Aptana Studio 3でRubyが使えるようになるまで。


とりあえず、いろいろと格闘した。
※すまん、まだ未完成。

Aptana Studio 3をインストールする前に、こんな環境を構築しておいた。

MITAKALABさんの「Macをはじめよう」(http://developer.mitakalab.com/mac)を参考にさせてもらって、こんな状況に。知識がないので、とりあえず素直に言われたとおりにしてみた。

1.XcodeとCommand Line Toolsのインストール
> appストアからXcodeをダウンロードしてインストール
> 次にXcodeを立ち上げて、Preferences > DownloadsからCommand Line Toolsをインストールする。

2.Homebrewをインストールする
> ターミナルを起動して、つぎのコマンドを入力。
> ruby -e "$(curl -fsSL https://raw.github.com/mxcl/homebrew/go)"

3.Gitをインストールする
> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> brew install git

4.Oh-my-zshをインストールする
> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> curl -L https://github.com/robbyrussell/oh-my-zsh/raw/master/tools/install.sh | sh

5.EmacsとSublineTextのインストール
Aptana Studio 3 を利用する人はスキップすればよいと思う。

6.Rubyのインストール
Rubyのバージョンを確認する。
> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> ruby -v
たぶん、ruby 1.8.7 (2012-02-08 patchlevel 358) [universal-darwin12.0] と表示されるだろうと思われる。

Homebrewで最新版をインストールすると古いバージョンが上書きされてしまう。それを避けるため、rbenvをインストールして、複数のバージョンを切り替えられるようにする(※このためにAptana Studio 3での設定が難しくなった気がする)。

> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> brew install rbenv

> rbenvの設定をShellに追加するため、ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> echo 'eval "$(rbenv init -)"' >> ~/.zshrc
> source ~/.zshrc

rbenvはRubyのバージョン管理を行うだけのツールのため、新バージョンのRubyをインストールするためのビルドツールをインストールする。
> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> brew install ruby-build

rbenvでRubyをインストールするために必要なrbenv-vars、openssl、readlineをそれぞれインストール。

> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> brew install rbenv-vars openssl readline

rbenvを使って、Rubyをインストール。
> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> rbenv install -l

これでインストール可能なバージョンが表示される。
例えば最新版を入力するためには、次のコマンドを入力する。

> rbenv install 1.9.3-p448
> rbenv global 1.9.3-p448
> rbenv rehash

これでRubyのインストールは完了。

7.Ruby on Railsのインストール
> ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。
> sudo gem install rails --no-ri --no-rdoc


8.Aptana Studio 3 をインストールする
Aptanaのダウンロードページ(http://www.aptana.com/products/studio3/download)からアプリをダウンロードする。僕はStandalone Versionを選択した。普通にインストール作業を進める。

9.Apatana Studio 3 を日本語化する
Pleiades - Eclipse プラグイン日本語化プラグインページ(http://mergedoc.sourceforge.jp)の本体ダウンロード「最新版」か「安定版」ダウンロードする。zipファイルを解凍して、「features」と「plugins」フォルダの内容を、Aptana Studio 3の同じフォルダにコピーする。
Aptana Studio 3のフォルダ内にある設定ファイル AptanaStudio3.ini をテキストエディタで開き、最終行に次の一行を追加して保存。
-javaagent:plugins/jp.sourceforge.mergedoc.pleiades/pleiades.jar


10.Aptana Studio 3 でRubyインタプリターが使えるようにする方法
「Rubyの開発環境AptanaStudio3でUnable to find a Ruby executable が出る時の対処」(http://sakamoto-san.com/ruby_aptana_install.html)を参考にさせてもらいながら対応。ただし、こちらのページはWindowsベースの解説らしいので、Macの対応にはちょっと苦労した。

新規ソフトウェアのインストールでRuby開発ツールをインストールする
> 1)ヘルプ- 新規ソフトウェアのインストール
> 2)使用可能なソフト・ウェアサイト のハイパーリンクをクリック
> 3)追加(A) ※もしかしたらチェックが外れているだけかもしれないので、チェックを付ける
> 名前(A):Eclipse Indigo Update Site
> ロケーション(L):http://download.eclipse.org/releases/indigo
> 4)再ロード(L) しばらく待つ
> 5)OK
> 6)作業対象(W)–すべての使用可能なサイト–
> フィルタ入力: Ruby と入力して Enter? しばらく待つ
>
> プログラミング言語- 動的言語ツールキット – Ruby 開発ツールが表示されるのでチェックを付ける
> ※ 2012/06/23現在 バージョン:3.0.0.v20110424-7Z–E_ekMYXO4k101442
> 7)次へ
> 8)動的言語ツールキット – Ruby開発ツールをクリックして選択
> 9)次へ (以下詳細忘れました)
> 10)インストールが終了したら、一度Aptanaを停止して、-clean 起動

