リベラルを標榜する人たちのカタカナスローガンは、しばしば深刻な人権侵害を引き起こす

通勤電車の中で、浅羽通明『「反戦・反原発リベラル」はなぜ敗北するのか』を読んでます。まあ、なかなかいいところを突いている本だと思うけど、くどい。3行にまとめられないのか??と言いたいところだが、ハンセン・ハンゲンパツリベラルな人たちにはこれくらいクドクド言わないと理解できないのだろう。

昔から「日本国内のリベラルを自称する人々」(以下リベラル)に違和感を感じていた。
というか、一定以上の教育を受けた人ならば、リベラルに異常さを感じているはず。

彼らはしばしば固有名詞をカタカナ化する。
アベ、フクシマ、ヒロシマ……ほかにもいろいろとあるはずだが、固有名詞を必要以上にカタカナ化するのはリベラルの流儀なのだろう。

その過程で深刻な「侵害」が始まる。
リベラルを自称する人たちのTwitterや、デモに使われるプラカードを見てみると「アベは死ね!」「アベ政治は許さない」「アベシンゾウから日本を守れ」とか平気で書いてある。固有名詞を音に代えているから、総理大臣の安倍晋三氏を指しているとは限らないというのがリベラルの言い訳だろう。だけどそんな言い訳を真に受けるのはリベラルと、そのお仲間のメディア関係者くらいだろう。まともな感覚ならば、首相に対する深刻な人権侵害が行われていると理解する。権力に対して何をしてもいい、どんな言説も許される、自分たちは弱い立場だからというメディアのお為ごかしは、すべて無視してかまわない。自分の会社の社長やニュースキャスター名をカタカナにして「死ね!」とかデモされたら、絶対人権侵害で訴えるだろ?安倍晋三氏が訴えないから人権侵害をしてもかまわないというのは、理屈として通らない。そんなのただの甘えだ。同じことを天安門広場で習近平にやってみ?できないだろ?

で、笑っちゃうのは。
こういう人権侵害に無神経な集団が、二言目には「人権、人権、深刻な人権侵害」を言い立てる。訳わかんないでしょ?固有名詞「安倍晋三」からあらゆる属性を引っぱがし、音に代えてしまったら、その音に対してはどんな残虐な言説で切りつけてもかまわないというのがリベラルの本質。こういう言葉の意味と大切さを理解できないセンスのなさ、知的水準の低さが、リベラルが軽蔑される理由の一つなのだと僕は思う。

安倍晋三氏をアベと呼び、福島・広島をフクシマ・ヒロシマと読み替えることで、言説は実体を失い、リベラルの攻撃対象は彼らの脳内バーチャルになりさがる。彼らはカタカナにすることで対象を乗っ取り、グローバルに仲間を集って攻撃するべき対象と決めるのだろうけれど、その過程で実体が失われる決定的な弱みが理解できていない。

実在しない対象に戦いを挑み、実在しない対象を評論し、実在しない脳内バーチャル世界と実在の世界に差があることに不安と不満を感じデモをする……リベラルはシャドウボクシングをしているだけ。実体に戦いを挑まないから、結局大げさなマスターベーションを晒しているだけだ。
「セカイ系」「厨二病」の彼らは脳内世界バーチャル世界と現実世界との差を認められず、戦略や手段も考えられず、ただ集まって騒ぐ。同じ仲間の存在を実感できて安心するだけ。だからリベラルは負け続ける、だけど自分たちは負けているとは理解できない、したくない……というのが浅羽通明が論じていること。

固有名詞をやたらカタカナに代えている人たちをみかけたら、『「バーチャル世界の××」ね』と生暖かく、哀れみの目で眺めてあげましょうというのが、適切なリベラルの取り扱い方らしい。

P.S.
もしリベラルが「アベは死ね!」というスローガンは、特定の人物を指しているわけではないから人権侵害ではないというのならば、二次元創作人物の表現が人権侵害を起こしていると主張するのは止めるべきだろう。バーチャルならばいずれも罰するべきではないし、いずれもリアルだというならば両方とも罰するべきだ。リベラルのご都合主義は、滑稽を通り越して哀れみすら感じる。

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