「朝日新聞」という淫夢から目覚めて

日本の座標が動いたような気がしました

エレンが叫んだ時、座標が変わって巨人が巨人に襲いかかるシーンがありましたね。
8月初旬に始まった朝日新聞の「吉田清治証言」に基づく記事の撤回と、東電福島第一原発所長「吉田調書」のねつ造(あれがねつ造じゃなければ、悪質な印象操作)をきっかけに、日本人が忌む「穢れ」の座標が朝日新聞に移ったような印象を受けています。

朝日新聞が「吉田清治証言」に基づく済州島での女子強制連行の報道を正式に撤回し、「吉田調書」では、朝日新聞がどのように事実をねじ曲げ、彼らがマスメディアに成り済まし悪質な世論誘導をしていたのかが白日の下にさらされ、戦後の歪みの原因が次々に暴かれていることは、正直痛快というところ。モヤモヤとしていた「アサヒ的」偽善と不誠実は、いずれ糾弾されねばなりませんから。

この件について、いろんな方々の意見を読みました。
「元朝日新聞編集者で、反骨のジャーナリスト」って肩書きだけで「おまえ、どんだけ厨二病なん??」と失笑してしまうわけですが、「袋だたきの朝日新聞!リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か」という記事の中で、彼はこういう主張をしています。

『ところが日韓関係の悪化を、朝日新聞の責任と追求する学者グループや産經新聞によって、今日の課題として引き戻された。

 朝日新聞は追い込まれ、その状況が、虚報を訂正する腰を重くした。記事を巡る攻防は、朝日に非があったが、メディア状況を俯瞰すると、ことは政治性を帯びてくる。

 慰安婦問題は、日本の戦争責任をどう見るか、という歴史認識と密接につながっている。

 (中略)

 日本国憲法の精神を掲げる朝日新聞と、憲法改正を叫ぶ勢力の対峙が「慰安婦問題」に投影した。緊張関係は安倍晋三氏が自民党総裁になって一段と高まった。

 野党が無力化したいま、安倍首相が進める政策の抑止力は「世論」が担っている。国会議員の過半数で改憲を発議できるようにする憲法97条改正が頓挫したのも、憲法9条の空洞化を促す集団的自衛権に「厳格な制約条件」が付いたのも、世論の力によるものだ。

 野党が抵抗勢力の時は国会対策が重要だった。いま政権はメディア対策に力点を置くようになった。メディアが権力を監視するのではなく、権力がメディアを監視する時代である。

 (中略)

 こうした状況が朝日の内部に「自分たちが頑張らなければ」という使命感をかき立ててきた。見る人によっては「独善的」であり「鼻持ちならないエリート感覚」と映る。政治の右傾化が朝日の編集局を頑なにしている。』


わかる?
彼がこの主張に異常さを感じていないところ。
これは元朝日新聞編集者をもってして、独善的で、世論から遊離していることが全く分かっていない良いサンプルなのだよ。そして、自分たちの異常が分からず、世間から反発を受けているのに、それを「政治の右傾化が朝日の編集局を頑なにしている」と責任転嫁するところなんて、韓国人の主張とそっくりじゃないですか。だから朝日新聞は蛇蝎のように嫌われるのだよ。外部要因が問題じゃない、この人は朝日新聞の中身が腐っていることが分かっていない。

彼は「権力に対抗するのは、いまや世論だけであり、そして権力がメディアを監視する時代になった」と嘆いているけれど、実際は彼らが操れると驕っていた世間によって打ち倒され、国民(市民じゃないところに注意ね!)から朝日新聞は葬式を出されようとしている。すべては身から出た錆だ。

彼はね、「リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か」と問うているけど、日本人は分かってしまったのだね。
「リベラルメディア」というものが毒入り餃子に匹敵するほどの品質の悪いものだということを。

というか、「リベラル」という「民主主義」「言論の自由」「平和主義」「非武装中立」「戦争を繰り返さない」「アジア諸国民との和解」を主張していた集団の中心的な存在朝日新聞が、毒入りのとんだ「偽装食品」だったわけで。

BLOGOSに掲載された「死もまた社会奉仕--「朝日新聞的なもの」の葬送を喜ぶ 」の中でも、座標が変わったと思わせる象徴的なフレーズを見かけたんだ。

『ばかばかしい脳内のイデオロギーや思想にとらわれず、現実を直視し、その中で格闘する人をたたえる社会に日本はゆっくり動いている。いわゆる社会に迷惑をかけた「サヨク」が力を失っている。そうした「サヨク」を支えた存在の朝日新聞が自滅したのだ。これは日本にとってプラスになるだろう。必要のないものは、適当な時に去りゆき、新陳代謝を進めなければいけない』

わかる?
右翼、左翼という政治主張や信条と捉えてもらえなくて、サヨクはもはや「迷惑な人」扱いです。

阪神淡路大震災で、東日本大震災で泥まみれになって働いた自衛隊を見て、僕たちは現実を直視するようになった。「リベラル」な民主党の枝野が隠した海保に衝突を繰り返す中国漁船の映像を見て、僕たちは危機感を抱いた。朝日新聞を中心とするどう考えてもおかしい主張を繰り返す「リベラル」は、敗戦後のモラトリアムが微睡んでいた長い長い淫夢だったのだろうね。

これを右傾化と言えば、右傾化かもしれない。
でもそれって、例えれば、どちらの方向に向かったとしても、北極点から一歩でも踏み出せば「南下」なわけで。
むやみに「右傾化」を言いつのるのも、立派なレッテル張りだ。

あとは、どこで振り子の振れを止めるのか、その知恵が求められてるんじゃないかな。

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