Macの場合の-clean起動は、ディレクトリの表記がある意味驚天動地だった。
ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。

/Applications/Aptana\ Studio\ 3/AptanaStudio3.app/Contents/MacOS/AptanaStudio3 -clean

次にRubyインタプリタの設定を行う。
ここで設定を行わないと、Aptana Studio 3内でRubyを実行することができない。

Aptana Studio 3 - 環境設定- Ruby - インタープリター にアクセスする。
ここになんらかのRubyインタープリターが登録されていれば、たぶん問題なし。
僕の環境では何も登録されていなかったので、このままではAptana Studio 3 内でのRuby実行はできない。

「追加」ボタンをクリックする。
インタープリター・タイプは Generic Ruby でOK。
インタープリター実行可能ファイルがある場所を指定してやる。

それを知るために、ターミナルを起動して、次のコマンドを入力。

> Which ruby
> /Users/あなたのユーザーネームとか/.rbenv/shims/ruby

ここに目的のRubyがある。

Aptana Studio 3に戻って、ディレクトリを参照するウィンドーの上部の窓を「Macintosh HD」にして、「ユーザ」→「あなたのユーザーネームのディレクトリ」→「.rbenv」→「shims」→「ruby」を選択して「open」ボタンをクリックすると「インタープリターの追加」画面にインタープリター・システム・ライブラリーに自動的にファイルが集められる。あとは「OK」ボタンを押せば、Aptana Studio 3でRubyが実行できるようになる。

僕の環境では、これでAptana Studio 3上でRubyが実行できている。

※ここで、Aptana Studio 3のコンソール上で確認したところ、古いバージョンのRubyが現れていた。ターミナルでは最新バージョンになっているので、この問題は解決しないと。

Macのこと含めて知らないことが多すぎて、Aptana Studio 3でなぜRubyが実行できないのかわからなかった、Aptana Studio 3をクリーン起動させるときのディレクトリ指定の方法がわからなかった、Aptana Studio 3にRubyインタプリターを追加するに当たって、「そもそもRubyってどこにインストールされるのよ!?」がわからずに苦労した。

先人たちの業績に感謝するとともに、僕の追記が誰かのお役に立てますように。

半沢直樹、終わっちゃって残念。


雨→晴れ。24.2℃/21.5℃/66%

台風の端っこが関東に引っかかっていた朝。
強い風にあおられた雨で、スーツはびしょ濡れた出勤でした。
湿気った服で仕事するのはちと残念ッス。

半沢直樹が終わってしまって、週末の楽しみがなくなっちゃった。
笑点を見ていると気分が凹みましたが、半沢直樹はテーマソングだけでもアゲでしたから。

某スパで撮られた写真がうけまくりですけど、反日放送局TBSでも、おもしろいものさえ作れば視聴者はついてくるという証左でしたね。

半沢直樹が終わった記念に。


エピローグ 2013年東北紀行 15

最終日の朝。
遮光カーテンを開けたら、外に鱗雲が広がっていた。
青森の人は言うそうだ、ねぶたが終わると秋風が吹くと。
こんな空を見上げて、青森の人たちは短い夏が終わることを切なく思っているのだろうか。


ホテルの屋上にある露天風呂に入る。
滞在中ずっと雲がかかっていた岩木山の頂上が見えた。
長い稜線がくっきりと美しい。


弘前を出発したのは9:00過ぎ。
関東まで約700kmを走破する。

来年は再びここに来れるだろうか?
次は弘前と五所川原が良いなと言いながら、僕らは家路についた。

弘前ねぷた祭り(2) 2013年東北紀行 14

「ヤーヤドー」のかけ声と共に…と言われても、ピンとこない。
ならば映像で残しておこう。

地場の祭り色が濃い弘前ねぷた祭り。
自衛隊の剣舞があったり、ねぷたの間を人が道を横断したりと、のんびりしている。

扇形をしたねぷたは、青森市のねぶた祭りのような造形の迫力はないのだが、高さは結構あって、しかもその上部の左右から人が顔を出していたりする。たまにクルクル回る。そして、電線や道路標識などがある箇所では器用に上下してくぐって行く。そのギミックさがおもしろい。










