ゴリラさんのご質問に対して

おお、これはまた、難しい宿題となりました。
夏だし、子供の頃を懐かしみながら書いてみますか。

現在、BL (BoysLove)と呼ばれているものは、何回かの変態があったと僕は考えてます。
だから、その源流にさかのぼるとなにかが分かるかもしれません。

小説はさておき、マンガの世界で少年愛、これも後代にはペドフィリア的な意味を重ねる人がいるので、男性同性愛としましょうか、を正面から取り上げ発表したのは、1976年連載開始の竹宮恵子「風と木の詩」でした。約40年前の作品にもかかわらず、「風と木の詩」を超える作品は未だ生まれてきていないと僕は思ってます。
著名な劇作家寺山修司は「これからのコミックは、風と木の詩以降という言い方で語られることとなるだろう」と絶賛し、風と木の詩は日本漫画界に大きな衝撃を与えました。評論家河合隼雄は「少女の内界を見事に描いている」と評し、フェミニスト活動家上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」と言っています。

しかし、現在のボーイズラブマンガの源流に位置する「風の木の詩」に対し、これらの論評は的を得ていて、同時に的を外しているように思えるのは興味深いです。

天才漫画家竹宮恵子は、どんな動機で「風と木の詩」を生み出したのか。
作家本人が語っていますが、それはちょっと意外な発言です。

「当時はベッドで男女の足が絡まっているのを描いただけで作者が警察に呼び出されていましたが、私は作品を描く上で愛やセックスもきちんと描きたかったの。男×女がダメなら男×男でいけばイイと思ったの」

当時の出版界、少女漫画界にあった規則、タブーを破るための「仕掛け」が、少年愛(男性同性愛)だったわけです。古い少女マンガには「男色家」という設定の脇役がよく登場したので、まあ、突然変異ではなかったとは思います。
だけど、男性同士の恋愛、性愛を描いた作品が、女性の手で生み出され、しかもその動機が表現の枷に挑戦するための「仕掛け」だったことが、男性同性愛者が描く「ゲイマンガ」や実在のゲイ(同性愛者)とのあいだに「捻れ」を生じさせた原因ではありました(のちに1992年に「やおい論争」が勃発します)。

古い時代、芸術の分野で同性愛は、サディズム、マゾヒズム、エロチシズムなどと一緒に「耽美主義」と呼ばれていました。だから「風と木の詩」と、それに続くJUNEの時代の作品は「耽美漫画、耽美小説」と分類されました。まあ、常識的なおば様たちに「少女向けマンガ」として紹介できるようなテーマではないので、「耽美」とセルフプロデュースしてみたのでしょう。だけど、これがまた誤解の原因の一つなのでしょう。そもそも竹宮恵子は「耽美」を狙ったわけじゃなさそうですし。

また、前述のフェミニスト活動家上野千鶴子が「風と木の詩」を絶賛しているのが気になります。上野千鶴子の発言ではありませんが、例えば「女性が性的に搾取されることのない世界、自分が性的客体となり至極安全な立場から男性性を搾取できるのがBLの良いところだ」「BLで受けが完全に旧来の女性役割を与えられていたとしても、それをわざわざ男性でやることにはジェンダー的•フェミニズム的に意味がある」という腐女子たちの発言があります。フェミニズム活動家の一部がボーイズラブに関心を示す理由の一つはこれだと僕と考えています。そして一人のリアルゲイとして、こういう人権活動家の無神経さを、僕は激しく嫌悪しているのです。

話が脱線しましたが、大事なポイントは源流「風と木の詩」は、竹宮恵子の発言通り「少女漫画」の1カテゴリーであり、登場する少年、特に「ウケ」の少年は、BL研究家の言葉を借りれば「乳房を取り外し、股間に男性器を取り付けた女性」なのです。だから、本質は男×女の物語。登場人物たちはティーンエイジャーなので、それはまさに少女漫画でした。花がちりばめられたり、花を背負ったりする少女マンガです。

「風と木の詩」のあと、2つの流れが世の中に出てきたと思います。

一つはコミックマーケット(コミケ)の世界。日本のコミケの歴史を紐解くと、同人誌の世界ではアイドル同士をホモカップルにする作品が1970年代後半には登場していたと言います。
二つ目の商業誌の世界では、竹宮恵子「風と木の詩」からバトンを受け取った次の走者が、1978年創刊JUNEの精神的支柱 栗本薫(=中島梓)でありました。

