大分市内に滞在しています。

曇り→雨。24.4℃/21.4℃/86%

いま、大分市内にいます。

午前中、通常通りに出社したあと、午後から羽田空港へ移動。
ANAで移動なので第二旅客ターミナルへ行かなきゃならないのだけど……十分時間があったからね、第一旅客ターミナルでモノレールを降りて、羽田空港でポケモン狩り。ポケストップが4つ重なり合っている場所があって、ソファに座って1時間あまり、かなり狩りましたよ。

で、1時間前には第二旅客ターミナルへ移動。
新型のホンダNSXを「かっこえー」と写真撮影したり、文庫本を買ったり。


大分空港へ向かう飛行機はエアバスA320。
座席数が166位で小型〜中型機かな。


機上で「時計仕掛けのオレンジ」を読み始め、暴力的な描写が延々と続いてうんざりした。小説の登場人物に比べたら日本の若者はおとなしいと思ったさ。

大分空港に到着したのは17:30過ぎ。
市内へ向かう空港バスに乗り込んだ時は、まだ曇り空の下、周囲の景気を眺めることも出来た。けれど、別府市内に入る頃にはとっぷりと日が暮れて、見知らぬ街を走ってゆくバスは、いったいどこへ向かっているのだろうと思ったりもした。

バスを降りてすぐのビジネスホテルにチェックイン。
ビジネスホテルを予約するときでも、部屋のサイズを気にするようにしている。
今夜は18.2㎡の部屋で、わりと伸び伸びできている。
これが12㎡とかなると、息が詰まりそうになる。



部屋に荷物を置いて、ご飯を食べに出た。
知らない街でひとりでご飯を食べるのはなかなか苦労する。
地場の名物を食べてみたくても、ひとりで頼める分量なんて限られているし。
ということで、関サバを食べようと寿司屋に入った。



ビールを飲みながら、にぎり寿司10巻を摘む。
分厚く切られたネタは、噛み応えがあると言っていいほど。
富山弁で「きときと」という言いたくなるような新鮮さ。
美味かったよ。

明日は大分市内に寄れるか分からないので、大分ラーメンというものを食べてみた。
ホテルスタッフのおすすめと言うことで「ちゃが商店」という店に入ってみた。
スープのクォリティはなかなか。
だけど、麺をゆでる店主がケータイでしゃべりながらの仕事はねぇなあ。



部屋に戻ってきて、ズボンプレスでパンツの皺を取ったり、シャワーを浴びたり。
そしてブログを更新したりと。

大分市内は雨でけぶっている。

明日から九州へ出かけてきます。

仕事がらみだから、午後から飛行機で九州入り。
土曜、日曜は湯治したいなあと、帰りの飛行機の予約を変えようかどうか思案中。

別府温泉なんて、憧れちゃうじゃないですか。

おっさんが社会的産廃にならないために。

僕は小田嶋隆氏が嫌いだ。
こんなところで面識のないおっさんから「あんたを嫌いだ」と言われて、小田嶋隆氏はたぶん気を悪くすることだろう。
だが、リベラル一派に属する彼の時事論評を読んでいると、リベラルの遵法意識の希薄さ、自己責任より他者責任を叫び、ここ一番踏ん張らなきゃならない場面で「オレ、ここから逃げるわ」という連帯感のなさに、めまいがしそうになる。

だが、時事問題から離れた小田嶋隆氏のコラムは、たまーにキラリと光るものであるので、斜め読みくらいにチェックはしている。

今回の「入院した中年男性がおしなべて不機嫌な理由」は、先月僕も入院体験したこともあって、全面的に賛成。

自分がゲイという、ノンケ様たちからはズレた感覚で生活していることもあって、中高年男性の粗暴さ、横柄さにはほとほとうんざりしている。若かった頃は、あんなに素直で、よく気がついて、愛嬌のあった人たちが、なぜ無惨な状態になってしまうのか不思議で仕方なかった。


===以下、日経ビジネスオンラインから引用===
 前回の入院の時も思ったのだが、年配者の多い同僚患者を見ていると、病院の日常に適応して入院生活を楽しんでいるように見えるおばあさんたちに比べて、男性のご老人は、おしなべて不機嫌な様子をしているのだ。

 互いに病状を気遣い、朝に晩に声を掛け合いながら、機嫌良く病院の明け暮れをやり過ごしているおばあさんたちに比べると、爺さんたちは、どうかすると自分で自分の症状を悪化させているようにさえ見える。

〜中略〜

私がここ数年来様々な場所で感じているのは、その「意に添わぬ立場に置かれた」時に、多くの男がまるで機能しない人間になってしまうという、そのことだ。

〜中略〜

 日本のおっさんは、職場に置けばきちんと機能する。その意味では、規格外の不良品ではない。事実、彼らの社会である「会社」では、彼は、立派な社会人として通用している。

 ただ、病院は、企業社会とは別の原理で動いている。だから、そこでは、職場のプロトコルが通用しない。となると、おっさんは、何もできない。

 おそらく、病院に放り込まれた爺さんや、駅の雑踏を一人歩く通行人になりかわったおっさんが、まともな態度をとれないのは、彼らが本来あるべき「役割」の外に放逐されている独行者だからなのだ。