祭りが跳ねた後、僕らはホテルに向かって歩く。鰺ヶ沢街道の緩い坂を上り、そしてお堀に突き当たったところを左折する。城を囲む桜並木は黒い巨大な塊となって、闇に沈み込んでいる。

ねぷたたちが、それぞれの町内に向かってお囃子と共に消えて行く。風に乗って響いてくるお囃子が、祭りの興奮を削ぎ、そして寂寥感を運んでくる。
僕らの周囲を歩いていた地元の人たちも、路上駐車をしている車に乗って、次々と去って行く。背の高いドーミーインの看板を見上げて、ふと独りごちた。

あ~あ、終わってしまったんだなあ。

弘前ねぷた祭り(1) 2013年東北紀行 13

弘前では、青森ねぶた祭りのような桟敷席を予約していなかった。
早めの夕食を終えた後、僕たちはねぷた祭りが開催される土手町、青森県道3号線(鰺ヶ沢線)で、座れそうな場所を探して歩き回った。対面通行の狭い道。歩道は場所取りが行われていて、後から割り込むのは難しそうだった。とはいえ、歩道が狭いせいもあるが、青森市ほど殺気だった雰囲気ではなく、あくまで地元のお祭り、という感じ。

みちのく銀行下土手町支店のATM前に隙間を見つけ、僕ら三人は腰を下ろして祭りが始まるのを待った。
道を隔てた駐車場を眺めていて気づいた。
そういえば、前回弘前を訪れたとき、車を入れたのはここだったなあと。
隣にいる父とひたすら走り続けていたあのときの旅行を思い返す。

腹に響く太鼓の音と、ヤーヤドーとかけ声と共に、ねぷたは弘前城の方から現れた。















昼間、小屋で見せてもらったねぷたも来た。
電気が入ると華やかで、おどろおどろしさは少し和らいだような気がした。

プリンタ更新したり、iPhone5S買いそびれたり。

自宅のプリンタが壊れたんで、買い直しにヤマダ電機へ。
父親にあれだけ「純正インク以外は使うな!!」と言っておいたのに、安さにつられて互換品を使ったらこのざまよ。
まあ純正インクが高額すぎるのが問題なんだけど、かといってメーカーからすれば「うちのガソリン仕様の車に軽油を突っ込んだあんたが悪いんでしょ?」ってスタンスだろうなあ。僕から見てもそう思うし。

というわけで、EPSON製品を更新。
新型に変えて良かったのは、iPadから直接印刷が出せること。
父親がメール添付の孫の写真が印刷できず、常に僕にPCへ保存してくれるように頼まなければならないのは少々重荷だったみたいで。これからは自分で好きなだけプリントアウトできる。

それからiPadをiOS7にして良かったことは、アプリの自動アップデートね。両親は何度教えてもアプリのアップデートが理解できなくて。それが新規アプリはともかく、自動でアップデートが掛かるようになったのは良いことだと思うよ。

で、ヤマダ電機で「iPhone5Sありますか?」と尋ねたら、グレーだったら全種類あると。ちょっとビックリしたな。そこで16Gを機種変しようと手続きを開始したら、直前で誰かが買ってしまったとのことで、断念。だけど、以前のiPhone発売ではあり得なかったこと。スマートフォンも成熟して、進化も頭打ちに見えてしまうのかもね。

ちなみに僕が4S→5にしたのは、テザリングができるようになったことが大きかった。
来年の秋には、テザリング無料も終わるし、docomoにでもMNPしようかしらん。

ときどきへこむ

僕はときどきへこむ。
というか、へこんでいるときの方が多いのかもしれない(-_-;)

iPad miniをiOS7にアップデートするあいだ、クルクルと廻る歯車を眺めていたらちょっと気が滅入ってきた。

開け放した窓から、かすかに花火の音がする。
東京ディズニーリゾートから10何キロ離れているというのに、静まりかえった部屋に、風に乗った夏のサウンドがわずかに届く。手に届く距離にあるものの、手に届かない感が、なぜか心地よく安心する。ちょっと気分が萎えているからだろう。

