腐女子、うっかりゲイに告る。最終話を見て

わりと駆け足というか、唐突な終わり方したなあと思ったな。

LGBTに政治的フォーカスが当たっていて、今期は特にLGBTネタのドラマが多かった。
だけどなんてかなあ……少なくとも「腐女子、うっかりゲイに告る。」は、ちょっと一周以上遅れの印象がするんですよね。

もちろん原作ありきだから、原作を逸脱することはできないのだけど。
同性愛者の苦しみ・悩みをリアルに描き出す、って啓蒙ドラマって、少なくとも公共ドラマでやるにはかなり「遅い」んだと思うのな。
「腐女子、うっかりゲイに告る。」の最後は、ゲイの安藤純が大学に進学して、自己紹介の時「僕はゲイです……」とカミングアウトすることを暗喩するような終わり方だった。それは、公共放送のドラマとして価値ある内容だとは思えないんだよなぁ。

一人のゲイとして、いま、このタイミングでゲイネタで公共放送に挑戦して欲しいのは、「シン・ゴジラ」であり、「桐島、部活やめるってよ」なんだよ。

なんてか、同性愛者の苦悩・生きづらさを描くのは3、ある人が同性愛者だと打ち明けた(あるいはバレた)結果、周囲の人間関係に及ぼす影響、周囲の人たちの心の動き・悩みを描く。いま、本当に必要とされているのは、ゲイを取り巻く世界の完全なシミュレーションドラマなんだと思う。

Eテレで流しているみたいなお為ごかしな予定調和ではなく、マイケル・サンデルの胡散臭い白熱教室でもなく、見てみたいのはヒリヒリするような現実世界での摩擦。

数百年前の誰かがつぶやいたドグマ(経典)を頭の中から外してみよう。圧倒的多数の異性愛者の中に少数の同性愛者が混じっている現実世界で、お互いの苦悩、利害調整の問題、誤解・偏見(があるから差別)、様々な制度の問題をぶつけ合って、その落としどころを描いたものを見てみたいんだよね。

偏見って、異性愛者・同性愛者双方にあって、一方的に同性愛者が偏見・差別に晒されているとは言わないし、言えない。セクシャリティを外してみれば、同性愛者も誰かに偏見を持ち、差別するなんてことはいくらでもあるのだから。

まあ、いろいろ大変だと思うよ。
学校一つとっても着替えの問題、トイレの問題が出てくるだろうけど、これをどう解消するのか。全部別にすれば良いのか、第三の場所を用意して隔離すれば良いのか、入れ替え制にすれば良いのか、となるとカリキュラムにどんな影響があるのか……これだけでも色々と語れることはあると思う。

損得含めて現実を提示しないまま、ゲイの少年にカミングアウトを勧めるようなドラマを流すのは安直だと思うわけで、NHKにはもっと精進して欲しいのです。

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