 企業人ないしは組織の人間としての社会性は、平場の世間では通用しないどころか、邪魔になる。
 だからこそ、街場のおっさんは、歩く凶器と化すのだ。

 とすれば、役職を剥がされ、立場を喪失し、外骨格としての会社の威儀を離れ、一人の番号付きの入院患者になりかわった時に、そのおっさんなり爺さんなりが、どうふるまって良いのやらわからず、ただただ不機嫌に黙り込むのは、これは、理の当然というのか、人間性の必然ではないか。

 シンデレラがガラスの靴を脱いだ時みたいに、おっさんの魔法は、背広を脱ぐだけで、あとかたもなく解けてしまう。

 そう思って振り返ってみれば、部下が話を聞いてくれていたのも、得意先の若いヤツが人懐っこい笑顔で話しかけてくるのも、生身のおっさん自身に対してではなかったのかもしれない。若い連中のリスペクトが、おっさんの肩書や立場、つまりは背広への義理立てに過ぎなかったのだとしたら、その背広を脱がされて、入院患者用の業者レンタルの浴衣を着せられたオヤジほどみじめな存在はない。なんとなれば、彼は彼がそれまでそうであったすべてのものの抜け殻だからだ。

 もう少し噛み砕いた言い方をするなら、上下関係と利害関係と取引関係と支配・被支配関係で出来上がった垂直的、ピラミッド的な企業社会の中で身につけたおっさんの社会性は、病院や、町内会や、マンションの管理組合や、駅の雑踏や、コンサートの打ち上げのような場所で期待される、水平的で親和的な社会性とは相容れないということだ。

===引用、ここまで===

僕が入院していた5日間、廊下で怒鳴っていたのは中高年男性ばかりだった。
僕の症状はS状結腸炎で、比較的早く回復した。
暇で、体力の回復も早かったので、点滴スタンドを引っ張りながら入院フロアをウロウロしていた。
目にすること、何もかもが興味深かったのだ。

面会ラウンジでTVを見たり、廊下のベンチに腰かけて外を眺めていると、婆ちゃんたちが話しかけてくる。
「あたしのろまんすを聞きたいかい?」とばかり、長い長い昔話を繰り出してくるんだが、僕は嫌いじゃなかった。話が途切れたら、共に窓の外の山々を眺めて、また少ししゃべり、話し疲れたら病室へ戻る、という生活だった(僕は点滴ポンプのバッテリーが残り少なくなると病室へ戻っていた)。
それに比べ、中高年の男性は、押し黙って腰かけているか、ナースコールで呼びつけた看護師に怒鳴っているか、そんなことばかり。
病院にいて何か楽しみでも見つけて……って言っても難しいが、せめてこの状態でも機嫌良く、相手に敬意を払って、気分良く時間を過ごそうという気持ちが中高年男性には湧かないらしい。その様子を僕は残念だなーと思いながら眺めていた。

自分の父親を見ていてもそうだが、中高年以上の男性は、水平的な関係性を維持するのが困難らしい。
ゲイの世界では、参加者たちはそもそも肩書きを問わない(まれに肩書きをひけらかす人間がいるが、後で手痛いしっぺ返しを食うことが多い)関係性の間を漂っているので、水平的な関係に違和感をあまり感じない。そういう意味では、ゲイは若い頃からおばさん化している。

小田嶋隆氏によると、

1.女性は年代を問わずおおむね親切に接してくれる
2.男性の場合は、年齢が若いほど気遣いが行き届いている
3.おっさん、爺さんには、横柄、尊大、偏屈、無愛想な個体が数多く含まれている


まったくその通りで、「横柄、尊大、偏屈、無愛想な個体」から今時の若い者は〜と上から目線で物申されても、反発されるばかりだよね。そのリアクションに戸惑い、さらに意固地になるという悪循環。

(会社以外の)社会的産廃物扱いされないように、中高年男性は自分の会社内の人間関係に特化した状態から、心して抜け出すことに努めなくちゃならないね。なんだろ……イタリアの爺様たちのように、愉快で、気さくで、人に優しい存在になりたいじゃないですか。

サイゼリヤで食べて、イタリア中部地震復興支援

彼氏と逢う前に腹ごしらえ。
サイゼリヤでイタリア中部地震復興支援キャンペーンをやってると聞いて、行ってみた。

アマトリチャーナ399円を食べると、サイゼリヤが100円寄付してくれるんだって。
もちろんアマトリチャーナを頼みましたよ。

こういう応援企画には積極的にノッていきます。


BL漫画レビュー:ナツメカズキ『MODS(モッズ)』

ナツメカズキ2冊目のコミックス。

「ひとり、目が覚めるたび思い出すーー昔 あのひとに抱きしめられた体温を」

妹の借金を返済するため、ゲイ向けデリヘル「Rain」の人気男娼・シロの付き人として働くことになった信虎。
信虎の顔と体が好みだと言い、セクハラを繰り出してくるシロに対して、一線を引いて仕事をする日々だったが、ある夜、客からの暴行で傷ついたシロの姿とふいの言葉が忘れられなくなってしまい……。

