした』

3連休中日。と言っても、昨日、今日と来客続きで、やっと東京駅まで送って行くという口実で遠出できたくらい。普段は慎重な運転をしていると自負していま すけれど、やりきれない気分になる時はついついアクセルを強めに踏んでしまいます。信号待ちからエンジンが「ファーン!」と咆吼する4,000回転まで一 気に吹き上げて、黄昏時の都心を走り抜けてきました。

ハンドルを握っていても、頭の中は企画書と、今週末のロンドンのことばかりが気に なってます。なにがプレッシャーなのかな……いままでも海外に出る時は強盗にあったり、射殺される危険性について気になっていましたが、ロンドンっていう とIRAとか、イスラム原理主義者の爆弾テロのイメージがわりと強くて、ピカデリーサーカスをフラフラ歩いていても、路駐しているクルマが爆発したりするのかぁ……とか妙なリアリティが影を落としているのかもしれません。ふむ。
最近は、次の日曜日はロンドンにいて、さらに次の日曜日は日本を目指して機上の人なんだなって時間軸を感じながら生きています。同時に1年前は新しい仕事場でミッションを与えられてワラワラしていたり、2年前は……でかいイベントの準備で吐いていたっけとか、頭の中では過去と未来を頻繁に行き来します。来年の今日はなにをしているのだろう……そう考えたら、ちょっとやりきれない気分になった。そのせいでアクセルを踏み込んだのかもな。

さて、今日のお題は
町屋はとこ『また あした』

―家に荷物を届けにきた年下の逞しい働く「男」―。自分をかばったせいでケガをしてしまった間中に、謝罪をしたいと家を訪れる木下に思わぬ展開!?一度きりのはずだったのに、交わす小さな約束「また明日」‥‥。いつしか、泣きたいくらい、体が欲情に熱くなる☆肌で愛を感じ合う―不器用な大人の恋情・リーマン大全集!!


ホモマンガ、ボーイズラ ブ、JUNEの境界線は曖昧なようで、読者嗜好のちがいはけっこうはっきりしている。乱暴な言い方をすると、今どきのBL読者にとっては、JUNEは野暮ったい口当たりの田舎料理に感じられるだろうし、JUNEな人たちはBLなんて無意味なジャンクフードに感じてるんじゃないだろうか。
そのちがいをポルノと文学というような対立軸で語るのも無意味で、ただJUNEからはじまった「それ」が、それぞれずいぶん遠いところまで来てしまったという距離感だけがあります。その立ち位置の差は、どこかの評論家に語ってもらえばいいんですが、僕はJUNEを知ってる古代種ですので、どちらもそれなりに楽しん でます。

そしてホモマンガ。不思議なもんで、Badiなんかで連載されているそれが、一番ゲイのリアリティからかけ離れた世界を描き続けていると、僕は感じるんですけどね。フリークスみたいな筋肉をつけたごつい男達が「ウホッ!」って延々絡み合っているのは……そういう世界があることは否定しませんけど、毎日を一生懸命、けなげに生きているゲイたちの方が圧倒的に多い……と僕は信じてます。そりゃ失恋して凹んだり、心が疲れちゃって弱っているゲイは少なくないけれどね。弱っている彼らも、いつか立ち直って歩き出す。その人間の強さと、生きていくことのすばらしさをホモマンガにも語って欲しいんですが。

と、ずいぶん前振りが長くなりました。

BL漫画家の中で、たまに突然変異を起こす作家が現れます。
この"町屋はとこ"もそのひとりで、BLよりはむしろストーリーはJUNE的であり、表現についてはゲイ雑誌に掲載されていても不思議じゃない、という立ち位置。
表題の「またあした」は2人の男が知り合って、つきあい始める。恋しい気持ちを伝える時が来て、幾晩も身体を重ね、そして一緒に暮らしはじめるまでが描かれています。理想の恋愛、理想の生活像がそこにあります。

というか、本来、ゲイ雑誌がこの方向性の作品を掲載しなければならないのにね。(^^;

1.絵柄
BL漫画家には同人誌あがりの人が少なくなくて、マンガとしての基本ができていない人がけっこういます。この作家は、プロ漫画家のアシスタントをした経験があるんじゃないかと思います。基本的な描写、表現力がしっかりしてます。
絵柄は……BL腐女子向けにはリアリティがありすぎるし、エロエロホモマンガ読者には線が細すぎるという感じ。

2.ストーリー
この作品の骨太なところは、主人公2人が社会人、それもサラリーマンと運送屋の兄ちゃんという職業を持っているところじゃないでしょうか。

BLと異なるJUNEについて、中島梓が「小説道場」でこんなことを言っています。

「だから学園JUNEをメインに書く門弟は……いずれ頭打ちになってしまうのだ。何故か。現実とは、学園JUNEではないからである。

私たちはいつまでも学園の中にとどまっているわけにはゆかないのだ。……「学園」は作り上げられたサナトリウムなのである。その中でJUNEによって、 JUNEを必要とする私たちは治療され、これまで欠落していた何かを見出す--JUNEを求める人々は普通より真摯に苦しむ人々だと私は感じている。だが、真摯であればあるほど、いずれサナトリウムから出て行かなくてはならない時がくる。
……比べると何だけど柏枝真郷は最初から学園ものを一切書いていない。柏枝の世界は最初からゲイバーと傷をおった大人たちと人々の人生を描いていた。「学園」の中に隠れようとしないで、つたないまま、傷ついているまま、苦しんでいるままで「町」のまんなかに立ち続けていたので、柏枝はびっくりするような勢いでのびていったのだ。

学園の明るさは私たちをやすらわせてくれ、いっときの夢を見させてくれる。だがそれは休暇なのだ。本当はずっと町の騒音と地獄の真っ只中に立っていることが最も早く強くなれる、何かを見いだせる早道なのだ」 (新版・小説道場3 P,200~201より引用)

僕は「この部分」が中島梓の著作の中で、もっとも価値のある発言だと思うんです。

"町屋はとこ"にはこれからも「リーマンもの」というBL一派にとどまらず、人間描写を追求していって欲しいと強く期待してます。

3.エロ度
いや、超本格的。「やおい穴」じゃないっすよー。体位もすごいよー。
ついでに「アレ」もすごいよー。とにかくすごいよー。
ゲイのみなさんもきっと満足のハズ。

4.まとめ
中島梓の「あの部分」はいつか引用したいと思っていたので、ちがう意味で満足(笑)。作品の紹介からだいぶ話がそれちゃって申し訳ないッス。
まとめると「また あした」はBL腐女子向けというよりは、JUNE……よりもゲイピープルに読んで欲しいな。元気づけられるんじゃないかと思うよ。

絵柄 :★★★★★
ストーリー:★★★★★
エロ度 :★★★★★
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

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