刻の顔

勘定を済ませ、コートに袖を通している最中に、彼が声をかけてきた。

「おひさしぶりです。
 もう帰っちゃうんですか?」

思いがけず自分のことを覚えていてくれていたことがうれしかった。
そして……。

ドウシテ君ハ、ソンナ泣キソウナ顔ヲシテイルノ?

僕は、思わず口から出かかった言葉を飲み込んだ。
その代わりに出てきた「元気?」という陳腐な問いかけに、逆に泣きたくなった。
もうちょっと気の利いたことが言えないのかい、と。

この「彼」とは、過去も未来も恋愛関係になったことはない。
たまにゲイバーで顔をあわす、あ、今日もあの客がいるな、と認識し合うくらいの関係。つまり、知り合い以下。しかも、僕はそのゲイバーには年に3~4回くらいしか顔を出さない客。彼の顔を最後に見たのは、たぶん1年以上前になる。

僕の席から4つの離れた場所が、彼の定位置。
常連客に挟まれて、彼はいつも笑っていた。

彼は華やかな業界で仕事をしていた。実年齢を遙かに下回る若々しいルックスとファッション。見た目は現役大学生と区別が付かないほど。年上の彼氏がいる。たぶん、たっぷりと愛情を注がれ幸せな暮らしをしていて、そこから溢れ出した温かい雰囲気が周囲の人も幸福な気分にしている、そんな印象の人だった。当然彼は人気者で、ゲイバーのマスターと常連客は彼を囲んでにぎやかに騒いでいた。

今夜、僕は生ビールを一杯飲んで、お代わりしようかどうか逡巡している時に、彼は現れた。そして、その変わりように僕は驚かされた。キミは僕の知っている人ですか?と。

「男は40過ぎたら、自分の顔に責任を持て」と傲慢かます気はない。
だけど、人って気持ちが弱くなっているときは、否応なしに顔に現れてしまうのだね。
神経質な、力を失った、喜びが剥げ落ちて、惨めな顔。
悲惨だと僕は思った。

つらいときは、信頼できる人に「いま、つらいんだ」と言ってしまった方が良いんじゃないかと僕は思う。いまどき「自分の顔に責任を持て」と偉そうに言い放つことができる人なんているのだろうか。世の中、色々と安定していないからなあ。誰もが、泣き出しそうな顔で酒を啜らなきゃならない状況に追い込まれるかわからない、そんな世の中だからさ。

「また機会があったら、飲みましょうね。
 じゃ、お先に」

そう言い残して、僕はゲイバーをあとにした。

帰りの電車に揺られながら、僕には彼氏がいて、とても幸せ者だと思った。
もし一人だったら、どうなっていただろう。
心細さ、絶望、砂を噛むように日々がのし掛かって来て、崩れていたかもしれない。
それを一人で跳ね返せるほど、人は強くない。

「彼」が昔の輝きを取り戻せますように。

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