欠けて凍えた心の奥底には、愛への狂おしい呻きがあった。
男娼と付き人ーー交わされる、声なき咆哮。

この手のスタイリッシュ(?)な画風のBLは、結構な確率でスベる……という個人的経験を持っていて、買おうかどうかかなり逡巡した。結局買ってみたら、Not too Badな仕上がり。

信虎は、マルチ商法にはまって800万円の借金を作った妹(マシュマロ系女子……頭の悪い女っていう暗喩だな)のために、ウリ専ボーイ(ゲイの世界では男娼という言葉は使われない)送迎ドライバーの仕事に就く。ギャラは2万円×30日。高額ギャラに惹かれて、信虎はウリ専業界と関わり合いを持つようになる。


信虎が送迎する「シロ」は、Rain一番の稼ぎ頭。
思春期の頃から男のペニスを咥え、ザーメンにまみれて生きてきたシロは、セックス=¥になってしまっている。


客の望むプレイをなんでも受け入れて、傷だらけになっているシロに「なんで……こんなこと……」と問う信虎に対し、「俺はこれしかできないって。犯されて、殴られて、おっさんの汚いザーメン飲んでなきゃ生きられない変態野郎……それが俺なんだよ」とシロは言う。

かつてシロをすくい上げようとした元ヤクザがいた。
彼とこの町から逃げようと決めた日、元ヤクザは命を落とした。

それ以来、シロは誰も好きになれなくなった。
大切な人を失うことが怖くなり、自分は一生「売り」しかできないと思うようになった。




「シロさん、何泣いてんですか?
 俺はいなくなったりしませんよ。
 ずっとこの手を離しません。
 あんたが好きなだけです」

こうしてシロはすくい上げられた。


漫画とは関係ない個人的な話をするけれど。
僕はウリ専ボーイを何人か見てきた。
もちろん、ウリ専ボーイを買ったわけではなくて、彼氏とたまに飲みに行く新宿二丁目のバーがウリ専の経営で、カウンターの中にいる店子にウリ専の子がいる。ウリ専のページでは、その子に値段が付けられて売られていて、不思議な気分になる。お酒を注いで時給1000円〜みたいな世界と、一晩で何万円かの世界を、この子は渡り歩いているんだなあと。

客席にも客とウリ専ボーイが座っていたりする。
中高年と二十歳前後の若い男の組み合わせなのだから、違和感はかなりある。
元ボーイに話を聞いたら、もちろん客はボーイにセックスを求めてくるのだけれど、指名が続くとだんだん体の関係はなくなって行き、一緒にご飯を食べたり、バーでお酒を飲む関係に移行することが多くなるんだそうだ。性欲はさておき、人ってだんだんさみしくなるんだろうね。そのさみしさの埋め合わせにまずはセックスを求めるのだろうけれど、それで根元的なさみしさが埋まるわけではなく……うん、人はやっぱり寂しい生き物なんだろう。

ゲイバーのカウンターの中で僕と彼氏の前に立っているのは、有名大学の学生だったりして、あんまり変な人はいなかった。まあまともな方だった。ブランド品を手っ取り早く手に入れたいだの、留学の費用を貯めるためだの、彼女を妊娠させちゃって費用が……みたいな、ある程度期限がある連中だった。噂によれば、ちょっと頭の弱い子、メンヘルでセックス依存症になっている子とかもいるらしいが、そういう子は見たことがない。

もう随分古い話になるけれど、新宿二丁目にはドンと呼ばれる人たちがいたという。
終戦後、歌舞伎町が復興してきた頃、女装の男娼として立ちんぼをしていて、そこで貯めた金を元手にウリ専業を始めた。ウリ専業はとても儲かる商売で、そこで貯めた金でバラエティショップを開いたり、ゲイバーを経営したりだの、文字通り裸一貫からのし上がった人がいたのだという。僕らが昔話を聞いていた人に「あの不審火の話は本当?」と尋ねたら「随分古い話を知っていますねぇ。本当よ」という答えが返ってきて、その時は戦慄したことを今も覚えている。歴史は続いているのだと。

1.絵柄
悪くはない。スタイリッシュな感じ。
少女漫画のような線の細さではなく、筋肉質な感じの描写は悪くない。

2.ストーリー
ウリ専ボーイと付き人ドライバーという、ストーリー的には捻りなし。
「俺は体を売るしかないんだ!」って相手の心をどう溶かすのか、それだけ。

「俺 好きな奴に抱かれるの初めてだから」……と涙を流すシロ。
ハッピーエンドでよかったね。

3.エロ度
ウリ専ボーイだから、かなりいろいろなことをさせられていてかわいそう。
シロちゃんdeep throatもOKそうね。

4.まとめ
悪くはない。
だけど1年後に記憶に残っているかと言われたら、ないかな。

絵柄 :★★★☆☆
ストーリー:★★☆☆☆
エロ度 :★★★☆☆
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)

ポケモンGO Plusが捗りすぎる件

それは金曜日の朝、たまたまネットで気づいたのが始まり。
「最近の不忍池はどうなってるのかな?」と思って2ちゃんを開いてみたら、ポケモンGO Plusの販売が始まっていると騒ぎになっていた。たまたまAmazonの直リンが貼ってあって、これがまた怪しいタイトルでカートに入れるのに逡巡したけれど、えいやっと買ってしまった。それから10分後くらいに売り切れになった。

