戦艦三笠と横須賀・横浜 (前編)

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三連休の最終日、思い立って横須賀まで行ってきました。
前日にこの映像を見たからなんですけどね。



もともと一人で行く予定だったんですが、最近ネトウヨ化しつつある母親が、自分も行ってみたいという。それでは電車で行くのを止めて、クルマを出すことにしました。
湾岸高速・横浜横須賀新道ともに渋滞はなくて、自宅から90分ほどで三笠記念公園に到着することができました。三笠に向かう人よりも、猿島行きの船の方に人が群がっていて、僕はちょっと苦笑してしまったのですが。

陽炎の中に巨体を休めている戦艦三笠のデッキに立った。
チーク材の張られた甲板は、靴底越しにやさしい感触を返してくる。
函館で見学させてもらった護衛艦「きりしま」と「さざなみ」の鋼鉄の甲板とはちょっと異なっている。生まれが英国の造船所だからなのだろうか? 極東の小国には大型戦艦を建造する技術がなく、なけなしのカネをはたいて外国に建造してもらった戦艦だ。

たまたまボランティアガイド氏が説明を行っていたので、そのあとについて船内を巡る。映像にもあった船体横から突き出している副砲は、四角い窓から遠くの敵をにらんでいて、その足元には煮炊き用の洗い場の跡があったりして、NHKはかなりリアルに映像を作り込んだんだろうなあと思ったよ。

東郷平八郎や秋山真之らが指揮していたブリッジに立ったあと、船内の歴史資料を見学していった。有名な「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という電文や、セオドア・ルーズベルトを感銘させたという「古人曰ク勝ツテ兜ノ緒ヲ締メヨト」で締めくくられる聯合艦隊解散之辞の原文を拝見させてもらいました。












大東亜戦争敗戦後、進駐してきた連合軍にめちゃくちゃにされた三笠は、現在僕らが目にしているのは復元作業が行われたもの。戦争に負ける屈辱というのは、そういうことなんだよな。

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