立佞武多の館から斜陽館へ 2013年東北紀行 11

五所川原市内をふたたびスカイラインで走る。

巨大ねぷたが衰退したのは、大正時代に電気が普及し、野放図に架線された電線に引っかからないように小型化されてしまったせいだという。そして戦後2度の大火で街が全焼し、設計図、写真が消失し、巨大ねぷたは「失われてしまった」のだという。
もし、1993年に当時の設計図と写真が発見されなかったら、もう二度と僕らの目の前に巨大ねぷたが現れることはなかっただろう。
文明化の恩恵のおかげで生活は便利になったものの、文化や伝統が衰退してしまい、町の活力が失われてしまった。その電線を片付けて、町の伝統を復活(再創造)させたら、町に活気と誇りが戻ってきた……町を復興させるヒントは身近なところに転がっているのだな。そんなことを思わずにはいられなかった。

程なく金木町の斜陽館に到着した。
太宰治の生家だ。
一代でよくもこんな財をなしたものだ、やっぱり金融業か~。

巨大な土間が印象的。広大な屋敷の床は、顔が写るほどピカピカに磨き上げられ、うっかりすると滑って転びそうになるほどだった。内部は和洋折衷の作りで、昔の豪商の屋敷によくあるタイプ。

太宰治についての資料が並べられていたが、う~ん、アカンやつよ。


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