土曜日は終日外出で、今日の午前中受け取った。
映画「怒り」を観に行くついでに、ポケモンGO Plusをつけてみた。

映画の終わった後、不忍池巡りをしていたのだけれど、仕事が捗る捗る。
アイテムはじゃんじゃん集まる。
モンスターは、確かに雑魚を取り逃がすことが多いのだけれど、逃げられてもモンスターボール1個の損失で経験値は少しつく。手動だとボール1つでモンスターがとれることはほとんどなく、雑魚狩りはめんどくさくなっていたから、適当な確率で捕獲できるならばそれでいいや。

電車走行中でもそこそこアイテムが取れる、卵が孵る、相棒のピカチューは次々飴を拾うしで、とりあえず満足。
いい買い物でした。

ポケモンGO Plusの次回出荷はなんと11月上旬!?
暴動が起きそうな状況だね。

吉田修一×李相日 「怒り」を観てきましたよ。

妻夫木聡×綾野剛の濃厚な濡れ場が一部で話題になっていた「怒り」。
公開二日目ですが、有楽町日劇まで出張ってまいりました。
入りは8割以上だったかな?

妻夫木聡×綾野剛のシーンですが、けっこうガチでしたね。
ゲイに嫌悪感のある人たちには耐えられない光景かもしれないなー。
妻夫木聡のお尻のえくぼまでバッチリ映っていて、おいしいなーと。

で、原作者と映画監督、そして観客に誤解して欲しくないなあと思うのは、ハッテン場で妻夫木聡が綾野剛の脚を無理やりこじ開けて抱くシーンがあるのだけど、これは現実にはほとんどありえないということ。
僕の知っている範囲では、ゲイの心は乙女だからね。
ああいうハッテン場ですら、選びたいし、選ばれたいのですよ。

妻夫木聡がガタイの良い半裸の男たちの中から、綾野剛にアプローチする。
リアルゲイの世界だと、綾野剛に断られたら、妻夫木聡は大人しく引き下がる。
だって、自分は相手を選んだけれど、相手からは選ばれなかったのだから、仕方ない。
酒で意識をなくしているとか、ドラッグでラリってるんでもなかったら、1対1でああいうレイプ紛いのことは発生しえない。
無理強いされたら相手を殴っちゃえばいいんだからね。

綾野剛のゲイ役は、なんか「嶋くん」って感じだったな。

映画の話に戻るけれど、原作を読んでいなくとも物語の中盤で犯人はわかる。
殺人の後、シャワーを浴びている犯人は肩周りの筋肉がすごい。
妻夫木聡に抱かれている綾野剛、宮崎あおいに抱きつかれている松山ケンイチ、どちらもあそこまで筋肉質ではないから、犯人は残る一人となるよな。

坂本龍一の音楽はそれほど印象的ではない。
だけど、二度目の「怒」が現れたときは、音楽と映像がシンクロして鳥肌だった。
麦茶を受け取る時、犯人の顔を映してしまっても良かったんじゃないかと思ったな。

沖縄問題が少し取り上げられているけれど、とってつけたような消化不良感がある。
米兵がいなければ、レイプもなかった……その通りだけれど、だったらデモをするのは米軍基地前じゃなくて、国会議事堂前か、首相官邸前でやるべきなんだろう。軍隊に痛みを訴えても効果はなくて、やはり訴えるなら政治に対してだろう……と思ったな。

劇場は腐女子、貴腐人率が高かったのは、やっぱり妻夫木聡×綾野剛目当てなんだろうな。
右も左も女性の二人連れ。
真ん中にゲイのおっさんという、シュールな光景。

綾野剛はやや女性っぽい雰囲気を醸し出していた。
個人的には妻夫木聡と松山ケンイチのガッツリ掘りあいとか見てみたかったなー。

映画だとどうしても原作の要素は欠落してしまう。
ゲイパートだけ切り出して、ミステリーBLとかで見てみたいな。

新海誠監督作品「君の名は。」は、良かった。

シン・ゴジラとならび、今夏もっとも話題になった作品「君の名は。」。
朝7時の時点で、都心の映画館は最終回までチケットソールドアウト状態。
東京の端っこの映画館で見てきましたよ。

僕は新海誠作品をそれほど見ていなくって。
「秒速5センチメートル」、「雲のむこう、約束の場所」、「言の葉の庭」の3作品のみ。

桜の舞い散る美しい画面に息を飲んだ「秒速5センチメートル」の主人公、遠野貴樹と篠原明里の物語は、鬱エンディングだった。遠野貴樹は初恋の女の子との縁を、何が何でも繋ぎとめようとしなかった。時間とともにお互い疎遠になって終わってしまう。

「君の名は。」の立花瀧と宮水三葉は、お互い絶対に逢いたいと願い、最後まで諦めないのだよね。そこが新海監督の心境の変化なのかなあと思った。

ストーリーは男女入れ替わりものという、少女漫画を読んできた僕からすればありふれたもの。

だけどまあ、とにかく美麗な絵作りなこと。
カナレットの描くヴェネッツィアのように、日本の日常風景がなんと祝祭的な美しさで描かれていることか。
朝の通勤電車、新宿の周辺、四谷駅前……先週長野県に行ってきたので、山岳地帯の風景とか、自分が実際に目にしているけれど、年に数回しか見ることのできない、神様に祝福されているかのような美しい光景が連続していて、ため息が出る。「アニメと実際の日本は別物だった。がっかりした」と嘆く外国人がいるが、わからないでもないなあ。アニメの中の光景は実在し得るんだけど、特に新海誠作品に描かれる風景は年に数回しかないようなベストショットだからさ。