押し寄せるような波のような蝉の声が消えて、草むらでつぶやく虫の声って、結構癒やされるわ。

さてと、歯車が止まるのはあと1、2分かいな。

iPhone5をiOS7にバージョンアップしてみた

なんか、あか抜けた感じがしますねー。
今のところトラブルはないけれど、マルチタスクを終了させる方法にとまどいました。

ホームボタンをダブルクリックして、マルチタスクしているアプリ一覧を呼び出す(従来通り)

ホーム画面上に現れたアプリで止めたいモノがあったら、上方にスワイプ。

で、止まります。

MacBook Pro が死んだふり

2ヶ月ほどMacBook Proを放置していて、今夜立ち上げようとしたら死んでました。

うおおぉぉぉぉぉ、なんということ!!!!

と、軽くパニクりました。
5年間の延長保証をつけてあるとはいえ、Apple Storeへ修理に持ち込むのがめんどくさい。

スイッチ入れても、画面は真っ暗なまま。
スイッチを押すと一瞬、Windowsのログイン画面が出る。
だけど、画面は速攻で真っ黒の状態に戻る。
画面輝度のボタンを押しても変化なし。
なんとなく、スリープ→ディープスリープ→そのまま目覚めず、という感じがした。

iPadで症状を探すも、Macが起動しないときの対象方法の定番「PRAMリセット」がうまくゆかず。「ジャーン」という起動音が2回するものの、画面が全面真っ黄色になって、そしてまた何も表示されず…… orz

で、その後いろいろ試して、結局もう一度「PRAMリセット」を試したら回復したというわけで。ひょっとしたらバッテリーの過放電で死んでるのかもとも考えたけど、バッテリーは80%残っていたのでそれはなしと。

★PRAMリセット方法
1.Macが終了していることを確認(僕の場合、画面が立ち上がらないのでスリープかどうかもわからず、無理矢理電源ボタンをポチッとな、してしまった)
2.Command + Option + P + R を押しながら電源を入れる。
3.Macが起動して、2回目の起動音が鳴るまで押し続ける。
4.2度目の起動音が鳴ったら、キーを放す。

外出先でMacBook Air 11インチを使うのは便利だとは思うけど、なにか本格的作業をするには13インチ以上の画面が欲しくなる。僕的には13インチが便利だなあ。ノートPCも15インチとなると、ちょっと気軽に持ち運ぶという感じじゃなくなってしまう気がする。

そういえば9月18日って、iOS7がリリースされるんだっけ!?
ちょっと楽しみだ。

弘前市内を散策 2013年東北紀行 12

斜陽館からスカイラインを飛ばして弘前市内に戻ってくる。
往きとまるきり同じルートだったので、気分的には早く戻ってきたような気がする。

疲れたので昼寝をしたいという父親をホテルに残し、僕と母は弘前市内の散策に出かけた。
弘前を訪れるのは2006年の子供の日以来で、しかもあのときは弘前城の桜祭りしか見ていない。お化け屋敷とか、見世物小屋があってビックリしたけれど、すぐに奥入瀬温泉を目指して移動してしまったのだった。

ホテルフロントでもらった地図を頼りに、少し遅めのランチを食べることにした。土手町にあるpizzeria DA SASINO でピッツアとサラダを楽しんだ。こんな言い方は失礼だと思うけれど、鄙には希なクオリティのピッツアだった。モチモチとした不思議な食感の石焼きピザに、自家製のモッツァレラチーズがたっぷりとのせられている。思いがけずいいお店に当たって、疲れていた身体に元気が戻ってきた。


pizzeria DA SASINO を出て、土手町通りを弘前城方面に進む。
途中の薬局の"サトちゃん"には、ハネトの花笠が被せてある。
案外似合っていて、これも地元ならではの遊び心。


坂を登り切ったところに有料桟敷席が作られている。
通りの反対側にねぷた小屋があった。
僕らのほかに観光客の姿はなく、「よろしかったら見ていってください」と警備員さんに招き入れられねぷたと対峙。





