CEATECを眺める金曜日の午後。

晴れ。27.9℃/19.8℃/48%

CEATEC JAPAN が開催されている海浜幕張駅へ向かう昼下がりの京葉線車内は、向かい側の席で親父が三人、そろって口を開けて寝こけているほどの長閑けさだった。
金曜日だけあって、このあと直帰するつもりであろうサラリーマンたちが、海浜幕張駅から幕張メッセに向かって幅の広い川のように流れていた。

会場に着いてみると、1~8会場まで使われている事を知って、案外盛況だなあと思った。INTEROPが最盛期の頃、これと同じ面積の場所にぎっしりと展示ブースがひしめいていた。それに比べると、数千万の費用をかけた巨大ブースの偉容はさておき、出展社数はさほど多くない印象。

テレビではすっかり旗色の悪くなったSONYとSHARPが巨大ブースを出している。4K TVが今回の売りらしい。「SONYは残念な方向に努力しているなあ」と思わずにはいられない。精細で美しい映像を映し出している。現行の2K TVと比較すると、輪郭線がくっきりとしていることは明らかだ。だけど……静止画での比較はともかく、動きの激しいスポーツ中継で、このクオリティの違いを認識できる視聴者がどれだけいるのだろう。デジタルサイネージ用途ならばともかく、視聴者は「おもしろいもの」が見たいのであって、別にここまでのハイスペックで高価なテレビが欲しいわけではない。
昨今のTV販売不振は地デジ需要一巡以上に、放映されている番組の質が劣化しているためだと僕は思う。テレビ販売を回復するには、ハイスペックな製品の開発を目指すよりも、コンテンツの充実に力を注ぐべきなんじゃないだろうか。例えばSONYが地上波テレビ局を買収して、徹底的に番組を作り替えるとか、そういう線の方が効果があるような気がしたよ。


幕張メッセをあとにして、僕は帰宅する前にカフェでアイスティを飲みながら、数日前に道ばたで声をかけてきた新興宗教の勧誘について思い出していた。神の裁きがあるだとか、死んだら死後の世界があるだとか。興味なんてあるわけないから、信号が青に変わると話し続ける女を振り切って歩き出した。

僕は死後の世界なんて信じていなくて、良く取ればあれはある種の道徳的ストッパーであり、悪く取れば宗教が信者を絡め取るための方便だと思ってる。死んでしまったら、そこで終わり。その先には、たぶんなにもないのだと思う。いや、ひょっとしたら「先祖」の塊に加わって、子孫と祖国を守る神道的な世界が待っているのかもしれないけれど。

身近で大切な人を失った人が増えてきた。
僕自身がそういう年齢になったからなんだが。

最近、僕は「世界」を瞬く夜空の星のように考えることが増えてきた。信じられないほどの命がひしめきあい、きらめいている夜空を僕は見上げている。その中からスッ、スッと星が流れて闇に消えて行く。人生なんてそんなものじゃないかと。そして僕自身も、他人から見れば空に散りばめられた数多の星の一つに過ぎなくて、いずれはスッと光跡を残して消えて行く。たくさんの星が僕の前に消え、そしてたくさんの星が僕のあとで姿を消す……いままでも、そしてこれからも。なにを怖れることがあろうか……そんなことを考えていると、命の旅が終わるその日に対する恐怖が、少しだけやわらぐ。

10月は両親の結婚記念日と、僕の誕生日月。
両親を誘って、少し早めの冬の味覚、てっちり鍋とてっさのコース料理を食べ、さきほど帰宅したばかりだ。今夜も星が瞬く星空を眺めてから、僕は眠りにつく。

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