フジテレビは、なぜ「ネット炎上」の標的になるのか……救いがたいポリティカルセンスの欠如

東洋経済オンラインが、元フジテレビプロデューサーによる『フジは、なぜ「ネット炎上」の標的になるのか』という寄稿を掲載している。この人の考え方がフジテレビやマスコミの総意ではないだろう。だが、あの「フジテレビデモ」についての見立てが、フジテレビ中の人が絶望的にポリティカルセンスに欠けていることを露呈していて、正直苦笑した。

「嫌韓」を一言で言えば、尊皇攘夷運動と似ている。
尊皇と攘夷が被っている人が多いと思うが、多くは「攘夷」という感覚に近かったと思う。

嫌韓の発祥は、筆者の書いてあることで大体カバーされている。
でも、これらのエポックメーキングとなる事件の前から、朝鮮人に迷惑をかけられた、ひどい目に遭ったという個人の経験はたくさんあった。身内の話をすれば、戦後の東京で曾祖母と祖父が見てきたこと。実の父が昭和30年代の東京で経験したこと。僕が韓国系エアラインで経験したこと。そういう個人的に朝鮮半島、朝鮮人を嫌悪する感情はあちこちに転がっていたと思う。当家では朝鮮半島には関わるな、が家訓だったりする。

その後、インターネットが発達し、ワールドカップから嫌韓感情が広がった。
明らかに韓国人がめちゃくちゃやっているのに、それを報道せず、友好の演出をごり押ししたマスコミはおかしいと思う人が増えた。過去のマスコミ報道が発掘され、検証されるようになった。建前でも「不偏と公正」を実現しなければならないマスコミ、特にTVが特定の国に偏った好意的報道をしていると考えられるようになった。
確かに、嫌韓集団にはマスコミ不信が広く共有されていたとは思う。

でも、マスコミ関係者の見立ては、たいていの場合、フジテレビデモの底流に流れていた感情を捉えていない。

"リア充"のアイコンがルサンチマンの標的となった

給料の高いフジテレビ社員はリア充であり、ビンボー低学歴のネトウヨのルサンチマンの標的になった……こんな見立てしか出来ないから、フジテレビはバカにされ、凋落したのだと思う。正直、この大学教授はバカだと僕は感じた。

インターネットを便所の落書きだのと言ってるジャーナリストが幅をきかせている位だから、もうどうしようもない産業だと思うのだが、嫌韓ムーブメントにおいてネットの果たした役割はとてつもなく大きかった。
いま日本のマスコミが報道しない韓国の言論を、ネットはリアルタイムで訳し続けている。韓国のメジャーメディアが日本と日本人をどのように報道しているか。嘘、ねつ造、事実誤認、日本人蔑視、ありとあらゆる憎悪が転がっていることを韓国ウォッチャーたちは知っている。韓国メディアの報道に対し、韓国人がどんな反応を示しているかもほぼリアルタイムで翻訳されている。「寿司女の股に大極旗を挿してやる」とゲラゲラ笑っている韓国人らを見ていて、僕は心底韓国人という集団が嫌いになった。

僕一人の怒りは私憤に過ぎない。
だけど私憤が積み重なり、広く共有されたとき、私憤は公憤に変わり、公憤の対象である韓国と韓国人は公敵になる。
その決定打は、李明博前韓国大統領の「「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」(日王が)『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回って跪(ひざまづ)いて謝るべきだ」と言ってのけたことだろう。
これが2012年8月14日のこと。フジテレビデモの1年後のことだ。

2011年の夏、フジテレビに対し、韓流ごり押しは止めろと声を上げた人たちがいた。

確かにあのとき、地上波には韓国ドラマがあふれかえっていた。
その理由は安く仕入れられるからという、商売上の理由だったとフジテレビはいう。

当時のマスコミや、進歩的文化人とやらは「景気が悪く生活に余裕のない日本人が外部に敵を作り、攻撃するようになった」と解説して見せた。それは半分当たっている。支那人が尖閣諸島をうろつき始め、当時の民主党がダメダメな対応をし国民の怒りが渦巻いていた。一般の人たちが韓国人の言説と、第三国でのディスカウントジャパン運動のことを知るようになり、韓国と韓国人に怒りを感じる人が増えた。そして韓国と韓国人は公敵であると考える人が増えた。

