安保法制に思うこと

帰国してから、安保法制について色々な人が色々な事を言ってるなあと眺めてる。

戦場(現場)が悲惨なことはわかっているつもり。
かつ、空襲などを経験した人たちが「二度とあんなめには遭いたくない」という言葉にも共感したいと思う。

憲法学者が憲法違反だと叫ぶ。
戦後70年、あれこれ解釈で乗り切ってきたけれど、まあ、だいぶ無理筋。
だけど僕らは憲法のために生きているわけじゃないからね。
憲法を守るために殺されるくらいだったら、(どういう方向かはさておき)憲法を変えるべきだと考える方が、「生物」の本能として正しいんじゃないかと思ってる。
だから、国会で憲法学者らは、法案が憲法違反になる可能性があるので廃案にするか、または憲法を改正するべきだ、と言うべきだったと思う。あの会見内容は自分の信条を吐露しているだけの、ただの運動家の独白ように僕には見えた。

で、戦争体験者として美輪明宏さんでも空論を言うのだなと思ったのさ。

「(人間は)失敗を繰り返してばかりいる。安倍さんや、石破(茂)さんや、麻生(太郎)さんにしても、みなさん、言い出しっぺの責任を取っていただいて、徴兵制になるならば、まずご自分が、年齢に関係なく、鉄砲を担いで、鉄兜をかぶって、まず第一線に出ていただく。それから、お子さんも、孫も、きょうだいも、それから娘さんのボーイフレンドも、全部一緒に連れ立って第一線に、まず最初に出ていただく。もちろん一兵卒でね」

アメリカがやりたがっている無関係の戦争には「No!」を言える政治力を付けた上で、日本が関わると想定される戦争(紛争含む)は、西太平洋上での支那、尖閣諸島に侵攻する支那、韓国の対馬侵攻、北朝鮮からの攻撃……要は東アジアの隣国からの武力侵攻であろうことはおそらく間違いない。「韓国の対馬侵攻?ばかじゃね??」と思うならば、李承晩がなにを言っていたのか調べてみたら良い。

で、戦争というと、なにか別の次元がやってる喧嘩のように思えてしまうのだよね。
だけど、実際に自分の身内や友人に害が及んで初めて自分のことになる。
実際に沖縄に支那が侵攻し、チベットのようなエスニッククレンジングが始まったりしたら、特にサヨクの人なんかは「他人事じゃない、キミたちにも関わっていることなんだ!」とか言い出すんだろう。その時ではもう遅すぎるのだけど。

その時は、三輪さんだったらメケメケでも唄って最前線に立つんだろ?
宮崎駿はトトロのぬいぐるみを掲げて、最前線に立つんだろ?
辻元清美ら民主党議員は「日本には憲法9条がある!戦争絶対反対!!」のプラカードを持って最前線に立つんだろ?平和の盾になる覚悟なんだろ?

あー、三輪さんや宮崎は立つかもしれないが、民主党は最初に逃げる連中だろうな。
もし海が割れるように敵兵が退き、平和を取り戻せるならば、僕は三輪さんを、宮崎駿を神とあがめるよ。だけど、彼らに天安門広場で戦車に轢かれた抗議者のような勇気があるとは信じられないのだけれど。

自分が立たされる時は……や、火力は持たせて欲しい。
武力侵攻すると決めた相手は、力で押し戻すしか解決方法はないのだから。

安倍首相を心の底から信じられるかどうかは別として、政府は何度も「力による現状変更は認められない」と繰り返し宣言しているわけで、その現状を力で変更しようとしている勢力に対し、必要があれば力で押し返すこともあるよ?というブラフが、集団的自衛権のもっとも大きなポイントだと思うのだ。

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