スタジオジブリの「熱風」を読んでみました。

いま話題になっている「熱風」を読んでみました。
宮崎駿の文章だけ載っているのかと思ったら、pdfファイルには宮崎駿、鈴木敏夫、中川李枝子 (この人は誰だろう??)、と高畑 勲の4人の寄稿が収められていました。

子供の頃に戦争体験をしている方々ですから、その時代に直面した困難や、いろいろな想い、実際に「現場」を目撃してこられたことについては敬意を払いたいと思います。そして、世界的に著名なクリエーターが「憲法改正」について声を上げたという文章を、ひと通り読ませていただきました。

戦争を知らない世代が戦争を語るのもリアリティがないけれども。
憲法九条が日本に平和をもたらし、憲法九条があれば世界平和が訪れると信じることも、ほとんどリアリティがない、というアタリマエのことしか僕には思い浮かびませんでした。
大東亜戦争敗戦後、約70年間日本が戦争に巻き込まれずに済んだのは、ざっくり言えば約70年間覇権国家だったアメリカの利害関係と一致していたから、だけだと思います。アメリカの押し付けとも言われる現行憲法という建前があったから「戦闘兵力」として自衛隊員を戦地に送らずに済みましたが、例えばアメリカ軍が引いたあとのフィリピンが、チャイナ共産党の侵略に苦しんでいることと同じ事が、日本でも起こっても不思議じゃありません。というか、日本が領土的に現在の形を保っていられるのは、自衛隊の戦力以上にアメリカ軍のプレゼンスが大きいことは言うまでもないでしょう。

ジブリの3氏は、それぞれ日本の風土の美しさを讃えています。
僕も本当に美しい場所だと思ってます。

 「日本には美しい森林もある。自分の国は自分で守るという考え方もあるでしょうが、平和憲法を持ち、森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか。そこへ侵略する国があったら、世界の非難を受ける時代でしょ。現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです」。

鈴木敏夫さん、それはあまりにナイーブな夢ですよ。
いま日本が直面している国際問題って、朝鮮半島と支那の「侵略」なわけですよ。
支那共産党は尖閣諸島を「核心的利益」と指定し、それはチベット侵略やウイグル人弾圧と同等の「静かな宣戦布告」を受けているわけで。朝鮮半島の二国は日本を「敵国」といい、軍事衝突の準備を進めているわけで。「殺す気まんまん」の敵に「平和憲法を持ち、森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか」って訊いてみ? 薄ら笑いとともに撃たれて終わりだと思うよ。

それからね、「侵略する国があったら、世界の非難を受ける時代でしょ」って、世界的に影響力のあるスタジオ・ジブリが、支那のチベット侵略について抗議の声を上げているという話、僕は聞いたことがありません。チベットを見捨てておいて、日本だけが世界に救われると考えているとしたら、それは大したファンタジーの世界だと思うんです。

心のなかの原風景…に近いものは、ジブリの3氏は多分既に映像にしていますよね。それはトトロの武蔵野台地であったり、パズーが働くスラッグ渓谷の鉱山の町だったりとか。人間関係が濃密で、男は男らしく、女は女らしく、大人は大人らしくという「まとも」な風景。
でも「個人主義」が尊ばれるようになった現代では、人間関係は希薄になり、例えば町を守るために男たちが武器を持って立ち上がる、レジスタンスになるということはなかなか考えにくい。一人ひとりは弱いから、だから「国家」という器に頼る。そして国家は精神・伝統的な一体感は別として、「法によって規定され、法によって動かされるもの」なんですよね。ここが崩れて法治国家じゃなくなったら、それはたぶんなにか違う集団になってしまう。それこそ暴力が幅を利かす混沌の集団にね。

宮崎氏は文中で面白いことを書いているんですよね。

 「もし本当に戦火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考えて、憲法条項を変えるか変えないかはわからないけれど、とにかく自衛のために活動しようということにすればいいんです。立ち上がりは絶対遅れるけれど、自分からは手を出さない、過剰に守らない。そうしないと、本当にこの国の人たちは国際政治に慣れてないからすぐ手玉に取られてしまいます。もし戦争になるとしても、そのほうがまだましだと考えます。」

宮崎駿氏個人の考えですから、僕がそれを変えさせる気はありません。
ですが、彼の主張とは異なって、日本が法治国家である以上、戦火が起こった時に憲法条項を変えようとしても、時間的に間に合わない。そんなことはまともな感覚のある大人ならば誰でもわかる。
そして「とにかく自衛のために活動しようということにすればいいんです」というのは、要は超法規的にゲリラ戦でもやればいいという主張にしか見えません。それは…無法、無法者ですよ。そして僕が知るかぎり、「事ここに至って、超法規的な措置も仕方ない」と違法行為で居直るのは、サヨクと呼ばれる集団のやり口でしたね。

「国民の生命と財産を守る」義務を負う国家(政府)の立場からすると、「立ち上がりは絶対遅れるけれど」たくさん人が死んでもいい、といった状況を放置するわけにはゆかないのです。宮崎駿さん、「立ち上がりは絶対に遅れて死ぬ人のリスト」にあなたや、あなたが大切だと思う人が入っているかもしれないことを受容した上で、「立ち上がりが遅れてもいい」と言うのでしょうか。あるいは「法」を逸脱して場当たりに対応すれば良いと考えているのでしょうか。