青森のねぶたがディズニーランドのフロートのような進化を続けているのに対し、弘前ねぷたはおどろおどろしさを残した、原初的な力強さを残していた。子どもは怯えるかもしれないけれど、闇の中に浮かび上がるねぷたは、ひどく幻想的なものになるだろうという予感めいたものがあった。
ねぷた小屋に詰めているスタッフの数も少なく、真空地帯のような静けさに包まれたその空間は、地方都市特有のぼんやりとした眠気を呼び起こす。

 ねぷた小屋に礼を言って去り、弘前城の天守閣に上る。

立佞武多の館から斜陽館へ 2013年東北紀行 11

五所川原市内をふたたびスカイラインで走る。

巨大ねぷたが衰退したのは、大正時代に電気が普及し、野放図に架線された電線に引っかからないように小型化されてしまったせいだという。そして戦後2度の大火で街が全焼し、設計図、写真が消失し、巨大ねぷたは「失われてしまった」のだという。
もし、1993年に当時の設計図と写真が発見されなかったら、もう二度と僕らの目の前に巨大ねぷたが現れることはなかっただろう。
文明化の恩恵のおかげで生活は便利になったものの、文化や伝統が衰退してしまい、町の活力が失われてしまった。その電線を片付けて、町の伝統を復活(再創造)させたら、町に活気と誇りが戻ってきた……町を復興させるヒントは身近なところに転がっているのだな。そんなことを思わずにはいられなかった。

程なく金木町の斜陽館に到着した。
太宰治の生家だ。
一代でよくもこんな財をなしたものだ、やっぱり金融業か~。

巨大な土間が印象的。広大な屋敷の床は、顔が写るほどピカピカに磨き上げられ、うっかりすると滑って転びそうになるほどだった。内部は和洋折衷の作りで、昔の豪商の屋敷によくあるタイプ。

太宰治についての資料が並べられていたが、う~ん、アカンやつよ。


五所川原 立佞武多(たちねぷた) 2013年東北紀行 10

2013年8月4日は日曜日。
最上階の露天風呂から見上げた岩木山の山頂は、今日も雲がかかっている。
雨は降っていないのだけど、白い天幕が張られたような空が続く。

8時過ぎにご飯を食べ始め、自然と「今日は何をしようか?」という話題になった。
もちろん、弘前ねぷた祭りが始まる19:00には戻ってきていなければならないのだけど。

父親は「弘前城は何度も見たから行かない」と言う。
この人の悪い癖だ。
誰かを案内してやろうというマインドがないのか!?

で、喧嘩をしていても仕方ないので、前日、青森市の臨時駐車場からアスパムまで移動したとき、タクシーの運転手さんが「五所川原の立佞武多はたいしたもんですよ」と言っていたことを思いだした。青森市の人が褒めるくらいだからきっとすごいのだろう。僕らは五所川原の立佞武多を見に行くことにした。

弘前城の脇を抜けて、カーナビの指示に従い県道37号線、板柳町で五能線の踏切を渡り、国道339号線バイパスを走って、五所川原市市内に入る。あとは道路沿いの看板を見ながら、「立佞武多の館」に到達した。背の低い建物しか目に入らない五所川原市内で、「立佞武多の館」はおかしい。ここだけが周囲のパースを狂わせている。

今回、言葉にならない感動に包まれたのは、ここ、五所川原の巨大な立佞武多をみあげた時だった。それほど床面積の大きい建物じゃない。あまり期待しないで展示会場に入ったら、そこはまさに異世界だった。

そびえ立つ3基の巨大な立佞武多。
申し訳ないけれど青森のねぶたを遙かに凌駕していた。
その存在感、その質感、観客を睥睨し、遠くの敵を睨み付けているような力強さ。
僕はバカみたいにぽかんと開いた口がふさがらなかった。

エレベーターで4階まで上がり、高さ22mの立佞武多に近づくことから始まる。
そこから回廊はグルグルとらせんを描くように地上まで戻ってくる。
その間、すごい、すごいという言葉しか出てこなかった。









五所川原の立佞武多は、1998年に80年ぶりに復活したもの。
このとき作られた「武者」は、岩木川河川敷で運行され、7月7日には古習に倣い火が放たれ、昇天させられたという。 回廊に飾られた写真に気づいたら足を止めて欲しい。「武者」の写真と、立佞武多復活を成し遂げた男たちの写真がある。それはちょっと泣けてくるような、神々しい美しさを放っている。たぶん、五所川原の立佞武多は、復活・復元というよりも、古の写真と設計図を見つけた男たちによって、新たに産み出されたものなのだろう。だから、写真の彼らは伝統の担い手どころではなくて、これから長く続く伝統を産み出したレジェンドたちなのだ。そのレジェンドたちだけが放つ、とてつもないパワー、突破力が、いまだ写真から波動のように伝わってくる。これもまた北の美しい情念なんだろう。