JUNEには、プロ作家の小説掲載のほか、「小説道場」という名物コーナーがありました。
栗本薫が投稿小説をビシビシ論評し、門弟たちの中から、その後売れっ子プロ作家となる人たちも出てきました。
投稿者の年齢は幅広かったそうですが、「女性『性』を受け入れられない」人、「母娘関係が良くなかった」人などが含まれていました。ある時期までのJUNEには、そういう精神的課題、肉体的課題、人間関係的課題を抱えた人のセルフヒーリングの的な役割があったことは押さえておく必要があります。母娘関係を取り上げた少女マンガは1970年代にはかなり多かったような気がします。少女マンガとJUNEを繋ぐ何本かの糸の一つに母娘関係があるのかもしれませんね。一方で、2014年現在のBLに、前述の「課題」がテーマになった作品の割合は多くはないでしょう。

1980年代後半から同人界で盛り上がってきたアニパロベースの男性同士の恋愛(性愛)マンガが、ボーイズラブと呼ばれるようになったのが1990年代中頃、JUNEが休刊したのは1996年4月。そこで切り替えが起こったわけですね。BLは(ゲイ目線では)乙女の妄想に過ぎませんが、少女マンガではなく、JUNEでもない、そしてゲイマンガでもないポジションを確立したのだと思います。

ちょっと考えてみると、「ボーイズラブ」が生まれてから20年。
ざっくりと印象論ですが、超大御所を除き、コミケ作家が15歳〜50歳、ボーイズラブプロ作家が20歳〜50歳位と仮定してみましょう。すると、作家たちは1964年〜1999年生まれの人たちとなります。ボーイズラブに初めて接触した年齢を10歳と仮定すると、現在のBL作家たちは1974年以降にBL接触した人たち、特に20〜30歳の若い世代の作家は、1994年〜2004年以降の作品に接している人たち、となりますね。

30歳の作家はボーイズラブが勃興しJUNEが終焉を迎えた頃に接触した人たちとなり、20歳の作家はボーイズラブが生み出されて約10年経った2004年以降の作品にしか触れていない(BLマンガは絶版が早いので、古典に触れるのはなかなか大変)。そういう意味では、現在のボーイズラブメインプレーヤー達は、源流の少女マンガとも、JUNEとも異なる「ボーイズラブ」という別カルチャーで活動しているのだと思います。
それから、掲載誌の性格も影響があるのかもしれません。例えば「純情ロマンチカ」が掲載されているCIELの作家は、少女マンガのDNAが強いような感じがします。だとすると、編集者の好みも影響しているかもしれませんね。

また、これは傍論でありますが、現在のボーイズラブ漫画家達には1980年代中盤以降のアニメ・少年マンガ同人誌の影響があるかもしれません。少年マンガには「花」を背負わすことはありませんから。

で、「絵柄だけで言うと、なんだろうねぇ、「肉体」から乖離して、ますますボーイズラブというか同性愛が抽象化してゆくなあと」と書いた件だけど、腐女子の皆さんが「関係性」を重視している点を考慮すると、必ずしも男性の肉体描写もリアルでなくても良い。最近はハード系のBLは好まれていないようだし。昔のJUNEでは犬と人間とか、昆虫同士みたいな作品があったそうです。栗本薫が形は違えど、紛れもなくJUNEであると断言していたので、きっとそうだったのでしょう。小説の世界ならば究極AとBという、性別すら不明の二人を主人公にしてボーイズラブのような作品を書くことはできるでしょう

プロっぽくないというのは、なんでしょうね、たまたま僕が手に取った作品が偏っている可能性があります。BLマンガといえばビブロスが老舗でしたが、例えばビブロス、竹書房系の絵柄から、リブレのほか、幻冬舎、海王社、大洋社の新人作家の「ふわっ」とした感じの絵柄が主流になってきているように思います。昔のような、根本的に「下手」な訳ではなくて、なんだろう、うまく説明できなくてごめんなさい。

こんな感じです。

6 件のコメント:

  1. わざわざ記事にてご回答頂いて本当にありがとうございます!BLの歴史を読んだような気がします。勉強になりました!自分はBL漫画を読み始めたのは去年からです。まだ短い間ですが、cool.october2007さんの仰った「ふわっ」とした感じの絵柄を漫画誌で大量に見た時にびっくりしました。正直にいって、最初は「どうしてここまで汚いか、ゆるいほうの絵なのに漫画家になれるの?」と思っていました。昔ではありえないような気がします。その後暫く観察してみたら、それらの漫画の良さはもしかして「関係性」にあるのではないかと思っていました。画力が下手な作家さんもいますが、そんなに下手ではないあるいは上手な作家さんがその「ふわっ」さに対する拘りは一体何なんだろうとずっと考えていました。特に、一部の「ふわっ」とした感じの絵柄は、人物は片方だけでなく、キャラ両方とも女性に似ている外見なのです。そうでしたらどうしてBL漫画というジャンルで表現されるのか、理解できませんでした。それらの中の一部の作品を、ストーリーが面白いのと、関係性の表現がうまいのを楽しく読んでいましたが、やはり読むたびいつも困惑しています。

    女性の体は物として利用されたくないから、じゃ男性の体を利用するという考え方は、私に納得できません。自覚がない場合はまだいいのです。はっきり分かっていても少しでも申し訳なさを持っていなくてそうやりたいという人は、それで逆に女性の体を物として利用してしまったのに自覚がないと私は思います。(ここら辺の考え方はあまり詳しく説明できない気がします。語学力も思考力も限界です・・・)

    すみませんが、あまり考えが整理できていないのに勢いで返事致しました。(もっと直したらそのまま伝えたい言葉が変わってしまう気がしますから) 詳しくご回答いただき本当にありがとうございました!

