魂の重さは21グラム

その真偽はさておいて。

先月僕は腰椎を痛めてしまった。
対応を誤り、大阪で3日間のたうったあと、病院へ行った。
あれから一月経って、平面は人並みに移動できるようになったが、階段の上り下りはやや心許ない。
走る事はできなくなってしまった。

それまで走れていた自分が、いまは駆けだしてゆく小さな子供に追いつけない。
喪失感。
それまで出来ていた事が出来なくなるということは、こんなにさみしいことなのかと思い知らされる。

もともと僕は、身体は借り物だという意識があって。
血と肉を分けてもらい、この世に生まれ出た。
そこにふわっと棲み着いた魂が、身体の運用を任されているだけ。
だから、実体は21グラムくらいなのかもしれない。

自分ひとりでは、この世に生まれ出ることすら出来なかった。
すべて、誰かのおかげで生かしてもらってる。
僕には原罪という意識は全く持っていない代わりに、とてつもない恩を授かって生きてきたと思ってる。
その恩を授けてくれたのは両親を含む身の回りの人だったり、知らないところで助けてくれた人だったり、身の回りの自然や環境だったり、数え上げたらきりがない。机の引き出しの中に、ひらがなで名前が彫られたえんぴつが何本か残っている。遙か昔、小学校に上がる僕に隣家に住む小母さんから贈られたもの。春、桜の季節が巡ってくると「おめでとう。元気で、よい人生を送りなさい」と頭を撫でてくれた彼女を鮮明に思い出す。

そうやって生かされてきたのに、今回は借り物の身体を壊してしまった。
もっとちゃんと気遣って、大切にすれば良かったのに。
虫歯一つだって自己管理が出来ていなかった結果には違いないのだけれど、今回のはけっこう落ち込んでる。

そりゃ、経年劣化という事実はある。
誰もが、生まれ出た直後から身体は経年劣化してゆく。等しく、平等に。

そんなことをつらつらと考えていれば、自然と、死ぬことについて、思いは行き着く。
まだ死んだことがないので分からないが、きっと死後の世界なんてないと思っている。
こればかりはどうなるかは死んだ人しか分からない。そして、分からないことは怖い。
でも自分の中の死のイメージでは、パチン、パチンと電気のスイッチがOFFになり、最後はふわっと闇になるのだろうと思ってる。その先には裁きも、罰も、恩寵もなく、ただ終わりがある。輪廻転生ってのが実はあるのかも知れないけれど、いったんはおしまいなのだろう。死は等しく、すべてを奪ってゆく。

だから、死んだ後の裁きを餌に恐怖を与える人たち、あるいは死後の褒美を人参に死をともなう正義の遂行を唆す人たちを、僕はまったく信用していない。なぜ人は、誰にも分からない、他人が説く死んだ後の恩寵を信じられるのだろうか。その言葉を信じて、爆弾を身体に巻き付け、周囲の人を巻き添えにして、肉片を四散させて迎える最期が、いい人生だったとは僕は思えないのだ。そんな恐怖や空手形に縛られなくても、尊厳を持って、善く生きてゆくことはできただろうに。

自分もこの歳になると、もってあと30年が限界かな?位の覚悟ができてくる。
もともと長く生きることを目的にしていないので、終わりが来たら、パタリと終幕を引けたらいい。それまで善く生きたい。これは欲かな?
自分の死は、夜明けの空でふっと姿を消す流れ星のように終わるのだろう。天空に長大な尾を描いて他人の耳目を集めるハレー彗星ではなくて。世の人のほとんどが、そうやってこの世から去ってゆく。その順番が来たら、静かにそれを受け入れたい。その時は、きっとさみしいなあと思っているのだろうけど。

年初の樹木希林さんの広告を見て、僕も文字にしてしまった。
https://blackarmor.blogspot.jp/2016/01/rocknroller.html

4 件のコメント:

  1. その後、お加減いかがですか?
    わたしも年明けに受けた検診で引っかかり、数日検査入院しました。
    人生初の入院で、いろんなことを考えました。

    人生の折り返しを過ぎている自覚はあるので、できるだけ借り物を大切にして健康な身体で残り時間を過ごしたいですね。

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    1. 検査とはいえ、入院されていたんですか。
      お大事に。
      病棟に身を置くと、いつも色々と考えさせられます。
      それは大体楽しいことではないのだけれど、でも避けて通れないことばかりです。

      僕の腰はゆっくりと回復基調です。
      毎日チャンスを見つけては小走りに挑戦してます。

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  2. 以前、コメントさせて頂いたisodentです。
    希林さんの広告企画に対するコメ、そして今回のアップ、同感です。

    近頃、歳のせいなのかマスコミと宗教家、政治家の胡散臭さが鼻についてしまいます。
    かといって、何か行動するわけでは無いですが。

    人間、生き方は選べても死に方は選択出来ないように思います。
    せめて自分の意志で決めた生き方の人生を送りたいと思う今日この頃です。
    死ぬ時ぐらい好きにさせてよ・・・ですが。死に方はスーサイト以外は実際には選べないと思っています。

    タイから帰国しました。今回はバンコクのみでしたが、いかにも国が発展している時に発する様な良く言えば息吹、悪く言えば猥雑な体臭、今の日本が豊かさと清潔さの代わりに失ってきた物を感じてきました。人にとってなにが幸せなのか考えてしまいます。

    絵心の無い私は、写真を滅多に撮らないのですが、今回挑戦してみましたが全く綺麗に撮れていませんでした。coolさんのお写真はとっても見やすくて素晴らしいですね。

    また、楽しみにしています。

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    1. ポジショントーク、有象無象の誘導・洗脳トークが溢れている世の中だから。
      美しい、真実の言葉を求める人がさらにカルトにはまる、みたいな。
      心が疲れたとき、僕は富士山を眺めに行きます。
      ただ、黙って、ひたすら眺めてると、気持ちが楽になります。
      さすがは「心神」。

      僕もタイに行き始めたのはこの手前5年くらいです。
      訪れる度に変貌してゆく街から、アジアらしさが失われたと言う人もいるそうです。
      沢木耕太郎が、ボスポラス海峡を超えてヨーロッパに渡るとさみしいと言っていたことを思い出しました。アジアにいればアクシデントが飛び込んでくるが、欧州は洗練されてそれがないから、みたいな記述でした。

      バンコク、機会があったらまた訪ねたいです。

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