で、アニメの中ではそんな美しいベストショットをつなげて日本の日常生活を描くってこと自体が、日本文明以外の世界に対してものすごいPRになっているんだろう。そういう意味で、かつてのハリウッド映画がアメリカンライフの伝道ツールだったように、日本人のライフスタイルのカタログ?ショーウィンドー?みたいになっているのだね。

「君の名は。」の美しさを楽しんできたら良いと思う。
宇宙戦艦だの、巨大ロボット兵器だので戦うアニメで育ったおっさんには、世界の救い方がだいぶ変わっていたけれど、素直に楽しめたよ。

もし女の子と身体が入れ替わったら?……ゲイの僕でもおっぱいは揉んでみるだろうな、きっと(w

長野県でふたり

と言っても、彼氏が合流してきたわけではなく。

業務出張だからビジネスホテルで一泊した。
旅行でビジネスホテルを使うことはあるけれど、今回は詫びしいなぁ〜。
いや、こういう侘び寂びを味わうのも地方出張の醍醐味と思うことにした。




昨日とは打って変わって青空が広がり、外を歩くのが楽しい。
一緒に現地に向かう方を待つ間、駅前に静態保存してある蒸気機関車を眺めてみる。


合流後、タクシーで一路目的地に。
青空と雄大な八ヶ岳を眺めながら爽やかな高原を走って行くのはとても楽しかった。

現地について6時間の打ち合わせでクタクタに。
途中十割そばをご馳走してもらう。
十割蕎麦はボソボソするというが、茹で方がうまいというこの店は、のど越し良く楽しめた。


帰りのスーパーあずさは満席で、しかもよく揺れる中央線で疲れ倍増。
疲れ果てて、帰宅したら即ベッド行き。

夏の長野県は、とにかく美しかったな。
ああいう空気のきれいなところで暮らしたら、心穏やかになれそうな気がする。

長野県でひとり

今日は仕事で長野県に来ています。
東京を出て、北陸新幹線はくたかですっ飛ばすこと約1時間。
佐久平は秋の匂いのする高原の風が吹いていました。
すこし肌寒かった。

打ち合わせ前に、佐久平駅前にあるCP最高のそば屋と絶賛される「佐久の草笛」で早めのランチを摂ることにした。一人ランチは結構さみしいけれど、せっかく遠出しているのだからファミレスとかで終わりたくないね。


頼んだのは、名物くるみのおはぎ(これはばらしてもらって1個だけ)と、ざるそば。
くるみのおはぎが先に出てきたので、アペタイザー代わりにモギュモギュと食べる。
甘さ控えめで、くるみの香りと食感がおもしろい。
エスニック料理だとココナッツミルクをぶっかけてあったりするのだけれど、長野県のデザートはあまり自己主張しないおしとやかな感じ。



ざるそばは結構強烈で、普通盛りでそば量400g。
大盛りにすると1Kgのモンスター級になるらしい。
三七蕎麦だそうで、蕎麦の香りはあまり感じられなかったけれど、喉ごしは良かったな。
かなりの人気店なんだそうだ。

そこからタクシーで移動して打ち合わせ。
打ち合わせを終えて佐久平駅に戻ってきたのは16:00頃だった。
雨が降り出していて、傘を差して駅から離れるのはめんどくさかったんだ。
駅ナカの「カフェ グレ猫」でコーヒーを飲みながら約30分時間をつぶした。

16:38佐久平発、小海線に乗り込む。



当初予定より1本前倒しの乗車だけれど、これでも小淵沢まで行く列車は終電を含めて3本という心細さだった。2両編成の車両は下校してきた高校生たちで混み合っている。わりとカップル率が高い。幼なじみか、部活仲間かも知れないけれど、わりとリア充っぽい。

ローカル線として有名らしいと聞いていた僕は、この移動を結構楽しみにしていた。
あいにくの曇り空で、山にはガスがかかり、時折雨が窓をぬらした。
ローカル線と言いながらも、車窓には人家もそれなりにあるし、季節外れのトウモロコシ畑や、白い花を咲かせている蕎麦畑、そして金色に色づき始めた田圃が広がっている。

小海駅で、乗客の半分が降りていった。
小海駅からはズンズンと山に分け入ってゆく感じ。


信濃川上駅でどさっと人が降りた。
窓の外は沿線の樹木の輪郭がほとんど分からないほど闇が迫ってきている。
赤い目玉のお化けのような踏切の赤色灯がたまに現れる以外は、まるで地下鉄で移動しているかのようだった。

野辺山駅の手前で、一瞬視界が開ける。
曇天が広がる空に闇が覆い被さろうとしている。
色と輪郭を失った農場とトラクターがぼんやりと見える視界の最奥、空と地平がふれ合うほんの小さな隙間で雲が切れていて、頼りないほど弱々しい残照の朱が溢れ出していた。闇を切り裂く光がやけに鮮烈で美しかった。

