Bashの脆弱性を試してみた

晴れ。28.0℃/20.2℃/34%

湿度の低い、快適な秋晴れの一日だった。
朝、駅までの道を歩いていると、あちこちの家からバグパイプの音色が流れてきた。
「マッサン」第一回を観ている人、結構多いんだね。

Unix系OSの標準ShellであるBashに深刻な脆弱性があるとか話題になってる。
帰宅してから、Rails構築を楽しんでいるCentOS7で確認してみた。

# env x='() { :;}; echo vulnerable' bash -c "echo this is a test"
this is a test
# bash -version
GNU bash, バージョン 4.2.45(1)-release (x86_64-redhat-linux-gnu)

とりあえず、大丈夫っぽい。

Mac OS Xだとどうかな……。

$ env x='() { :;}; echo vulnerable' bash -c "echo this is a test"
vulnerable
this is a test
$ bash -version
GNU bash, version 3.2.51(1)-release (x86_64-apple-darwin13)

あかんですやん!! \(^o^)/

railsのモデルを削除したい時は

晴れ。27.0℃/17.6℃/53%

木曽の御嶽山は噴火中だってのに、関東は本当に穏やかな秋の一日だった。
金木犀の香りが二階の部屋まで忍び込んできていて、リラックスさせてくれる。

日曜日だというのに、慌ただしい一日だった。
午前中、両親が破壊した照明器具の、二部屋分交換作業を実施。
いまでは蛍光灯よりもLED照明が主流らしいけれど、8畳間に3800ルーメンの明かりが適切なのかどうか確証がないまま、パナソニック製の照明を買って取り付けてみた。これが大正解。いい塩梅とはまさにこのことと言わんばかりの、明るすぎず、暗くもなくという仕上がりに大満足。

午後はRailsのコードを書き、夕方はフィットネスクラブで身体を動かす。
クラブからの帰りに総菜屋によって晩ご飯のおかずを買い、簡単な夕食を済まして今に至る。

さてと、続きのコード書きをしないと。

$ rails generate model hoge hoge:sring
で作成したモデルは、次のコマンドで削除できる。

$ rails destroy model hoge

データベース上にテーブルを作ってしまった場合は、テーブル削除用のマイグレーションファイルを作成するよりも、とっととデータベースのコンソールを叩いてDropしてしまった方が早い。

今日のワンポイント。

Is 'The Economist' a racist newspaper?

と、感じる記事があったので記録しておく。

「安倍氏率いる自民党の右派の面々は(またしても)、慰安婦に関する日本の責任を認めた1993年の政府見解を修正するよう求めている。帝国陸軍による売春強要に関する広範な歴史的事実が変わっていないにもかかわらず、だ。」

これね、イギリスのエコノミスト誌は日本人に対するレイシズムの感情を抱いているのだなあと思ってしまうわけだ。

今回問題視された朝日新聞の虚報は、事実をねじ曲げる、裏付け取材もせずに印象論で記事を書いてそれがでたらめだったことが批難された。

エコノミスト誌の主張は、『総数がおよそ20万人で、その4分の3が「慰安婦」として受けた蛮行で死亡』という韓国人の主張を丸呑みしているのではないか? 韓国と言えば、セウォル号の沈没で約250人の高校生が亡くなって蜂の巣をつついたような騒動になっている。同じ世代の女性が「強制連行」されたとして、20万人の縁者が抗議すれば軽く40万人以上の騒乱となり、朝鮮半島独立運動に突き進むくらいの事件になっただろう。でも、そんな記録はどこにもない。当時の報道にもないはずだ。朝鮮独立をめざす活動家との衝突はあってもだ。連行された20万人の従軍慰安婦と、その縁者からなぜ証言が取れないのか?なぜ当時の記録が残っていないのか。まともな判断力があれば、韓国人の主張には疑問符がつくはず。

それでも欧米人が「広義の強制性」と言うならば、いったん引いて調べ直してみてはどうか?

太平洋戦争中の慰安婦の扱いについて、結局みんながみんな印象論で語っているのが問題だと思うのだよ。欧米人にとって奴隷と言えば、大西洋三角貿易でアフリカから手鎖つけられてアメリカに売られた気の毒な人たちのことをイメージするだろう。言うまでもないが、アフリカ人奴隷の売買にヨーロッパ人が関わっていたことは歴史的な事実だ。また、韓国人が「従軍慰安婦はナチスのホロコーストと同じ犯罪」と言えば、クリスタルナハトのあと、強制収容所に閉じ込められたユダヤ人を連想するだろう。

だけど、ちょっと想像してみよう。
ビビアン・ウォードは性奴隷だったのか?
もちろんフェミニストあたりの視点からは、金持ちの男たちに性を搾取される哀れで気の毒な被害者奴隷、となるだろうね。もちろん、映画の結末が金持ちの男と巡り会ってハッピーエンドってことはどうでもよくて、彼女なりにしたたかに生きていたということが重要。そりゃあ売春などせずにセレブ生活出来ればハッピーだろうが、売春をどう考えるかは宗教・文化によってとらえ方は変わるが、割り切って仕事にしている人はいる。

金学順が証言しているように、彼女は親によって二度も売春宿に売られた。
親に売り払われたことはとても気の毒だと思う。
だけど、国家犯罪としての女性誘拐と、親と女衒が結託して発生した人身売買の問題は次元の違う話だ。金学順の親と、女衒がしでかした事件の責任まで、当時の日本政府におっかぶせるのはどうかと思う。人身売買の悲劇は過去にあったし、現在のアジアにもある。それは貧困から生じた悲劇だ。ところで、売った親の責任はなぜ問われないのか?

韓国には性奴隷にされた20万人の韓国人女性がいるという。
この問題が発生してから32年が経っていて、なぜ欧米のまともなメディアや研究者は韓国に入って活動家以外の女性に当時の事情をヒアリングしなかったのか。慰安婦を仕事にした人たちには、それぞれの事情があったはずだ。それもせずに日本人にレッテル張りするエコノミスト誌は、朝日新聞並みのレイシスト新聞だと認識されたってしかたないだろ?

