ひょっとすると、韓国人は寂しいのかもしれない。

ちょっと寝不足が続いたので、今夜はコードを書かない。

「セウォル号事故から見る韓国という国」というタイトルで、黒田勝弘さんが記事を寄稿している。ソウル暮らしの長い黒田さんは何事も「しゃあねぇけど、まあ、韓国人だから」という達韓の域に行っちゃってる人。彼の文章は、嫌韓初心者の人の目には生ぬるく見えるかもしれない。記事の中に、こんな文章がある。

『韓国人はカタやワクにはめられることを嫌う。すぐにカタやワクを無視しようとする。カタやワクに美意識を感じない。これを筆者は「字余り文化」というが、だから彼らは芸術作品でも静的なものより動的なものを好む。
 日常生活でいえば、それが便利と分かったので近年やっと列を作るようになったが、その列もいつもばらけている。ちゃんと列に並ぶことはどこか他人に強制されているようで嫌なのだ。そこでちょっと列をくずして自分の存在感を誇示(?)しようとする。』

なんてことのない一節だけど、僕にはなんとなく深く刺さった。
韓国人がカタやワクにはめられることを嫌うのと同じくらい、日本人はみんなが決めたカタやワクを勝手に外して好き勝手やる人間を嫌いなんだろうと思う。この韓国人と同じくらいカタやワクにはめられることを嫌い、すぐに我慢が効かなくなる、勝手をやるのが日本ではサヨクだとかリベラルと呼ばれている集団。朝鮮人とサヨクは親和性が高く、だから日本人がそのグループを嫌悪するわけで。

外国人…欧米人、支那・朝鮮人らは「日本人は他人に迷惑をかけることを嫌う。だから市民意識が高い。民度が高い」と言う。だけど、彼らは逆の性質は指摘しないのだよな。「日本人は他人に迷惑をかけられることが大嫌いだ」と。

迷惑をかけることも、迷惑をかけられることも嫌いだから、ルールを作って、精密機械のように動く社会を運用しているわけで。そんななかに「ちょっと列をくずして自分の存在感を誇示(?)しようとする」連中が入り込んで来て、自己主張されたら迷惑以外のなにものでもない。

彼らは「親しければ親しいほど迷惑をかけるのが当たり前」らしいが、日本人とは真逆の感性なわけで、うまくいくわけがない。日本人は親切な方だけど、迷惑をかけて当たり前と考えている連中にいつまでも親切が続くわけがない。必ず疎ましく感じ始める時が来る。それが現在の嫌韓ブームの一因なのだろう。
両国が互いに隔離しあって、静かに暮らすのが正解というシンシアリー氏の結論に、僕も同意してしまうのだ。

一躍有名になってしまった「シンシアリーのブログ」で、一番の名文だと感じるのが「怪声(奇声)を叫ぶ子どもたち」という投稿。詩的で、もの悲しいのだ。今日のタイトルは、シンシアリーさんのブログの中にあった一節から借りた。ぜひ読んでもらいたい。深い話だ。

「怪声(奇声)を叫ぶ子どもたち」 シンシアリーのブログ
http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11580091145.html

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