清里駅で男子高校生が降りて行き、とうとう僕はひとりぼっちになった。
低く唸るジーゼルエンジンの音と、規則正しく線路を刻む車輪の音以外はなにも聞こえない。
ひとりぼっちでローカル線に揺られていると、思考は内面に向かい、これからのこととか、普段はなかなか考えられない事柄について、とりとめなく思考が散らばってゆく。こういう時間が持てるのは、実は贅沢なことなのかも知れない。



こうして2時間30分近くかかって小淵沢駅に着いた。





ここで中央線への乗り換えに失敗し、30分あまり小淵沢駅で待つことになった。
ホテルについても近くで飯にありつけそうもないな……と思い、駅弁を買って特急あずさに乗ったのは正解だった。ホテルにチェックインしたあと、ご飯を食べに外へ出る気力はもうない。駅前は閑散としていて、数台のタクシーと、家族か恋人を迎えに来た自家用車がぽつぽつあるだけ。こういうときは早々に部屋に籠もるに限る。

平成28年 祝御柱祭弁当とキリン氷結。
リーマンのひとり飯なんて、これくらい殺伐としていて普通なんだと、なぜか笑ってしまった。




じゃあ、おやすみ♪

フジテレビは、なぜ「ネット炎上」の標的になるのか……救いがたいポリティカルセンスの欠如

東洋経済オンラインが、元フジテレビプロデューサーによる『フジは、なぜ「ネット炎上」の標的になるのか』という寄稿を掲載している。この人の考え方がフジテレビやマスコミの総意ではないだろう。だが、あの「フジテレビデモ」についての見立てが、フジテレビ中の人が絶望的にポリティカルセンスに欠けていることを露呈していて、正直苦笑した。

「嫌韓」を一言で言えば、尊皇攘夷運動と似ている。
尊皇と攘夷が被っている人が多いと思うが、多くは「攘夷」という感覚に近かったと思う。

嫌韓の発祥は、筆者の書いてあることで大体カバーされている。
でも、これらのエポックメーキングとなる事件の前から、朝鮮人に迷惑をかけられた、ひどい目に遭ったという個人の経験はたくさんあった。身内の話をすれば、戦後の東京で曾祖母と祖父が見てきたこと。実の父が昭和30年代の東京で経験したこと。僕が韓国系エアラインで経験したこと。そういう個人的に朝鮮半島、朝鮮人を嫌悪する感情はあちこちに転がっていたと思う。当家では朝鮮半島には関わるな、が家訓だったりする。

その後、インターネットが発達し、ワールドカップから嫌韓感情が広がった。
明らかに韓国人がめちゃくちゃやっているのに、それを報道せず、友好の演出をごり押ししたマスコミはおかしいと思う人が増えた。過去のマスコミ報道が発掘され、検証されるようになった。建前でも「不偏と公正」を実現しなければならないマスコミ、特にTVが特定の国に偏った好意的報道をしていると考えられるようになった。
確かに、嫌韓集団にはマスコミ不信が広く共有されていたとは思う。

でも、マスコミ関係者の見立ては、たいていの場合、フジテレビデモの底流に流れていた感情を捉えていない。

"リア充"のアイコンがルサンチマンの標的となった

給料の高いフジテレビ社員はリア充であり、ビンボー低学歴のネトウヨのルサンチマンの標的になった……こんな見立てしか出来ないから、フジテレビはバカにされ、凋落したのだと思う。正直、この大学教授はバカだと僕は感じた。

インターネットを便所の落書きだのと言ってるジャーナリストが幅をきかせている位だから、もうどうしようもない産業だと思うのだが、嫌韓ムーブメントにおいてネットの果たした役割はとてつもなく大きかった。
いま日本のマスコミが報道しない韓国の言論を、ネットはリアルタイムで訳し続けている。韓国のメジャーメディアが日本と日本人をどのように報道しているか。嘘、ねつ造、事実誤認、日本人蔑視、ありとあらゆる憎悪が転がっていることを韓国ウォッチャーたちは知っている。韓国メディアの報道に対し、韓国人がどんな反応を示しているかもほぼリアルタイムで翻訳されている。「寿司女の股に大極旗を挿してやる」とゲラゲラ笑っている韓国人らを見ていて、僕は心底韓国人という集団が嫌いになった。

僕一人の怒りは私憤に過ぎない。
だけど私憤が積み重なり、広く共有されたとき、私憤は公憤に変わり、公憤の対象である韓国と韓国人は公敵になる。
その決定打は、李明博前韓国大統領の「「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」(日王が)『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回って跪(ひざまづ)いて謝るべきだ」と言ってのけたことだろう。
これが2012年8月14日のこと。フジテレビデモの1年後のことだ。

2011年の夏、フジテレビに対し、韓流ごり押しは止めろと声を上げた人たちがいた。

確かにあのとき、地上波には韓国ドラマがあふれかえっていた。
その理由は安く仕入れられるからという、商売上の理由だったとフジテレビはいう。

当時のマスコミや、進歩的文化人とやらは「景気が悪く生活に余裕のない日本人が外部に敵を作り、攻撃するようになった」と解説して見せた。それは半分当たっている。支那人が尖閣諸島をうろつき始め、当時の民主党がダメダメな対応をし国民の怒りが渦巻いていた。一般の人たちが韓国人の言説と、第三国でのディスカウントジャパン運動のことを知るようになり、韓国と韓国人に怒りを感じる人が増えた。そして韓国と韓国人は公敵であると考える人が増えた。

