永遠の夏の日

晴れ。10.8℃/8.1℃/28%

朝から花粉が飛びまくっていた気がする。(苦笑)

午前中からミーティングとクライアントとの連絡・調整が続き、昼は新庄と"醍醐"で焼き肉ランチ。午後は品川へ届け物に行って、夕方からふたたびミーティングが続く。はぁ~なんか疲れたな(苦笑)。

昨日は"モネ夫人と息子"について書いた。この絵と出会ったのは1999年6月か7月。東京都美術館で開催されていた"ワシントン・ナショナル・ギャラリー展"だった。ものすごい数の来場者がいたことを記憶している。記憶している……と書いていて、(たぶん)その隣に並べられていた"ヴェトゥイユの画家の庭"についてはすっかり記憶の中から抜け落ちている。それだけ"モネ夫人と息子"のインパクトが強かったんだね。

" モネ夫人と息子"が描かれたのは1875年。モデルとなった妻カミーユが亡くなるのはそれから4年後。そんな知識がなくても伝わってくるものがある。この絵の最初のインプレッションは、さわやかな青。押し寄せる空気の流れ。ある晴れた日の、夏の光が降り注ぐ草原で、妻と息子が風に吹かれている美しい光景。でもしばらく見ていると伝わってくる。"儚さ"というメッセージ。刻々と変化してゆく光と大気の様子をキャンバスにとらえようとする試みは、桜の儚さを尊ぶ日本人の無常観にも通じている気がする。まして、そのモデルになった人は程なく夫を残して去っていってしまうのだ。この青は美しい。でも時間はすべてを 押し流していってしまう。手の中の幸せがこぼれ落ちてゆく儚さを含んだ青い"流れ"だ。

僕はこの絵をとても気に入ってしまった。そしてもう一度出会ってみたくなり、ワシントンまで追いかけていった。最初の出会いから半年後の2000年2月。身体の芯から凍えるような寒さの中"National Gallery of Art"へ急いだ。バカでかい館内を足早に進んでいって、そして拍子抜けした。"彼女"はオランダへ旅行中だったのだ。

そのかわりに出迎えてくれたのが"ヴェトゥイユの画家の庭"。 壁一面に広がる暖かい、黄金の、ひまわりの洪水だった。ジリジリと肌を焦がす夏の光、さわさわと音を立てるひまわりの葉擦れと、むせ返るような草いきれが 伝わってくる。そして少年の表情。"モネ婦人と息子"から伝わってくる無常感とは別の、永遠の夏の日がそこに描かれているような気がしたんだ。


冬のワシントンはオフ・シーズン。ほとんど他の鑑賞者がいなかったから、僕は絵の真正面に置かれたソファに腰掛けて、30分近くもこの絵を独り占めしていた。人生でもっとも贅沢に時間を使った経験の一つだと思う。

ひまわりの洪水から目を覚まさせたのは腹の虫。
気がつけばお昼の時間。コンチネンタル・ブレックファーストは腹持ちが悪い。
「じゃあまたくるよ」と告げて、展示室をあとにした。

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