うまくタイミングが合うと、場内で五所川原立佞武多祭りの映像が上映される。これがかなり手練れの制作者によって作られたもので、観客の胸を熱くする。

五所川原の立佞武多は、死ぬまでに一度は見ておくべきものだ。

ねぶた祭り(3) 2013年東北紀行 09

打ち上げ花火を合図に、ねぶた祭りは終わった。
あ~あ、終わっちゃった。
楽しかった、でも終わっちゃったなあ。。。。
しばらく真っ白になってしまった。

ねぶたは「帰り」の囃子に合わせて、しずしずと引き上げて行く。
今年も段取りが上手く行かなかったのか、ねぶたはコースを一周できなかったらしい。

「帰ろう」と僕が腰を浮かせると、「まだ人がいるでしょう、最期まで見届けないと失礼だよ」と母親。出遅れると帰りが遅くなるんだけどなあ。21:00に祭りが終わって、最後のねぶたが僕らの目の前を通り過ぎていったのが、21:20過ぎだっただろうか。「待たせてごめんね」という母親の声を合図に、僕たちは席を立った。

スカイラインは青森操車場跡地北側という場所に駐めてあった。
青森市役所からたぶん一番近い臨時駐車場だった。
祭りの途中でも青森市を離れなくちゃならないケースも想定し、ねぶた周回コースの内側には席を取らないようにしていた。

青森市役所の脇の道路を歩く。
すぐに周囲は闇に沈んだ。
すぐそこで、あの、激しい祭りが行われていたとは思えないほど静かだった。
駐車場まではゆっくり歩いて20分ほど。
臨時駐車場はだだっ広く、車を出すのも大変そうだったが、それは案外スムーズだった。

八甲田ゴールドライン(国道103号線)に出て、青森中央インターチェンジを目指す。
ここは想定通り、インター入り口が大渋滞。
15分ほどかけて渋滞を抜け、弘前を目指してひたすら高速道路を飛ばす。
周囲には観光バスが何台もいた。
たぶん安比高原あたりのホテルを目指しているのだろう。
自分で走ってみて分かったが、ねぶた祭りを見終わった後、安比高原まで走るなんて絶対に嫌だ。
体力が持たないわ。

弘前のドーミーインに戻ってきたのは22:30頃。
晩ご飯を食べていなかったので、無料の夜泣きそばでお腹を満たしてから就寝。

ねぶた祭り(2) 2013年東北紀行 08

やっぱり動画でねぶた祭りの雰囲気を伝えたい。
あの動き、あの色彩、迫ってくるサウンド、ハネトたちの熱さは写真だけだと伝わらない。
本当は、あの場所にいないと分からないのだが。

歩道に並べられたイス席だと、ねぶたを見上げる感じになる。
視界がねぶたでいっぱいになって、すごい迫力を味わえる。


ねぶたが自分たちの前で静止してくれると、さらに大迫力になる。



ハネトが元気な青森大学のみなさん



跳人がいなくちゃはじまらない。らっせ~ら~♪
囃子方8連太鼓が迫力!
ねぶたも迫ってくる!


ハネトとの交流なんかもあったりする。
僕らの背中側、市役所前大桟敷には星野リゾートからのツアー客がバス5台でやって来ている。
彼らが一斉に「らっせ~ら♪らっせ~ら♪」と「ねぶた」に呼びかける。
その声に誘われるようにねぶたが寄ってくるのだ。


ねぶた祭り(1) 2013年東北紀行 07

自動車が閉め出された奥州街道。
陽が暮れ、空が紫色に染め上げられた宵闇に誘われて、ねぶたが姿を現す。
ねぶた囃子「進行」が奏でられると、観客たちのテンションは一気に上がる
http://www.nebuta.or.jp/kiso/hayasi/hys0106.mp3 (ねぶた囃子「進行」)