この問題については、「実際のところ、当時はどうだったのか?」という冷静、客観的、かつ具体的な研究をしなければ正しい判断は出来ない。調査報道もせずに、紛争当事者片方だけの意見を元に記事を書く新聞は、ただのプロパガンダペーパーだ。

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日本のメディア:朝日新聞の醜聞

2014.09.26(金)  The Economist

(英エコノミスト誌 2014年9月20日号)

一連の誤報が、日本の有力紙に打撃を与えている。

一部の世界では、ジャーナリズムの教義の1つに、3つの事例があれば信頼できる記事になる、というものがある。日本の左寄りの有力紙で730万部の発行部数を誇る朝日新聞は、3度目の恥ずべき記事撤回の後、自社の評判を懸けて戦っている。

 朝日は9月14日、ゲーム会社、任天堂の社長とのインタビュー記事をでっちあげたことを認めた。8月と9月には、より重大な2つの記事を撤回している。1つは、戦時中に日本軍が「慰安婦」――売春を強要された女性――を利用していたことに関連する記事。2つ目は、2011年に福島第一原子力発電所で起きた大惨事に関するものだ。

 懸念されるのは、体制志向の大手日刊紙の中で最も主張の強い朝日新聞が今後、手加減するようになることだ。
慰安婦記事撤回の波紋

 日本の雄弁な右派は、朝日の恥を見てほくそ笑んでいる。保守派の雑誌は何カ月にもわたって、戦時中の性の奴隷のテーマについて朝日を叩いてきた。1980年代以降、朝日新聞は元帝国陸軍軍人の吉田清治氏の証言に基づく記事を十数本掲載した。吉田氏は1943~44年に韓国の農村部で、自分がいかにして陸軍の売春宿のために女性を連行したか説明した。

 吉田氏の説明はすぐに疑問視され、1997年に朝日新聞は同氏の証言を裏付けることができなかったと報じた。元朝日新聞特派員の水野孝昭氏は、当時、記者たちはそれが何を意味しているのか十分に分かっていたが、「読者には明確な説明がなかった」と言う。

 朝日新聞の上層部は、記事の作成に関わった記者がすでに退職した今頃になってようやく、真実を告白した。9月11日には経営幹部がテレビで謝罪した。編集担当幹部も解任された。その後、安倍晋三首相までが割って入り、朝日新聞は世界に向かって慰安婦に関する誤報について説明すべきだと述べた。

 安倍氏率いる自民党の右派の面々は(またしても)、慰安婦に関する日本の責任を認めた1993年の政府見解を修正するよう求めている。帝国陸軍による売春強要に関する広範な歴史的事実が変わっていないにもかかわらず、だ。

 福島第一原発での出来事に関する朝日新聞の誤報は、もっと微妙なものに見える。5月に同紙は、パニックに陥った作業員が命令に背いて、損傷した原子力発電所から逃げたと報じた。だが実際は、最近公表された第一原発の亡き所長の証言が強調していたように、作業員は単に指示について混乱しただけだった。

 任天堂のケースでは、朝日は任天堂の社長がオンライン上で語った発言の一部を、インタビューと偽って報道した。

 朝日の元編集主任は、朝日新聞はこれから、一連の醜聞から立ち直るのに苦労すると言う。同氏によると、さらに新事実が発覚するかもしれないし、多くの読者が購読を止める可能性もあるという。

 右寄りのライバル紙の読売新聞は、すでにこの機に乗じている。世界一の発行部数を誇る読売新聞(920万部)は朝日新聞の購読者に対し、慰安婦に関する朝日の誤報を列記し、購読を切り替えるための専用回線を知らせるパンフレットを配布した。

 朝日の罪は、新聞に対する信頼の最後の砦の1つである国で起きた。日本人は地元の政府関係者や裁判所、警察よりも新聞に大きな信頼を寄せている。このインターネットの時代においてさえ、主要新聞紙はまだ読者の郵便受けに届けられている。

 東京大学の林香里教授は、日本の国民は新聞を、国と社会に忠誠を尽くす存在と捉えていると指摘する。それが支配者層に対するメディアの従属を助長する。
他紙より大胆だった朝日、これから臆病になるのか

 それでも、朝日は他紙よりも大胆だった。同紙は長年にわたって、大きな政治スキャンダルを他紙より多く報じてきた。やみくもに記者クラブ制度を守ったわけでもない。記者クラブ制度では、メディア自身が、省庁や他の公的機関に対する他の(承認を得ていない)ジャーナリストのアクセスを制限することに一役買っている。

 今月、昭和天皇の生涯を記録した実録が公表された時には、国際的な関心が高いにもかかわらず、宮内庁は同庁記者クラブだけに資料を配布した。朝日新聞の慰安婦の記事も福島の報道も、記者クラブを頼ったものではなかった。

 これから朝日新聞はより臆病になるかもしれない。実際、一連のスキャンダルは、自己保身を気にかける典型的な日本企業や政府機関の上層部の行動を示唆している。

 朝日新聞が慰安婦の記事が間違っていたことを認めるまでにこれほど長い時間を要した大きな理由は、最初に記事を書いた記者が出世街道を歩み、権勢を振るっていたからだ。記者も結局は、役人とそう変わらないのだ。
© 2014 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved.

BL漫画レビュー:キヅナツキ『雪村せんせいとケイくん』

うーむ、定広美香「サーフジャンキー」のアクセスが続いているなあ。
ヤマジュンとか、チムドンドンほどのインパクトはないと思うのだが……。
今度、定広美香祭りでもやってみようか??

は、さておき。
最近の絵が巧い系BLの一冊”雪村せんせいとケイくん”をご紹介。

「ウツクシイ」と評判の、雪村せんせい。確かに、大変美しくてデキる男で……しかし、若干凶暴。ケイは、そんな先生に冷たくあしらわれても、それすら糧に先生に迫りまくっていた(笑)。次第に小出しに提供されていく、甘すぎる飴のような先生のデレに悶絶しながら、何やら元カレで周囲を固めて防御してくる――魅惑のヒトをオトすことができるのか!?

MdN2014年3月号で「少女漫画のデザインに革命が起きていた。」という特集があって、川谷デザインの仕事がフィーチャーされていた。少女漫画のカバーデザインと言えば、現在もなお古い時代を引きずっている白泉社のコミックスを連想するといい。額縁の中に主人公の写真が入っているような、葬式の遺影のような、あのフォーマットが主流だった。BLでも、青磁ビブロスのフォーマットは結構影響があったように思う。今でもBBC(ビーボーイコミックス)にその痕跡は残っている。

それに比べると、「雪村せんせいとケイくん」のカバーデザインは新しいなあと思う。一般コミックスに混じっていても遜色ないし(よい子が間違って手に取るのは問題だが)、こういう淡く繊細な色使いのデザインが増えてゆくことは、すごく良いことだと諸手を挙げて歓迎したい。