ただ、韓国と韓国人に怒りを覚え、フジテレビに韓流垂れ流しを止めるべきだと声を上げた人たちは、経済的な余裕ありなしとは直接関係はなかったと思う。高給取りなリア充フジテレビ社員様に比べれば年収は少ないかも知れないが、別に生活に困っているわけじゃない。そもそもフジテレビにデモしたってお金になるわけでもなく。職が欲しいなら霞ヶ関か議員宿舎の前でデモするぞ。日本でデモをやってるのは、ほとんどが特定の団体が関わっているプロ市民。どこからか金が出ているから毎日毎日デモをやっていられる。フジテレビデモの参加者は、プロ市民ではなかったように思う。全うに仕事を持った人が多かったと思う。当時の映像を見ると、サヨクデモとは来ている人間が違う。服装を見ただけでも明らかだ。サヨクにありがちな薄汚れたウインドブレーカーを羽織ったおっさんや、チューリップ帽を被った初老の女たちではなかったよ。

そういう背景を考えると、あのフジテレビデモが発生した当時から、公敵、僕らの身近な感覚では「反社会的集団」(この場合は、反社会的と見なされるのは法律的観点だけではなく、道義的なとらえ方もあると思う)とみなされる連中から、安いからという理由で仕入れた商品を並べて売る企業は、反社会的企業と見なされて当然、という意識が視聴者側に芽生えたのではないか。
安く仕入れられる理由には、韓国政府からの補助金があったということは言われていた。海外でのディスカウントジャパン運動、補助金付きコンテンツを垂れ流すことになる(結果としての)文化侵略……いずれも韓国政府の国策であり、けっして日本国民の大多数にとって幸せになる結果にはならない。フジテレビがやっていることは「公」の視点からみて、日本と日本人にとって正しいことではないという怒りが、デモ参加者の意識にあったと思う。

商売原理で垂れ流す韓国ドラマ、商売原理で韓国イベントを主催するマスメディア……そりゃあ経済原理でしょうが、見方によったら公敵とつるむ、反社会的企業だとみなされても仕方ないと思うのですよ。日韓対立が激しくなる中で、ポリティカルセンスのないことをやっていれば、支持は失うでしょう。

田村淳の「じゃあ見ないと言う選択で良くない? 何でも否定するのがカッコ良いスタンスは俺には理解できない」という発言も一押しになったかもしれない。いままで友達、仲間だと思っていた企業がレッドチームに行ってしまった。もういいや、あんたとはつきあわない……不買運動というほどの情熱もなく、ただ白けて、関係が終わってしまった。今までTVのバカ騒ぎにつきあってきたけれど、もういいや、いらない。フジテレビの凋落は、視聴者との紐帯が切れてしまったことが原因なのではないかと僕は思う。


この画像が事実だったのか、真相が知りたいところ。

BL漫画レビュー:宝井理人『テンカウント5』

BL漫画でいま一番注目されているシリーズと言っていいかな。
発売当日に買ってきた『テンカウント5』は、黒瀬のターンだった。

「城谷さんを一番めちゃくちゃにできるのは俺です」

二ヶ月ぶりに再開し、初めて自分の意思で黒瀬の手を取った城谷。
タクシーを拾い二人で帰途につくが、黒瀬は先に降りて、あっさりと帰宅してしまう。
とっさにあとを追う城谷だが……?


っていうか、このピンク髪の男(女?)は誰だ!?
と面食らっていたら城谷だった。
いきなりキャラデザインを変えられると面喰らうわ。

で、テンカウント5はどうなったのか?

以前、テンカウント2で、僕はこういう文章を書いた。

「例えば第3巻で黒瀬と城谷の関係がイーブンのところに戻るほどの過去のトラウマが両者から吹き出してくるのか?
どちらにせよ、恋愛のバランスシートは城谷の負債が大きすぎる。」

この予想が当たったのか外れたのか、怒涛の第5巻だった。

タクシーを降りた黒瀬を追って、マンションエントランスにたどり着いた城谷。



「潔癖症だから好きになった」って言われた時、無性に腹が立って悲しかったのに……同時になぜか俺……。
本当はずっと、誰か、誰かに……黒瀬くんにもっと触って汚してもらいたくて。
いや、俺と一緒に黒瀬くんに汚れてもらいたくてっ……一人で抱えるのは怖いから……っ。


「俺も黒瀬くんのことが好きだ」って言ったら、俺のこと……めちゃくちゃにしてくれるんですよね?

