最近思うこと(2) 貪欲に、がむしゃらに生きてゆくこと。

「生きてゆくために必要な、最低限の知恵・知識」って、どのくらい必要なんでしょうかね。僕にはさっぱり見当もつきません。でも、リストアップしてゆけば、かならずある範囲の知識量は特定できるんじゃないかと思ったりもします。それにプラスして、個人ごとの事情に応じて+αしていけば良いのじゃないかと。

「生きていることに鈍感」

じゃあ、その対極はなにか?

「生きていることに貪欲」


「生きていることに貪欲」というフレーズと共に、昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を連想しました。香川照之が演じた岩崎弥太郎って、あれは「生きていることに貪欲」の一つの形でしたね。もちろんドラマ上の演出でしたし、岩崎家からは不快感が表明されたとも言われていましたが、映像の中の弥太郎は生きることには貪欲な漢でした。

あのドラマ放映中は、福山雅治の坂本龍馬と、佐藤健の人斬り以蔵がやたら人気でした。坂本龍馬はビジネスマンの英雄です。そういえば、孫正義の尊敬する人物も坂本龍馬でしたね。孫正義は、確か自分を坂本龍馬になぞらえて、芝居を打ったりしてましたよ。おかしいなあと僕は思います。だって彼のやっていることは、坂本龍馬よりは岩崎弥太郎なんですから。ユニソン・ワールドから始まって、携帯キャリアを手に入れ、自然再生エネルギーでボロ儲けするために政治に手を突っ込んで……いまじゃ立派な政商です(w。

孫正義の生き方は岩崎弥太郎タイプであるというのは、貶しているんじゃないんです。むしろなりふり構わず、貪欲に生きた結果がいまの孫正義であるということですから。孫正義が坂本龍馬かと言うと、少なくとも僕はちがうと思います。彼氏よく「志」を口にしますが、別に志が先になければビジネスが成立しないわけじゃありません。孫正義の心のなかの「志」と、彼が口にする「志」が別物であっても、なにも不思議じゃありません。それは外部の殆どの人には検証不能です。そして、それは責められることでもありませんね。

は、さておき。

坂本龍馬は行動力のある人物だったようですが、今現在のサラリーマンたちが「志云々」と坂本龍馬を語り合ってみても、それは竹林の七賢の清談に過ぎないのかもしれません。こんなことを書いている自分にもダメの烙印が押されているわけですが、今の日本人はカッコつけて「志がァ~」とか寝言を言ってる場合じゃないんですよね。あるいは「誰かが何とかしてくれる」という他人任せに流される生き方でもない。

僕らに欠けているものは、がむしゃらに生きること、生きることに貪欲であること、なんだろうと思います。

続く。

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