で、本編はタイトルになっている「雪村せんせいとケイくん」と「シメコロシノキ」の二編が納められている。カバーと同様に、本編も端正な画風で描かれている。

27歳の美しい雪村先生にあこがれる大学生のケイくん。ケイくんはお約束通りゲイじゃないようで、むしろキャンパスでは女の子に囲まれているリア充組。3ヶ月ごとに彼女がローテーションする、半年前まではそんなヤツだった。そんな彼の姿を研究室の窓から眺めている先生。研究室といえば、ケイくん以外にも元彼が入り浸っている。




年下のケイくんに迫られてワタワタしてしまう雪村センセ。
腐女子のみなさんはさ、こんなふうにワタワタしてしまうツンデレな男の表情とか見たいんだろうなあと思う。手を伸ばせばわりと手に入るものなのに、二次元に投影されたそれだけで満足してしまっているのはもったいないな、と僕は思うが。

元彼とバイト先に飲みに来ている雪村先生を見て、「攻略方法がわかんねっつか、こんな余裕ないの初めてで……」と苦悩するケイくん。モテるイケメンがぐるぐるしちゃう様を楽しむのは、少女漫画に近い感覚。
実写化されるとしたら、雪村先生は若い頃の福山雅治……ケイくんは誰だろうね??

「シメコロシノキ」は……BLで子供と動物を使うのはやめなさいって。
無条件で感情移入しちゃうだろう!
もう、バケツの隣でしゃがんでる子供なんてやめてー (;_;)



子供をこんな風に描写できる作家は、かなりポテンシャルがあると思う。

1.絵柄
うまい。文句なく。
洗練された端正なスタイルというのはこういう作品のことを言うのだろう。

2.ストーリー
「雪村せんせいとケイくん」はわりと王道のBLなので、ストーリーに捻りはない。ワタワタグルグルするカップルを楽しむだけで十分。「シメコロシノキ」は悲しい子供時代の記憶、義兄弟、依存と独占欲が絡み合ってて深い話。こちらの方が読み応えがあるだろう。単行本化するにあたってタイトルを「シメコロシノキ」にはしづらかった事情があるのでは??

3.エロ度
朝チュンに毛が生えたレベル。BL初心者向け。

4.まとめ
手触りの良いBLマンガ。
初心者でも手に取りやすい敷居の低さが、マーケティング的勝利なのかも。
買って損はないと思う。

絵柄 :★★★★★
ストーリー:★★★★☆
エロ度 :★☆☆☆☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

Railsのフォーム画面とコントローラーについて備忘録

普通…と言い切って良いものか、Railsを学び始めた時は複数のコントローラーを使い分けることを意識していないと思う。というか、コントローラーが複数になるとどうなるのかと学習する前に挫折しているのかもしれないな。というのも、Railsでコントローラーを生成する際に、同時にいくつかのアクションも作ってしまうことが多いはず。app/views の下を覗くと、コントローラーの数だけフォルダが存在し、その中に生成したアクションに対応するビューが作られている。例えば、index.html.erbとか、show.html.erbとか。つまりコントローラーの数だけフォルダーとビューも作り分けられていて、Webの感覚だとhtdocsの下にいくつかディレクトリが切られ、そのなかで適宜htmlファイルが格納されている感じだ。

で、Railsの解説本は、最初はコントローラー1つで説明をする(もちろん読者を混乱させないようにするためなのだろうが)から、何でもかんでも1つのコントローラーに処理を書き込もうとして混乱し、挫折するんじゃないかという気がしてた。

僕もそんな感じで行き詰まっていたので、コントローラーを二つ作ってデータのやりとりしてみた。

適当な名前でプロジェクトを作り、コントローラーを2つ作る。

$ rails generate controller home index show
$ rails generate controller user show

homeにindexとshowが存在するのは、最初にhomeコントローラー内で完結する環境で実験を行ったため。本命は、home/index → user/show のコントローラー遷移とデータ表示だ。

1. config/routes.rb の設定

===ここから===
Rails.application.routes.draw do
  get 'user/show'
  post 'user/show'

  get 'home/index'

  post 'home/show'
  get 'home/show'

  # You can have the root of your site routed with "root"
  root 'home#index'
end
===ここまで===

home/show環境でも実験したため、設定中に  post 'home/show’ と get 'home/show' が残っているが、もちろん必要ない。

2. app/controllers 内の home_controller.rb と user_controller.rb の編集

home_controller.rbは次のように編集する。

===ここから===
class HomeController < ApplicationController
  def index
  end

  def show
   @msg=params[:contents]
  end
end
===ここまで===

user_controller.rbは次のように編集する。

===ここから===
class UserController < ApplicationController
  def show
   @msg=params[:contents]
  end
end
===ここまで===

home、userコントローラーでshowアクションが同じなので、ビューの設定でどちらのコントローラーでも実験が可能。

3. viewの編集 その1

app/views/home/index.html.erb を次のように編集する。

===ここから===

 <h1>Home#index</h1>
 <p>Find me in app/views/home/index.html.erb</p>

 <%= form_tag(:controller =>"user", :action => "show") do%>
   <div class="field">
     <%= label_tag 'text' %> <br />
     <%= text_area_tag 'contents','', :size => "60x10" %>
   </div>
   <div class="actions">
     <%= submit_tag "send" %>
   </div>
 <% end %>

===ここまで===

form_tag(:controller =>"user", :action => "show") はsubmitボタンをクリックされたあと、コントローラーuserのshowアクションへ遷移しろという指定。:controller =>"user", のコントローラー指定がない場合は、コントローラーhome内のshowアクションへ遷移する。

また、入力フォームエリアが小さいと使いづらいので、サイズ変更をしている。
text_area_tag 'contents','', :size => "60x10"

リファレンスによると、text_area_tag(要素名 [, エリア配下のテキスト, オプション]) で、サイズ指定はオプション扱いなので「エリア配下のテキスト」が存在しない場合は必ず ,’’, を記述しておくこと。そうでないと、例えば , :size => "60x10" が初期値として書き込まれたフォームが表示される。

4. viewの編集 その2

app/views/user/show.html.erb を次のように編集する。

===ここから===

 <h1>User#show</h1>
 <p>Find me in app/views/user/show.html.erb</p>
 <br />
 <%= sanitize(simple_format(@msg)) %>

===ここまで===

app/views/home/index.html.erbで入力されたテキストは、こんな感じで app/controllers/user_controller.rb に引き渡されてくる。

Parameters: {"utf8"=>"✓", "authenticity_token"=>”なにやらお呪いなテキスト", "contents"=>"秋深し。\r\n隣りはなにをする人ぞ。\r\n>>javasvript\r\n<javascript>", "commit"=>"send"}