ただ、韓国と韓国人に怒りを覚え、フジテレビに韓流垂れ流しを止めるべきだと声を上げた人たちは、経済的な余裕ありなしとは直接関係はなかったと思う。高給取りなリア充フジテレビ社員様に比べれば年収は少ないかも知れないが、別に生活に困っているわけじゃない。そもそもフジテレビにデモしたってお金になるわけでもなく。職が欲しいなら霞ヶ関か議員宿舎の前でデモするぞ。日本でデモをやってるのは、ほとんどが特定の団体が関わっているプロ市民。どこからか金が出ているから毎日毎日デモをやっていられる。フジテレビデモの参加者は、プロ市民ではなかったように思う。全うに仕事を持った人が多かったと思う。当時の映像を見ると、サヨクデモとは来ている人間が違う。服装を見ただけでも明らかだ。サヨクにありがちな薄汚れたウインドブレーカーを羽織ったおっさんや、チューリップ帽を被った初老の女たちではなかったよ。

そういう背景を考えると、あのフジテレビデモが発生した当時から、公敵、僕らの身近な感覚では「反社会的集団」(この場合は、反社会的と見なされるのは法律的観点だけではなく、道義的なとらえ方もあると思う)とみなされる連中から、安いからという理由で仕入れた商品を並べて売る企業は、反社会的企業と見なされて当然、という意識が視聴者側に芽生えたのではないか。
安く仕入れられる理由には、韓国政府からの補助金があったということは言われていた。海外でのディスカウントジャパン運動、補助金付きコンテンツを垂れ流すことになる(結果としての)文化侵略……いずれも韓国政府の国策であり、けっして日本国民の大多数にとって幸せになる結果にはならない。フジテレビがやっていることは「公」の視点からみて、日本と日本人にとって正しいことではないという怒りが、デモ参加者の意識にあったと思う。

商売原理で垂れ流す韓国ドラマ、商売原理で韓国イベントを主催するマスメディア……そりゃあ経済原理でしょうが、見方によったら公敵とつるむ、反社会的企業だとみなされても仕方ないと思うのですよ。日韓対立が激しくなる中で、ポリティカルセンスのないことをやっていれば、支持は失うでしょう。

田村淳の「じゃあ見ないと言う選択で良くない? 何でも否定するのがカッコ良いスタンスは俺には理解できない」という発言も一押しになったかもしれない。いままで友達、仲間だと思っていた企業がレッドチームに行ってしまった。もういいや、あんたとはつきあわない……不買運動というほどの情熱もなく、ただ白けて、関係が終わってしまった。今までTVのバカ騒ぎにつきあってきたけれど、もういいや、いらない。フジテレビの凋落は、視聴者との紐帯が切れてしまったことが原因なのではないかと僕は思う。


この画像が事実だったのか、真相が知りたいところ。

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フジは、なぜ「ネット炎上」の標的になるのか
「韓流ゴリ押し」はあり得ないのだが…

吉野 嘉高 :筑紫女学園大学現代社会学部教授/元フジテレビプロデューサー

http://toyokeizai.net/articles/-/134071

2016年09月06日

かつては民放の雄として名を馳せたフジテレビが、ここ数年苦戦を強いられている。その背景の一つに、ネット世論による激しいバッシングがあった。元フジの制作者で、『フジテレビはなぜ凋落したのか』の著者が詳しく分析する。


フジテレビへの抗議デモが2回続けて起きたのは、2011年の夏のこと。2回目の8月21日のデモには、約3500人が参加、「韓流ゴリ押しやめろ」「フジテレビの捏造・偏向報道反対」などのプラカードを掲げて行進した。これは、日本のメディア状況を考えるうえで極めて重要な社会現象である。

デモのターゲットにされたフジテレビ


デモのきっかけとなったのは、俳優の高岡蒼甫(現・奏輔)のツイッターであった。

「フジテレビは韓流ドラマを放送し過ぎている」と投稿したことがネットで共感を呼び、2ちゃんねるの掲示板でデモが企画されることになったのだ。

デモには、このようにネットで結集した人たちのほか、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が当時会長を務めていた「頑張れ日本!全国行動委員会」や、朝鮮人などに対する排外的言動で知られる「在日特権を許さない市民の会(在特会)」という右派グループも参加した。その様子は、ニコニコ動画やユーチューブで視聴され、フジテレビへの批判はより広く一般の人に認知されるようになった。

