広島でも「謝罪と賠償を要求するnida!」ですか?

オバマ米国大統領の広島訪問・演説について2つ記事を書こうと思う。
今回のは、その前哨戦。

==============================
ニクソン:朝鮮人というのは、北も南も、感情的で衝動的な民族だ。こうした衝動性、好戦性が我々両国を困らせるような事件を引き起こさせないために、お互いに影響力を行使していくことが重要である。朝鮮半島を我々両政府の紛争の場にすることは馬鹿げており、非合理的だ。一度起きてしまったが、二度と起きないようにしないといけない。総理と私が力を合わせれば、防ぐことができると思う。

Nixon's Trip to China
http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/NZ-2.pdf
==============================

これはニクソン米大統領と中国周恩来の会談を記録した、米国の公文書にある一節だ。
「朝鮮人というのは、北も南も、感情的で衝動的な民族だ」というフレーズは、朝鮮戦争当時、米国に北侵を止められた時、李承晩が泣いたことをニクソンが語ったあとに出てくる。周恩来も「はい、大統領が先ほどおっしゃったような李承晩の性格は、我々が伝え聞いているものと似ています」と返答している。

朝鮮人(僕自身はこの記事では侮蔑的な意味では使っていない。北も南もある以上、あそこを単一民族と考えれば現段階では朝鮮半島の人、「朝鮮人」と言うしかない。コリアンなんて英語表記を強要されるのはまっぴらゴメンである)は、俳優や芸能界にたくさん存在すると言われているが、確かに適職なんだろうなあと思う。舞台で感情を爆発させて、表現するという職業は、おそらく彼の国の民族は向いているのだと思う。彼らは「恨(はん)」という感情があるという。歴史学者古田博司は朝鮮文化における恨を「伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」と説明しているが、隣国日本人の目には、非常に短絡的で、刹那的な人たちに映る。

韓国の掲示板で「謝罪と賠償を要求するnida!..これ日本人の間で流行語なのだそうだ」という書き込みがあった。別に流行語じゃないけどね。

オバマ大統領の広島訪問と演説が実現することが決まると、朝鮮半島からは「被害者コスプレ」だの「戦犯国のくせに」という罵詈雑言が流れてくる。そして謝罪はしない、謝罪は求めないという日米両国の公式発表の元に実現した今回のオバマ大統領の広島訪問に、「オバマ大統領は謝罪しろ!賠償せよ!」と叫ぶ朝鮮人が現れる。もはや様式としか思えない。

日本人にとって、朝鮮半島内のもめ事はどうでもいいことだ。
フェリーがひっくり返って死人が出ようと、地下鉄の火事で死人が出ようと、加湿器殺菌剤で死人が出ようとも。いずれも「韓国」という国の法的、ガバナンスの欠如から生じたものだから。
慰安婦と呼ばれている人たち、韓国人被爆者に対する援助は、本来は韓国政府が行うべき社会福祉事案であり、それが実現できていないのは韓国という国家の欠陥だと僕は思う。その欠陥を他国や他人に肩代わりさせようとするのは、酷く惨めな状況だ。

「謝罪と賠償を要求するnida!」が、日本では乞食ビジネスだと見なされ始めていることに朝鮮人は気づいた方がいい。金をたかれるところにたかってやろうという集団と見なされて軽蔑され、見下されるのは仕方ない。国家がなすべき事をせずに放置しているのは、国としてまともじゃない、そんな国を作っている国民はまともじゃないと思われるからだ。軍事独裁国家なら仕方ないかもしれないが、一応は普通選挙制が実施されているのだから。不満があったら、自分たちの力で替えてゆけばよいはずなのに。

「オバマ大統領は謝罪しろ!賠償せよ!」と叫ぶ朝鮮人に対して、米国人と日本人は冷静だった。核兵器が投下された場所がどのような惨状になるのかを知り、あまりにも強大な殺戮兵器を人類は減らしてゆかねばならないと訴えたのが、今回のオバマ演説の骨子だ。被爆者の方は本当に苦労・苦労の人生だったと拝察する。でもそれ以上に日本国内の被爆者の少なくない方々が「自分たちの受けた苦しみが、子孫にあってはならない。核兵器は廃絶しよう!」と考えていらっしゃると思う。それが広島と長崎の祈りであり、年長者たる人たちの願いなのだと僕は受け止めている。深く、深く、尊敬します。

広島、長崎の人たちはずいぶん前に次のステージに上がっているようだ。
悲しみとつらさを抱きながらも、それが本当の未来志向なのだと思う。

それに対し、朝鮮人の行動はいつも衝動的で、感傷的だ。
「オバマ大統領は謝罪しろ!賠償せよ!」が実現したとして、朝鮮人は核兵器をなくすべきだとは訴えないのだろう。個人的な恨の解放、金銭的な充足、そして永遠の「甲乙関係」が得られれば、それで満足してしまうのだろう。だから朝鮮半島では信じられない事故がなくならない。彼らは事故発生に対して衝動的に騒ぐものの、本質的な対策を考えが向かわない。「恨」は個人的な感情の発露であって、それを本質的なものへ向かわせる力にはなり得ないのではないかと僕は感じている。彼らが「恨」「恨」とパーソナルな感情に囚われている限り、近代国家や国民国家へ進歩できないのではないかと思う。

今回のオバマ大統領の広島訪問は、日米が方向を同じくして歩んでいこうというメッセージが込められていたとも感じた。特にこの写真は強いメッセージを発している。


昨年、日本の外交白書は韓国を「価値観を共有する国ではない」とした。
お互いに異質なのは構わないと思うが、日本人として相手が異質であると認識できないのは知的な欠陥だ。朝鮮人と日本人は、互いにかなり異質な文化・感性で生きていることを肝に銘じておく必要がある。

「謝罪と賠償を要求するnida!」というフレーズは、朝鮮民族の異質性を際立たせているから、日本人もよく知ることになったのだろう。朝鮮人と言えば「キムチ!」ですらなくて、「謝罪と賠償を要求するnida!」だなんて惨めすぎやしないか?

0 件のコメント:

コメントを投稿