実際どうなるかはあとで説明するが、<html>などのタグを直接書き込めるようにしているとセキュリティホールになり得るので、危険性を取り除くためにサニタイズして表示させている。viewファイルの中で、<%= sanitize(simple_format(@msg)) %> と記述することでタグを除去している。

simple_formatは入力された文章をそのまま表示させるために必要。単純に<%= sanitize(@msg) %> とした場合、改行コードが働かずに表示される。

で、実際、こんな感じで動作する。



Baby I Love U

8時を過ぎて、雨が降ってきた。
明日は休みだから、一瞬寄り道しようかとも思ったけれど、気を取り直して帰宅。
帰宅して、お茶を飲んでいる間に、窓の外で雨音がした。
どんどん秋が深まってゆくのがうれしいような、哀しいような。

ブログにはなかなか書けないのだけれど、コード書きはあきらめていなくて、コツコツと認証系の部分に挑戦していたりとか。進み具合は、恐ろしく前に進めていないのだけどね。
昨日は躓いて先に進めず、悔しくてよく眠れなかった。
たった今、なにが問題か分かってめちゃめちゃすっきりした。
うれしい、素直に喜ぼう。

先週金曜日に機種変したiPhone6はとても具合がいいんだ。
8月の下旬、僕の持っていたiPhone5がバッテリーリコール対象だったことを知った。
一日二度も充電しなくちゃならない生活。
JRの駅間でブチブチ切れる電波。
auの田中にだまされて苦労した2年間でしたが、先週金曜日から快適になりました。
評論家筋が酷評するiPhone6ですが、僕は機種変してよかった。

シェネルのBaby I Love Uでなごんでる。

BL漫画レビュー:おわる『純情ビッチ、ハツコイ系』

8000人のオトコと、愛のないセックスをしてきたの……

そう告げられて、ゴクリと喉を鳴らしていいものか、それとも飲んでいたワインを吹き出したらいいのかリアクションに困って、僕らは黙ってワインを嚥下した。すごいですねぇ〜とか、ウリやっていたんですか〜??とか、超絶テクニシャンですね!とホゲるには8000という数字が大きすぎて。先週、新宿二丁目のとある店のカウンターで、彼氏とワインをなめていた時の話。

売れっ子ウリセンボーイとして働きながら芸大に通う遥夜(はるや)。
同じ大学に通う中学からの親友、一志(かずし)に無自覚片想い中!
ビッチな自分の穢れた仕事は絶対にナイショ。
自分の気持ちを誤魔化しながらオシゴトに勤しんでいたのに、ある日、一志のとんでもない行動を目撃してしまい大混乱!!
悩んだ末、遥夜のとった行動は−−−。
ムッツリ芸大生×ウリセンボーイの純情(!?)ラブ (はーと)

腐女子というか、新宿二丁目に興味のある人たちの間で、ちょっと興味を引かれる話題のひとつはウリセンだろう。慰安婦と同じくらい長い歴史があって、陰間というと古すぎるが、男娼というとBL小説好きの姐さん達の間ではわりと知られているワード。10代から20代半ばまでの若い男性が、同性相手にカラダを売っているお仕事だ。
僕が二丁目に良く飲みに出ていた頃、ゲイバーの常連の数人にウリセンボーイがいた。フリーターの他、専門学校生、大学生たちで、昼間は学生、夜は男娼というギャップが萌えだった。売り物になるだけあって、モデル並みの整った顔立ちと引き締まった身体がよく目立っていた。
「純情ビッチ、ハツコイ系」では「穢れたお仕事」と表現されているけれど、僕らはウリセンを穢れた仕事と思ったことはなかったな。「爛れた性活」とは言ってたけどね。


ウリセンのお値段が消費税増税に伴って値上がりしたのかは知らないが、ナンバーワンともなると一日に3〜4人のお客を取る。店によって取り分は変わるそうだが、手取りどれくらいだろう……5、6万くらいにはなるか。月100万程度の収入があっても不思議じゃない。ごく一握りだそうだけど。大昔に聞いたナンバーワンウリセンボーイは、二丁目の近くにある有名なラブホテルに籠もりっきりで、身体を洗って髪を乾かしている暇もないほど客をとっていたとか。

ウリセン「スタードロップ」のナンバーワンボーイ「遥夜」は芸大生。
中学以来の親友の一志に片想いしている。
目覚めは中学(?)時代に一志の水着姿を見て勃起してしまったこと。
以来、届かぬ想いに悶々としながら、一志のヌードモデルをなっていたりする。
一志の方もまた中学時代から遥夜のことが気になっていた。
「なんてキレイな乳首の色なんだ…」というフェチな方面で。
そんな二人がいろいろあって、ハッピーエンド。

BLマンガの絵柄が変わってきたと何回か指摘してきたが、これはいい方向に(というか、好みの問題も含め)変わってきたパターンではないかと思う。「おわる」という名前はともかく、ぜんぜん終わっていない。Webマンガ出身だそうだが、上手に紙媒体へ適応したようだ。ボディラインの描き方、コマ割、画面全体が洗練され、美しい。
ストーリーは、低評価をつけるamazonレビューもあるが気にしなくていい。ありきたり、どこかで見たことがあるような作品、よいよい、だってこれは「BL幕の内弁当」みたいな作品だから。食べ慣れた素材が堅実な技術で盛り込まれている、しかも竹書房が発行元だからエロ度は推して知るべし。BL初心者には大変おいしい作品だと、むしろお薦めだ。


「オレ男はいっぱい食ってきたけれど…おまえだけだから
 こんなに好きなの、おまえだけだから」

いや〜少女マンガっぽくて良いわ。

1.絵柄
うまい。文句なく。
確かにアニメっぽい、かわいい系ではあるが、脱げばエロイし、乳首もばっちりよ。

2.ストーリー
ウリセンボーイ遥夜とムッツリ大学生一志のカップルの他、消防士と保父、高校生同士のカップルの3本立てとその他番外編。ストーリーはありきたりだが、絵の見せ方が上手いから楽しめる。

3.エロ度
エロイ。目の肥えた腐女子の皆様もご満足いただけるものかと。

4.まとめ
いまどきの絵柄と、かなり熟達したデッサン力を使って、よくあるお話を書き上げた感じ。少女マンガを読んでいれば分かるように、特に学園もののラブストーリーなんかに目新しさはほとんどない。キャラクター造形と見せ方で勝負しているわけであって、BLも見せ方で勝負できるのであるならば奇矯なストーリーをひねり出す必要はないという好例。竹書房リリースだけあって、エロも適切、かつ刺激的。バランスのとれたお薦めの逸品。次回作も激しく期待する!