デモ参加者が主張していることは、フジテレビには、韓国を持ち上げて日本を貶めるような「反日的」番組内容が多いということ。以下はその例である。

2009年の「世界フィギュアスケート選手権」でキム・ヨナが優勝した時は国旗掲揚と国歌斉唱があったのに、2010年3月の浅田真央が優勝した際にはカットされた。

2010年10月、サッカーの日本対韓国の試合を「韓日戦」と表現した。

2011年2月「笑っていいとも!」で、アンケート結果として全世代で最も好かれている鍋は「キムチ鍋」と発表した。

2011年7月、なでしこジャパンが女子W杯で優勝したのに表彰式をカットした。

2011年8月放送のドラマ「花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011」の前田敦子が着ていたTシャツに、原爆のコードネーム「LITTLE BOY」と書かれていた。

韓流ドラマを“ゴリ押し”している。

確かにデモが発生した当時、フジテレビには、月〜金曜の午後、「韓流α」という韓流ドラマの枠があったほか、「ミュージックフェア」などの音楽番組に東方神起、KARAなどのK−POPグループがたびたび出演するなど、「韓流」を売り出していたことは間違いない。また、「笑っていいとも!」のアンケートも、スタッフが韓流ブームに便乗し面白がって取り上げたのかも知れない。

「韓流ゴリ押し」はあり得ない

しかし、これらの放送内容は、ことさら韓流タレントやコンテンツを持ち上げているわけではないし、日本の社会、文化、歴史などに反感があるわけではない。韓流コンテンツが多いのは、テレビ不況により経費削減が叫ばれる中、(放送権を)比較的安く買うことができ、一定の視聴率が期待されているからである。つまりビジネスとしてコストパフォーマンスがよいから放送しているだけで、そのことは業界関係者にとっては常識だろう。フジテレビのアジア戦略の中で、韓流コンテンツを上手く利用したいという意図もあるかも知れないが、それとてベースには損得勘定がある。

フジテレビに、韓国に特別肩入れしたいという政治的思想や信条、イデオロギーがあるわけでは決してない。そもそもフジサンケイグループには保守的言論で知られている産経新聞があり、2016年4月には、衆議院議員補欠選挙の告示後にもかかわらず、バラエティ番組(「ワイドナショー」、熊本地震発生により放送は5月に延期)に安倍晋三首相を出演させようとするほど現政権をバックアップしているくらいだから、「韓流ゴリ押し」はあり得ないのである。

このような見解を拙著『フジテレビはなぜ凋落したのか』に書いたところ、アマゾンのレビューには最低評価の星1つがいくつも並び、筆者はネットで「嘘つき」呼ばわりされ、顔写真付きでバッシングされることになった。経済原理による放送の判断という言い分は、ネット世論には受け入れられない。

確証バイアス(結論ありきで自分に都合がいい情報ばかり集める傾向)によって、ネットの住民の主観的現実は歪められたままで放置され、それを訂正したり、批判したりするコメントはまったくといっていいほど現れてこない。

それはそうだろう。反論したところで筆者が経験したように、罵詈雑言を浴びせられるだけならば、距離を置いて関与しない方が賢い。つぶされるのを覚悟でわざわざネット上で反論する奇特な人はいない。

その結果、ネットで生まれた「フジテレビ陰謀論」は、ネット上で拡散、増殖され、いつのまにか主流派の見方になってしまった。それに対抗する意見は、「沈黙の螺旋」によって委縮してしまったからだ。

いまやフジテレビの「韓流ゴリ押し」は周知の事実として知れ渡るようになった。一部のメディアがもはや論争の余地がない事実として、フジテレビを「ディスる」際に繰り返し取り上げるようになったこともある。

このように、「集団極化」により既成事実化したネット世論は、バーチャル世界だけでなくリアル世界にも、しみ込んでいく。最近、教鞭をとる大学で感じるのは、学生の言葉の端々に「反日」であるフジテレビへの嫌悪感がにじみ出るようになったことだ。ちなみに、15年に週刊文春がメルマガ会員を対象に実施したアンケートによると、「嫌いなテレビ局」ランキングでフジテレビは断トツの1位である。