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    1. 「ふわっ」とした画風とは少し異なりますが、最近の流れを作った作家の一人が腰乃ではないかと、僕は考えることがあります。
      腰乃作品群がバカ売れしてしまった結果、話がおもしろければ絵はアレでもいいや、という緩さが受け入れられてしまった。実際ストーリーはおもしろかったんですが。

      それと男同士が絡み合っていれば、エロがあろうがなかろうがBL、みたいな拡大解釈が進んでしまったのが最近の流れかもしれません。
      いずれにしろ、「ボーイズラブ」は作品から、腐女子の間の単なるコミュニケーションツールに成り下がりつつあるのが現状なのかもしれませんね。

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    2. 追記になりますが、「キャラ両方とも女性に似ている外見なのです。そうでしたらどうしてBL漫画というジャンルで表現されるのか、理解できませんでした」というご指摘についてですが、フェミニズムな人たちの「女性が性的に搾取されることのない世界、自分が性的客体となり至極安全な立場から男性性を搾取できるのがBLの良いところだ」を裏返せば、女性作家による女性同性愛マンガ(百合マンガ??)があっても良いとは思うのですけどね。少なくとも男性と女性を対立軸で考えるフェミニストたちの主張に沿えばの話ですが。だけど、あまり盛り上がっているという話は聞きませんね。女性カップルっぽいBLは、ひょっとしたら女性同性愛系統なのかもしれませんが。

      レズビアンカップルと話し込んだことがありますが、ゲイとしてもレズビアンとしてもフェミニストやジェンダーフリー活動家は「気持ち悪いから近寄らないで」という結論でした。自分たちの都合の良い主張のために私たちを利用しないで、という感じで。

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    3. cool.october2007さん お返事ありがとうございます。上記の内容を読んで思ったのは、それで、まるでいじめられっ子が、いじめはダメだと訴えながら、リベンジをしようと思ったのに、自分をいじめた人に向かうのではなく、自分たちより弱い立場(まだ権利が奪われている状態にいるという意味)人間を選ぶようなことです。いじめられっ子がいじめっ子になってしまったのは、結局自分が今までやられたことは「正しい」だと自らの行為で証明してしまったようなことです。

      尊重する前提で、知ろうとする姿勢を持つことが大切だと思います。
      ご意見を教えてくださって本当にありがとうございました。

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  2. はじめまして、突然失礼いたします。いつもブログを興味深く拝見しております。
    仕事半分、趣味半分でBLを読んでいる者ですが、最近のBL作品群の変質は少年マンガ誌の影響が強いというご意見に賛成です。
    ここのところの同人誌はジャンプマンガや「進撃」「タイバニ」など男性向け作品の二次創作が主流で、さらに描き手の中には原典にあたらず好きな作家の同人誌をベースにした三次創作で活動している方も多いです。そういう方の作品は物語への理解が浅く、キャラ遊びに終始する傾向が強いです。そこがかつての少女マンガの繊細な心理描写とかけ離れるのではないかと。
    商業BLマンガ家もほとんどの人が同人活動経験者なので、必然的に業界全体が少年マンガ化してしまうのかもしれません。
    なお絵柄の変質に関しては、初心者のときからいきなりパソコンとペンタブで描き始める人が増えたのも一因だと思っています。知り合いの描き手は「やっぱりアナログで練習しないとデッサン力は身につかない」と言っていましたので、画力の低下もやむを得ないのかも。
    長々と自説失礼いたしました。これからも記事を楽しみにしております。

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    1. コメントありがとうございます。
      最近のマンガ家達がPC、ペンタブを使って創作しているというご指摘は、ものすごく重要なポイントだと思います。丸ペンを使わない作画は、繊細な強弱をつけにくいのではないか。だから絵柄が単純になる。印象論ですが、人物の描写がのっぺりと平面化する。

      もう一点。
      Webコミックで発表された作品をまとめた単行本があらわれたこと。
      特にスマホでの読みやすさを優先すると、どうしてもコマ割が単純になる。
      しかも大きなコマを取りづらいので、人物と背景のメリハリをつけづらくなり、背景は省略されるか、あるいは被写体深度が浅い圧縮背景で描かれるようになった。

      全体的にのっぺりとした絵作りになった、という印象を読者は受けるのかもしれません。

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