絵柄 :★★★★★
ストーリー:★★★★☆
エロ度 :★★★★☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

au版iPhone6が快適な件。

で、運命の9月19日…なんて言うと大げさですが、僕もiPhone6に機種変しました。
apple storeでの支那人・ホームレス争乱をチェックしながら、一体どうなるのかと心配しつつ、退社後、有楽町のビックカメラに行ってきました。

正直、拍子抜けしましたね。
3キャリアともけっこう在庫あり、でしたし。
auに至っては、人気で品薄とされる6+も当日在庫ありでした。
simフリー版を巡って、支那人とホームレスの騒動は一体何だったのか。

「ぼくたちのあいふぉんをうばわないで……」

なんて言いませんけど、少なくとも支那人とヤクザの「シノギ」になっちゃいかんでしょう。

で、iPhone6ですが、当日在庫があったので16G→64Gにアップグレードしました。
18時早々に到着した時は15人待ちでしたが、その後は列がどんどん伸びて、僕に契約の順番が回ってきた18:45頃には70人待ちとか絶望的な状況に。予約なしで並んでいた人たちは、機材はあるのに手続きが当日中に終わらないという理由で帰らされていましたね。僕も手続きにトラブルがあったみたいで、50分もカウンターに立って待たされましたし。あ、そうそう。テザリングオプション無料は機種変更では延長されませんでしたよ (T_T)。今回はiPhone5の高価下取りとクーポンのおかげで、お値頃で機種変できて助かった。

カバーと保護シートですが、僕はカバーは縦開きが好きなんですが案外なくて、間に合わせで済ましました。保護シートは……自宅で貼ったら下が1mmずれてかっこわるい。

iPhone6とiOS8の組み合わせはとても快適。
iPhone5ではパケ詰まりや、JRの駅間でちょくちょく電波が切れて「オレの時間を返せ!」と怒ってましたが、さすがに今度は快適。自宅のADSLよりも高速なので、ファイルを落としたい時はiPhone経由、ADSLは低速常時接続…みたいな棲み分けになりそうだ。

apple store銀座の行列を眺めてきました。

晴れ。25.9℃/19.9℃/40%

すっかりさわやかな秋の気候になってきたけれど、少し歩くとまだ汗ばむ陽気。

今日は仕事を終えたあと、銀座のapple storeを冷やかしてきた。
明日発売のiPhone6の行列がどうなっているか気になって。

酷いもんだったよ。
僕が通りかかった時、行列の最後尾は京橋の高速道路下まで伸びていた。
その行列の半分くらいが、たぶん、転売目的の支那人とホームレスが並んでいるという異常事態。

いや、異常事態と感じているのは、すでに時代遅れか。
SIMロックフリーのiPhone6の転売目的に、人件費の安い人間が並ぶ。
いまさらapple製品のオーナーが「意識の高い層」(苦笑)とは思いませんが、転売目的の薄汚い人たちがうずくまっている光景は、まさにグローバリズムそのものの姿。

時代の趨勢だとは思うけれど、決して好きにはなれない光景だったな。

ネットで興味深い書き込みを発見。
どんな事情通なんだか???

==============================
298 :iOS:2014/09/18(木) 11:07:24.65 ID:/Be3sS1O
    第一便は9/6に横浜港に入荷済み。
    この時のiphoneの出荷台数は427000台。
    3万7千台は、販売用ではなくストック。ディスプレイ用やappleCare用のストック。

    販売用には、39万台確保されている。

    appleではそのうち19万2000台を抑え、
    softbank、au、docomoに残りは分配される。

    分配は、5sや5cの販売実績によって決まり、
    softBank枠は7万4000台
    docomo枠は8万2000台
    au枠は6万2000台

    これが初回の19日販売分である。
    気になる6/6plusの配分は、427000台のうち24万1200台がplusである。

    appleでは、9割の17万2800台の出荷はすでにヤマト運輸により出荷済みで、9/19にヤマト運輸にて配送される。

    appleStoreでは19200台が店頭販売用のストックとなる。

    そのうち11500台は直営店で扱う。
    内訳は、以下の通り。(2014/9/16 15時時点)

    銀座 1800
    表参道 2500
    札幌 1200
    仙台 1200
    渋谷 1200
    心斎橋 1200
    天神 1200
    名古屋 1200

    のこりの7700台が地方のapple取り扱い店舗に分配されるが、初回の出荷は、各店舗で6~12台しか分配されないというわけだ。

    第二便は昨日入港し、保安区にで現在手続中。3-4週間後には販売できるよう準備が進められている。

    6plusは、リチウム電池の容量が輸入規定の規格で1ランク上の手続が必要なため6にくらべて販売にまでに時間がかかる。

    これが品薄状態になるトリックの一つだ。

iPadminiをiOS8にアップデート

やってみましたが、ノートラブルで終了。
アプリ、データの欠落もなくアップデートできて助かりました。
動作はあまり違和感を感じていないけれど、データベース再構築が終わったらもう少し速くなるのかなーとか期待してます。

「朝日新聞」という淫夢から目覚めて

日本の座標が動いたような気がしました

エレンが叫んだ時、座標が変わって巨人が巨人に襲いかかるシーンがありましたね。
8月初旬に始まった朝日新聞の「吉田清治証言」に基づく記事の撤回と、東電福島第一原発所長「吉田調書」のねつ造(あれがねつ造じゃなければ、悪質な印象操作)をきっかけに、日本人が忌む「穢れ」の座標が朝日新聞に移ったような印象を受けています。

朝日新聞が「吉田清治証言」に基づく済州島での女子強制連行の報道を正式に撤回し、「吉田調書」では、朝日新聞がどのように事実をねじ曲げ、彼らがマスメディアに成り済まし悪質な世論誘導をしていたのかが白日の下にさらされ、戦後の歪みの原因が次々に暴かれていることは、正直痛快というところ。モヤモヤとしていた「アサヒ的」偽善と不誠実は、いずれ糾弾されねばなりませんから。

この件について、いろんな方々の意見を読みました。
「元朝日新聞編集者で、反骨のジャーナリスト」って肩書きだけで「おまえ、どんだけ厨二病なん??」と失笑してしまうわけですが、「袋だたきの朝日新聞!リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か」という記事の中で、彼はこういう主張をしています。