2013年8月3日のねぶた祭りは、子どもねぶたと大型ねぶたの混成日。
小さなねぶたが走り回っている姿を見るのも結構楽しい。

僕らが見物していた青森市役所前は、奥州街道の片側3車線の広さに加え、ねぶた審査員席が近くにあり、ねぶたが一番アピールする場所と言われている。だからねぶた桟敷席の予約が始まると、最初に完売する席なのだ。今年、僕が挑戦したときには、10:00に一斉に発売が開始され、10:10過ぎには完売になっていた。

ねぶた祭りはすごい。
いや、すごいだけじゃなくて、熱いんだ。
この場所にいられたことを、とても幸せに思う。













写真だけではねぶたのすばらしさを伝えられないのが残念。

ねぶた祭りが始まるまで 2013年東北紀行 06

午後4:30。
ゴリゴリと肌を焦がすほど強かった日差しが、やさしいオレンジ色に変わって行く。
僕たちは青森市役所入り口に開店した露店で、林檎ジュースと焼き鳥を楽しんでいた。
予約しておいた市役所前パイプイスに招き入れられるまであと1時間。時折八甲田山から鈍色の雲が流れてくるのだけど、天気予報では今夜は晴れ。

旅行先で、こういう「待ち時間」を過ごすことは、たぶん一番の楽しみ。
とりとめのないおしゃべりと、これから始まる祭りへの高まる期待と。

話の種は尽きない。

西むらで食べたつがる定食。

青森湾、夏色の海。
ビーチリゾートの美しさはなんども見てきたけれど、青森の海は、気持ちを鷲づかみにするなにかがある。

アスパムの前で記念写真を撮る両親の姿。


ねぶた団地で、光が入る前のねぶたの彩りに驚き。


母が希望していた善知鳥神社を参拝。
ワ・ラッセの前で津軽三味線ライブを楽しんだ後、少し疲れが出た両親を休ませるため、駅近くのドトールで休憩。

そのあと、青森市役所まで流れてきた。
市役所近くで女子高生を呼び止め、金魚ねぶたを3個買い求めた。
それぞれのカバンにつけると、シャランシャランと涼しい音を立てる。

奥州街道から車が追い払われると、遠くからねぶた囃子が近づいてくる。
魂の震える祭りはあと少しで始まる。



神保町 酔の助で飲んだ翌日。

晴れ、時々曇り。32.5℃/25.8℃/62%

朝晩は涼しくなったけれど、日中は戻り残暑が結構キビシイ。
明け方、脂汗がうなじに張り付いていて、その不快さで目が覚めた。
昨夜の深酒が影響したにちがいない。

僕は元同僚二人と月一度飲み会をしている。
三人共通の嫌いな上司の名前を採って「○○○会」、略して「○○○」と呼んでいるそれを、僕らは結構楽しんでいる。店の手配は当番制で、昨夜はねーちゃんが神保町の居酒屋の席を取った。酔の助(よのすけ)……店頭に大きな提灯を掲げた創業31年の居酒屋。古ぼけた、饐えた昭和のにおいのするその店は、徹底的におっさんの世界そのものなんだけど、ガンダーラ古代岩塩ピザとか変に小洒落たメニューもある。4時間、ガンガン飲んで、ガンガン食べて、一人3500円程度のお値打ち価格。たまにはこういう場所に沈んでいるのも悪くないぞ。


仕事の話、学生時代の恋バナ、噂話、そんな話で盛り上がって、あっという間にラストオーダーの時間になってしまう。彼女は僕が元勤めていた会社に今いるそうで、元同僚たちの名前がちょっと懐かしかった。あの会社に戻りたいとは思わないけどね。


高千穂以来のトイレの箴言?
やっぱ、あれを松茸の露って表現するのか~(w

酔の助からの帰り、なんかめんどくさくなってしまってタクシーで帰宅。
最近はビールがあまり得意じゃなくなって、というか、ちょっとアルコールが過ぎるとお腹が緩くなってしまう。23時台の酔客を詰め込んだ電車の中で、遠い遠雷のように低く唸り声を上げる大腸にビビって、歩くのがめんどうになったんだ。

明けて土曜日。
ちょっと二日酔いが残ってだるい身体を引き摺って歯医者へ。
定期メンテナンスはあと一回で終わるそうなんだが、麻酔を打たれるときだけは気が滅入る。
帰宅したら、母親が甥姪が使っていたおもちゃを水洗いしていた。
夏が終わるんだなあ。