2013年バンコク紀行 (5)

Eastin Grand Hotel Sathorn のクラブルームで、僕たちはワインとカクテルを楽しんでいた。壁に掛けられた液晶TVには、BBC放送のニュースがずっと流れている。欧州の、どこかの王室について、リポーターがしゃべり続けている。

タイは立憲君主制の国だ。
スワンナプーム国際空港からエアポート・レール・リンクに揺られて、バンコク市内中心部に入る。その道すがらも、王族の巨大な写真が掲げられている。僕らは目撃しなかったが、8時と18時に国歌が流れると、街を歩いている人たちは立ち止まらなくてはならない。立ち止まらないと、場合によっては不敬罪になるんだとか。

こういう話を聞いていると、日本の皇室に思いを馳せずにはいられなくなる。
外国に滞在していると、誰もが祖国のことをいろいろと考えるのではないだろうか。

BBCやCNNは、天皇陛下を"Emperor"と呼ぶ。

僕は常々、天皇陛下が"Emperor"と紹介されると違和感を感じていた。
"Emperor"とは皇帝。世界史を眺めてみても、皇帝と呼ばれた権力者の一族はそれほど多くはない。だけど、皇帝の多くは「権威」と「権力」が同居した存在であったと思う。天皇家は摂関政治以降は権威と権力とが分離した世界に存在していて、武家政治の世界以降はごくわずかな時期を除いて直接的な権力は持っていなかった。

現在の天皇陛下の立ち位置は、立憲君主制の下、一定の政治機関として国政にコミットしていらっしゃることは周知の事実だが、直接的な権力はお持ちではない。だが、大東亜戦争敗戦の時は最終決定者として、敗戦の後復興期に当たっては国民統合のシンボルとして、そして最大級の国難であった東日本大震災の時は、無能な菅直人政権に代わり、国民を精神的に支える中心的な役割を担っていらした。これだけなら、並の諸王家と大して変わらない。

大東亜戦争の頃、国粋主義者や軍人がしきりに「国体」という言葉を使っていたことを思い出す。彼らがこね回す難解な思想は、正直僕は消化不良を起こす。だけど、天皇家の様々な祭祀の様子をうかがっていると、本質的に伊勢神宮などと同じで、首都のど真ん中で「古代日本から続く文化の動態保存」が行われていることにちょっと驚かされる。これってナショナルアーカイブみたいなことで、もし何か大事件が起こって、日本が1000年くらい時間が逆転しても、皇室に伝わっている知恵を紐解けば、日本人はなんとかやっていけるんじゃないかとすら思う。田植えの仕方と、蚕の飼い方は天皇皇后両陛下に教えてもらおう……やたら実用的。それから、ほとんど公開されていない各種神事。古代から伝わる「祈り」が、ひっそりと1000年以上続けられているのもすごいことだと思う。

そういう意味で、リーダーシップとか、国民の象徴、強大な権力ではなくて、古代からの文化を動態保存している日本の記憶であり現存する世界一長い王朝は、やっぱり"Emperor"ではなく、むしろ"Archive"の方が、僕にはしっくりと腑に落ちる。

バンコクでワインを飲みながら、とりとめもなくこんなことを考えていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