うーん。。。。。。。。
城谷はただのドMなのか?とか思ってしまう一方で、潔癖症を治すために自分が「汚れる」ことに慣れなければならないという強迫観念と、一人で抱えるのは怖いという依存症がない交ぜになっているのかなぁ。

そもそも城谷が潔癖症になった理由は、幼少期に父親が大好きだった城谷少年が、父親に「頭を触ると考えていることがわかる」と言われたこと。父親をセックスに誘い込み、その場面を目撃して思わず自慰をしてしまった少年に「気持ち悪い」という言葉を投げつけた悪い女子高生によって、純粋に父親好きだった城谷少年が混乱した。第4巻の時点では、城谷少年が性的に父親が好きであったという表現はなく、ただ子供らしく親を慕っていただけと思われる。その慕情を「男なのにその慕う気持ちは間違っている」「気持ち悪い」と決めつけられ、城谷少年は父親と手を繋げなくなった。人と接触すると自分の考えていることが漏れてしまうという強迫観念に駆られるようになった。自分が汚れているのか、世界が汚れているのかはともかく、手を洗い続け、周囲をアルコール消毒し続けなければならなくなった。

そういう立場の人がはたして、世界との絆を取り戻すために、めちゃくちゃに汚して欲しいと懇願するものだろうか?
この激情は恋愛から生じたものなのだろうか?
あるいはドMの被虐欲求なのか??
それとも、孤独から逃れたいなどの、もっと別の感情から生じたものなのだろうか??

で、黒瀬のマンションに招き入れられた城谷は、身体の一番深い場所に黒瀬の雄を受け入れる。




あれ?
「もっと、もっと褒めて俺のこと。偉いですねって」……って、城谷が欲していたのは承認欲求だったのか。。。

城谷は自分が汚れた存在だと思っていて、黒瀬を汚すことを恐れている。
だけど、黒瀬に汚されることを望み、共に堕ちてくれることを願っている。

うーん。。。。。。。。
これだと、城谷はただの痛い子だなあ。
あるいは、男(=ゲイ)にはわからない、雄を受け入れる側に立つ女性にしかわからない感情があって、それがたまたまBL漫画に投影されているだけなのかもしれないが、女性にはこういう形の承認と自己肯定の要求があるのだろうか。

で、後半は黒瀬のターン。
なぜ黒瀬は城谷に執着するのか……その過去が明かされる。

簡単に言うと、子どもに無関心の親のもとで育った少年が、近所で孤独に暮らす男と出会う。その男は不潔恐怖症で、子供の来訪をめんどくさがっていたが、完全に無視することもなかった。その男の行動を図書館で調べていた黒瀬少年は「親しい友達なら……」という一節を見つける。

誰も訪れない部屋で暮らす男が、自分にだけは心を開いていると少年は錯覚した。
そして部屋から出て暮らそうかと考え始めた男を、黒瀬少年は部屋に閉じ込め、独占したいと思った。

「俺だけが特別なんじゃないの?」

男が姿を消した後、黒瀬少年は不潔恐怖症の人間の、世間から切り離される恐怖、誰からも愛されていないと感じる寂しさを知り、外に出たいと望む男の背中を押してあげられなかったことを後悔する。そういう人を救ってあげなきゃいけないという使命感は、実はその裏に「自分だけが特別」というポジション確保への執着があり、その執着の対象が現在城谷になっている……という状況。

んー、こうなると着地点は見えてきている。
「不潔恐怖症じゃなくなった俺を、黒瀬くんは好きだと言ってくれますか?」
不潔恐怖症の患者なら、あなたは誰でも好きになったのですか?
俺は黒瀬くんにとって特別だったんですか?

BL的というか、やや少女漫画的な着地点を探ってゆくのだろう。

1.絵柄
相変わらず美麗な宝井理人クオリティ。
乳首の描写に力を注いでいるらしいが、すばらしい!
今後もビーチク道を究めていただきたい。

あと、不潔恐怖症の城谷がやけに細マッチョで結構雄っぱいなんだが、彼がフィットネスクラブに通えるわけでもなく、絵的には美味しいが矛盾が気になるところ。

2.ストーリー
黒瀬側の過去が開示される怒涛の展開。黒瀬の方が闇は深いかな。
独占欲の黒瀬と、被虐の城谷の共依存が、今後どうなるのか気になるところ。

実は、第5巻で城谷は手を洗っていない。
不潔恐怖症克服は近いのか??

3.エロ度
黒瀬の精液を身体に受け止めたまま、差し出されたコーヒーをすする城谷がラブリ〜。

4.まとめ
最近のBL漫画はト書きを棒読みみたいなものが多いが、宝井理人はストーリー展開と、見せ方が卓越していると思う。城谷が黒瀬を煽り、黒瀬が城谷を煽る。そして読者を煽る台詞回しは、最近リリースされるBL漫画のクオリティを突き抜けている。そのまま小説で読んでも相当エロティックだと思う。

あと書籍版と電子版とは修正が方法が違う。ブログの引用ではペニスとおいなりさんの表現がない電子版が扱いやすいが、やっぱりペニスは登場人物たちの欲望を表す大事なツールなはず。ペニスが描かれていないとレズのセックスみたいに見えることに腐女子のみなさんがどう感じているのか尋ねてみたいなー。(w

買って損なし。読んで損なし。
書籍版の方が、黒瀬、城谷の雄が滾っていて、電子版の30%増しな喜びがあるかと。

絵柄 :★★★★★
ストーリー:★★★★★
エロ度 :★★★★★
(あくまで個人的主観に基づく★の数です)