それは官能的な恥ずかしい行為?

晴れ。12.2℃/3.9℃/37%

気象データだけみていると今日は暖かい一日だったことになるんだけど……午前中のお台場は潮風がけっこう強く吹いていて、日も暮れて帰宅時間になると今度は強い北風だ。結局冬日だったんじゃない?って感じなんだけど。

先週月曜日からmixiでランチについて報告してるんだ。
食事って楽しいけれど、よく考えるとけっこう恥ずかしいというか、かなり官能的な行為なんじゃないかって思う。本来他人には秘する行為なのかもね(平安時代にはそういう感覚があったそうだ)。ヘタするとヌードになるより恥ずかしい行為なのかも。(^^;

たとえば「これから絶食します!絶対なにも食いません!」って宣言して、本当に実行したら2週間後には確実にあの世行きだ。それを食い止めてるのが食事だ。

メニューを眺めて今日の食事を決める。
調理された食材を箸でつまんで口に運び、ゆっくり咀嚼して、やがて嚥下する。
それは身体の中で消化されてエネルギーとなり、おかげで一日命拾いするわけだ。
それを記録して書きためてゆく。
自分はこうやって生きているのだと、生命の秘密を明かしているような気分だ。

いまから18年前。
ある方が亡くなる直前の1ヶ月。その人の血圧だの心拍数だのがマスコミを通じて垂れ流し報道されるという異常な時期があった。死にかけている人のバイタルサインが電波に乗せられて垂れ流されるのは、やはり異常事態だったと思う。
とても不謹慎だが、そのとき僕は「あーこの数字が0になったら、この人は死ぬんだな」って不思議な気分に陥っていた。命の状態が数字に落とし込まれているって、感情の入り込む余地がない一方で、これ以上リアルな状況把握もあり得ないわけで。

たとえば、これから僕がカロリーを絞り込んだ食事を摂っている報告が続けば、数週間以内にげっそりと体重の落ちた未来を予測するだろう。逆に飽食が続いていれば1週間かそこらで「キャー!」と叫んでいる僕の姿が予測できるわけだ。なにを好んで口にし、なにが食べられないのか把握できてしまう……。なんか怖いといえば怖い情報共有。

まぁさ、実際それほど関心を持ってこの日記を読んでくれている人はいないと思うんだけど、食事の記録を公開するということは、深読みするとけっこうエロイ行為なんだと思う。

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