『ところが日韓関係の悪化を、朝日新聞の責任と追求する学者グループや産經新聞によって、今日の課題として引き戻された。

 朝日新聞は追い込まれ、その状況が、虚報を訂正する腰を重くした。記事を巡る攻防は、朝日に非があったが、メディア状況を俯瞰すると、ことは政治性を帯びてくる。

 慰安婦問題は、日本の戦争責任をどう見るか、という歴史認識と密接につながっている。

 (中略)

 日本国憲法の精神を掲げる朝日新聞と、憲法改正を叫ぶ勢力の対峙が「慰安婦問題」に投影した。緊張関係は安倍晋三氏が自民党総裁になって一段と高まった。

 野党が無力化したいま、安倍首相が進める政策の抑止力は「世論」が担っている。国会議員の過半数で改憲を発議できるようにする憲法97条改正が頓挫したのも、憲法9条の空洞化を促す集団的自衛権に「厳格な制約条件」が付いたのも、世論の力によるものだ。

 野党が抵抗勢力の時は国会対策が重要だった。いま政権はメディア対策に力点を置くようになった。メディアが権力を監視するのではなく、権力がメディアを監視する時代である。

 (中略)

 こうした状況が朝日の内部に「自分たちが頑張らなければ」という使命感をかき立ててきた。見る人によっては「独善的」であり「鼻持ちならないエリート感覚」と映る。政治の右傾化が朝日の編集局を頑なにしている。』


わかる?
彼がこの主張に異常さを感じていないところ。
これは元朝日新聞編集者をもってして、独善的で、世論から遊離していることが全く分かっていない良いサンプルなのだよ。そして、自分たちの異常が分からず、世間から反発を受けているのに、それを「政治の右傾化が朝日の編集局を頑なにしている」と責任転嫁するところなんて、韓国人の主張とそっくりじゃないですか。だから朝日新聞は蛇蝎のように嫌われるのだよ。外部要因が問題じゃない、この人は朝日新聞の中身が腐っていることが分かっていない。

彼は「権力に対抗するのは、いまや世論だけであり、そして権力がメディアを監視する時代になった」と嘆いているけれど、実際は彼らが操れると驕っていた世間によって打ち倒され、国民(市民じゃないところに注意ね!)から朝日新聞は葬式を出されようとしている。すべては身から出た錆だ。

彼はね、「リベラルメディアの退潮に喜ぶのは誰か」と問うているけど、日本人は分かってしまったのだね。
「リベラルメディア」というものが毒入り餃子に匹敵するほどの品質の悪いものだということを。

というか、「リベラル」という「民主主義」「言論の自由」「平和主義」「非武装中立」「戦争を繰り返さない」「アジア諸国民との和解」を主張していた集団の中心的な存在朝日新聞が、毒入りのとんだ「偽装食品」だったわけで。

BLOGOSに掲載された「死もまた社会奉仕--「朝日新聞的なもの」の葬送を喜ぶ 」の中でも、座標が変わったと思わせる象徴的なフレーズを見かけたんだ。

『ばかばかしい脳内のイデオロギーや思想にとらわれず、現実を直視し、その中で格闘する人をたたえる社会に日本はゆっくり動いている。いわゆる社会に迷惑をかけた「サヨク」が力を失っている。そうした「サヨク」を支えた存在の朝日新聞が自滅したのだ。これは日本にとってプラスになるだろう。必要のないものは、適当な時に去りゆき、新陳代謝を進めなければいけない』

わかる?
右翼、左翼という政治主張や信条と捉えてもらえなくて、サヨクはもはや「迷惑な人」扱いです。

阪神淡路大震災で、東日本大震災で泥まみれになって働いた自衛隊を見て、僕たちは現実を直視するようになった。「リベラル」な民主党の枝野が隠した海保に衝突を繰り返す中国漁船の映像を見て、僕たちは危機感を抱いた。朝日新聞を中心とするどう考えてもおかしい主張を繰り返す「リベラル」は、敗戦後のモラトリアムが微睡んでいた長い長い淫夢だったのだろうね。

これを右傾化と言えば、右傾化かもしれない。
でもそれって、例えれば、どちらの方向に向かったとしても、北極点から一歩でも踏み出せば「南下」なわけで。
むやみに「右傾化」を言いつのるのも、立派なレッテル張りだ。

あとは、どこで振り子の振れを止めるのか、その知恵が求められてるんじゃないかな。

おわら風の盆 (6) - 戸隠高原とおわら風の盆

17:00でいったん昼の踊りは終わって、2時間の休憩に入る。
この頃には八尾の町には観光客が次々押し寄せ、15時の頃にはゆっくり眺めていられた輪踊りも見物人が十重二十重に重なり合って、人の頭の向こうに踊り手の笠が見えるだけ、といった状態になった。

露天商、食べ物屋が立ち上がり、牛串、焼きそばを焼く匂いが通りに満ちてくる。
僕らは19時から始まる演舞場指定席を持っていて、お弁当を買って席で食べていた。
小学校の入り口で、再入場はできないと伝えている少女が「中の売店はしょぼいです」と教えてくれた。万が一のことを考えると外で調達していく方が安全だ。

明るかった八尾の町に陽が落ちて、演舞場の上空には半月のぶら下がっている。
虫の音が異様に大きくて、夏の終わり、台風の季節を思わせる。

おわら保存会会長の挨拶の後、各町ごとの踊りが披露される。
男踊りがやっぱり格好良くて、しかも「四季のポーズ」は月影ベイベじゃわからなかったところ。踊り手がひとりずつポーズを変えて、順々に動きを止めて行く様は胸躍らされる。静止状態がつらくなると身体がぐらつくことがある。「がんばれー」という応援が各所で上がるのもまたほほえましかった。

この調子で夜の部も堪能したかったが、父親の限界が来た。
20時、「そろそろ帰りたい」と言う。
心残りだったが、会場を出るとすぐ近くにタクシー乗り場がある。

タクシーに乗ってクルマを止めさせてもらった八尾総合病院をめざした。
駐車場の周囲には路上駐車、空きスペースを探すクルマで溢れていた。
スポーツアリーナから八尾町に向かうシャトルバスは、乗車までに1時間待ちという混雑ぶりだそうだ。ドーミーインをめざしてスカイラインを運転しながら「凄くよかったけれど、なかなかキツかったなあ」と思わず漏らした。

翌日は自宅に向けて450kmのロングドライブ。
普段だったら200km過ぎで1回休憩する位だが、今回は5回も休憩を入れた。とにかく眠くて。

幻想的で、官能的で、また行きたくなるすばらしい祭りだけれど、肉体的にもなかなかキツかったおわら風の盆。

おわら風の盆 (5) - 戸隠高原とおわら風の盆

たまたま会話した地方の方によると、前日雨のために昼流しが出来なかった分、9月2日は予定の1.5倍の踊り手が出てきているという。





それはもう、RPGのどこかのダンジョンに入り込んで次々モンスターとエンカウントしているかのよう。ちょっと歩けばあちらこちらで輪踊りに遭遇する。これはもうとっても贅沢な体験だった。