蛇足になるが、このようなネットの構造を考慮すると、今後、憲法改正の議論が展開された際に“ネトウヨ”が改正に賛同するならば、護憲派の世論はあっという間につぶされるであろう。背筋が寒くなる。

背景にある日韓関係の変化とマスコミ不信

さて、フジテレビに対するデモが発生した理由は、日本と韓国の関係の変化も視野に入れて考察するべきである。

そもそも韓流タレントやコンテンツが世界で注目されるようになった始まりは、1990年代後半にさかのぼる。韓国は97年のアジア通貨危機で株価が暴落し多くの企業が倒産したのを受け、IT産業や文化事業の振興により経済の立て直しを図ることにしたが、人口は日本の3分の1で、国内市場が小さかった。そこで、海外需要を取り込むためにコンテンツ産業の持続的成長を目指す「クールコリア」政策が実施されたのだ。

その結果、日本では2002年に韓国人歌手のBoAがミリオンヒットを記録、2003年にはNHKのBSが「冬のソナタ」を放送したことで、韓流ブーム(親韓ムード)に火がつき、「ヨン様」ことペ・ヨンジュンは、多くの女性視聴者のアイドル的存在となった。

逆に「嫌韓ムード」が高まるきっかけとなったのは2002年、サッカーワールドカップ日韓大会であろう。

日本は単独開催を目指していたが、結果として日韓共催となったことで、一部の日本人は韓国に対して被害者意識を抱くことになった。加えて、試合中の韓国に有利な判定や、韓国サポーターによる日本への中傷をマスコミが取り上げなかったことにより、韓国のみならず日本のマスコミに対する不信感や嫌悪感が、ネット上で徐々に強まっていった。

このように2000年代前半、「親韓ムード(韓流ブーム)」と「嫌韓ムード」に加えて「マスコミ不信」が同時に生じたのである。

このうち、コインの裏表のような関係にある「嫌韓ムード」&「マスコミ不信」は、シリーズ累計100万部を売った『マンガ嫌韓流』が2005年に発売されたことで、増幅される。この漫画では、戦後補償や日韓共催ワールドカップの問題のほか、日本文化を剽窃する韓国人の実態などを描くことで韓国を批判するとともに、それを報道しないマスコミも「反日」と糾弾したのだ。

2011年に潮目が変わった

一方、「親韓ムード」は韓国人アイドルグループのKARAと少女時代が日本でデビューした10年前後にピークを迎えた。内閣府の世論調査によると「韓国に親しみを感じる」と答えた人は2009年63・1%、2010年61・8%、2011年62・2%と高めに推移している。

このように、相反する「嫌韓ムード」&「マスコミ不信」と「親韓ムード」が同時に高まっていた2011年に潮目は変わる。同年5月に韓国の国会議員が北方領土の国後島を視察したほか、閣僚が竹島を訪問、6月には大韓航空機が竹島上空でデモ飛行を行った。また、8月には日本の国会議員団が鬱陵島(ウルルンド)を視察しようとして韓国への入国を拒まれたことで、領土問題をめぐって日韓双方が火花を散らす事態となった。

さらに、2012年8月、騒動に追い打ちをかけるように李明博大統領(当時)が竹島に上陸すると、「嫌韓ムード」&「マスコミ不信」が「親韓ムード」より前景化してきた。前述の世論調査で「韓国に親しみを感じる」と答えた人は39・2%(2012年10月)と、前年より23ポイントも減少したのだ。

これらの動きに呼応するように、ネットで“ネトウヨ”的言説が目立つようになると、まったく別の視聴者層が支えていたはずの「親韓ムード」が急速にしぼんでいった。「NHK紅白歌合戦」に東方神起、少女時代、KARAなどの韓流タレントが出場したのは11年だけである。民放でもこの2011年を境に、韓流タレントの出演が減ってきた。韓流タレントに飽きたという見方もあるが、韓国を揶揄する言説がネットで広がる中、テレビ局側が何らかのクレームを怖れて自主規制した可能性もある。

このように、フジテレビの前でデモが行われた2011年と翌2012年は、ネットを中心に領土問題などで「嫌韓ムード」&「マスコミ不信」がヒートアップする一方、「親韓ムード」が消失する節目だったのだ。

"リア充"のアイコンがルサンチマンの標的となった

では、「嫌韓ムード」&「マスコミ不信」が高まる中、なぜ、他局ではなくフジテレビがデモの標的になったのだろうか? 2011年から2012年当時の社会状況とフジテレビの関係を振り返ってみよう。

