平成26年度 富士総合火力演習 その2

こちらは0630頃から始まった点検射撃の写真。




















戦車が打ち出す砲撃の衝撃は、一般人の想像の及ばないものだ。
空気が歪んで、大音量とともに衝撃波がぶつかってくる。

自走砲なんかもおもしろくて、標的の近くで火焔が赤く連なるのは正直美しいと思った。
でも、この光景を見ていていろいろと思うところがあった。
すでに90歳を超えた母の叔父はインパール作戦の生き残りで、今年届いた暑中見舞いには、戦争捕虜になってバンコクから出発した復員船の甲板で見た南十字星のことが書いてあった。こういう自走砲を引っ張って戦っていた人が身近に生きている事実。あの大轟音のあいだで戦っていた人たちのすさまじさ。

そして、僕の近くで見学者の整理に当たっている自衛官の腕に巻かれた「安全」という腕章。彼の背中を通り過ぎて行く兵器の前で見る「安全」という腕章には、「安全」と「安心」は別物であるという当たり前の事実を再認識される。

軍拡競争をしていても、それが「安全」で、兵力が他国からの侵略行為を押しとどめている源泉力になって戦闘行為が発生しないならば、それは「平和」なのだ。
逆に情緒的に「反戦・平和・非武装・中立」を唱え、それが実現したがために他国からの侵略を受け、戦闘行為が発生したら、それは「平和ではない」のだ。

左翼の唱える「平和と反戦」は、独り善がりのオナニーに過ぎない。相手があっての戦争なのだ。あの強力な火力がこちらに向いて火を噴けば、僕らは殲滅される。あの火力に対して憲法9条は無力だ。夢想家が明け方に見る夢だ。少なくとも僕らを憎悪する半島と、武力で国民を押さえつけ、周辺国の浸食をためらわない独裁政権の大陸がある限り、「非武装・中立」なんてあり得ない話だ。情緒に酔ってどうするのだ。

予行演習の予行演習が終わり、演習場は散水作業や地ならしが行われる。
僕はトイレに行ったが、お腹は大丈夫そうだった。
土産物を売る屋台に人が群がっている。
0800を過ぎ、シャトルバスで来場者が続々と送り込まれてくる。

富士山を見やると、頂上に暈がかかっていた。
富士山に暈がかかると、数時間後には雨が降るという。

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