高畑勲氏は、こんなことを書いていますね。

 「…紛争は平和的手段で解決しなければならないと考える全世界の人々の力を結集するためにも、憲法第九条は大変大きな旗印になると思います。要するに、日本のなすべきさまざまな国際貢献を貫く中心理念として、憲法第九条を常に積極的にアピールしていくべきだと私は思います。
 ですから私は、憲法第九条という、世界に向かって掲げたこの素晴らしい理想の旗を絶対に降ろすべきでない、と確信しています。そして現状を憂え、イラクからの自衛隊の撤退はもちろん、いかなる武器も輸出せず、平和憲法を維持すべきだと思います。そして、その精神を内外に明らかにし、戦争をしないで済むように外交と真の国際協力を発展させ、国際間の問題を平和的に解決するために、最大
限の知恵と努力を持続する外交的手腕に長けた政権が日本に生まれることを切望しています」。

この寄稿は、九条の会での講演が元になっているのだそうです。
それを知ればさほど驚くことではないのですが、「平和憲法を維持すべきだと思います。そして、その精神を内外に明らかにし、戦争をしないで済むように外交と真の国際協力を発展させ、国際間の問題を平和的に解決するために、最大限の知恵と努力を持続する外交的手腕に長けた政権が日本に生まれることを切望しています」という彼の主張、この空虚さが敗戦後の日本を迷走させてきた原因の一つではないかと僕は思うのです。それ、具体性がまったくありませんよね。

外交とは、別にベタベタ慣れ合うことだけじゃないはずです。

「町内会感覚外交」「ホームルーム感覚外交」の慣れ合いが通用すれば、それは幸せな世界なんですけど、現実はもっと残酷ですよね。

ジブリの3氏が戦争を体験してきた世代なら、僕は校内暴力が一番ひどかった時代に、市内で一番荒廃した中学校で3年間を過ごした経験があります。そこで「生きる」ためには、相手を殴ることはなくても、相手が殴りかかることを抑止するくらいの「腕力」は必要でした。あるいは、誰かがいじめられそうになったら、それを抑止するための「集団的暴力装置」は必要で、それに参加できないものはいじめられるか、一匹狼になるしかありません。一匹狼で生きてゆくには、強力な腕力が必要となるわけですけどね。学校なんて「教師」という暴力装置が備わっているはずでしたが、その暴力装置が十分に機能していない時は、子どもたちは自分たちの力で、必要悪かもしれませんが「力」で対抗しなければならない監獄の中の獣たちでした。でも、それって今の「世界」でも大して変わらないんじゃないですか??

日本として、領土拡張の野心のために軍事力を行使することはない。
だけど、我が国の主権を脅かすものを排除するためには軍事力を行使する。
また、同じ価値観を持ち、同盟関係があり、また、国民代表が認めた場合に限り、世界的平和を実現するための集団的自衛に参加する場合がある。

という法制度を作っておくことが、逆に戦争抑止の手段になりうると、僕は考えています。

高畑勲さんが、安倍晋三氏をまるでキチガイの独裁者のような「危険人物」と書いていますね。僕はちょっとひどいなあと感じています。安倍首相が提唱しているのは、憲法96条の「発議」の要件を両院の2/3から過半数にしようということで、その後の国民投票の過半数の信任を得て、憲法は改正されるということです。議会の賛成だけで憲法が改正されるわけではないことは、ちゃんと言うべきです。

「改憲条件の三分の二を半分にしてしまえば、あら不思議、あとはいつでも過半数で自在に条文をいじれるではないか。こいつは名案だ。いつやるか、今でしょ!」

高畑さん、悪意のある嘘をばらまくのは一人のオトナとして良くないですよ。
「いつでも過半数で自在に条文をいじれる」わけじゃないんですから。

僕が高畑さんに同意できるのは「いつやるか、今でしょ!」ということだけかな。
宮崎氏は自衛隊について「今までこれだけ嘘ついてきたんだから、つき続けたほうがいいと思ってます」と言いましたね。産業構造変換の提案は悪いことではないですが、支那共産党の膨張主義によって周辺国が侵略されている事実について目をつぶって、「中国が膨張しているのは中国の内発的な問題です」というのは、あまりに無責任な姿勢というか、憲法改正からの目眩ましですよね。

憲法を改正するにしろ、しないにせよ、支那共産党と朝鮮からの「静かな侵略」を受けている現在、国民が考えるタイミングは「いつやるか、それこそ今でしょ!」と僕は思います。「今までこれだけ嘘ついてきたんだから、つき続けたほうがいい」んじゃなくて、ちゃんと考えるのは今でしょ! いい大人が「砂に頭を突っ込んでいれば、危険から逃げられると信じているダチョウ」じゃないのだから。

ジブリの3氏が憲法改正に反対なのはわかったけれど、憲法を改正したらどうだ?と提案している政治家に対し、高畑氏の文章の最後のあたりは中傷スレスレ。クリエーターならば、少なくとも「作品」で勝負すべきで、相手の出してきた「作品」を人柄で中傷してみせるのは三流以下であることはわかっているはずですよね。

美しい自然に恵まれた日本が長く続くことは、僕も心から願っています。
でも、そこに至るまでの考え方は、3氏と僕は少し異なっているようです。

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