2011年3月、東日本大震災が発生し、原発事故が日本社会に暗い影を落とした後、前述のように領土問題が絡んで次第に「嫌韓ムード」&「マスコミ不信」は強まっており、12年にかけて日本人が抱える社会不安はより深刻なものへと変化していた。

一方、フジテレビはこの時、わが世の春を謳歌していた。2004年から2010年まで7年間、視聴率三冠王を獲得し続け、フジ・メディア・ホールディングスが国を代表するメディア・コングロマリットを目指す中、フジテレビはその中核企業として、さらなる活躍を期待されていた。

“お台場カジノ構想”が練られていたのもこの時代である。就職したい企業の上位に名前が挙がり、平均年収も1500万円程度と、誰もがうらやむようなステータスと人気を兼ね備えた企業だったのだ。

そして2011年から2012年にかけて、日本社会は変化したが、フジテレビは変化しなかった。相変わらず韓流コンテンツや内輪ウケ満載のバラエティを放送し続けるフジテレビは、ネット住民にとって、能天気な“リア充”のアイコンであるとともに、“マスゴミ”の象徴のように見えたのであろう。彼らが、チャラチャラした“エリート社員”たちに、憎しみや怨嗟、羨望などのルサンチマンを抱いていたことは想像に難くない。彼らにとってフジテレビは、特権階級の左翼(誤解だが)=「反日」で、自分たちの主張を歯牙にもかけない憎き存在なのだ。これに加えて、日本がアジアのトップランナーだと思っていたのに、コンテンツ産業の面では韓国勢の活躍がめざましいことへの焦りや嫉妬もあったと考えられる。

若い世代が中心のデモ参加者たちは、自分たちが抱えたモヤモヤやルサンチマンを、共通の敵であるフジテレビにぶつけることで溜飲を下げていたのだろう。フジテレビが凋落すればするほど、彼らの全能感や爽快感は高まるため、奈落の底まで突き落としていこうとするが、そこに罪悪感はない。これらの言動は当然の社会的制裁であるという「正義感」に支えられているためである。

では、「韓流ゴリ押し」批判に対して、フジテレビはどのような対応をしたのか。

ネット上で拡散されている「フジテレビの公式見解」によると、韓流ドラマが多いという批判に関しては、《韓国制作の番組やアメリカ制作の番組も含め、どのような番組を放送するかは、総合的かつ客観的に判断し決めております》と回答している。

また、「世界フィギュアスケート選手権」で、日本の国旗掲揚、国歌斉唱シーンの放送が意図的にカットされているとの疑惑に関しては、以下のように述べている。《過去5大会のうち、3大会(08年、09年、11年)は放送をしています。07年と10年は競技の模様を優先し、優勝者へのメダル授与シーンのみを放送しています。これは、あくまでも放送時間および番組構成上の理由であり、それ以上の意図はありません》

今でも終わらないバッシング

このほかに、「韓日戦」の表記についての説明もあったため、一部の人に一定の理解は得られたかも知れない。しかし、フジテレビ批判の書き込みは、その後もネット上で継続し、今でも揚げ足を取るようなバッシングが日常的に繰り広げられている。

フジテレビの説明は、はたして十分だったのだろうか。正直に「商売だからやっています」という説明をすれば、身も蓋もない商業主義を露呈することになるため、公共性を担う放送局としては言いにくいという事情もあったのだろう。

しかし、韓流ドラマの放送を「総合的、客観的に決める」という説明は、あまりにもつっけんどんで、木で鼻を括ったような答えではなかろうか。具体的な判断基準や判断材料がさっぱり分からない。これらのコメントにネットの住民たちは「上から目線」を感じ取り、反発したのではないか。ネットスラングで言えば、フジテレビは「燃料を投下」してしまったのだろう。

フジテレビは、世間からなぜ批判されるのかをていねいに自己分析して番組内容を検証するとともに、視聴者に対して番組制作の内実をもっと可視化するべきだった、と筆者は考えている。ネット時代においては、自由に情報発信できる視聴者とテレビはフラットな関係であり、これだけマスコミに対する不信感がネットを中心に高まっている今だからこそ、できるだけテレビ局の仕組みを明らかにして視聴者に理解を得るべきなのではなかろうか。



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