春の雪 - 三島由紀夫作 豊饒の海から

書きかけのタイ・シンガポール旅行記で、次に登場するのがワット・ポー(Wat Pho)。

ワット・ポーと言えば、アレである。(。_゜)

ただいま僕は三島由紀夫作「豊饒の海」を読み進めていて、第二巻「奔馬」の難所「神風連史話」で難儀していることもあって、また「春の雪」オリジナル松枝清顕の記憶が薄れてしまう前に、いろいろと感じていることを書き留めておこうかと思う。なにせ、あまりにすごい作品なので。

三島由紀夫を読むのは、学生時代に"金閣寺"、"仮面の告白"、"禁色"を読んでから絶えて久しかった。しかも「いまさら三島ぁ?」という先入観もあって。彼の文章は装飾過剰で、オールドファッションの先入観があったんだ。だけど、バンコクを旅行したこともあり、なんだか不思議な縁に導かれて「豊饒の海 第一巻 春の雪」を手に取ったら、もう、すっかり三島ワールドに取り込まれてしまった。なんて美しい日本語なのだろう。なんて巧みな表現なのだろう。いま、これだけの文章を書ける小説家は存在するのだろうか。

全編惚れ惚れする文章だけど、特にご紹介したいのは、この二つのシーンだ。

最初は、月光に照らされて美少年の誉れ高い松枝侯爵の子息松枝清顕が悶々とするシーン。

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彼は帷を乱暴にひらいた。
月は中天にあり、月かげはベッドの上いちめんにひろがった。
月は浮薄なほどきらびやかに見えた。
彼は聡子の着ていた着物のあの冷たい絹の照りを思い出し、その月に聡子の、あの近くで見すぎた大きな美しい目を如実に見た。風はもう止んでいた。

清顕は煖房のせいばかりでなく、体が火のように熱く、熱さに耳もなる思いがしてきて、毛布をはだけ、寝間着の胸をひらいた。
それでも身内に燃えている火は、肌のそこかしこに穂先を走らすようで、月の冷たい光りに浴さなければ納まらない気がしてきて、とうとう寝間着を半ば脱いで半裸になり、物思いに倦み果てた背を月に向けて、枕に顔を伏せた。
なお顳顬は熱く脈打った。

清顕はそうして、たとえようもなく白い、なだらかな裸の背を月光にさらしている。
月かげがその優柔な肉にも多少のこまかい起伏をえがき、それが女の肌ではなくて、熟し切らぬ若者の肌のごくほのかな厳しさを湛えていることを示している。

わけても、月が丁度深くさし入っているその左の脇腹の辺りは、胸の鼓動をつたえる肉の隠微な動きが、そこのまばゆいほどの肌の白さを際立たせている。
そこには目立たぬ小さな黒子がある。
しかもきわめて小さな三つの黒子が、あたかも唐鋤星のように、月を浴びて、影を失っているのである。

春の雪 - 豊饒の海より
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散々「耽美系」というボーイズラブを読んできたけれど、月光を浴びる半裸の少年を描写するのに、こんなに達者な作家は出会ったことがない。

あと、もう一つおすすめなのは、松枝清顕と綾倉聡子がはじめて二人だけでデートする場面。

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蓼科のすぼめられた傘に守られて、紫の被布の袂を胸元に合わせた聡子が、うつむいて耳門(くぐり)を抜けて来た姿は、清顕には、なにかその小さな囲いから嵩高な紫の荷を雪の中へ引き出してくるような、無理な、胸苦しいほど華美な感じがした。

聡子が俥へ上がってきたとき、それはたしかに蓼科や車夫に扶けられて、半ば身を浮かすようにして乗ってきたのにはちがいないが、幌を揚げて彼女を迎え入れた清顕は、雪の幾片を襟元や髪にも留め、吹き込む雪と共に、白くつややかな顔の微笑を寄せてくる聡子を、平板な夢のなかから何かが身を起こして、急に自分へ襲いかかってきたように感じた。聡子の重みを不安定に受けとめた車の動揺が、そういう咄嗟の感じを強めたのかもしれない。

それはころがり込んできた紫の堆積であり、たきしめた香の薫りもして、清顕には、自分の冷え切った頬のまわりに舞う雪が、俄に薫りを放ったように思われた。乗るときの勢いで、聡子の頬は清顕の頬のすぐ近くまで来すぎ、あわてて身を立て直した彼女の瞬間の頸筋の強ばりがよくわかった。それが白い水鳥の首のしこりのようだった。

「何だって……何だって、急に?」
と清顕は気押された声で言った。

「京都の親戚が危篤で、お父(でえ)さんとお母(たあ)さんが、ゆうべ夜行でお発ちになったの。一人になって、どうしても清さまにお目にかかりたくなって、ゆうべ一晩中考えた末に、今朝の雪でしょう。そうしたら、どうしても清様と二人で、この雪の中へ出て行きたくなって、生まれてはじめて、こんな我儘を申しました。ゆるして下さいましね」
と、いつに似げなく、幼い口調で、息を弾ませて言う。

春の雪 - 豊饒の海より
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俥はすでに引く車夫と押す車夫との懸声につれて動いていた。幌の小さな覗き窓からは、黄ばんだ雪の絣が見えるだけで、車の中には薄い闇がたえず揺らいでいた。