未来の「おわらファイブ」たちかな。
一踊りするとみんな汗びっしょりで、けっこう過酷な印象だ。




やっぱり男踊りがイイ感じだ。


そしてどんどん人が集まり身動きが取れなくなってくる。
昼踊りは、夜に比べるとまだまだウォーミングアップな感じが否めないが、人も少ないし、最前列で踊りを眺めることも難しくない。

それにしても「カメ爺、カメ婆の民度が低すぎる!」というネットの嘆きも噂に違わずだった。この老人たちは正直ひどいと思った。というか、ひどい老人たちが集まりすぎだ。割り込む、ぶつかる、遮る、傍若無人。ワカモノの方が、よっぽど周囲の人に気を遣っている。おわらが美しい分、老人たちの醜さが目立つ目立つ。

おわら風の盆 (4) - 戸隠高原とおわら風の盆

プログラムによると、おわら風の盆は15:00~17:00の昼の町流しと、19:00~の夜の町流しの二部構成(?)になっている。和紙文庫を14:40頃に出て、諏訪町へ向かうきつい坂道を歩いていると、前方で出陣式のようなかけ声と拍手が聞こえ、続いて人が溢れ出してきたので慌てて駆け寄った。運良く、西新町の踊り手たちが輪踊りを始めるところだった。






まずはウォーミングアップ。
この時間帯は交通規制後、規制区間から逃げ切れなかった車が突っ込んできたりして、なかなか大変。世話役が運転手に激怒するシーンもたびたび。

「おわら」は、25歳以下の未婚の男女が踊り手になり、そこに地方の唄と演奏が加わる。成人は笠を深くかぶり表情はなかなか窺えない。男踊りと女踊りがあるのだけれど、とにかく男踊りが美しい。「月影ベイベ」の世界が目の前に広がっていた。

おわら風の盆 (3) - 戸隠高原とおわら風の盆

高岡市を出て、緑を敷き詰めた田圃を左右に楽しみながら八尾をめざす。
おわら風の盆の期間中、住民を除く車両の通行は禁止され、外からのクルマは富山市八尾スポーツアリーナ駐車場に駐めることになっている。そこからシャトルバスで会場入りする。このスポーツアリーナ駐車場以外にも、少しずつ駐車場は存在する。いずれにしろ、通行禁止エリア内は15:00~25:00まではクルマの出入りは出来ず、下手に規制線の中に入ってしまうと身動きが取れなくなってしまう。

規制線ギリギリのところにある八尾総合病院の駐車場に駐めさせてもらった。
そこからどちらへ行けばいいのか、地図を見てもさっぱり判らない。
道沿いに少し歩くと川にぶつかった。どうやら井田川らしい。
これは逆方向だなということで、方向を変えると道は跨線橋になっているようだった。
側道を歩くとぽつぽつとぼんぼりが立っていて、遠くに駅が見える。

小さな踏切を渡ると「福島」と描かれたぼんぼりが駅に向かって連なっている。
前日と打って変わって日差しの強い晴天。厳しい残暑。
日陰のない道を歩いていると、クラクラしてくる。

猛禽類の嘴のようにぐにゃりと曲がった高山本線。
目の前を富山駅へ向かう短いローカル線が走って行く。
越中八尾駅前はテントが立ち並び、胡弓の優美な音色が漂っている。

疲れやすい両親をコンビニ前に置かれたベンチに座らせ、30分ほど休憩。
目の前は、夜に向けてゆるゆると開店準備に取りかかっている屋台の列。
八尾町内に宿の取れた少数の幸運者を乗せたタクシーが行き交う。
県外ナンバーの乗用車の姿も目につく。

「タクシーで行くか?」という申し出を父が断ったので、僕らは諏訪町をめざして歩き始める。井田川を超え、坂町をゆっくりと歩む。下新町、今町、西町、そして常松寺で力尽きた。諏訪町を少しだけ冷やかす。噂に違わず、美しいたたずまいだった。





越中八尾駅から諏訪町まで、ゆっくり歩いておよそ1時間かかる。
両親、とくに父親がよく歩ききったものだと、内心驚いていた。

近くのカフェで一息ついた。
時刻はまだ13:00。
おわらが始まるまでまだ3時間もあった。

「どこかで休憩できる場所はありませんか?」という問いに、カフェの主人は当惑した表情で和紙文庫は暇つぶしできると言う。騙されたつもりで行ったみたらガラガラで、空調の効いた展示室の椅子を占拠して、僕らは2時間近くぐったりしていた。

おわら風の盆 (2) - 戸隠高原とおわら風の盆

富山平野の内陸部に位置する小さな町。
9月1日から3日間、おわら風の盆で沸き立つ。

ネット上では美しい写真や動画がアップされているが、「どうしたらそこへ行けるのか」という確たる情報が少なくて、少し秘密めいた場所だ。

祭り期間中、町の周囲は交通封鎖され、富山駅からは鉄道で行くか、タクシーで行くか、歩いて行くか?みたいな状態の中、足腰の弱った両親をクルマで移動させるにはどうしたら良いのかずいぶん悩んだ。

朝9時過ぎにホテルを出て、僕らはまず高岡市を訪ねることにした。
引っ張り回しの観光ツアーの定番らしいが、瑞龍寺、高岡大仏、そして金屋町の町並みを楽しんだ。瑞龍寺は境内が芝生に覆われていて、鮮やかな緑色が印象的だった。







おわら風の盆 (1) - 戸隠高原とおわら風の盆

戸隠高原を出て、富山市を目指す。
朝、9時過ぎに宿を出たので、上越市から一般道を使って西へ下る。
糸魚川、親不知は険しい海岸線を走る。
親不知は古い時代は超えるに超えられない難所であって、それは日本を縦に貫く日本アルプスの北端が海になだれ落ちている場所だからだ。手を広げるように岩の塊が行く手を遮り、そして日本海に沈み込んでいる。

黒部、魚津、滑川に入ってくると海岸線は遠のき、立山連峰を遠くに望みながら富山平野を切り裂くバイパス道路をひた走ることになる。

富山市に入ったのは13時過ぎ。
上空は雲が広がっている。夜は雨が降るという。

ホテルに荷物を預け、総曲輪の「寿司栄 本店」でお昼ご飯を食べる。
ピチピチと新鮮なものを、「キトキト」と富山人は呼ぶそうだ。
最初に供された烏賊の握りはねっとりと甘く、ああ、これがキトキトというヤツかと思った。

