ベトナム ダナンへ(06) ホイアン編

今回のダナン旅行は、ほとんど市内でグダグダしていただけ。
唯一、月一回ランタンフェスティバルが開かれるホイアンまで遠出した。

前日に往復のクルマを予約した。
現地で3時間待機していてもらい、戻ってくる算段。
格安のローカルバスや、ツアーを使う手もあったけれど、過去プーケットでの体調不慮事件があったし。
帰りのタクシーが確保できるか分からないし。

15:30にホテルにSUVが横付けされた。
寡黙なおっちゃんが海岸通りを飛ばしてホイアンを目指す。

ホイアンまで、何キロにもわたってリゾート開発中の看板が並ぶ。
ダナン市内でも感じたことだが、この辺りはやがて豪華、だけど素朴さを失ったリゾート地になるのだろう。
それは現地の生活水準を確実に押し上げることになるのだろうが、ホノルルがゴミゴミしたリゾートになったように、この辺りも変わって行くのだろう。

ダナンを出発して、雨がだんだん強くなってきた。
1時間かからずにホイアンに到着。
クルマ、バイク、そして人間が、小さな町にひしめき合っていて、ちょっと異様な混雑ぶり。
運転手にチップを渡して、僕らはホイアンの町に入った。

僕らが到着した頃は、まだ日が高く、黄色い壁の古い家並みが異国情緒に溢れていた。
と言っても、そこは白川郷と同じで、その家々はカフェ・レストラン、お土産屋になっているのだけど。
日本の戦国時代、この地にいた日本人が掛けたという小さな「日本橋」も渡ってみた。





支那人の工作とちがって、日本人の残した建物は、あまり日本臭くないと思う。
記念碑でも建っていなければ、市井に埋もれて、いずれその謂われも分からなくなってしまうような。
でも、そうやって現地に溶け込んで、やがて輪郭すら失ってしまうのは日本らしいとも言えるかな。
「日本人」ってのは、たぶん日本に住んでいてはじめて日本人であり得るのだろう。
支那人のように、彼らは異国にいてさえも自分たちが支那人であるというメンタリティを維持し続けるが、どうも日本人にそれは苦手なようだ。よくて日系人、普通は東洋人……日本人のアイデンティティは文化と風土に依っていて、血はあまり日本を主張しないのかもしれないな。

彼氏おすすめのホワイトローズを食べに、White Rose Restaurantまで足を伸ばす。
店の1階のテーブルに通されたが、店の目の前で道路工事が始まって五月蠅い。
2階へ移動して、ホワイトローズ、揚げワンタンを注文し、ビールで喉を潤した。




ホワイトローズは米粉の皮に海老のすり身餡を包んで蒸した、要は「蒸し餃子」。
フニフニした食感がおもしろい。
揚げワンタンは餡が美味しくて、ビールが進む。

開け放たれた窓の下は、ホイアンの古い通り。
雨がしとしと降っていて、雨合羽を着てバイクを飛ばす人たちを眺める。
僕らが引き上げるまで、雨は降ったり止んだりだった。

White Rose Restaurantを出て、再び旧市街地に入ろうとしたとき呼び止められた。
チケットを買え!という。
最初旧市街地に入るときにはなにも言われなかったが、チケットブースがあることは気づいていた。
ホイアンが世界遺産に指定されたあと、旧市街地に入るにはチケットを買わされることになった。
自分たちからすれば、お土産屋しか並んでいない町を外から眺めているだけでカネを取られるのは不満で、さらに言うと、欧米人や支那人らには声がけしないくせに、おとなしそうな人たちを狙い撃ちでチケットを売りつけているスタイルが気に入らなかった。カネを取るなら全員から徴収しろよと思う。

と言うわけで、狭い道で旧市街へ入るのを迂回して、観光客が大量に流入している広い道を歩いて旧市街に再進入した。
そのうちちゃんとしたゲートができて、すべての人から入場料を取る日がくるのだろう。
公平ならば、それはそれで良いと思う。



やがて陽が暮れて、ランタンフェスティバルが始まった。
祭りが始まると川岸のレストランなどは明かりを消す。
真っ暗な中、川では灯篭流しが行われ、町全体が古い時代にタイムスリップしたような雰囲気になる。











華やかなランタンを眺めたい人は、逆にランタンフェスティバルを外した方がよいのかも知れない。
両岸の明かりが消される前は、しゃれたインテリアと美しいランタンが飾られたカフェ群が独特の美しさだった。

お土産屋で値切ってベトナムっぽいオブジェを買い、クルマに戻った。
ダナンに戻ったときはだいぶ疲れていたけれど、ホイアンのあの雰囲気に酔いしれた一夜だった。

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