二人の膝を清顕の持ってきた濃緑の格子縞の、スコットランド製の膝掛けが覆うていた。二人がこんなに身を倚せ合っていることは、幼年時代の忘れられた思い出を除いてははじめてだったが、清顕の目には、灰色の微光に充ちた幌の隙間が、ひろがったり窄まったりしながら、たえず雪を誘い入れ、その雪が緑色の膝掛けにとまって水滴を結ぶありさまや、あたかも大きな芭蕉の葉かげにいてきく雪の音のように、幌に当たる雪が大袈裟にひびくことに、ひたすら気をとられていた。


黒い小さな四角い闇の動揺は、彼の考えをあちこちへ飛び散らせ、聡子から目をそむけていようにも、明かり窓の小さな黄ばんだセルロイドを占める雪のほかには、目の向けどころがなかった。彼はとうとう手を膝掛けの下へ入れた。そこでは、温かい巣のなかで待っていた狡さをこめて、聡子の手が待っていた。

一つの雪片がとびこんで、清顕の眉に宿った。聡子がそれを認めて「あら」と言ったとき、聡子へ思わず顔を向けた清顕は、自分の瞼に伝わる冷たさに気づいた。聡子が急に目を閉じた。清顕はその目を閉じた顔に直面した。京紅の唇だけが暗い照りを示して、顔は、丁度爪先で弾いた花が揺れるように、輪郭を乱して揺れていた。

清顕の胸ははげしい動悸を打った。制服の高い襟の、首をしめつけているカラーの束縛をありありと感じた。聡子のその静かな、目を閉じた白い顔ほど、難解なものはなかった。

膝掛けの下で握っていた聡子の指に、こころもち、かすかな力が加わった。それを合図と感じたら、又清顕は傷つけられたにちがいないが、その軽い力に誘われて、清顕は自然と唇を、聡子の唇の上へ載せることができた。

春の雪 - 豊饒の海より
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清顕は自分の頬がひどく熱いので、子供らしく、聡子の頬にも手をあててみて、同じように熱いのに満足した。そこだけに夏があった。

「幌をあけるよ」
聡子はうなずいた。

清顕は大きく腕をひろげて、前面の幌を外した。目の前の四角い、雪に充たされた断面が、倒れかかる白い襖のように、音もなく崩れてきた。

車夫が気配を察して立ち止まった。

「そうじゃないんだ。行け!」と清顕は叫んだ。晴朗な若々しいその叫びを背後から受けて、車夫は再び腰を浮かせた。「行け!どんどん行ってくれ」

「人に見られるわ」
と俥の底に潤んだ目をひそめて聡子は言った。

「構いやしないさ」
わが声にこもる果断な響きに清顕はおどろいていた。
彼にはわかっていた。
彼は世界に直面したかったのだ。

春の雪 - 豊饒の海より
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なんて美しい描写なのだろう。
僕は人力車なんて乗ったこともないけれど、幌を下ろした薄暗い座席で、その黄ばんだセルロイドを通して差し込んでくる純白の雪の明かりを、ありありと感じることができる。
すごいなあ。すごい描写力だな。

豊饒の海のトップバッター「春の雪」は、大正初期の貴族社会を舞台にした「ただの恋愛小説」としてとらえても、ものすごく贅沢な時間を味わうことができると思う。

一方で、松枝清顕の痛々しい「厨二病」っぷり……を若さ故の生硬と生暖かく見守ることもできるけれど、少し引いて見ると、松枝清顕と綾倉聡子の「悲恋」以外にも、全編に立ちこめている「死」の匂いから逃れることはできない。主人公以外の「死」と退廃はいったい何を意味しているのだろう。

松枝清顕の世話をする書生は、明治維新の立役者となった先代侯爵を敬愛する一方で、その威風を受け継いでいない現侯爵を憎悪しており、優雅と退廃を内在している清顕には失望していたりする。小説のはじめに「得利寺附近の戦死者の弔祭」の写真が掲げられ、そのシンボリックな何かを弔うイメージが提示される。強引に三島由紀夫の意図を忖度するならば、「春の雪」は、溢れるほどの花と香に包まれ、美しく死化粧された「なにか」が横たわる棺桶の前に、僕らを立たせているような気がするのだ。

「なにか」は何か?

それは三島由紀夫が「美」と考えていたであろう、明治維新の頃に花開いていた「日本の美意識」「ますらをぶり」あたりなのではないか。明治の残り香がまだ漂っている大正初期ですら、明治の気宇壮大な威風はすでに失われ、維新立役者の孫である清顕は貴族として生まれ落ち、そして堂上貴族綾倉家から「優雅」と「退廃」を植え付けられて育つ。そこには貴族的「優雅」はあるけれど、明治時代の質実剛健とますらを的な世界はない。

そう考えると、僕は「なにか」の遺骸の前に立たされているような気がする。松枝清顕と綾倉聡子の悲恋すらも、「何かが死んで、何かが失われたあとの、小さな物語」のように感じられなくもない。美しい、叙情的な表現が連ねられるのは、それは遺骸の放つ腐臭を隠すための、濃厚な香の匂いかもしれないのだ。

それにしても、こんな妄想をかき消してしまうほど、「春の雪」は文句なしにすばらしい。
小説でなければ表現できない。
どんな天才が映像化しても物足りないと感じるに違いない。

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