カウンターは常連が半分、それ以外はおわら風の盆を目当てに集まってきた観光客たち。僕らが気にしているのは今夜の八尾の天気で、寿司をつまみながら天気と、八尾までの足の話ばかりしていた。Twitterのタイムラインには、富山駅前で客をはき出す観光バスが列を作っているとか、改札が混雑しているとか、八尾の天気があやしいとか、そんなつぶやきが続く。

寿司栄を出ると、パラパラと雨が降ってきた。
今夜のおわらは諦めることにして、僕らはホテルに戻った。
50年ぶりの市内を散策したいという母親に付き添って、路面電車の車窓から街を眺める。富山大学から出発して再び駅前に戻り、カフェでお茶を楽しむ。
窓の外は激しい雨が降っていて、普段は賑やかな高校生たちも足早に姿を消す。

路面電車をさらに乗って、終点の南富山駅まで行ってみた。
上本町を過ぎる頃から、なんだか彼氏と広島港を目指していたときの景色と似ているなと感じた。繁華街を抜けて、車窓には民家、獣医の看板、肉屋、クリーニング屋、そんな生活の臭いが濃厚に立ち上ってくる普段着の世界。学校帰りの倦んだ表情の高校生らを眺めながら路面電車は、立山山麓へ続く富山地鉄駅前に到着した。

結局9月1日のおわらは見送った。
夜、Twitterにアクセスすると「奇跡的に雨が上がった!」「観光客が少なくて最高!」という歓喜の声に激しく悔しい思いをしたのだけど。

宝光社と火之御子社 - 戸隠高原とおわら風の盆

戸隠神社は(主に)5つの社で構成されている。

天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る奥社。
天手力雄命はレスラーみたいな力持ちな神。

九頭龍社は水の神さま。

天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)を祀る中社。
天の岩戸の前で宴を催したプロデューサー的神さま。

うずら家で蕎麦を堪能した後、僕らは残りの2社に出かけることにした。
観光客で賑わう中社の前の坂道を下って行く。
開けた場所では山脈の美しい稜線が続いている。
長野市から続くバードライン経由で戸隠をめざした人は、この光景を見てきたのだろう。クルマで移動した僕らは、まず宝光社に立ち寄った。

天表春命(あめのうわはるのみこと)を祀る宝光社。
女性向けの神さま。

クルマを降りて、鳥居へ続く数段の階段を上がり、軽く絶句する。



おお、なんだ、この階段は!?
斜面に270段の階段が刻まれている。
両親を引っ張り上げる僕はクラクラした。

宝光社は彫り物が特徴のお社。
象、龍などリアルな彫刻が刻まれている。


宝光社の後は芸術の神さまを祀る火之御子社。
こちらは駐車場スペースが少ないので、タイミングによっては入庫待ちになる。
こぢんまりとしたお社は、木々に囲まれてのんびりとした空気に包まれている。


うずら家 - 戸隠高原とおわら風の盆

横倉旅館に泊まるもう一つのメリットは、戸隠神社中社脇の「手打ちそば うずら家」に近いということだ。「唯一無二」という看板を掲げた「戸隠蕎麦の至宝」との呼び声も高い名店を訪れることは、今回の戸隠滞在最大のイベントだった。

うずら家はおもしろいシステムを採っている。
店の前に名前を記入するシートが置いてあって、名前を書いておけば後で戻ってきたときに最優先で席に案内される。ディズニーリゾートのファーストパスみたいなものか。問題は、開店10:30の蕎麦屋が、いつこのシートを店の外に置くのかということだ。
僕らが戸隠神社奥社を訪ねたのは、夏の終わり8月31日日曜日。僕が冗談半分で朝7時過ぎに覗きに行ったら、すでに数組の名前が書かれたシートが置かれていた。驚きながら僕の名前を記した。シートは朝6時過ぎには店の前に置かれているようだ。

横倉旅館に戻り、朝食を食べた後、僕らは戸隠神社奥社参拝へ出かけた。
うずら家に戻ってきたのは、11:00頃だった。
シートを見るとすでに6枚目。
1シートに16名の「代表者」の名前を書く場所があって、11:00の時点ですでに80組、つまり最低80名以上、カップル換算だと160名の待ち客がいるというすごい状態になっていた。



さて、二階の座敷に通されて、生わさびをすり下ろしながら蕎麦を待つ。
先に出てきたのは「蕎麦掻き」。
蕎麦掻きは1つでざる蕎麦一枚分の蕎麦粉を使っているというので、僕らは3人でシェアすることにした。ふわぼったりとした歯触り。味噌と山葵を和えた薬味があって、これが抜群に美味かった。




そして、ざる蕎麦が到着。
ちょっとでも伸びるのが怖くて、すぐに箸で掬って蕎麦つゆにつけて啜る。
身体に、電撃が、走った気がした(きわめて個人的な感想)。
そして、戦慄した。

少しざらっとした舌触り、しっかりとした歯ごたえ、口腔から鼻腔に抜ける蕎麦の香りと蕎麦つゆの出汁の香り、そして滑らかながら存在感を感じさせる喉ごし。
いままで僕が食べてきた蕎麦って何だったの??と、ガツンと衝撃を受けるうまさだった。


正直なところ、蕎麦フリークな人たちは、美味しい蕎麦屋をいくらでも知っているだろう。僕は、父の田舎にある大人気のへぎ蕎麦屋へ相当通っている。その店も開店と同時に満員になる蕎麦屋だ。へぎ蕎麦のあの独特の歯ごたえ、喉ごしに慣れていると、前日の「くるまや」は正直物足りなかった。
うずら家の蕎麦は、なんだろう、僕の人生観を変えてしまったのかもしれない。凄いと思った。感動した。そして少し怖くなった。これからどんな蕎麦を食べても、僕は心から楽しめなくなってしまうのかもしれないと思ったから。これは食事じゃなくて、もはや特別な体験そのものだ。


サイドディッシュにきのこの天ぷら(+海老1点)も頼んだ。
サクサク揚がった天ぷらは楽しい。
蕎麦屋だと、蕎麦つゆと天つゆを一緒くたにされることが多いが、ここは別。
そういうところがうれしい。

ミシュラン中部を作ることがあるならば、ミシュラン調査員は絶対行くべき蕎麦屋だろう。
そして、うずら家の蕎麦を食べるために旅をするのだって、十分にあり得ると思うのだ。