ポリティカル・コレクトネスに負けずにメリクリ〜!

メリークリスマス!

って街は華やいでいるのに、カフェでぼーっとしつつ、ブログ更新しています。
彼氏いないし……。
いやいや、誤解を生むといけないから言っとくけれど、隣にいないだけで彼氏は元気。
次に会うのが年明けのスワンナプームで、ってだけで。
風邪気味だったりで、静かなクリスマスイブを過ごしております。

最近のアメリカでは「Merry Christmas!」って言えなくなっているらしいですね。
代わりに「Happy Holiday!」って言い合うんだとか。

その理由は、ポリティカル・コレクトネスという考え方に依るんだとか。
で、そのポリティカル・コレクトネスをWikipediaで調べてみた。

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ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。

1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われる言い回しである。「偏った用語を追放し、中立的な表現を使用しよう」という運動だけでなく、差別是正に関する活動全体を指すこともある。
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ああ、こういう考え方だったのか。
なんていうか、リベラルを通り越して、文化大革命やら、ソビエト連邦時代のロシアのような、歴史やら文化を無視した人工社会でも作り上げようとする発想なのか。

このポリティカル・コレクトネスって、政治的に右派か左派かと言えば、左派のリベラルあたりから出てきた考え方だと思うのよ。「偏った用語を追放し、中立的な表現を使用しよう」っていう運動はさ、ある意味誰かの自由を著しく損なうのよね。それはさ、誰かの言葉を偏っていると糾弾し、自分たちが良いと考える言葉を押しつけているわけでしょう。じつに恐ろしい。リベラルって人たちが「正しい」と考えたことは、時々恐ろしい結果になる。

なぜ日本では、リベラルは胡散臭い集団と見なされるのか。

僕が思うにね、自分たちの立場・自由への尊重を求めるならば、相手の立場・自由も尊重できなければ、それは本物のリベラルじゃないんじゃないかって。海外のことはよく知らないが、日本国内のリベラル派と言われる人々の不寛容、攻撃性、他者を尊重しない独善性は、リベラルでもなんでもなくて、一種のカルトだと思うのな。彼らが敬意を払うのは仲間内で、外の世界は敵だと思っているようだから。そうなるとリベラルでもなんでもなくて、自分たちの主張と思想に基づいた世界・社会を実現するためには、敵対する(と彼らが考える)集団はつぶすか洗脳してやれという危険集団にしか思えないのだよ。

ポリティカル・コレクトネスってさ、差別・偏見を取り除くためという一見正しい主張のように見えて、みんなの個性をすり潰して、みんなを我慢させて、そして特徴のない、当たり障りのないつまんない社会を作ろうとしているように、僕には思える。なんでも平等にしたようにみえて、不満を内側に溜め込んだ不穏な状態になるか、あるいは無気力な状態になるか。

日本はさ、メリークリスマスで12月24日をお祝いして良いと思うのよ。
その代わり、ほかの宗教や、ほかの集団のお祭りも祝ってあげる。
やったり、もらったりじゃないけれど、お祝いしてあげた相手から、なんかの機会に自分もお祝いしてもらえる。
それぞれの人、それぞれの集団が、ゆるーく疎結合した状態にあって、他者のルール、生き方に一定の敬意をもって社会を回していれば、ポリティカル・コレクトネスなんて必要ないと思うのだよ。海外からなにかが日本に来ると、社会が受け入れやすいように、いい塩梅に希釈化がされる。それが「日本化」っていうことなんだけど。

LGBTという括りだと、僕も性的少数派にされちゃう。
ゲイに対する差別と偏見をなくせ!という主張は尤もではあるのだけれど、同性愛者は嫌い!と思っている人たちは、そう思うのは彼らの自由だし、それを矯正させようというのは傲慢だと思う。

インテリジェンスと言ったらいいのかなぁ。
心の中で嫌っているのはかまわない。
だけど、それを口に出して相手を罵ったり、暴力をふるったりするのはインテリジェンスじゃない、頭が悪い人だと僕は思う。ましてや、同性愛者を嫌う理由がドグマに書いてあるからというだけだったら、ますます頭が悪い人だと思う。そんなドグマは一度疑ってみろと。

こんなインテリジェンスを「日本人は表裏がある」と罵る人たちもいるんだけれど、僕は一種の知恵だと認識しているんだけどな。嫌いな相手に対してむき出しの敵意で罵り合っている社会がいい社会だと僕は思わない。分かりやすいが、獣じみた社会だ。というか、「日本人には表裏がある」と罵る人たちは、人間の奥深さと、人はすべて別物で一人として同じ人はいないという真理が分かっていないと思う。人は皆それぞれ別物だからこそ共に生きるために本音を隠すこともある。本音を隠すことが悪と見なされる社会は、常に勝ち負け、対立が生じる地獄になるだろうよ。

もし、イスラムが日本で定着し、テロリズムなどを起こさない平和的集団であることを日本人が認めたならば、いずれはイスラムの祭りも年中行事に入ってくる(いっとくがラマダーンは絶対ない。ラマダーン明けのごちそうを食べる行事は祭りになるかも知れない)かもしれない。ユダヤの祭りも、どこかの外国人のお祭りも祝われるだろう。ただし、そこに優劣をつけたり、他者の祭りを貶したりしないかぎりはね。

文末にちょっとした話を置いておきます。

それじゃ、メリークリスマス!!
幸せがみなさまにも訪れますように!!

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488 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/05(土) 15:31:21.19 ID:U1QJCbE0
私の住んでいる田舎には教会があって
アメリカ人の牧師の家族が住んでいる。
教会なんだけど積極的な布教をするでもなく。
幼稚園や英語教室をやりながらのんびりと
田舎暮らしをしているのだが。

その立地条件が、道を挟んでお向かいに神社があり、
西隣にお寺があったりするのである。
この3軒は非常に仲がよく子供同士クリスマスに呼ばれたり、
餅つきをやったり花祭りによばれたりして
宗教行事にも仲良く参加していました。
もちろんご近所さんも熱心に神社、教会、お寺の行事に参加して
のんびりと宗教しています。

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